【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百七時限目 梅高祭の後片付け
今日は梅高祭の後片付けに設けられた日であり、決して休みなどではないのだが、教室で片付けをしている連中の中に流星の姿はない。しかし、誰しもが『アマっちが片付けに来るはずがない』と決め込んでいるので、「どうして来ないんだ」と文句を言うのは、佐竹と天野さんくらいだった。このふたりはホールと焼き係のリーダーを任されていたので不満があるのだろうけど、流星が来なかった理由はサボり以外にも考えられる。
梅高祭の閉会式が終わり、打ち上げをどうするかの話し合いになったあの時、流星は僕を庇う為にヒール役を買って出た。そして、あんな結果になったのだから当然と言えば当然だ。そう鑑みれば、学校に来づらいと思うのは自然な考えだ。僕が流星の立場だったら、僕もズル休みして部屋で本を読んだり、ゲームをしたり、何ならお昼にちょっと凝った料理に挑戦するまである。……あれ? 休んだ方が充実している気がするなぁ!? 僕も休めばよかった。
教室の後方棚の前に置かれたダンボール箱に、教室を囲っていた紅の布を丁寧に畳んでしまう。人間とは好奇心の塊だ。それ故に、『好奇心がひとを殺す』という言葉もあるけれど、やはり怖いもの見たさと言うか、臭いもの嗅ぎたさと言うべきか、今さっき畳んだ紅の布に、恐る恐る鼻を近づけて臭いを嗅いでみる。
……うん、これはファンタスティック。
洋画の皮肉めいた言い回しで喩えるのなら、『最高にいい香り』だな。まあ、僕としてはモブキャラの『WTF』の方が好きではあるけど。因みに『WTF』というのは『What』『The』そして、『F』から始まる四文字の行儀が悪い単語の頭文字を取ったスラングで、意味は『なんてこった!?』『何が起きた!?』という意味だ。多分、『OMG』よりも過激な言い回しだと僕は思っている。これは僕の個人的な意見ですからね!
「優志。さっきから何をぶつぶつ言ってんだ?」
「え? 何が?」
「何がじゃねぇだろ。WTFがどうとか、TKGがどうとか」
卵かけご飯の事は、何ひとつ考えてなかったのだが。
佐竹は退屈そうに欠伸をしながら、僕から布を奪い取り、「しまっとくぞー」と、それを丁寧にダンボール箱へ入れた。
僕が持っている布でいっぱいになったダンボール箱の蓋を、編み込むようにして封をした佐竹は、それを両手で担いで、そのまま廊下側の入口横にドサッと積み上げた。こうしてダンボールの山を視るとその多さに驚く。布の厚みもあって、業務用の大きいダンボール四箱分が積まれていた。
「楓が持ってきた布だけど、これ、普段何に使う布なんだろうな?」
「さあ? なんだろうね」
佐竹の疑問は僕も思っていた。
肌触りもそうだけど、視るからに高級そうな布だ。とても『お好み焼き喫茶』みたいなふざけた催し物に使っていい物じゃない。劇場の垂れ幕とか、そういう『特別な場所』でこそ輝く逸品だ。なのに、その匠の技で織られたであろう紅の布は、お好み焼きの香りがファンタスティックに染み込んでいる。洗濯していい物なのかはさて置き、洗濯すれば臭いは落ちるだろうか? これはナノックスの出番ですね! 取り敢えず挑戦状を書く所から始めよう。
お昼前には粗方の片付けは終わり、残るは普段の掃除のみだけになった。お好み焼き喫茶の跡形も無い教室は、まるで何事も無かったかのようだ。黒板も、机も、椅子も、掃除用具入れも、何なら、火の中水の中草の中森の中、土の中雲の中あの娘のスカートの中までいつも通りである。そりゃそうじゃ。つまり、オーキド博士が研究しているのはポケットなモンスター。卑猥な意味で。そう考えると、ヒトカゲもゼニガメも何かの隠語のよう気がするからフシギダネ。ええっと、何の話だったっけ? ああそうだ、布の使い道か。そんなことよりおうどん食べたい。
