アオイデーの調べ
3話:人間の演奏家
深山総一郎の研究室は2号館の7階にあった。先導する高城はその研究室を素通りすると、隣の実験室に向かった。
扉を開けると、そこには口ひげを蓄えた白髪の男性がいた。ああ、間違いない。彼が深山総一郎だった。大分老けたように見えるが、わからなくなるほどではなかった。
「君は」と総一郎。「もしかして浩文君か?」
「ええ、そうです。葵さんや高城さんと一緒の音楽教室に通っていた西宮浩文です」
「おお、久しぶりだなあ。親から君のことはたまに聞いているよ。なんでも高校生では国内でも指折りのヴァイオリニストになったそうじゃないか」
「それは褒めすぎですよ。今だって親から国内の主要コンクールで入賞することを音大進学の条件に出されて、四苦八苦しています」
「そうかあ。大変だなあ。でもまあ親御さんの気持ちもわからないでもないけどな。音楽で成功するっていうのは簡単なことじゃない。私も演奏ロボットの開発なんかしてみて改めてそう感じたよ。
それで今日はどうしたんだ?」
「昨日」と高城。「俺がアオイデーを伴奏者に出たコンクール。浩文も参加してたんですよ」
「完全に高城さんに喰われましたけどね」
「気にするなよ。ヴァイオリン単体では負けていた。審査員はその辺ちゃんと見てるさ。俺が勝てたのはロボットが演奏するというインパクトとアオイデーの演奏技術によるもの。
アオイデーの正確さは伴奏者としても十分に実力を発揮できると思っていたんだが、目論見が外れましたね。どうやったってまだこいつは目立ち過ぎる」
伴奏者は目立ってはいけない。それが絶対的な真実なのかどうかはともかくセオリーであるのは間違いなかった。
音だけではなく、動きなどをわざと小さく見せる工夫をする伴奏者もいるという。その点アオイデーは出てくるだけで目立ってしまうのは間違いなかった。
「で、こいつアオイデーに興味があるっていうんで、連れてきたんですよ」
総一郎はほう、と呟くと浩文を実験室の奥へと案内し、巨大な布を被せた物体の前に立たせる。
総一郎が勢いよく布を取り払うと、そこにはあの無機質で巨大な自動演奏ロボットがあった。
こうして見ると下半身は立方体に車輪が付いたような姿――ペダルを踏むための脚のような部分も1本ある――だが、上半身は比較的人間に近いような気がする。
人間で言えば両腕にあたるであろう部位の先端には細長いそれぞれ5本ずつの棒状の部位。これは指だろう。
さらに総一郎は別のところに案内してくれる。そこには4体のロボットが並んでいた。
「右からそれぞれホルン、ユーフォニアム、サクソフォーン、ヴァイオリン用の演奏ロボットだ。まだ試作段階でアオイデーほどうまく弾かせられないがね」
浩文には同じものが並んでいるようにしか見えなかった。
「しかしロボットがあれほど正確にピアノを弾きこなすことができるとは思いませんでした」
「確かに正確性という意味では人間を自動演奏ロボットはすでに凌駕しているな。でもこのアオイデーの真価はそこではないんだ」と高城。
「まず第一点は今後の技術革新によって人間にできない演奏ができる可能性がある。例えば人間ならば少なくともほとんどの人は腕が2本指が10本っていう限界はあるが、ロボットであれば腕を4本にしようが、指を6本ずつにしようがやってやれないことはないわけだ。
もっとも今はそれを要するだけの楽譜が存在しないから意味のないことだけどな。今後どこかの作曲家が腕4本用の名曲を書いてくれることを祈るしかないな」
高城は冗談めかしたように言う。
「第一点、ということは二点目以降もあるんですよね」
「もちろん。オーケストラの演奏者が長い時間をかけて自分たちのリズムを合わせなきゃいけないのに対し、この演奏ロボットを何台も使えば事前に合わせておくだけで寸分の狂いもない合奏ができるのさ」
浩文は感心したようにほほう、と漏らした。
「最後にアオイデーは正確には自動演奏ロボットではなく、演奏AIなんだよ」
「ロボットとAIってどう違うんですか?」
その質問に答えてくれたのは総一郎だった。
「よく混同されているが、ロボットはあらかじめ決められた動作を行うもので、AIは自ら学習し判断することができるものなんだ」
「なるほど。でもじゃあ演奏ロボットにはできなくて演奏AIにできることってのがあるんですか?」
「それは今からお見せしよう」
