【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百四時限目 梅高祭 ⑨
学園祭の出し物というのは、大体どこも似たり寄ったりだ。例えば『お化け屋敷』とか『メイド喫茶』とか。中には『映画上映』や季節外れの『かき氷屋』なんてのもあるけれど、私のクラスが開いている『お好み焼き喫茶』というパワーワードは他と比べても奇抜だ。
『奇を衒う』にしても衒い過ぎで、よもや観光名所と言っても過言ではない。
だからすれ違う一般参加者達が「ねえ、あの店ヤバくない?」と噂をしていたり、「さすがにお好み焼きと喫茶店の融合は無いだろ」と陰口を叩いていたりするけれど、話題性があるというのは強力なアシストになる。怖いもの視たさで寄って来る客も多く、それだけを言うならお化け屋敷と同レベルなのでは? と思うくらいだ。
楓ちゃんはこうなる事を予想していたのだろうか? もしそうであるのなら、さすがは月ノ宮家の人間だと頷ける。でも、廊下に連なる長蛇の列を視るからに、ここまで集客するとは想像していなかったのでは? それでも楓ちゃんは顔色ひとつ変えずに、恋莉ちゃんと足並みを揃えながら、あれこれ指示を出していた。
私達が店に戻ると、担任である三木原章治先生が、バックヤードで適当に放置されていたパイプ椅子に腰掛けて、「たまげたなぁ」と悠長に構えていた。
三木原章治という名前だけあり、私達教え子は『三木原商事』というあだ名で呼んでいたりするのだけれど、それはどうやら風の噂で三木原先生にも届いているらしく、授業でそれをネタにしたりするだけに、三木原先生の授業は生徒から人気がある。けれど、新任教師だけに、こういったイレギュラーな事態は対応し倦ねるのだろう。
「先生。暇なんすか」
流星は無愛想に、そして、少し迷惑そうな声音で三木原先生に訊ねると、三木原先生はきまりが悪そうに苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「いやぁ、まさか月ノ宮がここまでやってくれるとは思わなかったよ。さすがと言うべきか、やり過ぎと言うべきかねぇ」
学園祭の催し物は、基本的には生徒達の自主性に任せられていて、教師は裏方に徹するのが梅高のやり方らしい。つまり、こうやって呑気に教室でお茶を啜っているような暇は無いはずなのだ。きっと他の先生方は、学校周辺の見回りや、電話対応といった仕事で忙しいはず。それでも三木原先生がこの場にいるという事は、つまり──
「昨日ね? さすがに他の先生から苦情……じゃなかった」
ゲフンゲフンと、咳払いをひとつやふたつ。
「あれだけの集客があるのに、大人が介入しないのはまずいんじゃないか? って、職員会議で言われちゃってねぇ」
「それでサボりっすか。普段のオレと対して変わらないっすね」
「それを言われると耳が痛いねぇ。でもなぁ、雨地。お前はサボり過ぎだなぁ。高校は義務教育じゃないからと言っても、在籍している以上は生徒なんだぞ?」
「説教なら後にしてくれよ、先生。オレらはこれから馬車馬の如く働かなきゃなんないんだ」
ほう? と呟き、三木原先生は意外そうに眼を丸くした。
普段サボりが多い流星から『働く』という言葉が飛び出したのが、それ程意外だったのだろう。斯く言う私も、流星と話をしていなければ、『何言ってんのこいつ』と思ったに違いない。
三木原先生はふむふむと頷いて椅子から立ち上がり、「よし!」と、胸の辺りで小さくガッツポーズをした。
「雨地がやる気になっているんだ。先生も一肌脱いじゃうか!」
「先生は監督係を命じられたんじゃないのか?」
その言葉を訊いて、三木原先生はげんなりと肩を落とした。そして、しげしげと縮こまるように、再び椅子へ着席する。
「そうだよねぇ。私は監督係だからねぇ……。致し方ない。ここで皆が一丸となって困難に立ち向かう姿をこの眼で見届けるよ」
「まあ、体のいい厄介払いじゃない事を祈ってます」
三木原先生は心当たりがあるのか、肩を強ばらせて、
「辛辣だねぇ……」
と嘆くように、背中に哀愁を漂わせながら窓の向こう側を視る。……しかし、残念ながら窓は全て紅色のカーテンで遮られているので、何かを思い馳せる事も出来ない。
