シルバーブラスト Rewrite Edition
7-12 後始末と旅立ち
エリオット・ラリーは自宅でやけ酒を飲んでいた。
万全の準備を整えた作戦が失敗に終わり、ランカ・キサラギを亡き者にするか取り込む事が出来る筈だったのが、気がつけば大逆転、人質は全員救出、迎撃衛星は破壊、それを行ったのがヴィンセント・ラリーだという証拠までバッチリ押さえられ、息子が警察に捕まるという最悪の事態にまで発展した。
それだけならヴィンセントを切り捨てれば済む話なのだが、問題は迎撃衛星の乗っ取り、そして軍を動かしたこと、更にはフォートレス社の遊撃および社員を人質にランカを脅迫した事、それらの人員を動かす際に使用したミアホリックの流通経路まで証拠を押さえられてしまったことだ。
ランカ・キサラギにそこまでの調査能力は無いと侮っていたし、その評価は間違っていなかったのだが、しかし不確定要素が予想外の働きをしてしまった。
これらの証拠の大部分を揃えたのはランカではなく、その友人であるマーシャ・インヴェルク達であることは分かっている。
マーシャ・インヴェルク自身について調べたが、セントラル星系ではかなり名前が知られた投資家であり、更にはロッティの経済を支配しているリーゼロック・グループ会長であるクラウスの身内だということも判明した。
その能力、そして資金力、技術力は一国に匹敵する、というのが改めて下した評価だ。
それほど技術力が高いとは言えないが、それでもれっきとした一国の軍であるリネス宇宙軍第三艦隊をたった一隻で証拠も残さず壊滅させただけではなく、無理矢理宇宙港から飛び出した小さな戦闘機が、いざという時の保険として待機させておいた第二艦隊までをも壊滅させたと聞かされた時は怖気が走ったものだ。
化け物集団、という表現が相応しい。
せめてランカが彼女たちと接触を持つ前にけりを付けられれば、と今更悔やんでも遅い。
エリオットはリネス警察から出頭を命じられている。
警察組織はそのほとんどがラリーの支配下にある筈だが、それでも頑として従わない勢力もある。
どうせ小規模な反抗勢力であり、大きな流れに逆らう事など出来ない愚か者達、と見下していたが、今回は決定的な証拠を与えてしまった為、勢いも半端ではない。
支配下にある者達も、この証拠を武器にされては、警察組織の人間として、エリオットを庇うことは不可能だ。
更にはランカの根回しにより、これらの事件を大々的にテレビや雑誌、新聞やネットなどで取り上げて、ラリーを批判する空気をこのピアードル大陸に作り出している。
絶体絶命、ラリー一家は崩壊寸前、という有様だった。
忌々しげにグラスを壁に投げつけ、瓶ごと酒を呷る。
脳を溶かすほどに酒を飲めば、少しは悪夢を薄れさせることが出来るだろうか。
「タイミングが……いや、運が悪かったのか……いや、八年前にあの小娘を殺せていれば……」
何が悪かったのかと、過去ばかり遡る。
それでも答えは見つからなかった。
そんな風に出口の無い葛藤に苛まれていると、ふと窓から風が流れ込んだ。
「……?」
窓は閉めていた筈だが、と思った時にはもう遅かった。
背後の壁には一人の女性が立っている。
「っ!?」
静かな佇まいでそこに立っていたのは、先ほどまで思考の片隅にあったマーシャ・インヴェルクだった。
「何をしている? ここは私の家だぞ」
「知っている」
マーシャは静かな声で答える。
「それならば何の用だ? 私が警察に捕まるのは時間の問題だ。それとも自分で捕まえに来たのか?」
彼女の戦闘能力は映像記録で知っている。
とてもではないが、エリオット一人で立ち向かえるような敵ではない。
しかし目的が分からなかった。
エリオットを追い詰めるだけならば、そのまま放っておけばいい。
わざわざ不法侵入の危険を冒してまでこんなことをする理由が分からない。
「どちらも違う。私はお前を殺しに来たんだよ、エリオット・ラリー」
「………………」