そんな事はどうでもいい。
どうでもいい事を延々と考え続けることに関しては、僕の右に出る者はいないだろうけど、佐竹も大概にして、どうでもいいことを考えるものだ。どうせ洗濯が終わったらダンボールごと倉庫に眠る運命で、年末の大掃除の時に「何だこれ?」と思い出す程度だろう。そうやって思い出すだけでも有り難いくらいだ。……黒歴史的なノート然り、ね。
今日は午前で学校は終了となる。そして明日は振替休日。翌々日からはまた学生の本分を再開するのだが、日曜日分の振替休日はあるのに、土曜日分の振替休日が無いのはこれ如何に。文句を垂れても仕方が無い事だろうけど、やはり、多少なりとも思う所はある。
「優志君は明日どうするの?」
僕は窓辺で気配を殺していたはずだが、天野さんにはわかってしまうようだ。恐らく、常人では見逃してしまう程の速さで繰り出された手刀も、天野さんは視えてしまうんだろう。
「服をね、買いに行こうかなと思ってるんだけど……」
「だけど?」
ここで『女装する服も買いに行きたい』と言えば、天野さんも来てくれるだろうか? だけどそれは、まるでデートに誘っているような気がしてむず痒い。僕がまごまごと、もごもごと、もそもそと言葉を探していると、
「まあ! それは楽しそうですね♪」
月ノ宮さんの嬉々とした声が、天野さんの背後から訊こえた。
「楽しいかどうかはわからないよ。行くとしてもファッションセンター島村だから」
「お、……お手頃よね!」
なんだそのフォローは。天下のファションセンター島村が、まるで『ダサい』と言っているみたいじゃないか。リーズナブルな服を提供するのに、どれだけの企業努力がされたと思っているんだ! ……って、そういえば以前にもこんな風に、誰かに説教した気がするけど、誰だったっけ。まあ、忘れるくらいだからその程度のひとだったんだろう。
年頃の女子高生は、そういう手頃でリーズナブルな服屋を利用しないのかな? 女子高生ってめっちゃリッチ! 無論、月ノ宮さんは規格外なので省く。
「では、明日は皆で優志さんの服選びですね♪」
「そうね! えっと、何時にどこで待ち合わせすればいい?」
僕の意思は、介入も反映もされなそうだ。……だけど、女子ふたりが一緒というのは女性服も選びやすいかもしれないし、これはこれで都合がいい。……都合がいいのはそうなのだけれど、だからと言って、行きつけの島村に皆でぞろぞろと向かうのはさすがに気が乗らない。
「ふたりが来るなら、この辺りにある島村かな」
「島村は決定なの? この辺りなら他にも服屋はあるわよ?」
天野さんは不思議そうに首を傾げる。
「そこだけは譲れない。服一着に一万円も出せないからね」
多分、万札は数枚飛ぶかもしれないだろうけど、それで二着しか買えないなんて馬鹿らしい。島村なら二万で五、六着は硬い。それくらいあれば今年の冬は越せるだろう。女性服の相場は知らないけど、値段は男性服とそうは変わらないはずだ。
「……では、一十四時頃でどうでしょう?」
「そうね。午前中はちょっとゆっくりしたいから、丁度いい時間だと思うわ」
不意に『佐竹は誘わなくていいのかな』と思ったけど、佐竹を誘うと余計に話が拗れそうな気がするので、思った事を思わなかった事にする。
そう言えば佐竹はどこに行ったんだろうか?
ゴミ捨て場に捨てに行ったきり戻って来ないけど、まあ、顔が広い佐竹の事だ。戻ってくる最中に、顔見知り出会って、梅高祭の感想でも話しているんだろう──。
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