【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四十三時限目 初めての感情[前]


 バスと電車を乗り継いで、佐竹が普段の通学で使用している最寄駅に到着した。あ、いまは〈優梨〉の姿だから、口調もそれに則らないと。ふとした瞬間にが出てしまったら大変だ。もしもこの姿で男だとバレたら『変態』と思われてしまう。〈大変〉って言葉を並べ替えると〈変態〉になるけど、これってなにか因果関係でもあるのかしらん? ……あるわけないか。

 女の子になるなら、しゃんと女の子らしく。

 そう、琴美さんから教わった。

 目を閉じて、大きく深呼吸すると、埼玉でも埼玉らしくない香ばしい匂いが鼻奥を擽った。この匂いの発生源は、駅の近くにあるパン屋さんの匂い。瞼を開いて周囲を確認すると、ベーカリーの看板が目に留まった。

 駅前にパン屋さんがあるだなんて、羨まし過ぎる。私が普段使いしている駅の前には、牛丼屋と、カラオケ店と、マックしかないのに。

 この駅に並列している店はパン屋以外にアクセサリー屋、定食屋、弁当屋とバラエティに富んでいて、見ているだけでわくわくしてしまいそいうだ。東京に近いこともあり、人々の往来も多く、賑やかな街、という印象。駅付近にあるビルに大型モニターが設置されていて、そこにはミュージックビデオが映し出されていたり、駅からちょっと離れた場所ではアコギ弾き語り路上ライブをしていたりと、私が住んでいる田舎では見られない光景が広がっていた。

 駅から歩いて約じゅう分くらいの住宅地に、佐竹宅がある。暑いし、タクシーで向かおうかとも考えたけど、私の財布の紐は硬かった。クリーム色で、シンプルな作りのショルダーバッグの中にしまっていた携帯端末を取り出して、予め訊いておいた住所をナビアプリに打ち込めば、最短距離をナビゲートしてくれるのだから、住所さえわかれば地球の裏側にだっていけそう。逆に、赤の他人に住所が知られたら危険でもある。

 最近は、Youtuberが住所を特定されて嫌がらせをされる事例もちらほら訊いたりするし、利便性を追求した弊害が露見し始めていたりもしてちょっと怖いな、と思う。嫌がらせをしている当人は『ネタ』でやっているのかも知れないけど、被害を受ける側は堪ったもんじゃないよね。自分がされて嫌だと思うことを他人にしてはいけませんよ? とか、そんなの幼稚園で習うことなのに、それができない人たちは、いったいどういう教育を受けてきたのか。

 子どもに限らず大人もそう。ネットを開けば罵詈雑言の嵐、荒らしに熱上げ他人を晒し。正義を掲げて悪事働き、世間の総意、大義名分、穴だらけの正論、俺が最強。ソースもコースもかっ飛ばせマグナム。トルネード巻き込みリプで注意。せい、法。世、チェケラッチョ。

 踏切を渡ると、閑散とした住宅街に入った。

 駅前は発展してても、ちょっと足を伸ばせばちらり見受ける畑にほっとする。埼玉はこうでなくては。住宅と住宅の合間にある畑とか、もの凄く埼玉らしい。ルートを確認するために立ち止まり、また進む。歩きスマホは危険だから、イヤホンで『一〇メートル先、左折です』という無機質な音声を訊きながら十字路を曲がると、鉄棒と砂場だけの公園があった。

 公園の手前には自治体からのお知らせを貼る古ぼけた掲示板が立っていて、そこに『公園内にボールなどを持ち込んだり、花火などの危険行為や、大声を出して遊ぶこと、並びに、ペットを連れて入るのを禁止します』と書かれた張り紙がされてあった。きっと、近隣の住人が市にクレームを入れたのだろう。

 子どもたちの遊び場が大人の事情でどんどんなくなっているのにも拘らず、『最近の子どもたちはテレビゲームしかしない』なんてよく言えたものだ。どこかの県では、そのテレビゲームさえも制限されてしまうとか。子どもたちは、なにをして遊べばいいの? メンコやおはじきとか、昭和の遊びを家でしろこと? いくらなんでもそれは時代錯誤過ぎやしませんかね……?

 どれも似たり寄ったりな家は、私が住んでいる町と変わらない。『犬』のシールがポスト貼られていたり、築年数に差があり過ぎる民家の並びも。

 どこからともなく風に流されて、ふいと香るしょうゆ味。布団を叩く音が空に響き渡る、きたりな昼手前の時間。私の影がアスファルトに伸びて、膝下竹スカートの形がひらり揺れていた。青い空に浮かぶ白い雲がそろりと動く、なんて、使い古された代名詞を並べたくなる風景。こめかみ辺りからつらり垂れそうな汗を、丁寧にハンカチで拭き取った。

「アツはナツくて嫌になる」

 とは言えど、太陽はさんさんと照り、奥の道は熱で揺れていた。




 そうこうしているうちに佐竹宅の前までやってきた私は、カメラ付きのインターフォンを人差し指で鳴らした。サーッとホワイトノイズが訊こえて、『いらっしゃ〜い』。その声音から仕草まで想像できてしまうのだから、文枝師匠のネタがどれほど民衆に浸透しているのかがわかる。

『玄関の鍵は開いてるから、そのまま入ってきて』

 はい、と返事をする間もなく、回線が切られた。

 駐車場と庭の間を通る白タイル張りの地面は、雨の日になると滑りそうだ。そそっかしい姉と弟は、何度転んだだろう? 佐竹君はちょいちょい転んでそうだ。雨が上がった翌日、『遊びにいってくる!』と玄関を飛び出して、そのまま勢いよくすってんころりん。幼少期の佐竹君を想像して、くすり、頬が弛緩した。

 私の家よりも重厚な作りのドアを開けると、「いまさっき起きたばかりです!」みたいなボサボサ髪、よれよれのTシャツ、デニムのショートパンツという出で立ちの琴美さんが出迎えた。私の姿を見るなり顎に手を当てて「うん、やっぱりいい素材ねえ♪」と納得されても、私にはなにがなんだかさっぱり。『作業を手伝って』とは言われたけど、その内容は最後まで語ってくれなかった。もう、不安でしかない。

 靴はきちんと靴箱に整頓されていて、うちとは大違いだ。

「……あれ?」

 どこかで見たような団十郎茶のカジュアルブーツが一足、踵を並べて置いてあった。

「あ、それ照史さんの」

「え、照史さんも来てるんですか?」

「そ。今日は休みって訊いてお願いしたわけ。まあまあ、こんなところで立ち話もアレだし、入った入った♪」

 琴美さんに連れられてリビングに入ると、疲れ気味な照史さんがリビングの真ん中に立っていた。長袖の白シャツの袖を肘までたくし上げて、その上に黒のスーツベストを着ている。下は、ジーンズと黒の靴下。全体的にまとまったカジュアルコーデだけど、エプロン姿の照史さんしか見たことがなかったから、『照史さんの私服ってこういう感じなんだ』って見惚れてしまった。








 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。

 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ

 by 瀬野 或

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品