豪運と七つ星

ノベルバユーザー257653

2-2 記述『逃げられぬ運命』

『豪運な少年』第二巻


平和。平穏。


それは何物にも代え難い尊きものだ。
人間の生を脅かすような怪物もおらず、皆が暖かな日常を享受する。
普段はそれが当たり前で、それに感謝することは難しい。
しかしそれが当然ではなかった事を知る者ーー二人しかいないがーーはこの平穏に大いなる感謝と敬意を払って日々を送る。


『朝のニュースです。』


柊は家族と朝食を食べながら、テレビを聞き流していた。家族と話すことは特にない。毎朝毎朝こうして共に朝食を共にして、そうそう話題がある訳でもない。しかしこの平穏な日常こそが宝なのだ、と意識してからは柊はなんだか黙っているのがむず痒く感じるようになり、朝食の時間にニュースを流すよう提唱したのである。




『本日未明、午前4時54分頃、ロシア北西部アルハンゲリスクにて、未確認生物が出現しました。』




「未確認生物…?」
普段のニュースでは聞くことのない単語を耳にして、柊は画面を注視した。そこには人の身長の何倍、いや何十倍もあるような細長い生物がうねっていた。




『目撃者によりますと、この巨大生物は突然出現し、辺りの建造物を破壊したり、人を襲ったりしながら移動したとのことです。』




その化け物は巨大なムカデを直立させ二本足で立たせたような容貌で、その長い体躯を折り曲げては家屋を潰し、またその頂にあると思われる頭部で地面の人間を掴んでは捕食していた。映像には逃げ惑う人々と叫び声が常に映っていて、大地を跳躍しては頭部を振り下ろす魔獣の恐ろしさが画面越しでも伝わるくらいだった。
「おいおい、大丈夫かよ。」
柊の父親の呟きに、誰もが答える余裕もない。ただただ画面内の異様な光景を唖然として見つめるだけだった。




『この怪物は危険生物に即座に認定され、ロシア軍とEU軍が討伐に向かい、出現後約20分で駆除に成功したとのことです。しかし死体は討伐と共に跡形もなく消滅した、と報告が上がっています。推定される死傷者は約6000人にのぼり、現在EU諸国の救援もあり、行方不明者などの捜索が進んでいます。』




画面に地図が映し出され、怪物が現れた場所が示される。なるほどロシアとヨーロッパの境目付近で、だからEUが即座に戦力を送り出したのか、と柊は納得する。その位置からは怪物の進行方向によっては人口の多いヨーロッパに甚大な被害を齎すだろう。逆に、怪物の出現場所は人口がさほど多くなく、またロシアの首都、そしてヨーロッパに近かったことから、比較的早期に対策が打てたということだろう。しかしそうは言ってもたった20分で失われた多くの命は返ってこない。この怪物が何物かはわからないが、こんな事が続くようではーー人類絶滅の危機となるだろう。しかしまぁ、そうそう酷いことにもならないだろうがーー。


「ごちそうさま。」
柊は立ち上がり食器を台所の母親のところに運ぶ。洗面所で歯を磨いて、二階の自室で制服に着替えて再びリビングに戻って来た時でもテレビでは依然として、突如として現れた怪物について額に汗を浮かべたアナウンサーが語っていた。


「行ってきます。」
気をつけなさいよ、という母親の声に片手を挙げるとドアを閉める。
いい天気だ。雲一つない青空。これから今日も平和なーー


何が平和だ。
世界レベルで現在進行形で破壊中じゃないか。
はぁ、と一つため息をついて柊は歩き出す。
物語の主人公じゃあるまいし、俺が世界を救うなんて展開になる訳がないし、そんな役はごめんだーー
そんな事を思いながら。


自分がある小説ーー『豪運な少年』の主人公にされている事も知らずに。




   *   *   *




10月1日。
山之上高校の高校二年生は、この時期になると修学旅行の話が出始める。行先はーー沖縄。
二月に沖縄に向かう修学旅行だが、季節が季節なのでせっかく沖縄に行くのに海に入れないと憤怒する声と、こっちは寒いんだから暖かいとこに行けていいじゃないかとする声とで、大体二分される。
柊は運動が得意ではなく活動的でもない為後者の意見だが、やはり綺麗な海に入って見たかったとも何処かで思うものである。


高二のこの時期に考えるべき問題は他にもある。来年の受験を控え、進路選択についての考慮を迫られる。
「なぁ木戸、お前進路どうすんだ?」
ふと気になって隣の木戸に尋ねてみる。木戸は首を捻った後、進路かぁ〜と間の抜けた声を出している。
「ぶっちゃけ全っ然考えてないんだよねー。」
わかっていたことだ。第一木戸の場合、まず高三に上がれるかどうかを心配すべきだ。赤点減らせよと思う柊だが、言ったところでどうなる訳でもないので何も言わずに机に伏した。することがない時は寝るに限る…


柊はこの平穏が好きだ。
クラスには友達がいて、道を歩けば大勢の人が色々な顔をして歩いている。
死体の山を見ることも無い。
そんな当たり前を愛していた。


しかし時が経つにつれて感情は風化する。
そして別の感情や考えが浮かぶようになった。


未来の俺が手にしたような呪いを、また誰かが手にすることはないのか。


それに俺はある意味特別な存在じゃなかろうか?
俺は思い返せば色々なことを体験した。
あんなに色々な乗り物を運転した人間など、そうそういるものでもない。
死後の世界があるのも、天使がいるのを知った。
未来人と会った。


これも幸運の力なんだろうか?
いやそれは後になったから言えることだ。
当時は明らかにアンラッキーだった。


朝礼の鐘が鳴りゴリラが教室に入って来ると、柊は目を覚ました。
今日の最終時限にはHRがあり、修学旅行についての説明があるらしい。
その際に必要なプリントを朝礼で配るようだ。


前から回って来たプリントから一部を取り、後ろに回す。
字が沢山書いてある。読むの面倒だな、これまさか裏まであるのか?


ぺらっとプリントを裏返す。


裏面にも文字が並んでいる。
少しウンザリした気分になって表に返そうとしてーー
奇妙な違和感を覚えて柊は固まった。


今、なんてーー?


裏面を注視する。


違う、これはーー!
なんだ、これはーー!!


柊は知らない。
今日が、約束された10月1日だという事を。

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