静かな声で答えるマーシャだが、その姿からは抑えきれない憎悪が噴き出していた。
マーシャがここまで負の感情に支配されることは珍しいが、そんな事はエリオットには分からない。
亜人としての特徴を露わにしているマーシャは、獣の脅威そのものの戦闘力を秘めている。
そして殺気を放つ彼女の姿は、エリオットを恐怖させるのに十分過ぎるものだった。
「何故だ? 確かに宇宙軍をけしかけたりもしたが、そんなものはお前達にとって蚊に刺された程度のものだろう? わざわざ殺しに来るほどの事か?」
エリオットはマーシャ達にリネス宇宙軍を二度けしかけている。
軍はマーシャ達の技術を奪う為、そしてエリオットは邪魔者を排除する為、両者の利害が一致した結果だ。
しかしそんなものは歯牙にもかけなかったマーシャが、単身でこの場所に乗り込んでまで自分を殺そうとする理由が分からなかった。
「レヴィを騙して逮捕させただけならば、腹立たしいがここまでするつもりはなかった。だが、お前は彼らの古傷を刺激した」
「……?」
言葉の意味が理解出来ない。
古傷、というのは彼女の連れ、レヴィという男についてだろう。
しかしそんな事情が分かる筈もない。
「軌道上からの超長距離狙撃。お前は、それだけはするべきではなかった」
「………………」
マーシャが怒っているのはその一点のみだ。
エリオットにとってはランカの反撃を封じた上で確実に殺す最適な手段だったが、それに関わったレヴィ達にとっては、最悪の記憶を刺激する結果となった。
多くの部下を殺されて、そして自分も殺されそうになったあの記憶を。
忘れた訳ではないし、忘れられるものでもない。
そして忘れていいものでもない。
だけど考えないようにする事は出来ていたのだ。
辛い記憶を楽しい思い出で上書きして、自分自身を赦して、そして幸せになろうとする権利が、あの二人にはあるのだ。
マーシャはほんの少しだけ、その手助けが出来ていると思う。
幸せそうなレヴィを隣で見ているのが一番好きだった。
それはシオンも同じだろう。
そして何よりも辛いのは、レヴィが過去の記憶に苛まれるところを見る事だった。
唐突な自責によるものではなく、他人が馬鹿な事をした所為で過去の記憶を刺激されてしまった。
あれからレヴィは何度か辛そうな表情を見せる。
マーシャには無理をして笑いかけてくれるが、それでも隠しきれない辛さがあるのを彼女はしっかりと感じ取っている。
しばらくあの状態が続くだろう。
マーシャにはそれが許せなかった。
だからそれを行った者だけは殺すと決めていたのだ。
「何も分からなくていい。お前には関係の無いことだし、教えてやるつもりもない。だけど私はお前を許せない。だから、こうする」
「っ!!」
マーシャが懐から取り出したのは、レーザーガンだった。
頭に狙いを定めれば、確実に人間を殺す凶器。
レーザーガンの特徴は殺傷設定・非殺傷設定に切り替えられる事だが、今回は殺傷設定、最大出力にしてある。
「さようなら」
憎悪を心に秘めながら、それでも無表情でエリオットを見下ろす。
エリオットは懐から銃を抜いて応戦しようとするが、マーシャの指が引き金を引く方が速かった。
音を立てずに頭を貫通したレーザーは、あっさりとエリオットの命を奪った。
「………………」
ふう、とマーシャはため息を吐いて、レーザーガンを懐にしまう。
やるべき事はやった。
長居は無用なので、窓からひらりと身体を投げ出す。
四階建てだが、この程度ならば問題無い。
獣のように四つ足で着地してから、マーシャはその場から立ち去った。
エリオットの部屋を含めた、屋敷のあらゆる場所に監視カメラが設置してあったが、マーシャの姿がそこに映る事は無い。
予め屋敷中の監視カメラを強制停止させてあったからだ。
屋敷を出ると同時に停止信号を解除して、再び作動させる。
いきなりエリオットの死体が映っているので、チェックした人間は驚愕しているだろうが、マーシャの知った事ではない。
