【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
八十七時限目 大和撫子でいられれば 〜鶴賀優志の場合〜
学校行きのバスに揺られる。
その距離は、一十二曲入りアルバム一枚分聴けるか聴けないか、という具合だ。だから、寝不足解消にはもってこいだろう。それくらいの距離だ、暇を持て余すのも当然で、携帯端末を片手にピコピコしている生徒も目立つ。寝ている生徒もいるので、静かな空間が作り上げられているのは有り難い。
僕は運転手列、後方から三番目の席の窓際に、窓枠に肘を乗っけて頬杖をついて、音楽を聴くでもなく、携帯を触るでもなく、寝るでもなく、もううんざりしている田舎風景をぼんやりと眺めては、今日も日本は平和だな、なんて、思ってもみない事を小声で呟いた。悪化し続けている世界情勢とか、アフリカでは一分間に六十秒が経過しています、とか、一介の高校生が考えた所で、どうなる事も無いのは事実だ。……アフリカでは一分が六十秒って、それは当然じゃないか? まあ、戦争なんて無くなればいいね。こちら鶴賀隊員、今日も日本は平和です。オーバー。
そんな事は日本を支える国防長官とか、政治家とか、総理大臣が考えるべき事案だ。今、僕が考えなければならないのは、憲法九条ではない。僕と同い年で、日本人形のような大和撫子の、ちょっぴりずる賢い女の子の事だ。多分、今日も休みだろう彼女の事。──友達と呼んだ、彼女の事。
照史さんとの話から察するに、事態は芳しく無い。『口止めされている』と言質を取れてしまったただけに、何があったか……、どうにもこうにも思案に暮れる。
昨夜、天野さんから連絡が入ったが、やはり『風邪が感染ったら悪いので』と、断られてしまったらしい。しかし、それで引き返すような天野さんではない。今日の放課後、迷惑承知で押し掛ける算段を企てた。門前払いされたらされたでいい。『お見舞いに来た』という事実が重要なのだ……と、天野さんは言う。──迷惑だと承知で行くのに、それもどうかと思うけど、水を差すような事はせず、僕もそれに乗っかった。勿論、佐竹も。
やがてバスは学校下にあるバス停に到着する。ここから長い坂道を登って校舎へと向かうのだが、朝からこの運動はなかなか骨だ。眠気覚しには丁度いいのかも知れない。でも、ホームルームまでの時間に寝るので、眠気覚ましも何も無いのだけど。
「おはよう。優志君」
見知った声に後ろから肩を叩かれる。首だけその声の方へ向けると、そこには微笑みを浮かべる天野さんの姿があった。
「おはよう。……佐竹は?」
「バスには乗ってなかったわね。2バスじゃない?」
朝一、駅から学校行きのバスを〈1バス〉、その次に主発するバスを〈2バス〉と梅高生は呼ぶ。1バスは委員会や部活に所属している生徒が大半を占めるに対して、2バスはそれ以外、つまり、無所属の生徒が使う事が多い。僕が1バスに乗るのは、2バスが来るまで一〇分くらいの時間を、何もない駅前で過ごすのが億劫なだけであり、そこに大した意味は無い。そういえば、天野さんは部活か何かに入っていただろうか? こういう所は、佐竹に『同じクラスの顔と名前くらい覚えておけ』と言われたあの時から、少しも成長していないようだ。かと言って、今更訊いた所で……である。だから、その代わりに、昨日、ダンデライオンの帰りに会ったアルバイト女子、ハラカーさんの話題を……まずい、ハラカーというあだ名くらいしか記憶に残ってないぞ。
「そういえば昨日、友達から連絡あったんだけど、凛花に会ったの?」
「それだ!」
「それ?」
「あ、ごめん。こっちの話」
友達の友達の事を『それ呼ばわり』するとは、失礼極まりない。
「天野さんによろしく言っといて、って言伝を預かってるよ」
「そっか。凛花とは中学時代からの友達で……元気そうだった?」
「うん」
僕が仰け反るくらい霊圧が強かった、とは言えない。
「そっか。……昔は地味な方だったんだけどね。高校デビューしたみたい」
天野さんは笑いながら語るも、その笑顔には寂しさの色が濃く映る。ハラカーさんは変わるべくして変わったんだろう、と僕は思う。新天地で、変わらなければならない状況に陥ったんだ。だから、必然だと言える。そこを『寂しい』と思うのはエゴだ。きっと、天野さんもわかってる。それゆえに、その言葉を飲み込んだ笑顔を浮かべてるんだろう。