そう言って総一郎はデスクトップPCを立ち上げた。彼がキーボードに少し打ちこむと何かのプログラムが起動したことが画面からわかる。
『おはようございます。深山教授』
どうやら今の声はPCから聞えてきたらしい。少女の声だ。
「やあアオイデー」と高城。「高城だ」
『高城さん、おはようございます。昨日はお世話になりました。確か6日後にはまた弾く機会があるんでしたね』
「ああこの前のが予選。今度はそこで優秀だった人だけが弾くことができる本戦だ。またよろしく頼むよ」
『はい、今度はよりよい演奏ができるように頑張ります』
「これはこのAIが自分で判断して会話しているんですか?」
「その通りだ。よかったら浩文くんも話しかけてやってくれ。最初に彼女の名前を呼び、次に自分の名前を言ってくれ。そうしないと会話が成り立たないんだ。まだ相手と相手が誰に向かって話しているのかを認識する能力が十分ではないから」
「アオイデー、でいいのか。俺の名前は西宮浩文。この前のコンクールに俺も出ていたんだ」
『そうだったのですか』
「アオイデー、高城だ。浩文の演奏はヴァイオリン部門のエントリーナンバー4番だ」
高城はそう言うと、今度は浩文に耳打ちをする。
「アオイデーには名演奏家の演奏音源を含めていくつもの音源を聞かせてデータベース化しているんだ。昨日のコンクールの音源も一通り録音したんだよ。大体のデータはあとで消すことになるだろうがな」
「それってどういう目的があるんですか?」
「一番はどのような演奏が価値ある演奏として世間に認識されているのかをAIに学習させるためだな」
『思い出しました。あのコンクールでは一際レベルの高い演奏でした』
そんな風に言われると少し嬉しくなる。再び高城が耳打ちする。
「このアオイデーには自我があるんだ。簡単なものなら人間のようなコミュニケーションも取れる。時として3歳児程度のコミュニケーションも取れないほど不完全なものだがな」
「それってすごいことなんですか」
「すごいことさ。たとえば作曲家の生まれ育った国の歴史、家庭環境、作曲の経緯なんかをアオイデーは理解し、共感し、演奏に反映させられる可能性があるんだ」
浩文は高城の発言を聞いて思わず息を呑んだ。
――それではまるで。
「人間の演奏家みたいだろ」
扉を開けると、そこには口ひげを蓄えた白髪の男性がいた。ああ、間違いない。彼が深山総一郎だった。大分老けたように見えるが、わからなくなるほどではなかった。
「君は」と総一郎。「もしかして浩文君か?」
「ええ、そうです。葵さんや高城さんと一緒の音楽教室に通っていた西宮浩文です」
「おお、久しぶりだなあ。親から君のことはたまに聞いているよ。なんでも高校生では国内でも指折りのヴァイオリニストになったそうじゃないか」
「それは褒めすぎですよ。今だって親から国内の主要コンクールで入賞することを音大進学の条件に出されて、四苦八苦しています」
「そうかあ。大変だなあ。でもまあ親御さんの気持ちもわからないでもないけどな。音楽で成功するっていうのは簡単なことじゃない。私も演奏ロボットの開発なんかしてみて改めてそう感じたよ。
それで今日はどうしたんだ?」
「昨日」と高城。「俺がアオイデーを伴奏者に出たコンクール。浩文も参加してたんですよ」
「完全に高城さんに喰われましたけどね」
「気にするなよ。ヴァイオリン単体では負けていた。審査員はその辺ちゃんと見てるさ。俺が勝てたのはロボットが演奏するというインパクトとアオイデーの演奏技術によるもの。
アオイデーの正確さは伴奏者としても十分に実力を発揮できると思っていたんだが、目論見が外れましたね。どうやったってまだこいつは目立ち過ぎる」
伴奏者は目立ってはいけない。それが絶対的な真実なのかどうかはともかくセオリーであるのは間違いなかった。
音だけではなく、動きなどをわざと小さく見せる工夫をする伴奏者もいるという。その点アオイデーは出てくるだけで目立ってしまうのは間違いなかった。
「で、こいつアオイデーに興味があるっていうんで、連れてきたんですよ」
総一郎はほう、と呟くと浩文を実験室の奥へと案内し、巨大な布を被せた物体の前に立たせる。
総一郎が勢いよく布を取り払うと、そこにはあの無機質で巨大な自動演奏ロボットがあった。
こうして見ると下半身は立方体に車輪が付いたような姿――ペダルを踏むための脚のような部分も1本ある――だが、上半身は比較的人間に近いような気がする。
