【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
七十九時限目 地獄の沙汰も金次第[前]
「思い返してみるとあの日は、熊谷で最高気温を更新した酷暑でした」
月ノ宮さんは少し演技がかった口振りで、僕らにむかし話でも始めるかのように語り出す。
「私はその日、とある会談がありまして……え? だれと会っていたのかと? すみません。プライベートなお話なので、名前は伏せさせて頂きます」
その人って佐竹じゃないか? と思い、当人に視線を移してみると、佐竹は態とらしく目を逸らした。
「私はその御仁との会談を終えて、部屋で経済学の本を読んでいました」
やっぱり、と僕は思った。あんな強引なやり口は、月ノ宮さん以外に考えられない。佐竹はいざというときに限って、臆病風に吹かれる。だから、月ノ宮さんのように強引な手段は選ばないだろうことは、想像に容易いものだ。
「その本を読んでいる最中、不意に思ったのです。〝私はこの夏、恋莉さんと触れ合っていない〟と」
「え?」
思わずそう呟いた天野さんは、目を丸くして月ノ宮さんを見る。
「ちょっと楓、変な冗談はやめて」
「どうしてですか?」
「話が拗れるでしょ」
「夏休み中に会っていないのは事実なのですが……」
と、不満そうに唇を尖らせた月ノ宮さんだったが、じろと睨む天野さんの眼力に屈服するように頭を下げた。
「話を戻します」
こほんと小さく咳払いをして、
「そう思い立った私は、恋莉さんとお会いする日を設ける為に連絡を取ったのです。〝明日、ご一緒にチャペルを見にいきませんか?〟と」
チャペル……ありとあらゆる条件をすっ飛ばして、結婚式場の視察とは。
気が早いというべきか、それとも強気な姿勢を褒めるべきなのか。強引ではあるが、『相手に自分を意識させる』という点においては、案外有効だったりするのか……いや、重過ぎて逆に引かれる。現に、それを伝えられた当本人は、呆れてしまったようだった。
「当然ながら断ったわよ。どうして式場を楓と視察しに行かなきゃならないのって」
もしかしたら、と僕は一考した。
上流階級の富豪たちは、「ちょっとコンビニ行ってくる」みたいなノリで、「ちょっとチャペる」的な流れで、結婚式場へと足を運ぶ性癖でもあるのだろうか。
ないよ、そんな性癖。
てか『チャペる』ってなんだよ。
「電話越しでの困惑振り、とても可愛らしかったです」
「冗談に訊こえない冗談はやめてよね……」
冗談だったのか!? と一驚したのは佐竹だった。おそらく、僕と似たような、くだらないことを考えて納得していたに違いない。しかも、割と本気で。
然し、こうも漫談を交えていては、いつまで経っても件の話には辿り着けない。
「月ノ宮さん」
「なんでしょうか?」
「時間も差し迫る頃合いだし、要点だけ話してくれないかな?」
「それもそうですね」
月ノ宮さんは視線を外に向けた。
夜が近づいた黒みがかる空に、ぽつぽつと星が浮かんでいる。
「私としたことが、つい浮かれ自慢のような話を……申し訳御座いません」
月ノ宮さんは手元にあるアイスコーヒーで、甘くなった口の中を流すように一口飲むと、色を正し、辞を低くするように語りを続けた。
「ことの発端は、翌日、とあるショッピングモールで恋莉さんとウインドショッピングを楽しんだ後、近くにあったカフェに入り、〝お二人の件〟を訊いたのが始まりです……私としては面白くない話ではありましたが」
その瞬間、海での出来事が脳裏にフラッシュバックした。
願わくばその話題に触れて欲しくなかったけど、そうなるのは自然な流れであり、然すれば必然的に通る事件でもある。
それが『天野さんの命に関わる事件』なら、月ノ宮さんがここまで深刻な表情をするのも頷ける。糾弾されるのも覚悟して、固唾を呑んだ。
「狡いですよ。どうして誘って下さらなかったのですか」
──はい?
「海に行ったのは小耳に挟んでいましたが、やはり、私も恋莉さんの水着姿をこの目に焼き付けておきたかったと悔しくて悔しくて……無念で堪りません」
「は、はあ……」
僕はてっきり、天野さんを手際よく助けられなかったことを問い質されるのかと冷や冷やしていたのだが、月ノ宮さんの話を訊くと、どうやらそういうことを言っているように思えない。
これは、どういうことだ?
僕は天野さんに訊ねるように視線を移すと、天野さんはほんの少しばかり顎を落とすように首肯した。
考えるに天野さんは、『僕と海に行った』とは伝えたものの、『海で溺れて大変だった』というところまでは伝えておらず、二人で海水浴を楽しんだと認識しているんだろう。
そうなれば、体を合わせる他にない。
後ろめたい気もするけれど、嘘を吐いているわけでもないし……上部だけを取り繕えばそれも事実である。
「まあ、楓の言い分はわかるけどよ……じゃあ、さっきの通夜みたいな惨状はなんだったんだ?」
佐竹の言い分は、僕も気になっていた。それだけの話であれば、先程の漫談程度で事足りるだろう。僕らを非難するような所業は、どう考えてもお門違いではないか。
「楓が〝今度は私と〟って訊かなくて……」
「はあ? なんだそりゃあ?」
佐竹は所在無いように吐き捨てるが、僕は天野さんの気持ちが痛い程わかる。あんな酷い目にあった後だし、嬉々として再び海に馳せ参じる気分になれるはずもない。
「じゃあ、俺らに言いたいことってのは?」
「ごめん。遣り切れなくて……ただの八つ当たりよ」
「マジかよ……ったく、逆に焦ったわ。普通に」
「二人とも、ごめんなさい」
天野さんはそう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。
一時はどうなることかと肝を冷やしたけれど、考慮していたような〈重い事態〉ではなかったようで、僕は、ほっと息をついた。
それはいいのだが──。
佐竹が言う『逆に焦った、普通に』の意味を、全く理解できないのが難点である。
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