どうも気まずい雰囲気になってしまった。ここは話題を変えるべきだろう。
「月ノ宮さん家に行くのに、何か手土産でも持って行くべきかな?」
「そうね……、フルーツの詰め合わせとか?」
随分と本格的なお土産だ。女子高生がぱっと思いつくにしては渋い。そして、財布にも厳しい。まあ、ひとり千円ちょい出せば買えなくもないけど……出せるだろうか。誰が、とは言わないけど。普通に、ガチで。
「じゃあ、百貨店に寄ってからだね」
「そうなるわね。……多目的トイレに用事はない?」
「灰被り姫は、煌びやかな世界を心から願っていたから、お姫様になれたんだよ」
「つまり、魔女は来ないってこと? 随分と遠回しな言い方をするのね」
ふふっと悪戯っぽく笑いながら、天野さんは踏鞴を踏むように僕の隣に並んだ。
「シンデレラは王子様とお姫様、どちらを選ぶのかしら?」
「さあ? 少なくとも、灰を被ったまんまの使用人じゃ、どちらも選ぶに選べないよ」
「そっか」
「うん」
目の前に、舞踏会会場とは似ても似つかない、ボロい校舎が視える。
昇降口の前ではスケボー部の連中が、すってんころりんと転びながら、それでもトリックを決めようと、反り返った板に果敢に挑んでいた。
茶色の葉が校舎の壁に溜まっている。それを集めて燃やせば、美味しい焼き芋が作れそうだ。
青々としていた芝生も、湿っていた風も、落ちている小枝も、新入生だった僕らも、それとなく秋の訪れを告げているようで、そこはかとなく漂う愁いに一抹の寂しさを感じるも、それをエゴだと言ってしまっただけに始末が悪い。
足元に転がっている枝を踏むと、パキッと簡単に折れた。春や夏では、そう簡単に折れる事はなかっただろう。時間がそれを風化させてしまったらしい。枝だけにしといて欲しいものだが、人の手から離れてしまえば、家は忽ち朽ち果てる。そこに刹那的な美しさは感じるも、永遠に美しいものは存在しない。宝石だって価値が下がったりする。お金もそうだ。金だって欲に塗れて汚くなる。
……だから、変わることは必然で、それを糾弾してはいけない。それでも、やっぱり、ほんのちょっぴりくらい、寂しいと思ってもいいだろうか。それくらいの矛盾は、世界各地で蔓延っている矛盾なんかよりも可愛いものだろう? まあ、その定義で語るのなら、万引きも、路上駐車も、冤罪になり得る。だから、悄然も、寂寥も、形影相弔うとしても、起こるべくして起きた結果に対して、使うべき言葉ではないんだろう。
「急に立ち止まって、どうしたの?」
「いや。なんでもないよ。……行こっか」
なんでもない。……そう、なんでもないのだ。
僕の無駄な鬱積は、僕の中に留めておくべきだから。
──だから、なんでもない。
「やだ」
「え?」
「そういうの、やだ」
まるで、おもちゃ売り場で目当てのおもちゃを買って貰えない子供が駄々をこねるように、天野さんは僕に苦言した。
「言いたい事があるなら言って欲しい。言いたくないなら仕方ないって諦めもつくけど、〝なんでもない〟で済ませるから、楓もこんなことになってるんでしょ」
「それは……」
「だから、私はもう〝なんでもない〟にしてあげない。……ちゃんと、繋いでいたいから」
それは、傲慢だ。
だけど、その言葉が暖かくて、僕もそうでありたい、そう思いたくなる。
気持ちのいい湯船に浸かっていたい、そういう気分になる。
だからこそ、僕は、
「ありがとう」
そういう他に、上手い言葉を選べなかった。
「ごめん。何だか苦しそうな顔で俯いてたから、心配になって……ちょっと散歩してから教室に行くね」
「わかった。また後で」
天野さんは振り返る事なく、校庭へと向かって行った。向かった場所はおそらく……いや、勘繰るような野暮はよそう。
「秋、か……」
物憂げに空を見上げると、青に黒が混じったような色に視えた。
春と夏は、変人が町に増えると揶揄される。心が開放的になるからだろう。
秋と冬はどうだろう。……そんなの、言うまでも無い。
だから僕は、秋が嫌いだ。
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