「はあ……」
許せない相手だったが、やはりこの手で直接人を殺すのは気分が悪い。
どれほど憎い相手でも、この気分の悪さは変わらないのだろう。
変わるべきではないものだという事は分かっているのだが、それでもあんな外道の為に自分が落ち込むのは何だか不毛な気がして、マーシャは無理にでも元気を出そうとした。
今頃は盛り上がっているランカの屋敷に戻って、そこでご馳走をいっぱい食べて元気を出そう。
こんなものはさっさと記憶の片隅に追いやるに限る。
といっても、北部からいきなり南部に遠征してきたので、ランカの屋敷に戻るまではかなり時間がかかってしまうのだが。
大陸横断道路をかっ飛ばしても六時間はかかる。
シャトルを使えればもっと早いのだが、その場合はマーシャが南部へ来たという記録が残ってしまう。
そうなると殺した事に対する後処理が面倒だったので、敢えて利用しなかったのだ。
行きは自動運転の快速タクシーでやってきたので、帰りも同じ物を利用しようとした。
しかし少し歩いた先で、大型バイクが彼女を待っていた。
「………………」
二人乗りになっていて、後ろの席はもちろん空いている。
そして前にはレヴィが乗っていた。
「お嬢さん。よかったら乗っていかないか?」
ふざけた口調でそんなことを言うので、マーシャは軽く噴き出してしまった。
「もしかして、ずっとつけていたのか?」
それに気付かなかったのは迂闊だったが、レヴィが相手ならば腹も立たない。
「つけていた訳じゃないぞ。マーシャが居なくなったのに気付いたから、なんとなくこの辺りに居るだろうなと思って、バイクを飛ばして来たんだ」
「なるほど」
つまりマーシャの行動を見抜いた上で、迎えに来てくれたらしい。
「全部終わったんだろう?」
「一応は」
「なら帰ろうぜ」
「うん」
マーシャはレヴィの後ろに乗って、ぎゅっとしがみついた。
背中の体温が、冷え切った心を少しずつ温めてくれる。
そしてバイクが発進した。
「ひゃっほーう♪」
レヴィがかなり飛ばすので、ちょっとした絶叫マシーン並の速度になっている。
普通の人間が乗っていたら阿鼻叫喚になってしまうが、レヴィの腕を信用しているマーシャは、そのスリルを心から楽しんでいた。
「もう少し飛ばすか? 風が結構きつくなるけど」
「もちろんっ!」
「オッケー」
そしてバイクが再び唸りを上げる。
更に上がったスピードで、身体に当たる風はまるで叩きつけるかのようだったが、マーシャは楽しそうにはしゃいでいた。
大陸横断道路を走っている車の運転手がぎょっとした表情を見せてくれるが、二人は気にせず、流星のようにすいすいと追い抜いていく。
一瞬でもハンドル操作を誤れば大事故に繋がるような運転だが、レヴィはそれを鼻歌交じりにこなしていた。
この程度のスピード近くなど、スターウィンドで暴れている時に較べたら楽なものだ。
亜光速で駆け抜ける戦闘機と、時速数百キロで走り抜けるバイクを同列に扱うことが間違っているとも言うが。
六時間はかかる筈だった帰り道が、なんと二時間まで短縮されていた。
流石は『星暴風《スターウィンド》』の運転だ。
「ちなみにこのバイクはどうしたんだ?」
「ああ、駐車場にあったのを適当に借りた」
「ランカのバイクなのかな?」
「いや。彼女の父親の趣味らしい」
「そうか」
「父親が死んだ後もきちんと整備を続けているみたいだ。よく走ってくれるよ」
「だろうな」
父親の思い出の品ならば、本人が居なくなった後もまめに手入れをするだろう。
ランカはそういう性格だ。
そしてそんな大事なバイクをあっさりとレヴィに貸してくれていることからも、自分達を心から受け入れてくれているのだと分かる。
その気持ちも嬉しかった。
帰り道、レヴィは何も訊かなかった。
エリオットを殺したことを責めたりもしなかった。
もしかしたらマーシャのやることを否定されるかと思ったが、それをされなくて少しだけほっとしていた。