人間で言えば両腕にあたるであろう部位の先端には細長いそれぞれ5本ずつの棒状の部位。これは指だろう。
さらに総一郎は別のところに案内してくれる。そこには4体のロボットが並んでいた。
「右からそれぞれホルン、ユーフォニアム、サクソフォーン、ヴァイオリン用の演奏ロボットだ。まだ試作段階でアオイデーほどうまく弾かせられないがね」
浩文には同じものが並んでいるようにしか見えなかった。
「しかしロボットがあれほど正確にピアノを弾きこなすことができるとは思いませんでした」
「確かに正確性という意味では人間を自動演奏ロボットはすでに凌駕しているな。でもこのアオイデーの真価はそこではないんだ」と高城。
「まず第一点は今後の技術革新によって人間にできない演奏ができる可能性がある。例えば人間ならば少なくともほとんどの人は腕が2本指が10本っていう限界はあるが、ロボットであれば腕を4本にしようが、指を6本ずつにしようがやってやれないことはないわけだ。
もっとも今はそれを要するだけの楽譜が存在しないから意味のないことだけどな。今後どこかの作曲家が腕4本用の名曲を書いてくれることを祈るしかないな」
高城は冗談めかしたように言う。
「第一点、ということは二点目以降もあるんですよね」
「もちろん。オーケストラの演奏者が長い時間をかけて自分たちのリズムを合わせなきゃいけないのに対し、この演奏ロボットを何台も使えば事前に合わせておくだけで寸分の狂いもない合奏ができるのさ」
浩文は感心したようにほほう、と漏らした。
「最後にアオイデーは正確には自動演奏ロボットではなく、演奏AIなんだよ」
「ロボットとAIってどう違うんですか?」
その質問に答えてくれたのは総一郎だった。
「よく混同されているが、ロボットはあらかじめ決められた動作を行うもので、AIは自ら学習し判断することができるものなんだ」
「なるほど。でもじゃあ演奏ロボットにはできなくて演奏AIにできることってのがあるんですか?」
「それは今からお見せしよう」
そう言って総一郎はデスクトップPCを立ち上げた。彼がキーボードに少し打ちこむと何かのプログラムが起動したことが画面からわかる。
『おはようございます。深山教授』
どうやら今の声はPCから聞えてきたらしい。少女の声だ。
「やあアオイデー」と高城。「高城だ」
『高城さん、おはようございます。昨日はお世話になりました。確か6日後にはまた弾く機会があるんでしたね』
「ああこの前のが予選。今度はそこで優秀だった人だけが弾くことができる本戦だ。またよろしく頼むよ」
『はい、今度はよりよい演奏ができるように頑張ります』
「これはこのAIが自分で判断して会話しているんですか?」
「その通りだ。よかったら浩文くんも話しかけてやってくれ。最初に彼女の名前を呼び、次に自分の名前を言ってくれ。そうしないと会話が成り立たないんだ。まだ相手と相手が誰に向かって話しているのかを認識する能力が十分ではないから」
「アオイデー、でいいのか。俺の名前は西宮浩文。この前のコンクールに俺も出ていたんだ」
『そうだったのですか』
「アオイデー、高城だ。浩文の演奏はヴァイオリン部門のエントリーナンバー4番だ」
高城はそう言うと、今度は浩文に耳打ちをする。
「アオイデーには名演奏家の演奏音源を含めていくつもの音源を聞かせてデータベース化しているんだ。昨日のコンクールの音源も一通り録音したんだよ。大体のデータはあとで消すことになるだろうがな」
「それってどういう目的があるんですか?」
「一番はどのような演奏が価値ある演奏として世間に認識されているのかをAIに学習させるためだな」
『思い出しました。あのコンクールでは一際レベルの高い演奏でした』
そんな風に言われると少し嬉しくなる。再び高城が耳打ちする。
「このアオイデーには自我があるんだ。簡単なものなら人間のようなコミュニケーションも取れる。時として3歳児程度のコミュニケーションも取れないほど不完全なものだがな」
「それってすごいことなんですか」
「すごいことさ。たとえば作曲家の生まれ育った国の歴史、家庭環境、作曲の経緯なんかをアオイデーは理解し、共感し、演奏に反映させられる可能性があるんだ」
浩文は高城の発言を聞いて思わず息を呑んだ。
――それではまるで。
「人間の演奏家みたいだろ」
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