シルバーブラスト Rewrite Edition
7-7 女王と駄犬 2
それから八年。
ランカは本当に一度も会いに来なかった。
タツミは鬱病になってしまいそうなぐらいに凹んでしまい、灰色の囚人ライフになってしまった。
しかしこれはランカにとっても辛い決断だったのだ。
今回の件で痛感したのは、やはり自分自身の戦闘能力はどうしても必要だということだった。
自分を護る力、そして大切な人を護る力が欲しい。
無力な自分を殺してしまいたいほどに呪って、ただひたすらに力を求めた。
絶対的な力。
一撃必殺の刃。
護る為の、そして救う為の力。
そして強さを手に入れる為に、弱さを切り捨てようとした。
ランカにとってのタツミは、自分の弱さを増幅する存在だった。
タツミが傍に居てくれるのなら、いつだって安心出来るし、怖いものなんて何も無かった。
タツミが傍に居てくれるだけで、いろいろなことを頑張れた。
誰よりも大好きで、大切な人。
だからこそこれ以上甘えてはいけないと自制する。
もう二度と、タツミにあんな真似はさせない。
絶対に強くなる。
誰にも護られなくて済むように。
そして誰かのことを護れるように。
私は強くなってみせる。
強くなりたい。
それだけを願って、ランカは八年という歳月を過ごしたのだ。
そして彼女は自分が求めた力を手に入れた。
完全ではないけれど、あの時のような無様は二度と晒さないと誓っている。
だけど、その為に失ってしまったものも少なくはなかった。
その中でもランカに最も大きな痛みをもたらしたのは、もう二度と取り戻せない大切な友情だった。
退院してタツミの事が落ちつくと、ランカはあの事件に巻き込まれたコノハに会いに行こうとした。
まずはコノハの家に連絡を取ろうとしたのだが、今は家におらず入院していると言われてしまった。
怪我はしていない筈なのに入院しているのは妙だと思ったが、しかし庇ったつもりでも、もしかしたら怪我をさせてしまったのかもしれないと不安になった。
入院しているのはランカと同じ病院だったので、すぐに向かうことにした。
護衛がいると怖がらせてしまうかもしれないので、病院のエントランスで待って貰い、ランカは一人で面会申し込みを行い、そのまま病室に向かった。
コノハ・サクライの表示がある病室まで行き、そして深呼吸をしてから病室の戸を開けた。
入り口ではコノハの母親が出迎えてくれた。
お見舞いに来てくれた娘の友人に対して、やや複雑そうな表情をしていたが、母親はランカを中に入れてくれた。
「コノハ……?」
そして近付いて声を掛けたのだが、起き上がったまま、ぼんやりと空中を眺めていたコノハや、ランカの顔を見るなり悲鳴を上げた。
「きゃあああああああーーーっ!!!」
両手で頭を抱えながら叫び続けるコノハを見て、ランカも唖然としてしまう。
「コ……コノハ……?」
一体何がどうなっているのか分からず、ランカは恐る恐る触れようとする。
とにかく落ちつかせようと思ったのだ。
「コノハ、大丈夫? コノハ!」
「いやっ! いやっ! 怖いようっ! 怖いようっ! もうやだっ! 来ないでようっ!!!」
「コノハ!?」
コノハは酷く怖がっている。
一体何がそんなに怖いのだろう。
怖いことはもう終わった筈なのに。
ランカは訳が分からなかった。
しかし何とか落ちつかせようとランカに触れると、その瞬間に力一杯突き飛ばされた。
「いやああああーーっ!!」
「っ!?」
突き飛ばされたランカは体勢を崩して、車椅子から転げ落ちてしまう。
床に膝をついて、唖然としながらコノハを見上げる。
「怖いっ! 怖いっ! 怖いよっ!! もう止めて止めて止めて止めて止めて止めて……」
一通り叫ぶと、止めて止めてと繰り返しながら、ガタガタと震えている。
目を塞ぎ、耳を塞ぎ、世界から遠ざかるように、全てを拒絶するコノハ。
そんな姿を目の当たりにして、ランカは何も言えなかった。
動くことも忘れてしまい、ただ見上げることしか出来ない。
そんなランカをコノハの母親が抱き起こして、車椅子へと座らせてくれた。
ランカは礼を言うのも忘れて、ただ問いかける。
「あの……これは一体どういう……」
どういうことなのだろう。
どうしてコノハはこんなことになっているのだろう。
その問いかけに対して、コノハの母親や僅かに責めるような眼差しをランカに向けた。
「ごめんなさいね、ランカお嬢さん。コノハはあの事件に強いショックを受けてしまったの。警察の方々に事情を訊かれた時には、もうあんな風に事件のことがフラッシュバックしてしまって、パニック状態になってしまったの。事件について訊かれることも、その場に居たあなたが近付くことも、あの子は拒絶しているの」
「………………」
「普段は何も考えないように、ぼうっとしているの。治療には時間がかかると言われたわ」
「そんな……」
ランカはコノハを護った筈だった。
少なくとも、本人はそのつもりだった。
