アオイデーの調べ
1話:演奏する機械
西宮浩文は昼食を食べ一息つくとヴァイオリンと弓をケースにしまった。彼はたったいま地元の企業が開催する音楽コンクールのヴァイオリン部門で演奏を終えたところだった。
高校生である彼は音大進学にあたって両親から主要なコンクールでの入賞という条件を出されたため、ここ数カ月は神経をすり減らす日々を送っていた。
そんなところに地元出身者および地元在住者だけで行うこの小さな町のコンクールに出場し、演奏をしたのは一種の清涼剤のような効果があった。指導者である桜ノ宮朝霞からの提案であったが受け入れて良かったかもしれない。
普段のコンクールでは自分の演奏が始まる前も終わった後も人の演奏を聴いているような精神的余裕は全くないのだが、今日は違った。たまには人の演奏に耳を傾けようかと思って客席へと向かった。
客席へと向かった浩文は後のほうに彼のヴァイオリンの指導者である桜ノ宮朝霞を見付け、隣へと腰かけた。
「おう、珍しいな。お前が自分の参加してるコンクールで他人の演奏聞くなんて」
「このコンクールで入賞したところで、うちの親は音大進学を認めてくれないでしょうからね。そう思うと気が楽ですよ」
昼食をゆっくりとり過ぎたか。どうやら浩文の出場しているヴァイオリン部門はすでにオーラスを迎えていた。
『エントリーナンバー16番。高城親。東條大学』
高城は子どものころ同じ音楽教室に通っていた知己の仲だった。おそらくこのコンクール浩文の最大のライバルとなるのはこの高城だろう。
しばらくすると舞台袖から高城が姿を現す。その後をついて何やら1メートルちょっとの高さをした無機物な物体がすーっと移動してくる。
ロボットだ、と客席の誰かがいった。そうだ。あれはロボットだ。
ロボットはピアノの前に移動すると、腕のようなものを2本鍵盤の上にだらりと差し出した。
「まさかあのロボットが演奏するわけじゃないですよね」と浩文は冗談めかして朝霞に言った。
彼女は大会要項をめくりながら言う。
「どうやら大会規定にはロボットが伴奏をしてはいけないとは書いていないな」
何を言っているんだ、と浩文は思う。そんなこと書いてあるわけがない。そもそもそんな発想は誰もしないからだ。
高城が弾く楽曲はドイツ人作曲家ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ短調作品77から第3楽章。重音を多用しており、ヴァイオリン協奏曲のなかでも難易度が高いと言われるものの一つである。
この曲は疾走感のある主題から始まる。ときにハンガリー風だったりジプシー風などと形容される主題だ。どちらかと言えば少し暗いところが見られるブラームスにしてはかなり明るい曲調だ。
中盤の副主題はどこか優美でおだやかな曲調。浩文はこれを初めて聞いたとき田舎町の喫茶店の夕刻間際を思い浮かべた。
終盤になると主題副主題の面影を残すような旋律が弾かれ、徐々に音が消え入るようになっていく。しばらく音が消えると――8分休符――タン、タン、ターンと雷鳴のような力強い音が鳴り響いた。
演奏を終えた高城がぺこりと一礼すると、それと同時に場内を割れんばかりの拍手が覆った。このコンクールは演奏の合間の拍手についてはあまり厳しく言われないが。コンクールでこれほどの騒ぎになるとは。
高城の演奏も素晴らしかったが、それを凌駕する演奏が伴奏を務めたあのロボットの演奏がその主な原因だろう。
その日の午後のニュースで高城とロボットは取り上げられることになり、彼らは一躍時の人となった。
高校生である彼は音大進学にあたって両親から主要なコンクールでの入賞という条件を出されたため、ここ数カ月は神経をすり減らす日々を送っていた。
そんなところに地元出身者および地元在住者だけで行うこの小さな町のコンクールに出場し、演奏をしたのは一種の清涼剤のような効果があった。指導者である桜ノ宮朝霞からの提案であったが受け入れて良かったかもしれない。
普段のコンクールでは自分の演奏が始まる前も終わった後も人の演奏を聴いているような精神的余裕は全くないのだが、今日は違った。たまには人の演奏に耳を傾けようかと思って客席へと向かった。
客席へと向かった浩文は後のほうに彼のヴァイオリンの指導者である桜ノ宮朝霞を見付け、隣へと腰かけた。
「おう、珍しいな。お前が自分の参加してるコンクールで他人の演奏聞くなんて」
「このコンクールで入賞したところで、うちの親は音大進学を認めてくれないでしょうからね。そう思うと気が楽ですよ」
昼食をゆっくりとり過ぎたか。どうやら浩文の出場しているヴァイオリン部門はすでにオーラスを迎えていた。
『エントリーナンバー16番。高城親。東條大学』
高城は子どものころ同じ音楽教室に通っていた知己の仲だった。おそらくこのコンクール浩文の最大のライバルとなるのはこの高城だろう。
しばらくすると舞台袖から高城が姿を現す。その後をついて何やら1メートルちょっとの高さをした無機物な物体がすーっと移動してくる。
ロボットだ、と客席の誰かがいった。そうだ。あれはロボットだ。
ロボットはピアノの前に移動すると、腕のようなものを2本鍵盤の上にだらりと差し出した。
「まさかあのロボットが演奏するわけじゃないですよね」と浩文は冗談めかして朝霞に言った。
彼女は大会要項をめくりながら言う。
「どうやら大会規定にはロボットが伴奏をしてはいけないとは書いていないな」
何を言っているんだ、と浩文は思う。そんなこと書いてあるわけがない。そもそもそんな発想は誰もしないからだ。
高城が弾く楽曲はドイツ人作曲家ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ短調作品77から第3楽章。重音を多用しており、ヴァイオリン協奏曲のなかでも難易度が高いと言われるものの一つである。
この曲は疾走感のある主題から始まる。ときにハンガリー風だったりジプシー風などと形容される主題だ。どちらかと言えば少し暗いところが見られるブラームスにしてはかなり明るい曲調だ。
中盤の副主題はどこか優美でおだやかな曲調。浩文はこれを初めて聞いたとき田舎町の喫茶店の夕刻間際を思い浮かべた。
終盤になると主題副主題の面影を残すような旋律が弾かれ、徐々に音が消え入るようになっていく。しばらく音が消えると――8分休符――タン、タン、ターンと雷鳴のような力強い音が鳴り響いた。
演奏を終えた高城がぺこりと一礼すると、それと同時に場内を割れんばかりの拍手が覆った。このコンクールは演奏の合間の拍手についてはあまり厳しく言われないが。コンクールでこれほどの騒ぎになるとは。
高城の演奏も素晴らしかったが、それを凌駕する演奏が伴奏を務めたあのロボットの演奏がその主な原因だろう。
その日の午後のニュースで高城とロボットは取り上げられることになり、彼らは一躍時の人となった。
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