【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百三時限目 梅高祭 ⑧


 体育館一階では、お笑い部のライブが開催されているようだ。外の掲示板には『DEADデッド  ORオア ALIVEアライブ〈生か死か〉』をもじった『DEADデッド  OWAオワ LIVEライブ』と銘打つポスターと、出演するメンバーの名前が書いてあるポップアートなフライヤーが貼られている。どこかで視た事があるデザインだけど、キースヘリングを意識しているのだろうか?

 僕と流星は体育館一階お笑い部に用事は無いので、彼らのライブを観ないのだけれど、スピーカーから洩れるネタを耳にした流星が、「これは酷いな」と嘲笑を浮かべていた。

 素人が作るネタだから、多少なりとも粗末になるだろうけど、そう酷評してしまったら可哀想な気もする。しかし、会場から洩れるのは、お笑い部ふたりのガチガチに緊張して上擦る声だけで、笑壺に入るような笑い声は皆無だ。僕は心の中で彼らにお悔やみ申し上げながら、すっかり冷めきってしまっている体育館二階へ通じる階段を、流星と駆け上がった。

 『く』の字型の短い段が折り重なるこの階段は、二階まで上るのも一苦労で、体育の授業が体育館二階だとそれだけで嫌になるものだが、二階へ到着して肩で息をする僕とは対照的に、流星は涼しい顔をしている。

 突っ張ることが漢の、たったひとつの勲章だって、この胸に信じて生きてきた流星は、喧嘩に明け暮れる日々を送っているだけに、体力も漢の器も上がっているのだろうか? 少なくとも今の僕は、見た目相当にシャバいだろう。

 体育館二階に壇場は無い。それ以外は一階と作りがほぼ同じで、バスケットボールのゴールポストが四つと、絶対に使われる事は無いであろう天井に二つ。床には白や緑の線が引かれている。体育館履き用の靴に履き替えていれば、キュッと子気味いい音が響くだろうけど、残念ながら僕らはスリッパのままだ。上履きという選択肢もあるのだけれど、上履きよりもスリッパの方が気楽なので、大半の生徒はスリッパを履いている。

 流星の思惑通り、二階には放置されたバスケットボールがひとつ床に転がっているだけで、その他に誰もいなかった。

「用もないのに二階に行こうと思う物好きはいないんだね」

「それはオレを〝物好き〟って言ってるのか」

「そんな事は思ってないよ。トイレで煙草吸ってそうなイメージはあるけど」

「お前のヤンキーのイメージが昭和過ぎだ。今時、トイレで煙草を吹かす間抜けはいないだろ。言っておくが、オレは吸ってないからな」

 なん……だと……?

「なんだよその顔は」

「いえ、何でもござりませぬ」

 ついつい言葉が武士ってしまったけど、流星は鼻を鳴らして抗議するだけで、メンチビームは当ててこなかった。

 体育館二階入口から対角線上にある、青色の重たそうな扉の奥が体育倉庫だ。まあ、体育倉庫とは名ばかりの用具入れで、大した物は入ってない。中も結構粗末な作りで、床の板が傷んでいたりする。とても裸足では歩けないような場所だが、身を隠すには適しているだろう。

「それじゃ、オレは外で待ってる。なるべく早く終わらせろよ」

「うん。わかった」

 ガラガラと左右に開閉する扉を開くと、倉庫の中はカビ臭い匂いが充満している。窓が無いので換気出来ないから、余計にこういう臭いが蔓延るんだろう。これなら、百貨店の多目的トイレの方がまだいい匂いがする。

 倉庫の広さは一十二畳適度で、僕の部屋の倍の広さだけれど、掃除用具やボールの籠や、その他色々な道具が適当にしまい込んであるので狭い。それらを退かしながら奥へと進み、適当な棚の上に女装道具一式が入った袋を置いて、メイド服はハンガーの針金部分をクイッと曲げて棚に引っ掛けた。あまり棚の上は綺麗とは言えないので、汚したら大変だ。

