【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

六十八時限目 ダンデライオン交渉戦 ①


 ドアを開くとドアベルが揺れて、耳心地よい音が鳴った。ふわりと漂う珈琲の香り。年季の入った大きな振り子時計がベルボーイのように佇む玄関口の逆側には、小人の音楽隊が壁に張った木の板を床にして飾られている。

 サックスやアコーディオン、ヴァイオリンなどの楽器を手に持つ小人たちは、来店した客を歓迎しているかのようだ。規則性のない配置は、敢えてそうしたに違いない。

 振り子時計の隣には、経済新聞とスポーツ新聞が吊るされた銀色の新聞ラックがある。雑誌類を置かないのは、アンティークな店内の景観を損なわないようにするためかな? もしかすると常連さんに「新聞くらい置いておけ」って小言を訊かされたのかも。

 どちらにせよ、店内を見ているだけでも楽しいから、俗物は最小限に留めたいという気落ちが照史さんにはあったんだろうな、と私は思う。

 Lの長い棒を壁に、店内奥まで伸びるカウンター席は、背凭れ付きの椅子が五つ並ぶ。木製の椅子は上部に二つ、丸型の飾り装飾があり、帽子やコートを引っ掛けるのによさそうだ。

 カウンター席に座っている老齢の男性は、その姿をよく目にする。いつも背凭れにある飾り装飾にハンチング帽を掛け、ホットコーヒーを味わうように飲んでいた。言葉数少ない寡黙な人、という印象が強い。

 カウンターテーブルの内側でグラスを磨いているのは、ダンデライオンのマスターであり、楓ちゃんのお兄さんでもある月ノ宮照史さん。白いワイシャツに黒いエプロン姿は『これぞ喫茶店のマスター』という風貌だ。

 私を視認すると照史さんは唇に笑みを作り、おだやかな声で「やあ、いらっしゃい」と私を歓迎してくれた。

 落ち着いた物腰で接客する姿は〈喫茶店の貴公子〉そのものだ。甘いマスクに中音域の声音、身長も高く、面倒見もいい。少年時代はさぞおモテになっただろうことは想像に容易かった。

 妹の楓ちゃんだってファンクラブがあるけど、照史さんの場合はその規模が学年ではなく学校単位だったと言われても納得できてしまえるくらいだ。

「こんにちは」

 笑顔に応えるように、優梨らしく、人懐っこい笑顔を作ってみせた。

 お風呂で表情筋をマッサージしている私に隙はない。

「佐竹君、きているよ」

 一番奥にあるテーブル席をちらりと見て、照史さんは言う。私が視線を移すと身を乗り出した佐竹君が「おーい」と言わんばかりに手を大きく振っていた……恥ずかしいから本当にやめて。

「その姿ってことはデート……ではなさそうだね。わけありかい?」

 照史さんの声を訊き、視線を戻す。

「わけありみたいです」

 呼び出された理由についてはこれから知るんですけど、と続けた。

 わけあり、随分とがんちくのある言葉に、つい苦笑い。

「キミもいろいろ大変そうだね」

「そうですね……大変です」

 私たちは最初から、ずっと間違い続けている。間違い続けて、更に間違いを重ねて、その間違いを隠そうとしてまた間違えるの無限ループの中にいる私たちを見て、第三者である照史さんは、歪過ぎる関係性をどう思っているんだろう。

 黙りこくった私を見て困ったように微苦笑する照史さんは、

「アイスコーヒーでいいかな?」

 と訊ねた。

「はい、お願いします」

 私は夏場に限り、どの店でも大抵の場合は〈アイスコーヒー〉を注文するけど、一応この店の常連客なわけだし、佐竹君のように臆面もなく「いつもので」って注文してみたい気持ちがあった。でも、それを言う前に照史さんに先読みされてしまい、毎回機会を逃したままだ。

 席に座る前に注文するのは二度手間にならないように、と思っての行動だったけれども、次は着席してから注文しようかな?

 ……覚えていれば。




 平日とはいえ、いまは夏休み期間中。

 昼前にも拘らず、店内にいる客は私を含めて三人だけ。隠れ家のような店といえば訊こえはいいかもしれないけれど、店自体が隠れていてはしょうがない。ともあれ、混雑しないのは居心地がいいし、気兼ねなく珈琲を堪能できる。

 雑誌を置かないことで景観を保つのは勿論だけど、必要以上に集客しないのもその一環だったり……なんてことはさすがにないよねえ。

 佐竹君の真横辺りまで着くと、手に持っていた携帯端末をテーブルの上に置き、「よう」って顔で私を見てきた。

 テーブルの上には半分ほど量を減らしたアイスココア。木製のコースターが水滴で濡れている。喉の渇きを潤すために、堪らずぐいっと呷ったような減り方をしていた。アイスココアで喉が潤うのかどうかはさて置き、一〇分以上は待たせてしまったみたいだ。

 私が謝意を述べようと口を開くと同時に、佐竹君が「その服、めっちゃ似合ってるじゃん」と私の服を褒めた。

 女性と会ったら先ず褒める、みたいなことが書いてあるハウツー本を参考にしたような挨拶だけど、狙って気の利いた言葉を言えるような性格じゃないのを、私は知っている。

 これぞ、ナチュラルボーンイケメンのなせるわざ

「そうかな? ありがと。佐竹君の私服はいつもオシャレだから、合わせるこっちが大変なんだよ?」

「割と普通だけどな、ガチで」

 佐竹君は奇を衒うような服は選ばず、シンプルな服を着こなすのがとっても上手い。

 今日の服装は三色コーデ。黒のティーシャツにはスポーツ競技のスポンサーで有名な企業のロゴが白でプリントされている。スポーツが好きだとは言ってなかった気がするけど、記憶は曖昧だ。下はキャメル色のカーゴパンツに白のスニーカーを合わせている。

 シンプルな色合いでまとめられるのは、オシャレ上級者と呼んでも過言じゃない。

 多分、いままで琴美さんから相当なダメ出しを浴びせられてきたんじゃないだろうか。

 琴美さんの普段着はアレだけど、絵を描くことで養われた美的センスは私も身を持って体験した事実。面倒臭いとは思いつつも、アドバイスをしてくれる人がいるのは羨ましい限りだ。


 

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