恋は盲目とは言いますが

大葺道生

第4話

8月4日
妹の病室にて。音桐は駅前の売店で買ったマンガ誌を妹に手渡した。
「ありがとう、兄さん」と妹。
今日見舞いに行くと伝えたら買ってきてくれと頼まれたのだった。
「しかし兄さんがこんなに見舞いに来てくれるなんてねえ。そんなに私のこと好きだっけ? ひょっとしてお気に入りの看護師でも見付けたの?」
「そんなんじゃないよ」
鋭い妹だった。
「僕はお前が自己にあって初めて気づいたのさ。お前のかけがえのなさに」
「あら、なんて幸せな妹なのかしら、私は」
虎尾瑛からの頼みごと――ないしは命令――は2つだった。
1つは星合桜子の失明を誰にも明かさないこと。考えて見れば桜子には目が見えないという以外に別段どこか悪い様子はない。だとすれば長期入院というのはやや大げさな気もする。
そもそも朱谷はお世辞にもバリアフリーが行き届いているとは言い難いが、桜子1人ぐらいどうとでもなることを考えれば、休学も本当に必要なのかという気がしてくる。
となると、桜子の休学や入院は療養以上に彼女の失明を衆目に晒したくないという理由があるのだろう。それがなぜかはわからないが。瑛が音桐の所在を従弟に頼んでまだ調べさせたのもそれが関係しているのだろう。
そろそろ桜子に会いに行くか。そう思って妹に別れを告げると彼女の病室をあとにした。
桜子の病室には瑛がいた。カタカタとPCで何かを打ち込んでいる。小説家といっていたから、小説を執筆しているのかもしれない。
「それじゃあな」
そう言ってノートPCを椅子の上に置いて瑛は椅子を立った。すれ違いざま音桐に、
「入力はこのPCを使ってくれ。デスクトップにでも保存しておいてくれればいいから。わかるよな」
音桐は頷いた。彼はゆっくりとした動作でPCを抱えると椅子に腰かけた。
「虎尾さんからは聞いた?」
「うん。でも本当にいいの? 迷惑じゃないかな」
「いやむしろ勉強になるし。ありがたいよ」
虎尾瑛からの2つ目の命令は、桜子の小説、ないしは小説のアイデアを口述筆記するというものだった。
『そんなこと別に僕がやる必要ありますか。いややりたい人なんていくらでもいるんじゃないですかって意味です。技量の点から言っても編集の人や虎尾さんがやった方がいいような気がしますけど』
音桐がそう言うと瑛は、
『誰にでもできる仕事ではないよ。私ならできるだろうけど、でも私はやりたくない』
と言って退け笑った。
「こっちこそありがたいよ。それじゃあお願いするね」
そうして桜子の言っていることをそのままパソコンに打ち込んでいった。最初は桜子のしゃべりに打ち込むのが追いつかなかったため、桜子が少しペースを緩めてくれた。
そうしてなんとなく流れができてからは単純な作業だった。
桜子の口から紡がれた物語は、よく頭のなかだけでこれだけのものを組み立てられるなと感心するものだった。雨女の伝承をモチーフにしたファンタジー物語である。
「これはやっぱりどこかの雑誌とかに掲載されたりする予定なの?」
桜子は首を横に2回振った。
「別に私が出版したいと思ったら出版できるなんていうわけでもないから今のところは考えてないよ。それに、どうせならもう少し膨らませて長編にしたいの。
ごめん。ちょっと休むね。今日はありがとう」
そう言って桜子は横になった。時計を見ると30分ほど経っていた。30分話すというのは意外に疲れる、ということは聞いたことがあったので、その日は帰ることにした。
病院の食堂で何か食べて帰ろうと思っていると、素うどんをすすっている瑛を見かけたので向かいに腰かけた。
「とんかつ定食。750円。ちっ、高校生の癖に生意気だな」
「親が日中いないんで、昼食代置いてってくれるんですよ。一切れ差し上げましょうか?」
「施しは受けん」
そう言って瑛は身体を横に向け、左手にある腕時計を一瞥する。
「まだ30分ぐらいしか経ってないじゃないか。せっかく2人きりにしてやったのに」
「星合さんが疲れたから休みたいって言ったんですよ。それに僕そういうんじゃ」
「そういうってのはどういうのだよ」
「――――」
「お前、それで隠してるつもりなわけ? それとも自覚なし? まあどっちでもいいけどさ」
「なんで僕なんですか? 別に面倒くさいからやりたくないってわけでもないんでしょ?」
「私にその質問をするのがどれぐらい残酷か。まあわからないだろうなあ。――私がやりたくない理由は置いておいて、私がダメならお前がっていう理由は教えてやるよ。
桜子はさ、スランプなんだ」
「それは本人からも聞きました」
「あいつの父親、小説家なんだよ。知ってるよな、多分。ジャンル全然違うけど」
「知ってます」
それもインタビュー小説で読んだ。その父親の小説も以前に1作だけ読んだことがある。
「そんな環境で育ったからか。あいつは小学生ぐらいのころからこっそり誰にも見せずに小説を書いていたらしい。
このご時世書いたら友達に見せたり、小説サイトに投稿したりしたくなりそうなもんだが、あいつはずっと誰にも見せてこなかったんだとさ。
それが中学の最後に思い手作りのつもりか、地元主催の文学賞に投稿したら受賞。親のネームバリューや中学生っていう経歴も手伝ってすぐに本は出た。
メディアも天才中学生小説家とかそんなキャッチコピーで持て囃してたな。でもスターの宿命か。厳しい批評も公式の場、非公式の場問わず増えてきた。文学賞の当選からして親の意向が関係しているっていう噂も広まった。
あいつは真面目だからそういうのを真正面から全部受け止めちまったんだ。あいつが潰れるのに時間はかからなかった」
音桐は小説投稿サイトで自分の小説を書いて批判的なコメントをもらったときのことを思い出した。桜子はきっとあの何十倍もの責め苦を味わったのだろう。
「私に言わせればぜいたくな話だと思うよ。それだけ注目されてるんだからありがたく思えって話だ。
とにかくあいつは誰にも小説を見せたくない、何も書きたくないって時期があったんだ。
でも今は違う。ちょっとずつでも何か書きたいと思ってる。でも目が見えないとまとめるのも一苦労だ。誰かの助けがいると思った。もちろん。あいつが信頼してる奴だ。まだあいつは誰かに見せることへの恐怖を抱えてるから。でも私はやりたくない。
あいつが庭で同い年の小説好きに会ったって話を嬉しそうにしててすぐに思いついたよ。そいつにやらせようって。まあ偽名だったのは驚いたけどな」
「なんでそれを今になって僕に言ってくれる気になったんですか。この前は有無を言わせずやらせようって感じだったのに」
「別に。黙って従わせるのも非人道的だと思っただけだよ。もし心の底からこんなことやりたくないっていうなら引き受けなくていい。お前の正体だって黙っててやる」
こんな話を聞かされてやりたくないです、とは言えなかった。

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