レヴィが止めたとしても、マーシャはエリオットを許すつもりなど無かったのだから。
そしてレヴィ自身は少しだけ複雑な心境になっていた。
自分の為にマーシャが手を汚したことは気分が悪かったのだが、同時に嬉しくもあったのだ。
「気にするな、平気だ」と言ってやるのは簡単だが、レヴィ自身、それを本心から言える自信は無い。
未だにあの記憶に苛まれる瞬間がある。
その時、自分は辛そうな顔になっているだろう。
マーシャはそれを知っている。
だから許すつもりなど無かったのだろう。
実際、エリオットが死んだことでほっとしている自分もいる。
あんな手段を取る奴がいると考えるだけで酷く気分が悪い。
死んだというのなら、ようやく安心出来る。
「………………」
よくやったとは言えないけれど、それでも感謝する気持ちは存在していた。
だから後ろからマーシャの頭を軽く撫でてやった。
「?」
マーシャはきょとんとした表情で首を傾げているが、それでも撫でられるのは好きなのでそのまま笑った。
★
それから二週間ほど、マーシャはキサラギ本家に滞在することになった。
事後処理などが残っていて大変そうだったランカをサポートする為だ。
他の人間なら放っておくのだが、友達が困っていれば手を貸すのが当然、というのがマーシャの基本姿勢なので、納得のいくまで手を貸していた。
ランカも一人では限界だと思っていたので、マーシャのサポートには心から感謝していた。
最も苦労したのはラリーへの対応だったが、それも何とかなった。
ラリー一家はエリオットが何者かに殺された、と報道で知ることになったランカだが、それについては何も言わなかった。
マーシャが犯人であると推測した訳ではないのだが、彼が死んだからといってランカには何の影響も無かったからだ。
悲しむ事も、ほっとする事も無い。
煩わしいことが一つ消えた、と思うぐらいだ。
警察の調べによると、犯人の痕跡は一つも無かったらしい。
どちらにしても、これだけのことをしでかした以上は死刑確定なので手間が省けたとレイジ・アマガセがこっそり漏らしていたのを確かに聞いたのだが、もちろん聞かなかった事にしておいた。
ヴィンセントも共犯扱いで逮捕されたが、こちらもあれだけのことをしでかしているので死刑が確定したらしい。
刑の執行はまだだが、そう遠くない内に行われるだろう。
これに関して思うところは何も無い。
人の命を軽んじるような人間は、自分の命も軽んじられて当然だ、というのがランカの考え方だ。
そして最後に残ったのが、エリオットの第二子であるオズワルド・ラリーなのだが、崩壊寸前のラリー一家は彼が継ぐ事になった。
しかしエリオット自身には彼に跡を継がせるつもりは無かったのだろう、とランカは思ってしまった。
直接対面してみると、あのエリオットの息子とは思えないぐらいに物腰穏やかな少年だったのだ。
父親にも、兄にも似ていない、少しばかり気弱な顔立ちが記憶に残っている。
金髪碧眼の少年はおずおずと年上の少女であるランカを見上げて、どうすればいいのでしょう、とお伺いを立ててきたのだ。
支配こそが我が人生、というのがラリーの姿勢だった為、これにはランカも拍子抜けしてしまった。
どうやら次期当主としての教育は何一つ受けていないらしく、これから何をするべきなのか、本当に分からないらしい。
オズワルド自身は、大人になったら系列企業で働くつもりだった為、突然の状況に理解が追いつかなかったのだろう。
一番戸惑っているのはオズワルド自身なのだと理解したランカは、仕方無く対応策を考えることにしたのだ。
オズワルドが当主になるのならば、今後のラリーは変わっていくだろう。
支配一直線だったやり方は一変して、融和路線に持っていくことも可能な筈だ。
今のラリーに残っているのは、ほとんどが武力を持たない穏健派であり、フォートレス社襲撃にも反対していた一派で、むしろ力関係が変わったランカとの軋轢を気にしている。
