【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百五時限目 梅高祭 ⑩


 波乱万丈だった梅高祭も、体育館一階で幕を閉じる。

 閉会式のプログラムが終わる頃には、全てがあとの祭りとなり、祭りで浮き足立っていた生徒達は夢から覚める時が来た。とある生徒は嬉々とした表情を浮かべては、とある生徒は鬱々とした表情を浮かべる。そして、とある生徒は何を思っているのか、司会進行を務める実行委員長の姿を、ただただ無表情で視ていた。

 閉会式という事もあり、僕も優梨の姿のままではいられず、当然の如く着替えたのだけれど、それに気づいているのは月ノ宮さん、天野さん、佐竹、そして、流星だけだ。他の皆は戻ってきた僕を視ても、特に反応する様子は無く、むしろ『あ、お前いたんだ』状態。え、僕の空気感ってもはやステルス戦闘機レベルだったりするのか? なら、僕は実質、国家予算くらいの価値があるまであるあ……、ないな。そこまでご立派な役割を果たしていない『優志』である僕に、そもそも価値なんて無い。

「家に帰るまでが梅高祭です。皆さん、最後まで気を引き締めて、遅くならないように帰宅して下さい」

 恐らくは『家に帰るまでが遠足です』を捩った校長なりのジョークなのだろうけれど、あまりにつまらな過ぎて、大半の生徒は『しゃらくさい』と思っただろう。欠伸が出る程長い退屈極まりないスピーチを延々と聴かされる生徒の身にもなって欲しいけど、これも校長を務める醍醐味的な所もあり、生徒に忍耐を教えているのだろう。だがしかし、やはり退屈なものは退屈だ。

 約一〇分間のスピーチが終わり、その頃には地球が滅亡していて、外に出たら世紀末が訪れていた。──まで想像した所で、やっと、校長の『隙あらば自分語り』が終わると、閉会式の幕が閉じた──。


 教室に戻った僕らは、改めて気づく。

 この異質な空間と、異様な臭い。そして、若気の至りとして、青春の一ページに収めるのだろう。当然ながら、僕には黒歴史でしかない。なんだよ、お好み焼き喫茶って。しかもやたら好評だったのが腹立つ。……ちょっとだけ、楽しかったけど。

 誰からともなく窓を遮る紅のカーテンを剥がすと、あら不思議、窓が出てきただけでいつもの教室の風景に様変わり。紅色に染まっていたのはカーテンだけでなく、空も紅色に染まっていて、その遮光が教室に伸びた。

 光があれば影が刺す。

 誰かが「終わったなぁ……」と呟くと、『ホール』の雰囲気はもう無い。まるで魔法が解けたかのように、現実が押し寄せてくる。

「よし! 打ち上げ行こうぜ!」

 疲労困憊で意気消沈モードを跳ね除けるように、陽気な声を高らかに張り上げたのは他でもなく佐竹だ。しかし、打ち上げか。何を打ち上げるんだろう? ロケット? 花火? 折衷案でロケット花火とかどうだろう? 想像したらシュール過ぎた。

 佐竹の声に息を吹き返したクラスの皆は、「カラオケ!」とか「ファミレスでよくねー?」とか、各々の思う『マイベストオブ打ち上げ会場』を挙げていく中、「ホテルのパーティー会場の予約をしていませんでした……」と、割と本格的な打ち上げを想像しているひとが約一名。言わずもがな、月ノ宮さんである。

「こういう時、クラブとか借りられたらいいんだけどなぁ」

 打ち上げにクラブだと……?

 お前、打ち上げに予算を幾らかける気なんだ? 蟹なんて超高級品じゃないか。お正月に出るか出ないかの幻の一品だぞ。

 ──なんて、小ボケは入れない。

 そもそも僕は打ち上げに参加する義理も無いし、僕が参加してもしなくても空気。エアー。英語で言っても間抜けに聞こえるのが不思議。だけれど、そこにリアルが付くと、そこはかとなく強そうになるんだよね。エアリアル。ほら、何だかめちゃくちゃ浮きそうでしょ? パーティー会場で浮いてどうするんだ。