 登校してから直ぐに燕尾に着替えたのに、再び着替え直すのは二度手間な気がするけど、形だけでも『参加している』という意思表示をしておかないと、彼らの反感を買ってしまう。それに、最初から優梨がいたら、それこそ『なんで君がこの教室にいるの?』と変に疑われてしまうのも面倒だった。──結局の所、僕は心のどこかでこうなる事を予想していたんだけどね。

 ぎこちない手つきで燕尾を脱いで、予備に持ってきたハンガーにそれを掛ける。薄暗い倉庫内はどこかひんやりとしていて、下着姿だとさすがに寒い。女装に適した体型なのはもう諦めたけど、少しくらいは筋肉を付けてもいいかもしれない。

 ここからの作業が女装するに当たり、名状し難いやるせなさを感じる。

 ──そう、豊胸作業だ。

 豊胸と言っても、いつぞやの立派なメロンのような大きさにはしない。男子曰く、『手に収まるくらいの大きさ』にする。まあ、『曰く』とか言いながら、僕も男なんだけど。

 ひんやりとした空間で、更にひんやりとしたシリコン製のパットをブラの内側に入れて、女性らしい膨らみを出すと、この時点で、思考が優梨側に移っていく。

 下着も女性物に履き替えて、ようやく布を纏える。シワにならないよう丁寧にハンガーから取り出して、これまたぎこちない手つきでメイド服を着た。バッグの中から少し大きめのスタンド付きの鏡を取り出して、視える範囲でおかしい場所が無いかを探す。……特に問題は無さそうだ。最後にウィッグを付けてメイクをすれば、完璧な優梨の完成。──皆が望むが、鏡の前で笑顔を作っている。

『おい、まだ終わらないのか』

 扉の外側から流星の声が聴こえた。

「大丈夫、もうすぐ終わるから!」

『そうか。早く戻るぞ』

 声の変わりように、自分でも驚いてしまう時がある。こんなナチュラルに女性的な声を出せるのは、声変わりしたのかしてないのかわからない、男性からすれば高い声である私特有だろう。特技? うぅん、……特技ではないかな? 蝶ネクタイ型変声器を使わないで出せるんだから、高校生探偵も形無しだね。

 荷物を纏めて、轍のようになった道を戻り、再び重い扉をガラガラと開くと、暗闇に慣れた眼が光に触れて眩しい。

「なんで変顔してるんだ」

 ずっと待ってくれていた流星が、光に眩んだ私の顔を視て、率直な感想を嘲るように言い做した。

「もう少し、気の利いた台詞はないの?」

「は? なんで男に気の利いた台詞を言わなきゃいけないんだ。……わかったわかった、可愛いぞ」

「ありがとうございますぅー」

「お前、本当に性格変わるな。……まあいい、急いで戻るぞ」

 流星は女装した私の事を『男』と断言した。

 本来ならこれが正しい反応であり、今までが、何というか、異常だったのかもしれない。だからだろうか、こういう反応をされて不服に思ってしまった私は、論を待たずに『女性として扱われる』事を望んでいたらしい。そうであるのなら、私は、女装するというよりも、『女性』として存在する事を望んでいるのだろうか? ──そう一考して、私は一階へと下る階段の中腹で、漠然とした不安に駆られて足を止めた。

「おい。どうした?」

「ねえ、流星。どうしよう……」

「なんだよ」

「私、自分がわからない」

「は? こんな時に、何わけのわからない事を」

 足元が歪み、視界がグラグラと揺れて、谷底に突き落とされるような感覚に襲われる。漠然とした不安は瞬時に私を呑み込んだ。

「はぁ……、はぁ……」

「お前、大丈夫か? 顔が真っ青だぞ?」

「ごめん、ごめんね……。今、ちょっと動けなそうだから、流星は先に戻ってて」

「……ああ、もう! ウザってぇな」

 私がその場でしゃがみ込んでいると、流星は私の近くまで戻り、段にどっさりと座り込んだ。

「流星……?」

「サボりはヤンキーの醍醐味だろ? それに、店ならあの馬鹿義信と天野がいる。不測の事態になっても、あの月ノ宮・・・・・なら対処出来るだろ」

 こういう時だけ、格好いい所をみせてくる。

 ──だから、ヤンキーは嫌いなんだ。

「……でも、立ち直るんなら早めに頼むぞ」

「わかった。……ごめん」

「いちいち謝るな。ウザってぇから」

 どうして、こんな事になってるんだろ。自我の欠落? 自意識の喪失? ……なんだか厨二病臭い。だけれど、これまで抵抗してきた『女装』という行為が、本当は『望んでいた事』だと気づいてしまって、どうしようもなく怖くなった。足が竦んだ。動けなくなった──。