このまま一気に潰されるのではないかと心配していたので、ランカが次の当主にオズワルドを推薦したことでほっとしたらしい。
正統な血筋で一家を立て直せるのなら、それに越したことは無いからだ。
キサラギの受けた仕打ちを考えるのならば、このまま一人残らずラリーの血筋を途絶えさせる事も出来た筈なのに、ランカはそれをしなかった。
穏健派はそのことにとても感謝しているらしく、今後はオズワルドを中心にキサラギとの協調路線を歩んでいきたいと意思表示してくれた。
もちろんランかもそれに応じた。
キサラギからもサポート要員を派遣して、知識の足りないオズワルドにいろいろなことを教えてやるように頼んでいた。
お陰で両者の関係は良好である。
落ちついたところで今回の迎撃衛星乗っ取り、そして超長距離狙撃による大規模テロ、更にフォートレス社人質事件に関するマスコミの動きを止めさせた。
これ以上ラリーを攻撃するのは、関係の悪化に繋がると判断したのだ。
マーシャにその大半を潰されたリネス宇宙軍に関しては、どういう手段を使ったのか、完全に黙り込んでしまっていた。
マーシャはにこにこしながら問題ない、と言っていた。
どうやら何か決定的な弱みを握って、それを材料に脅迫したらしい。
リネスの管制頭脳に侵入してしまえば、どんな際どい情報でも抜き取ってしまえるので、これはシャンティとシオンの手柄だろう。
レイジも苦笑しながら、
「今回の件は君たちに対して不干渉を徹底しろと言われた」
と言って肩を竦めていた。
その上でこっそりと、
「お前さん達の技術、いくらならリネスに売ってくれる? という伝言もしておけと言われたんだが、応じるつもりはあるか?」
と、あまりやる気の無さそうな口調で問いかけたりもしたのだが、これは最初から本気ではなさそうだった。
上層部はかなり本気なのだが、レイジとしてはあれだけ徹底的に叩きのめされておきながら、まだマーシャと取引する根性が残っている事に呆れたのだろう。
いや、徹底的に叩きのめされたからこそ、その力を何としてでも手に入れたいと考えているのかもしれないが。
武力が駄目なら交渉で、と半分諦めながらも試みているのだろう。
それを聞いたマーシャは面白そうにニヤニヤしながら言った。
「リネスの国家予算ってどれぐらいなんだ?」
「……?」
公開されている国家予算額をレイジが答えると、マーシャは更に楽しそうに笑った。
「ならその倍額で技術提供に応じる、と伝えておいてくれ」
「…………伝えよう」
つまり、応じるつもりなど最初から無い、という事だ。
「それは違う。応じるつもりならあるさ。その金額を本当に用意出来るのならな」
「………………」
「その為にどれだけの犠牲を払うのか、その犠牲は国民をどれだけ苦しめるのか、それを考えた上で、それらを踏みにじってまで欲しいというのなら、くれてやる。もっとも、そんな奴らに政治家たる資格は無いと思うから、手に入れた後に引きずり下ろされると思うけどな」
「そりゃそうだ」
そんなことをやったら、真っ先にその立場から引きずり下ろされるだろう。
マーシャは試しているのだ。
自分の欲望と、統べる者としての自制と、どちらを選ぶのか、という事を。
ニヤニヤ笑いながら試している。
もちろん試すまでも無いことなのだろうが、マーシャは敢えて試している。
その反応を楽しんでいるのかもしれない。
散々迷惑を掛けられたのだから、これぐらいの意趣返しは当然だ、とでも言いたげだ。
この交渉は没だとレイジが判断してさっさと帰ってしまったので、この話はこれでお終いだった。
それからクロド・マースも問題無く釈放された。
マーシャ達に詫びと礼を言う為に食事でもしたかったのだが、マーシャは彼に興味が無かったし、レヴィが巻き込まれた事を未だに根に持っているので、レヴィが一人で会うことになった。
「今回の件では迷惑を掛けてすまなかった」
まずは出所するなりクロドが謝罪した。
