【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

六十七時限目 待ち合わせはダンデライオンで


 電話を寄越したのは佐竹だというのに、どういうわけだ。

 僕の小ボケに反応して以来、お互い口を閉ざしたままのこうちゃく状態が続く。時計の秒針がこちこち音を鳴らして進み、重たく感じる空気に嫌気が差し始めた。

 堪らず、

「用がないなら切っていい?」

 面倒臭い、の意を込めた声音で訊ねた。

『いや切るなよ!?』

 佐竹は焦ったような声で返す。

『もしかして忙しかったか?』

 覇気のない声。

「忙しいってわけじゃないけど」

 特段の事情があるわけでもないし、現状は暇である。然し、携帯端末を使ったにらめっこを続けるならば早々に切り上げたい、というのが本音。

 電話越しの佐竹の態度を鑑みれば、これから禄でもないことを言い出すだろうことはお見通しだ。

 夏休みはまだ残っているとはいえ、佐竹のために割ける時間は余りない。僕自身、他人の相談事に首を突っ込んで、ああだこうだと妥協点を模索できる精神状態ではなかった。

「要件があるなら手短に頼むよ」

『ああわかった。ちょっと待ってくれ。いま心の準備を……』

 向こう側から小さい声で、よし、と訊こえた。

『あのさ』

 ああ、やっぱりそうか。佐竹が『あのさ』と訊ねるときは、大抵が碌でもないことに直結している。

「はいはいなんでしょうか?」

 小田原ひょうじょうになるのだけは御免だ。

『これから会えないか……と思って』

 まるで少女漫画の主人公がじくたる思いを心に忍ばせて恋心を抱いた男子をデートに誘うような言い方に、つい「乙女か!」と強めなツッコミを入れてしまった。

『俺は山羊座だぞ?』

 きょとんとした声で、佐竹。

「どうしてそういう発想に至るのかなあ……」

 斜め上過ぎる返答に、僕は戸惑うばかりだってのに。

「星座の話なんてしてないでしょ」

『いやすまん。通話する前に星座占いを見てたからさ。普通に』

 だから、乙女かって……。

 まあいいか。

「会って話さなきゃならない話なの?」

『そうだな。通話だとアレで……マジで』

「アレでマジと言われても困るよ……で、どこに行けばいいの?」

『一時間後にダンデライオンで』

 わかった、と通話を切ろうと携帯端末を耳から離した。が、再び耳に当てる。佐竹はまだ、回線を切っていなかった。切ってくれていたほうがよかった。どっちの自分が望まれているのかは訊かずともわかることでも、僕は訊かずにいられない。

「僕は〝どっち〟の姿でいけばいい?」

 数秒開けて、佐竹は「あー」と間延びした声を出した。

『どっちでもいいってのは、答えになってねえよな?』

 僕は無言で返事とした。

『ぶっちゃけどっちでも構わなねえんだけど……ガチで。お前が普通でいられるほうで頼むわ』

「それはずるい返しじゃない?」

『だってどっちもお前だろ? 性格がちょっと変わるだけで、人格が変わるわけじゃないんだし』

「だけど……」

『とにかく! 一時間後にダンデライオン集合だ。いいな? よろしく頼むぞ』
 
 そう捲し立てるように言って、僕の了承も得ず、質問にも答えず、一方的に通話を切った。




 * * *




『東梅ノ原、東梅ノ原。降り口は右側です』

 改札口に続く階段の付近に停車することを見越して乗車した僕は、電車のドアが開くと同時に早足で下車し、一段飛ばしで階段を上がる。待ち合わせは一時時間後……だったが、改札手前の天井に設置された時計の針は、待ち合わせ時間を三〇分も超えていた。

 遅刻の原因は、乗り換えが上手くいかなかったことだ。

 梅ノ原から東梅ノ原に乗り換えるのだが、その電車の到着予定が二〇分後だった。梅ノ原駅に二〇分間拘束されれば、間に合うものも間に合わない。佐竹にその旨を書いたメッセージを送信したけれど、未だに既読は付かずにいる。

 駅を出てからダンデライオンに向かえば三〇分の遅刻で済むけれど、僕にはダンデライオンへ向かう前に、やらなければならないことがある。そのための準備を百貨店で済まさなければならない。本来の利用方法ではないが、ペットボトルのお茶を買うので許して欲しい。

 百貨店に到着して、僕は直ぐに二階の多目的トイレに入る。服を脱ぎ、汗拭きシートで体を拭き、制汗剤スプレー──ソープの香り──を吹きかける。冷たいと冷たいのコラボレーションは、暑い日に有効。バッグから女性用の下着とシリコンパッドを取り出す。装着するときの罪悪感と背徳感は女装をする度に薄れていったけど、下部分だけはどうにも慣れないし、慣れたらいけない気がする。

 シリコンパッドを使うのは二度目。一度目は海で使った。琴美さんが用意してくれた水着セットの中に入っていた物だが、布製と違い、密着感が生々しい。

 鏡に映る僕の姿は、母親の目を盗んで化粧をしている少年みたいだ。

 クローゼットの奥に隠していた白のノースリーブとカーキのロングスカートを穿き、化粧してウィッグを付けて完成。鏡の前に映る姿は、もう少年ではなかった。

 リュックに入れていたキャメル色の肩下げバッグに小物類を詰めて、多目的トイレから出た。

 私はもう、男の子じゃない──。

 片手に持っている黒のリュックは、女の子が背負っていても違和感がないのを選んだ。周囲の人々が私の姿を見ても「荷物が多い」くらいの印象しか受けないはず。大丈夫、メイクもいい感じに仕上がったし。 

 小さいペットボトルのお茶を購入して百貨店を出ると、サンダルだからかアスファルトの照り返しが強く感じた。ううん、スカートに穿き変えたからかな。歩くと生地が足に触れて落ち着かない。

 ダンデライオンに向かいながら、男子と女子の服装について考えて歩く。男子が着用するのは〈男子らしい服〉しかないけど、女子にはそういった決まりみたいなものがないように思えた。仮に男子らしい服を着た女子がいても、それは〈ボーイッシュ〉になる。

 男子の服装はワンパターンになりがちで、選択肢は少ない。でも、女子の服装は、男子よりも自由度が高い。かわいい服、クールな服、大人っぽい服、コーディネートをネットで検索すれば、星の数ほどあるんじゃないかってくらいだ。ファッションを楽しみたいだけ、という理由で女装師をしている子だって、多分いるんじゃないかな?

 そういう子の恋愛観ってどうなってるんだろう……答えが出ないまま、ダンデライオンに到着した。



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