豪運と七つ星

ノベルバユーザー257653

1-10 記述『怪我の功名』

翌朝ーー。


柊はいつものように坂を登って登校する。昨日の晴天とは打って変わって、今日は今にも雨が降りそうな曇天だ。ジメジメした蒸し暑い気候、そして時折吹く生暖かい風に、心なしか坂を登る生徒たちからため息が聞こえてきそうだ。
「ひーいらぎ!いつもより早いんだね!」
「って、お前かよ。クマひどいな。寝れなかったのか?」


柊の肩を叩いたのは、坂を駆け上がってきたらしい木戸だった。木戸の目の下には酷いクマが刻まれており、少し元気がなさそうに見える。
「そういう柊だってクマが出来てるじゃないか。おちおち寝てもいられないよねぇ。いつ奴が現れるかわかったもんじゃないよ。恐ろしい。こんなのが毎日続くと思うと嫌だね。そのうち慣れるとも今は思えないよ。」


木戸と同じ意見を柊は昨日抱いていた。
しかし柊が力を奪った以上、奴が現れることはない。それでも空恐ろしくて部屋の隅で夜通し目を光らせなくては気が済まなかったのだ。恐ろしいのは何もドッペルゲンガーだけではなかった。人を殺めようとしている自分、そしてその後施される自分への処遇、家族や友人の蔑視、翌日起こる、いや自分が起こす事件の全てが怖かった。これからどんな未来が待っているのだろう。未来が見えない、そんな当たり前のことがただ怖い。


何も殺す必要はない、殺すなんて間違っている、短絡的すぎる、心の声は何度も聞こえてきた。
それでも、明白な「敵」として現れ、命を狙ってくる奴を野放しにはしておけない、と言い聞かせる。
行動を起こしさえすれば、あとはなるようになる。
何もしなければ、現状のまま。
行動を起こさなければ、前に進めない。
やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい。
計画は立てた。手に入れたこの力で、証拠もなく殺せる。


一言「死ね」と言うだけでいいのだ。


計画もクソもありはしない。近づいてその言葉を本人にだけ聞こえるように言い、後は白々しく急に倒れたドッペルゲンガーに驚いた顔をすればいいのだ。両手に何も持っていないのをアピールするかのように頭の後ろで手を組んで、奴に触れることなく殺してやる。クラスの皆が承認だ、柊は何も持っていなかったし、対象に触れてすらいなかった、と。


この力については柊自身、よくわかっていない。発動する時としない時があるし、発動するつもりがなくても発動したりする。その条件は未だによくわからないままだった。発動するつもりがなくても、というのは昨日の柚希の態度がいい例だ。柊は「ペンギンのことを気にするな」と柚希に苦し紛れの弁明を試みた。それ以降柚希はあの大きなペンギンが目に入らないかのような態度で部屋に入り、出て行った。柊はあとから、あれは力が発動したせいなのではないかと推論した。そして意図せず力が発されるかもしれない以上、むやみに喋る訳にもいかないと、ずっと黙って部屋の隅で丸まっていたのだ。何気なく発した言葉が害意となって何かを襲うなどーー想像するだけで恐ろしい。


「にしても、昨日はゴリラが来てくれて助かったね。あのままだったら間違いなく僕たちは殺されてたよ。」
殺されて…いや、待て。おかしい、少しおかしいぞ。奴は俺たちを簡単に殺せた筈だ。それこそ俺が今日やろうとしているように。一言で十分なはず。それなのに何故あんな回りくどい方法を取った…?何か重大なことを見落としているのだろうか。


「まぁ、やってみればわかるか…」
「え?何が?」
「いや、別に。少し考えごとをしていただけだ。」
「ふーん、あ、校門の所にゴリラがいる。…ってうわ可哀想ー誰か捕まってるじゃん。」
「制服チェックか。冬に指定外コート着て指摘されるのはわかるが、今は夏服期間だよな。この季節に制服で捕まるってなんだ?ワイシャツ違うの普通着ないよな。」
「間違えてパジャマで来ちゃったとか。」
「あそこで捕まってるやつがパジャマ登校するようなアホだと?そんな間抜けなやつお前くらいだろ。」
「いやアレ見なよ、なんか制服の色じゃないし…てアレ?制服だ…さっきまで違う服に見えたのに。おっかしいなぁ。」


