マーブルピッチ

大葺道生

第9話【第一シードの実力】

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4回裏
清野は4回表の無茶な守備で腕を痛めてしまったため控えの水野と交代することになってしまったものの、彼のファインプレーは味方の士気を上げることになる。しかし4回表の花緑の攻撃は赤沢がヒットを放つも、続く6番打者石田のヒット性の当たりをセカンド柘榴塚が超絶的な守備範囲でダブルプレーにし、結局3人で仕留められてしまった。
ごつん。4回裏柊光の攻撃は、3番打者松原から始まった。その松原の火の出るような当たりが右中間フェンスを激しく叩く。あわやホームランという当たりだった。松原は快足を飛ばし2塁近くまで進むと、急ブレーキをかけゆっくりと2塁ベースを踏む。
それを見たレフト谷口はゆるい送球でショートに投げる。その瞬間のことだった。松原は急加速し3塁ベースへ向かって爆走する。気付いたショート中森は送球を普通より手前でカットして、反転して3塁へと送球するが間に合わず3塁打を許してしまう。
石田は思わず歯噛みした。
――今の球はコントロールの悪い赤沢にしてはかなりいいコースに来た球だった。球質も悪くなかったにもかかわらずあっさりと2塁打か。おまけに守備のちょっとしたミスもあり、3塁打をプレゼントしてしまった。けど谷口は責められんな。やつの本職はピッチャー。野手として守備をするのは相当久しぶりのことのはずだ――
次の打者はドラフト候補の走攻守3拍子揃ったスラッガー、4番有馬一葉。
――ランナーの事は忘れろ。この打者はそれぐらいでようやく勝負になる
――
有馬への4球目、1ストライク2ボールから投じられたのはインハイのストレートだった。有馬から三振を取った1打席目の3ストライク目のボールと同じ球だった。しかし二度目はなかった。有馬がしっかりとアジャストして振り抜くと、高々と飛翔したボールはスタンド中央に吸い込まれていく。


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倉田晶は有馬の打球を見上げる、打球はこちらへ飛んでくるかと思いきや風に流されて晶の座る席よりもずっと右側に落ちていった。スタンドのプラスチック製の椅子に当たってポーンと跳ね返る打球を見つめながら、私こんなところで何してるんだろう、と晶は思う。
晶は花緑学院の1年生で吹奏楽部に入部したばかりだった。中学時代はフルート奏者だったが、吹奏楽部の上級生にはとてもうまいフルート奏者がすでにいた。晶はほかのパートの人数不足の問題もあって、少なくともしばらくは別のパートをやってほしいと打診されてしまった。先輩との実力差は理解したつもりだが、だからと言ってなんで私が別の楽器をやらなくてはいけないんだ、と晶は思い不貞腐れていた。
釈然としない思いで、なんとなく昨日あった練習もさぼってしまい、家で塞ぎこんでいた。
それを心配した父親が仕事のついでに晶を球場まで連れてきたというのがことの次第だ。お前のところの野球部の試合だぞ、有馬っていうドラフト候補のすごい選手も出るんだ、というのが父の誘い文句だった。吹奏学部の先輩からも野球部は弱いと聞いていたしあまり興味はなかったが、父親の見せてくれた有馬の写真がちょっとかっこよかったので気晴らしに行ってみるか、と付いていくことを決めた。
――つまんないなあ。やっぱり行かなきゃよかったかも――
高校野球関係の雑誌の記者をしている父親の影響で野球のルールぐらいはなんとなくわかるものの、見どころがいまいちわからなかった。
「いやぁ、すごいな、有馬君。内角高めってのは打者にとっては1番前で打たなきゃいけない難しいコースの1つだ。そこにあれだけの剛速球を投げられたのにしっかり振り抜いたな。いやでも前の打席ではほとんど同じボールで三振に取られてたな。となるとその対応力のほうを評価すべきなのか」
晶の父親はぶつぶつと独り言を言っている。それともこれは晶に解説してくれているのだろうか。