 〈優梨〉という存在は、皆が求めている自分であり、自分が求めている〈自分〉ではない。そう断言して、そう割り切って、だけど、それもようやく〈他人事〉のように認められるようになってきたのに、ここに来てこれか……。

『優梨になれば自分らしくいられる』

 こうして思うと、否が応でも辻褄が合ってしまう。

 これまで優梨としての役割だと思ってやってきた数々の言動の全てが、ひとつの線で結び付いてしまった。

 ──結論が、出てしまった。

 だからと言って、〈優志〉という性を棄てるべきだとも思えない。それもまた私自身であるのなら、呑み込む他にないのも理解出来るけど、優志である必要性が無くなってしまった今、本当に優志を大切にするべきなのか悩む。……じゃあ、これから女性として生きると考えて、どうする? 生活は? 仕事は? ……恋愛は? 暗鬱な感情が胸間に去来して心が騒ぐ。

「お、ラッドか」

 いつの間にかお笑い部のライブが終わり、軽音部のライブが始まっている。伸びやかなボーカルだ、演奏も上手い。恐らくは上級生の演奏だろう。聴き慣れたギターのリフから始まるこの曲は、映画の主題歌にも使われている曲だから、観客のノリをもいい。お笑い部との熱の差は歴然で、お笑い部の彼らはきっと、舞台裏で苦い思いをしているに違いない。

「なあ」

 流星が何の気なしに、私に訊ねる。

「お前、前世って信じるか」

「……わからない」

「オレは、柄にもなく信じてたりする」

 本当に柄じゃない話題で、流星はそういうスピリチュアルな事に無感心だと思ってた。

「もしかしたらお前の前世は、女だったのかもしれないな」

「何それ、慰めのつもり……?」

「さあ? どうだか」

 例え前世が女性だったとしても、現世では男だ。

 男である以上は男であり、女性を装った所で男なんだ。

「突き放すみたいに言うが、ぶっちゃけると、お前が男でも女でも、オレにとってはどうだっていい」

「今それを言う? それ、昨日の話じゃん……。昨日言ってよ」

「黙って訊け。……何がどうして、今、お前がこんな状況になってんのかもわからんが、世間体とか、学校とか、そんな事はお前にとってそれほど重要なのか。自分が自分である事に遠慮する必要は無いだろ」

「そんなの、詭弁だよ」

 世の中には少なからず偏見がある。 

 むしろ私こそ偏見塗れで、リア充なんてただの害虫としか思えないし、ヤンキーだって世間のはみ出し者程度にしか思えない。可愛い小物を集める女子が、お気に入りの小物を撮影してSNSに投稿しても、それが『可愛い小物を集めてる私可愛い』アピールにしか感じない。それは男子も以下同文。

 皆が皆、誰かの視線や評価を気にしながら生きているのに、私だけがそれを気にしないというのは無理な話で、劣等感を抱きながら、それら人々の邪魔にならないように空気として生きる事を選んだ時点で、他者を気にしない事は出来ない。

「つか、体調悪いんなら保健室行った方がいいだろ」

「そういうのじゃないんだけど……」

 この状況を察しての言葉じゃなかったのね……。

 流星って、案外鈍いのかもしれない。

 それとも、付き合い切れないと匙を投げられたのかな。

「まだ動けなそうか?」

 流星と会話して、先程よりはマシになった気がする。きっと、問題を先延ばしにしただけなんだろうけど、今はそれでいい。

「大丈夫だと思う。ありがとね、アマっち」

「そのあだ名で呼ぶな。……行くぞ、お姫様・・・

 お姫様と言うよりも、女性給仕メイドなんですけどね。

 残りの階段を下りた時には有名な曲が終わり、アンコールを促す拍手と掛け声が体育館に響いていた──。



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