そうこうしているうちに、件のゴリラのとこへ辿り着く。そこで怒られていたのはーー
「天野。何してんだい?」
「いやぁそれが俺、間違えてパジャマで来ちゃって、ははは…」
「お前、ちゃんと制服着てるじゃないか。」
「そうなんだよ。なんか急に制服に変わってさ、ビックリしちまったよ。夢なんかな。」
「僕からすると君のパジャマで来たって事実を友人として心から夢だと思いたいよ。昨日の仕返しで辞書で殴ってやろうか?夢かどうかすぐわかるよ。」
「いや、それは結構です木戸様!あ、先生、もういいですか?見間違えだったって事で。」
「見間違え、か…うーん…?まぁ現に今制服着てるから良しとするか。」


とても腑に落ちない表情でゴリラは返事をし、柊と木戸、天野の三人は教室へ向かった。柊は角度的に天野の制服姿以外が見えなかったので全く違和感を感じていなかったが、木戸と天野はそうではなかった。
「いや俺絶対パジャマで来たって!」
「僕も遠くから見た感じ制服には見えなかったんだけどね、少し目を離したら制服に変わってたよ。」
「っかしいな…でも気のせいってことだよな。うん、気のせい。気のせいだ。木戸も見間違い。遠かったからよく見えなかった。そういうことにしよう。」
納得できるとは到底思えない論理で自分を納得にかかる天野と、そうだね!と賛同している木戸に、柊はため息をつく。そもそも自分がパジャマで来たかどうかで悩んでいるなんて非常にアホらしい。来るわけないだろ。現実的にありえないだろ。漫画じゃないんだから。どこまでこいつらの頭は残念なんだと呆れた目線を送ると、ある事実に気がついた。


「天野、お前、なんでノーブラなの。」
「え。」
「え。」
「すまん間違えた。」
「間違えたってなんだよ!なんだその言い方!まるでいつも俺がブラつけて学校来てるみたいな言い方やめろよ!そうだとしてもお前が知ってんのおかしいだろ!」


いや柊は本当に間違えたのだ。もちろんそんな事を言うつもりは毛頭なかった。どうしてカバンも持たずに手ぶらなんだ?と思った瞬間、手ぶらという単語からふと脳内に裸で胸を両手で隠した、いわゆる手ブラの女性が登場し、先のような発言に至ったということだ。


「すまんすまん、俺が言いたかったのは、どうしてカバン持ってないんだ、ってことだ。」
「なんでその発言でノーブラが出てくんの!変態!変態柊!頭の中どうなってんのか心配だぜ!」
「僕もさすがに心配だなあ。変なことして捕まったりしないでよ柊。」


捕まったりしないでよ、とはこの先起こることを考えると笑えない。柊は脳の1/3くらいはこのアホな会話に付き合っているが、残りは全て今日の計画についてずっと考えている。忘れて会話を楽しむような図太い精神は持ち合わせていない。柊は怖いのだ。怖くて怖くて仕方がない。加害者側が怖がっていてはどうしようもないとわかっているが、それでも怖いのだ。少しでも気を緩めると手が震え、足が竦みそうになる。


教室についた三人はそれぞれの席に座った。それぞれの、とはいえ柊の横が木戸で、木戸の後ろが天野と、非常に近い距離なのだが。例のドッペルゲンガーはまだ来ていない。来たらすぐに、実行に移るつもりだ。柊の鼓動はドクンドクンと高鳴っている。とうとう来てしまった。緊張と恐怖で感情を支配される柊の耳に、天野の叫び声が聞こえてきた。


「カバン持ってくんの忘れたーー!うっわー!いや、ま、いっか。多分なんとかなるっしょ一日くらい。」
…アホすぎる。微かにできた感情の隙間を、そんな無言のツッコミで埋める。約束の時は近いーー。


爆音を告げる胸に手を添える。柊の頭は未だに自問自答を繰り返している。証拠が残らないからといってもやっていい事と悪いことがある。正しい行為のわけがない。キチンと話をするべきなんだろう、でも!奴は俺を殺そうとした!
何度も、何度も何度も、一晩中続けた自問自答。それでも答えは出ていない。
いやダメだ。いくら憎くても、殺そうだなんてどうかしてる。そんなのあまりに愚かな思考だ。こんなヤバい力を手に入れたんだ。人間の心を保たないとーー怪物に、なってしまう。
様子を見た方がいいのだろうかーー。


窓から生温い風が、柊の横顔へ吹き付けた。

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