【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

六十三時限目 佐竹義信、売り子になる[前]


 蟻の行列のような列にしても、会場で発生したトラブルにしても、案外どうにかしようと思えばどうとでもなるものだ。

 姉貴の薄い本を買いにきた女性客に好奇な目を向けられることだって、五分もすれば忙しさで忘れられた。

 会場の喧騒が妙に他人行儀っぽく感じるのは、俺が達観しているからじゃなく、この会場で俺だけが白けているからだろう。いいや、白けているというのはちょっと違う。根本的に、ノリが違うんだ。

 縦ノリや横ノリならどうとでも乗れるんだが、オタクのノリにはどうも乗れない。別にオタクという趣味を馬鹿にしているわけではなく、馴染みがないから乗りきれないだけだ。と、自分に言い訊かせている。

 クラスにいるオタクグループのヤツらは、話しかければ普通に会話できるし、俺だってゲームやアニメ、漫画だって読む。

 カードゲームは、男子だったら絶対に通る道で、小学生の頃は俺だってやっていた。だから、アイツらのデュエルなノリは嫌いじゃない。でも、夏コミにくる連中は目がガチで、どこか殺気立った印象を受ける。

 さすがの俺も、どうするべきか考えてしまうケースもあった。

「すみません」

 と、大学生風の女性にテーブル越しに話しかけられた俺は、商品説明を求められるのかと思い、焦る気持ちを押し殺しながら話を訊いた。女子大生はカタカナの専門用語──タチやらネコやら、リバが云々──をこれでもかと言わんばかりに披露したが、早口過ぎてなにを言いたいのかさっぱりわからなかった。

 俺なりにではあるものの、女子大生の言い分を考えてみた。おそらくは、カップリングの解釈が間違っている、的なことを言いたいんだと思う。

 女子大生が購入した本は姉貴が描いたものではなく──姉貴はオリジナルで勝負するタイプだ──同じサークルの人が描いた別の本。表紙を見るに、擬人化した刀と持ち主の恋を描いた作品のようだ。

 同人界隈では非常に人気が高い作品で、ノベル、コミック、アニメ、映画、ミュージカルと幅広く展開している作品らしい。なにより、アニメは超売れっ子声優を起用しているらしく、それも人気に拍車をかけている。

 女子大生のように、その作品を愛する者たちのことを〈もののふ〉と呼ぶ……と、俺にクレームを言ってきた女子大生が語っていた。なるほど、たしかに勇ましい限りだ。

 そこまで好きな作品であれば、熱の入りようも半端じゃない。

 血走った目と男同士が組んず解れつするシーンを俺に向けて、

「このシーンですが! 絶対にこうはならないと思うんです! アナタだってそう思いますよね!」

 と訴える様は地獄そのものだ……というか、俺はその原作〈刀剣恋慕〉についての知識はない。

 タイトルだっていまさっき知ったばかりの作品に対して俺が言えることはたったひとつ、「知らねえよ!」なのだが、販売を任されている以上、知らぬ存ぜぬは通用しない。

 こういうときは描いたご本人先生に登場してもらって場を収めてもらうか返金対応をするかの二択しかないけれど、ちょうど間が悪く、作者がトイレに行っていて不在だったため、俺が女子大生をなんとか落ち着かせて返金対応した。

 思い出しても面倒なことではあったが、これも起こり得るトラブルのひとつだ。そして、やっぱりなんとかなってしまう。まるで、そうなるように仕組まれているんじゃないかって疑いたくなるくらいに。

 この感覚は、中学生時代から度々感じていたことだった。

 ──俺がなんとかできるなら、未然にも防げるはずだ。

 こういう考え方に至った事件を経て、このスタイルが確立していった、というほうがしっくりくる。

 俺はクラスのリーダーになりたかったわけじゃなくて、だれかがだれかを恨んだり、いがみ合ったりするのが見たくないだけなんだ。割と普通に、ガチで。

 俺が当番している時間は、もうじき終わる。目玉商品も売れたし、客足も大分落ち着いてきた。姉貴が戻ってきたらお役御免で解放されるだろう。それまでは、無心になって神対応をしていくしかない。




「おつかれさま」

 とんとん、と二回、背後から右肩を叩かれて振り向くと、そこには満遍の笑みを湛えている姉貴がいた。

 外向きに見栄を張った、白いサマーニットワンピースを着ている。童貞を殺しそうなやつだ。俺が言うのも難だけど、姉貴はスタイルがいいし胸も大きいから、こういう服が似合う。

 でも、姉貴の笑顔は清楚というよりも、少年のようなやんちゃさが滲み出てしまっている。

 この服を選んだのは、姉貴のパートナーである紗子さんだ。

 肉食獣に清楚な服を当てるとは……裏を読んでしまうな、マジで。


 

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