自分の所為でレヴィが一時的に檻の中に入れられたのを気にしているらしい。
「いや、まあ色々と綺麗に片付いたからもういいさ。こうやってお互い無事だしな」
「そう言ってくれると助かる」
「船の方はどうするんだ? あの船は証拠品として回収されたから修理も出来ないだろう?」
「そっちは大丈夫だ。保険に入っているからな。警察から書類を提出して貰って、新しい船を調達することになっている。性能はステリシアよりも落ちるが、これは仕方無い。しばらくは無難に稼いで、それからまた改良していくさ」
運び屋としてのクロドは腕利きなので、その気になればすぐに稼げるのだろう。
それを聞いてレヴィも安心した。
「なら、これからも頑張れよ、クロド」
「おう。レヴィもあのお嬢さんを大切にしてやれ。捕まったと聞いた時は本気で怒られたからな。すげー怖かった。でもいい子じゃないか」
「ああ。そのつもりだ。つーか、やっぱり怒られたのか」
「すげー怒られた」
クロドはその時のことを思い出して、身震いした。
ものすごく怖かったらしい。
その気持ちはレヴィにもよく分かるので、慰めるように肩を叩いた。
「じゃあ、達者でな」
「おう」
こうして、クロド・マースは無事に釈放され、レヴィ達と別れた。
★
諸々の事が落ちつくと、マーシャもようやく旅支度を始めていた。
当初の目的だったフラクティール・ドライブの試運転も問題無く行えたし、その際のデータも十分過ぎるほどに取れた。
リネスで巻き込まれた事件についても十分過ぎるほどに後始末を行ったので、後は心置きなくロッティに戻ることが出来る。
そしていよいよ出発する日がやってくると、ランカはマーシャにしがみついていた。
「う~。帰したくないわ~」
「うーん……困ったな……」
ここのところ、すっかり頼りになるお姉さんっぷりを発揮してしまった為、離れるのが心細くなってしまったらしい。
よしよし、としがみつくランカの頭を撫でながら、何とか了承してくれるように宥めている。
宇宙港でこのシーンはまるで恋人同士のようだと、少しばかり複雑な心境にもなっていたが、これほどの美少女ならば血迷う女性もいるかもしれない、などと考えてしまった。
「また来るからさ。その時はいっぱい遊ぼう」
「本当に?」
「もちろん。その内ランカが長い休みを確保してくれたら、どこか旅行に行こうか。シルバーブラストに乗って好きなところに連れて行ってやる」
「本当っ!? ならロッティに行ってみたいっ!」
「ロッティに?」
「ええ。ロッティには沢山の亜人がいるのでしょう? もふもふしたいっ!」
「………………」
思考回路がレヴィと同類になっている……とドン引きしてしまったが、美少女の願いを無碍にする訳にもいかない。
「……その、相手がもふもふさせてくれるとは限らないけど、それでもいいなら」
「もちろんっ! あ、でもマーシャからも頼んでくれるかしら? 知り合いで、もふり甲斐のある人とか、居ない?」
「……居ないこともないけど」
真っ先に思い浮かんだのはトリスだった。
あの大きな尻尾を見たら、ランカは自制を失って飛びついてしまうかもしれない。
だけど亜人だけではなく、人間相手にももっと心を開いて欲しいと思っているので、ランカとの接触はいいきっかけになるかもしれないと思った。
「分かった。長い休みが取れたらロッティに行こう。私の幼なじみを紹介するよ。もちろん亜人だ。尻尾は私よりも大きいから、もふり甲斐があるぞ」
「それは楽しみねっ!」
「休みが取れそうなタイミングでメールしてくれたら、すぐに行くよ」
「そう言えば、一日で来られるんだっけ?」
「うん。新型ドライブのお陰だな。一般の実用化にはあと数年必要になると思うけど」
「実用化にこぎ着けたのはシルバーブラストだけなのね?」
「まあ、私が投資して開発にこぎ着けたものだからな。これぐらいは出資者の特権だ」
「なるほどね。でもうちにも一隻ぐらい欲しいわね。そうしたら私からもロッティに遊びに行けるのに」