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赤沢は5番打者諏訪を外野フライに打ち取るものの、6番打者黒田を四球で出塁させてしまう。
「ゴー!!」続く7番打者加藤への1球目、1塁コーチャーを務める柘榴塚が絶妙のタイミングで一塁ランナーの黒田にスタートの合図を送った。柘榴塚はネクストサークルと自分の打席、ランナーとして出ているとき以外すべてのタイミング――つまりは自分がランナーコーチを務められる全タイミング――で1塁コーチャーを務めていた。投手のフォームを見極め完璧なスタートが切れるその能力を見込まれてのことだろう。
続く2球目で黒田はあっさりと3塁盗塁をさせると、打者の加藤は5球目をライトへ飛ばす。
ライトほぼ定位置から強肩の寒河江が好送球をするも、3塁ランナー加藤はゆうゆうとタッチアップを成功させ、点差は3点まで広がった。その後8番林崎が打ったゴロはたまたま深い位置まで転がるがショート中森がその強肩を見せ内野ゴロに仕留める。
5回表、なんとか反撃したい花緑だったが調子を上げてきた林崎に三者凡退に打ち取られてしまった。


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5回裏 花緑学院対柊光学園 1-4
赤沢は急に気が抜けたように先頭の9番星にストレートのフォアボールを与える。うち2球に至ってはほとんど暴投だった。赤沢の疲労を重く見た常木はレフトの谷口と入れ替える。
打者はここまで2打席で2四球の1番柘榴塚。谷口は念入りにマウンドを踏み鳴らす。
――こんな勝負所での登板久しぶりだな――
1年前赤沢が入部してきたとき、谷口はその才能に若干の嫉妬を覚えるとともに、今後チームはすごいところまで行くのではないか、と興奮した。と同時に自分の出番はほとんどなくなることを覚悟した。実際、花緑がその後あまり優れた成績を残せていないせいもあるが、公式戦での谷口の登板は終盤で大差がついたときだけのものになった。次第に谷口のなかで打たれる悔しさや抑える喜びは薄れていった。
――それが今こんな場面で出番が回ってきてる――
3点負けているとはいえ、強豪相手にここまで肉薄できている。やる気が出ないわけがなかった。
1球目、インコース目がけてカーブを投げる。2球目はアウトコースストライクゾーンにストレート、3球目はアウトコースボールゾーンにストレートを投げた。この間に星は2塁盗塁を果たしている。ここまで柘榴塚は1球も手を出していない。次の一球が勝負球だ。
4球目はインコースのスライダーを選択した。幸い低めのきわどいコースにボールは向かっていく。谷口のなかではそこそこの手ごたえ、悪くないボールだった。しかし柘榴塚がその初球を思い切り引っ張ると、外野に向かって鋭い打球が飛んでいった。打球は危うく右中間を抜けそうだったが、ライト寒河江がなんとか横っ飛びしてそれを止める。柘榴塚は2塁に到達していた。その間に2塁ランナーの星は本塁へと滑り込んでいた。これで4点差。
谷口は塁上の柘榴塚を見て唇を噛む。柘榴塚のバッティングは1打席目と2打席目に赤沢から四球を得たものとは大きく違っていた。あまり情報のないピッチャー相手にとにかくツーストライクまでは投げさせ、3ストライク目が来たからとりあえず打った。もっと言ってしまうといつでも打てる、そうとでも言いたげなバッティングだった。
そして柘榴塚は2番打者森本への1球目であっさりと3塁盗塁を果たした。常木がピッチャーの交代を審判に告げる。
マウンド上谷口の元へ、宮道が寄ってくる。次のピッチャーである宮道にボールを手渡さなければならない。谷口はまだできます、と言おうとしてその言葉を飲み込んだ。元々ワンポイントで何度か起用されるという話だった。さらに今日の自分の成績を思い出してみる。0回と1/3、2塁打1本。しかも唯一のアウトも後輩の清野が怪我をしながらのファインプレーをして何とか取ってくれたものだ。
プロ野球の投手がリリーフを送られてもマウンドを譲ろうとしなかった、なんてエピソードにあこがれることもあったが、今は自分にはその資格がないことを悟った。谷口は震える声でなんとか頼む、とだけ絞りだした。
「任せてください」と宮道は言う。
――この自信家めが――
谷口はうらやましく思うとともに速足でベンチへと引き上げた。

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