私はその様子を流星の一歩後ろから眺めていて、大人って大変だねぇ……と、三木原先生の真似をしながら心の中で三木原先生に同情したが、大人社会というのは私が想像する以上に大変なんだろう。だから、こういう大人を視て、うちの両親が嬉々として会社に向かうのが不思議でならない。なんなら一種のサイコパスにも感じる。いや、自虐かな? 何にせよ、高が外れているのは言うまでもないだろう。
「あ、おかえりなさい。雨地さん。優梨さん」
昨日はバックヤードで作戦を練っていただけだった楓ちゃんが、今日は額に薄らと汗を煌めかせている。きっと開店から出ずっぱりだったんだろう。浮かべている微笑みにも、そこはかとなく疲労が視て取れた。
サボり教師との会話を早々に切り上げて、流星は楓ちゃんのいる方へと歩き、「遅れて悪い」と軽く謝った。遅れたのは私のせいなんだから、流星が謝る必要は全く無いのに。それでも流星はその理由を噫にも出さず、まるで、『自分が悪い』という体で話している。なので、私は訂正するべく前へ出ようとしたんだけど、流星が後ろ手でそれを拒んだ。
「流星?」
「いいから。……で、月ノ宮。オレ達は何をすればいい
指示をくれ」
楓ちゃんはその様子を視ながら、何かを察した素振りを視せるも、特に言及する事なく、私達に指示を出すべく襟を正した。
「宇治原さんには入場整理をして貰うので、雨地さんは宇治原さんと交代でホールをお願いします。優梨さんは私と一緒に、ホールと焼き係、両方をお願いします」
「え、いきなりそんな器用な事、出来るかなぁ……」
「大丈夫です。私を誰だと思っているんですか?」
「……それもそうだね」
天下無双の月ノ宮家のご令嬢がパートナーで、何が不服なものか。むしろ鬼に金棒状態。なんならスターを手に入れた配管工のおじさんまである。……おじさんは嫌だなぁ。
流星は両手で襟元を正してから、肩の力を解すように軽く回して、「じゃ、行ってくる」と、足早にホールへと向かって行った。
「優梨さん。私は今回、ひとつミスをしました」
「ミス?」
唐突に、赤裸々に、そして後悔で唇を噛み締めて、
「人選ミスです。雨地さんが佐竹さんよりも有能という事に気がつけませんでした」
嗚呼、それはたしかに。
だけど、流星は普段サボったりするし、今回だって気まぐれに来ただけな気もする。だから、不確定要素を長にするより、多少なりとも信用出来る相手に任せた楓ちゃんの人選は、間違いじゃない気もするけど、まあ、佐竹君だからなぁ。やる時はやる男ではあるけど、駄目な時はてんで駄目だから、今回、ちゃんと機能しているのか心配でもある。
昨日と違い、今日は一般公開日だから殊更不安に思う楓ちゃんの気持ちはわかるけど、もう少しだけ佐竹君を信用してあげてもいいんじゃないかな? ……まあ、冗談半分だと思いたい。
「では、そろそろ行きましょうか。今日の一十五時までに、稼げるだけ稼ぎますよ!」
えいえいおー! と、楓ちゃんは先程の疲れは嘘みたいに、まるで頑是無い子供のような笑みを湛える。
「お、おー……」
私はそんな楓ちゃんを視て、まるで私の両親みたいだな、と思った。
仕事が趣味というのはある意味羨ましいけれど、私はそこまでして社会貢献活動に身を粉にしたくはない。お金は欲しいけど、莫大な遺産を築き上げるつもりないし、ちょっと節約しなければならない程度のお金があればそれでいいとも思う。だから、楓ちゃんのパートナーになれるのは、そんな楓ちゃんを支えられるひとだけだろう。
──ふと、恋莉ちゃんの顔が浮かぶ。
恋莉ちゃんなら、猪突猛進の如く暴走する楓ちゃんの手網を引けるかもしれない。……それと同時に、暗鬱な感情も込み上げてきて、私はそれを何とか呑み下した。
「優梨さん。ほら、行きますよ?」
「うん。お手柔らかにお願いします」
「ふふっ。善処しますね」
これは駄目だ。
絶対に馬車馬ルートだ。
帰る頃には身体が悲鳴を上げているかもしれない。
だけれど、今はその方が助かる。
呑み下した感情が、ゆっくりと腹の底から這い出でるのに眼を逸らしていられるから──。
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