「む。それは魅力的だが……。やっぱり駄目だ。一般普及する前にランカにその技術を譲ったら、きっと危ない。狙われることになる。だから必要な時には私が迎えに行くよ」
「まあ、危険は犯したくないから仕方無いわね。一般普及されたら真っ先に購入するからね。もちろん特注で。マーシャにオーダーメイドを頼もうかしら」
「そういうことなら張り切って作らせて貰おうかな。内装をリネス向きにしておくよ」
「それは楽しみね♪」
「でもそう簡単に休みは取れるのか?」
「大丈夫。いざとなったらタツミに全部仕事を押しつけていくから」
「……置いていくんだ」
折角恋人同士になれたのに、なんとも可哀想な扱いだった。
しかしタツミも最近は調子に乗りまくっているので、それぐらいはいい薬なのかもしれない。
調子に乗っている内容としては、所構わずキスしようとしたり、いきなり抱きついてきたり、押し倒そうとしたりするらしい。
最初の二つは鉄拳制裁をしているが、最後の一つは針で動きを封じた上で蹴りまくったらしい。
十六歳で押し倒されるのは流石に勘弁して欲しいというか、そもそもまだ恋人同士になってから一月も経っていないのに気が早すぎるとか、ランカにも色々と言いたいことはあるのだろう。
レヴィと再会してすぐにそうなってしまったマーシャとしては、それに対して言える事は何も無いのだが、それでもタツミの性急さには少しばかり呆れてした。
「置いていくわよっ! だって今はタツミにほとんどの仕事をサポートさせているもの。つまり私がキサラギを開ける時のカバー要員としての教育をしているところなの」
ふふん、と胸を張るランカ。
どうやら先のことまで色々と企んでいるらしい。
しかしランカのそんな企みはタツミも見抜いていて、自分の仕事を今度は別の部下に割り振って教育するように準備している。
何が何でもついて行くつもりのようだ。
そんなことを知らないランカは悪女っぽい笑みでクスクスと笑うが、知らない方が幸せだろう。
少なくとも今は。
「それじゃあ、私はそろそろ行くよ」
マーシャは背後のシルバーブラストを振り返る。
レヴィ達は先に乗り込んで、発進準備を進めているのだ。
「分かったわ。近い内にまた会いましょうね」
「もちろん。それからいつになるか分からないけど、タツミとの結婚式にも招待してくれ。楽しみにしているから」
「……結婚まではまだ考えてないし」
「そうなのか?」
「そういうマーシャは? レヴィさんと結婚しないの?」
「私は別に、結婚願望がある訳じゃないからなあ。一緒に居られればそれで満足って言うか」
「そうなんだ……」
本気でそう思っている口調なので、ランカも少し呆れてしまった。
女性にとっての結婚は一つの人生目標だと思っていたのだが、マーシャの考えは違うらしい。
「でもその内気が変わって、レヴィさんと結婚式を上げるつもりになったら是非とも呼んでね。どんなに忙しくても絶対に駆けつけるから」
「あはは。部下が悲鳴を上げそうだなあ」
「キサラギの人たちは根性があるから大丈夫よ」
「あははは……これからもっと根性が鍛えられそうだ」
キサラギの人たちに少しばかり同情してしまうマーシャだった。
「うん。その時はちゃんと招待するよ」
「約束ね」
「うん。約束だ」
そしてマーシャはシルバーブラストに乗り込んで、操縦席についた。
管制からの発進許可を待つ。
その間に、スクリーンに映るランカの姿を見ていた。
はにかみながら、それでも少し寂しそうに手を振ってくれている。
その姿を見てマーシャも少しだけ寂しくなったが、その気持ちを振り切る。
また会えるのだから、別れを惜しむのではなく、次に会える時を楽しみにしていよう。
「また会おう。絶対に」
管制の発進許可が出たので、マーシャは操縦桿を握ってからシルバーブラストを発進させた。
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