「月ノ宮さん! あの、うちのクラスを手伝ってくれた優梨さんは打ち上げに呼べないのー?」

「ああ、ええっと……」

 ちんちくりんでやたら語尾が上がる特徴的な喋り方をするそこの女子! ──余計な事を。そういうのいいから。もう、本当に勘弁して下さい。

 月ノ宮さんが返答に困り、僕をちらりと横目に視た。

 いやいや、僕に助け船を出せるような余力があるとでも? 生憎、現在欠航ですので結構です。それを伝える為に、僕はヘドバンよろしくな程に首をブンブンと振った。

「それもそうだ! 優梨ちゃんを出せー!」

 ゆ・う・り! コールが教室に巻き起こる。佐竹、お前、合いの手で『フゥ♪』とか入れるな。後、どさくさに紛れて『きゅうり』って言ったヤツ、顔は覚えたからな。

 こうなってしまうと収拾がつかない。

 幾ら月ノ宮さんでも、これを収めるのは無理だろう。

 ……仕方が無い。やっぱり出るしかないかと臍を固めたその時だった。黒板を思いっきり叩いたような衝撃音が、優梨コールを沈静化させる。

 ──流星だった。

「ガタガタうるせぇ。月ノ宮が困ってんだろ」

 あらやだ、イケメン。危うくトゥンクトゥンクする所だった。しかし、水を差した流星に対して、男子達から白羽の矢が向けられる。「なんだよアマっち、ノリ悪いなー」と、あれは確か宇治原君だったかな? お前が言うな状態だが、流れは一気に流星がアウェーだ。

「オレをそのあだ名で呼ぶな」

 まるでもう決まり文句になっているであろうそれを枕詞に、流星は男子全員を敵に回しても怯むことは無い。それ所か、逆上するでもなく、怖いくらいに冷静な口調で、淡々と口を開いた。

「つまりお前らは、〝このクラスにいる女子では満足出来ない〟……そう言いたいんだな?」

 今度は女子達が男子諸君に白羽の矢を向ける。おお怖い。いや、本当に怖いからもう止めて貰っていいですか。あちらこちらから「さいてー」「マジウザいんですけどー」「キモ過ぎー」と声が上がる。

 もう、打ち上げ云々の話では無い。

 百年の恋が冷めたような眼を向ける女子達と、ばつが悪いと顔を背ける男子諸君。これにはさすがの佐竹もお手上げかと思ったのだが、こういう時こそクラスのヒエラルキー頂点に君臨する力を発揮するのが、佐竹義信という男なのだ。

「まあまあ、落ち着けって。たしかに俺らも悪ふざけが過ぎた。女子達には嫌な思いをさせたと反省する。ただ、功労者でもある人物を差し置いて打ち上げしてもいいのか? って疑問を抱く気持ちは女子達もわかるだろ? 俺らも悪気があったわけじゃないんだ。許してくれないか? その代わり、打ち上げ会場は女子達が望む場所にする。……どうだろう?」

 佐竹はやる時はやる男だ。それは僕も認めているし、争い事を円満に収めるという点だけにおいては、月ノ宮さんより上かもしれない。それは、これまでクラスを必死で纏めようとしてきただけに、である。そんな佐竹にそこまで言われたら、女子達も渋々承諾するしかない。試合に勝って勝負に負けた、ではないが、女子達も佐竹の提案を呑んで引き下がった。

 しんと静まり返る教室が、何とも人心地無い。

 空気が重いという表現がぴったりと当てはまる。そんな空気を察した天野さんが、月ノ宮さんの横に立つ。そして、言葉を選びながら慎重に、

「遅くなったら危ないし、カラオケだと人数入りきれないかもしれないから、ファミレスでどうかしら?」

 と、無難な提案をする。

 ファミレスなら大人数でも対応出来るだろう。けど、梅高祭の打ち上げをするのは、僕らのクラスだけではない。他のクラスも当然、打ち上げ会場にファミレスを選ぶクラスもある。決断するのなら早い方がいいのは皆もわかっているので、天野さんの提案が採用された。




 * * *




 ぞろぞろと列を作り、教室から出ていく彼ら彼女を他所に、僕と、月ノ宮さんと、天野さんと、佐竹、そして流星が教室に残っていた。

「ちょっと、何考えてるのよ」

 天野さんが抗議しているのは佐竹だろうか? それとも争いの火種を撒いた流星だろか? まあ、どちらにもだろう。流星の言い方には悪意を感じたし、佐竹も佐竹で、おふざけが過ぎた。

「すまん。ガチで」

 佐竹は「この通りだ!」と胸の前に手を合わせて平謝りする中、流星は鬱陶しいとでも言いたげな、ふてぶてしい態度で「悪かったな」と、悪いなんてこれっぽっちも思ってない様子で謝った。

 しかし、元を正せば僕が悪いんだろう。

 月ノ宮さんの視線を感じた時に、僕が快諾していればこうはならなかったのだ。罪悪感で胸が苦しい。これは本来、空気である僕がやってはいけない事のひとつであり、一番危惧していた事案だ。それを犯してしまったのは、僕の我儘か、それとも慢心か。慢心か? いや、慢心とも違う気がするけど。

