【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
七十四時限目 彼と彼の宿題 11/16
「ここが優志の家か」
「普通でしょ」
「そうか? いい家だと思うけどな」
「佐竹家よりは狭いけど……まあ入りなよ」
と、僕は先導して玄関のドアを開けた。
以前にも似たやり取りを、佐竹の家の前でした気がする。
そうだ、初めて佐竹の家を訪ねたとき。
あれからまだ数ヶ月しか経っていないのに、随分遠い記憶を呼び起こすようだった。
靴を拭いで玄関を進み、階段を上がって自室のドアを開いた。
すると佐竹は、僕に断りも入れずに「おお」とか「ほう」とか言いながら、部屋の中央辺りまで進んだ。
面接だったら即刻アウトだぞ、こんちくしょう。
「なんというか……殺風景だな」
部屋の中がごちゃごちゃしているのが嫌で、必要なもの以外置かないと決めている。
『殺風景な部屋』でも、僕としてはこれがベストアンサーだ。
「別にいいでしょ」
「悪いとは言ってねえよ……つか、女子の部屋みたいな匂いがするな」
今度は犬のように、くんくん、と匂いを嗅ぎ始めた。
「やっぱり、女子の部屋の匂いだ」
その匂いの元になっているのは、化粧品類に違いない。
最近、自室で化粧する頻度が高く、そのせいで、部屋に化粧品類の匂いが充満していたようだ。
僕は常にといっていいほど自室に篭ったままだから、鼻が麻痺して匂いに疎くなっていたらしい。
迂闊だった、という他にない。
佐竹に指摘されなければ、いずれ両親もこの匂いに気がつく。
そうなれば女装している事実が明るみとなり、僕の人生が終わる……とても由々しき事態だ。
取り敢えず、部屋に消臭スプレーを撒く。
ついでに、佐竹もシュッシュ。
「いや俺臭くねえし!?」
「体臭って、自分ではなかなか気がつかないものだよ」
「勘弁しろよ……ああ冷てえ」
そう言いながらも、佐竹は半笑いしていた。
「本当に本が好きなんだな」
つかつか、と本棚の前に移動した佐竹は、ずらり並ぶ本を見て感心したような声を出した。
本棚というのは、ある意味その人の趣味を露呈させる。
見られて恥ずかしいような本は、置いてないけど。
そういう類いの本──女装の参考にしている雑誌など──は、タンスの奥にしまっていた。
「めっちゃあるな、ハロルド・アンダーソン」
面白いのか? と僕を見る佐竹。
「まあね」
と、僕は答えた。
実際は、即答できる質問ではない。
ハロルドの本は、面白いというよりも怖いもの見たさ、みたいな興味を刺激される作品が多く、アタリとハズレが極端なのだが、それもまた〈ハロルド・アンダーソンの世界〉と言ってしまえるのは、彼がもうこの世を去っているからだろう。
「ここにある本は、全部読んだのか?」
「手をつけてない本もいくつかあるよ」
「買ったのに?」
どうして? と訊きたそうな顔。
「ゲームだって積んだりするじゃん」
「ああ、たしかに」
ご理解いただけたらしい。
暫く本棚を眺めていた佐竹は、ふと一冊の本を引っ張り抜き、表紙を僕に向けて、とんとん、と軽く叩いた。
「これ、入学したての頃、教室で読んでたよな」
佐竹が手にした本は、僕が初めて手にしたハロルド・アンダーソンの作品〈Change my mind〉だった。
懐かしい……けど、僕はどこでこの本を手に入れたのだろう?
父さんか母さんの書斎にあったのを持ち出したような気がするし、古本屋で買ったような気もする。
「よくもまあこんな分厚い本が読めるもんだ」
呆れているのか、はたまた感心しているのか判断が難しい口調だった。
佐竹が引っ張り出した本は、俗に『煉瓦本』と称されるほどの厚みではない。約三〇〇ページ。一般書籍と同じだ。
「この厚さで〝分厚い〟って。全くと言っていいほど本を読んでないことが露呈されたね」
語るに落ちる、とは、まさにこのこと……ではないな。
落とそうとしているわけでもなし。
「基本的に漫画しか読まねえよ。小説はあれだ、読んでて眠くなる」
──だから嫌いだ。
そう答えた佐竹は、手に持っている本を棚に戻した。
「さてと、やりますかねえ……」
黒色の折り畳み式ローテーブルには、勉強道具一色と眠気覚ましのアイスコーヒーが入ったピッチャー、コップ、一口サイズのチョコが置かれている。チョコは、僕の趣味だ。
「早く終わらせないとね」
手をつけていない課題は数多にあって、この夏休みを利用しても終わりそうもない……終わるのだろうか?
終わるといいな。
だけど、課題が終わってしまったら、なにが残るのだろう?
ここまで考えて、僕はその先に訪れるであろう終焉に対し、方程式を当てはめるような真似事は止めた。
思考を巡らせるべき問題は目の前にある。
優先するべき問題は、こちらだ。
* * *
自室に他人を招いのは小学校以来だったから、そわそわして落ち着かない。
別に縄張りを誇示したいというわけじゃなくて……ああこれは、見知らぬ人と相席をしなければならなくなった、という状況に近しいものがあるとするならば、時間が経てば慣れるだろう。
そう思い、自分の課題を黙々と進めていたけれど、佐竹の溜息や欠伸の呼吸を訊く度に、集中力を奪われていく。
僕は神経質なんだろうか。
自室で勉強するかのように堂々としている佐竹を、不愉快に思っているのだろうか。
と一考してみたけれど、佐竹が嫌いというわけではない。
無神経さも、馬鹿なところも、割と気に入っているんだと思う。
そうじゃなければ、絶対に自宅に招くことはなかったはずだから。
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