 兎にも角にも、ふたりが責められるのはお門違いだ。

 謝罪するべきは僕なんだから、ここはちゃんと言葉で伝えておかなきゃ筋が通らないだろう。

「皆、ごめん」

「なんでお前が謝るんだ」

 いち早く反応したのは流星だった。

「行きたくないのなら無理して行く必要は無いだろ。オレも行かないしな」

「は!? アマっち行かねぇの!?」

「黙れ義信」

 佐竹は叱られた犬のようにしょんぼりと肩をすぼめて、近くにあった椅子に座り込んだ。何だか居た堪れないが、口を挟んだ佐竹が悪い。

「職務上、私と天野さんと佐竹さんは行かないわけにはいきませんが、おふたりこそ参加は自由です。個人的には、佐竹さんも仰ったように、功労者のおふたりにも参加して頂きたいですが、無理強いは出来ませんね」

 月ノ宮さんは諦観したようにそう述べると、誰かが次の言葉を紡ぐのを待った。

「そうね。残念だけど……」

 残念と言う天野さんは、僕が来ないのが残念なのか、それとも優梨が来ないのが残念なのか、どちらとも言えない表情を浮かべている。まあ、望まれているのは優梨の方だろうとは察しがつくけど。

「途中参加でも構いませんので、気が向いたら来て下さい。歓迎しますから」

「……だな! ヒーローは大惨事になってから登場するし!」

「おい。それじゃ手遅れ過ぎだろ」

 正しくは『ヒーローは遅れて登場する』だ。

 流星の的確なツッコミが入ると、宴もたけなわに、月ノ宮さん達は先陣を追うように教室を出て行った。

「……何だか、後味の悪い終わり方だったな」

 流星は所在無さげに呟くと、さっきまで佐竹が座っていた椅子の背凭れに腰を下ろし、足を座位に置いた。あまり行儀のいい座り方ではないけど、それを注意するのも億劫だ。

 僕も近くあった椅子に腰を下ろした。

 久しぶりに労働という労働をして、心身共にぐったりだ。こんな事を大人は毎日やっているのかというと、これから先、両親に足を向けて眠れそうもない。

 本当に、後味の悪い終わり方だった。

 あとの祭りとは、昔のひとは言い得て妙な言葉を作ったものだ。まるで嵐が過ぎ去った後の爪痕を残すように、何もかもぐちゃぐちゃで本当に参る。

「ここ二日、本当に妙な日だったな。まあ、後味の悪さは残るが、それなりに暇潰しにはなったとオレは思う」

「どうして?」

「男なのか女なのか、よくわからんヤツと知り合えたからな」

 流星は臆面もなく笑った。

 流星が嘲笑や作り笑顔ではなく、普通に笑った顔を視るのは初めてで、意外な一面を目の当たりにしたと眼を丸くしていると、「なんだよ」と、いつも通りの反応が返ってきた。

「いや、流星も高校生なんだなって思ってさ」

「あ? 馬鹿にしてんのか? 殺すぞ」

「殺害予告が好きだね」

「……口癖みたいなもんだ。気にすんな」

 口癖にしてはかなりの悪癖だ。とても趣味がいいとは言えないけど、流星がひとを殺めるようなヤツではないのは、この二日の間、流星と話していてわかった。

 そう言えば、あの三人以外とこうしてまともに話をしたのは、高校入って以来、初めてかもしれない。

 僕は流星を、友達と呼んでいいのだろうか──。

「……で、お前はどうするんだ。行くのか?」

「今日は真っ直ぐ家に帰るよ。それに、校長先生も言ってただろ? 家に帰るまでが梅高祭だってさ」

「そんな事言ってたか?」

「あ、うん。言ってたんだよ……」

 僕の皮肉が通じないとは……。

 まあ、流星が校長先生の話をちゃんと聴いていたとは思えないし、流星らしいと言えばらしいけど、これでは校長先生も浮かばれないな。お悔やみ申し上げておこう。

「流星はどうするの?」

「行くわけないだろ」

 即答だった。

「まあ、そうだよね」

 これから先、流星と絡む事はあるのだろうか。

 さよならを告げて教室を出れば、僕らの縁も終わるような気がして、寂しいと思う気持ちが胸を劈く。やっぱり、僕も人並みに高校生であり、子供だ。無邪気は装えなくても、別れは切なく感じる。

「じゃあな」

 一足先に教室を出て行く流星に、

「じゃあね」

 と、僕は手を振る。

 教室に残ったのは陰鬱な表情を浮かべる僕と、紅生姜とソースと珈琲の混ざった残り香。

 そして──

 気づいてしまった真実とどう向き合えばいいのかという暗鬱な感情が、僕の喉をぐっと締め付ける。

 これならいっその事、打ち上げに参加して、ドリンクバーのコーラをひたすら飲んでいた方がマシだったかもしれない……。




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