撃たれる筈だったコノハを身体で庇い、傷一つ負わせなかった。
だけどそれは大きな間違いだった。
身体に傷は付けなかったが、心に大きな傷を負わせてしまったのだ。
あの時狙われたのはランカで、実際に撃たれたのもランカの方だ。
コノハは肉体的には何の被害も受けていない。
しかし突然の襲撃に対して即座に覚悟の決まったランカと、そんな事を現実として受け入れる事すらも困難だったコノハとでは、状況に対する反応が違うのは当然だった。
そしてもう一つ、致命的なことを思い出してしまう。
コノハはあの時、撃たれかかっただけではなく、ランカを目の前で撃たれ、そしてその後、タツミが敵を一人残らず惨殺してしまうところも目撃してしまったのだ。
そういう現実に対する覚悟があったランカから見ても、あれは目を覆いたくなるような惨劇だった。
幼い少女の心を壊してしまっても不思議ではないぐらい、それは酷いものだった。
タツミがあんな風になったのはランカを護る為、そして救う為だった。
だからこそ、ランカのこともタツミと同じように怖がってしまうのは無理もない事なのだ。
そこまで理解したランカは、ぎゅっと唇を噛んだ。
私の所為だ。
私さえ居なければ、コノハはこんな目に遭わずに済んだ。
私が関わりさえしなければ、コノハが心を壊してしまう事もなかった。
ランカはひたすら自分を責め続ける。
俯いたままのランカに、沈んだ声が届く。
「ごめんなさい。お嬢さんがコノハを護ってくれた事は知っているわ。でも……あなたが近くにいると、コノハはずっとこのままなの。だから……」
だからもう、二度とコノハには会いに来ないで欲しい。
自分達に関わらないで欲しい、と言いたかったのだろう。
しかし言えなかった。
娘の命の恩人に対して、そこまで酷いことは言えなかったのだ。
だけど、言えなかった気持ちは、ランカにしっかりと伝わっていた。
自分はもう、コノハとの友情を求める資格は無いのだと思い知らされてしまった。
「……はい。分かっています。もう二度と、ここには来ません。コノハにも、二度と近付きません。本当に、ごめんなさい。大変な事に巻き込んでしまって……」
「………………」
責められることも、詰られることも、ランカは覚悟していた。
大切な娘をここまで壊されてしまった母親には、その権利がある。
だけどそうはならなかった。
多くの感情を抑えつけ、堪えるような表情で首を横に振っただけだった。
それはランカ自身が死にかけるほどの怪我をしてまでコノハを護ったからだろう。
ランカは何も悪くない。
それを自分に言い聞かせている。
感情を、理性で抑えつけている。
そんな母親の姿を見ていられなくなって、ランカはもう一度コノハに視線を移した。
膝を抱えて震える友達を、抱きしめて慰めてあげたかった。
手を握って、大丈夫だよと言ってあげたかった。
しかしそれはもう、許されないことなのだ。
ランカは伸ばし掛けた手を止めて、触れる寸前でぎゅっと拳を握りしめた。
涙を堪えて、そして友達だった女の子に最後の言葉を告げた。
「ごめんね」
巻き込んでごめんね。
怖い思いをさせてごめんね。
こんなにも傷つけてしまってごめんね。
たった一言の「ごめんね」には、多くのものが込められていた。
ランカはそのまま車椅子を反転させて、母親に一礼してから、のろのろと病室から出て行った。
「うっ……うぅぅ……」
弱さは捨てると決めた筈だった。
一人きりでも強くなると、その為にタツミとも会わないと決めたのに。
だけど自分はまだ、こんなにも弱いままだ。
大切な友達を傷つけて、それでも一人が寂しくて、耐えられないと泣いてしまう。
きっと、この心が邪魔なのだ。
強くなる為には、寂しくても平気だと言えるぐらい、強い心を持たなければならない。
だけど、それでも辛かった。
友達の傍に居られないのも、一人きりでこれから強くなろうとすることも、とても辛かった。
「うぅぅ…………」
今だけは泣き続けよう。
そしてこれを最後の涙にしよう。
強くなる。
一人でも、強くなってみせる。
タツミの事も、友達のことも、何も求めない。
ただ、強さだけを求める。
そして八年後にタツミと再会した時に、胸を張って言うのだ。
私は、強くなったと。
今度は自分が護ると、堂々と言うのだ。
最後の涙を拭ったランカは、その日からあらゆるものを切り捨てて、そしてその誓い通りに強くなるのだった。
「………………」
懐かしい夢を見た気がする。
ランカは本家の寝室で目を覚まし、薄暗い室内でゆっくりと起き上がる。
タツミとマーシャを見送ってから二日が経過している。
まだたった二日なのに、とても寂しいと感じてしまう。
切り捨てた筈の弱さを実感してしまい、ランカは苦笑する。
タツミと再会するまでは、あらゆるものを切り捨てて強くなろうと決めた。
そして再会してからは、少しずつ取り戻していこうと決めていたのだ。
取り戻したものを護りきれるぐらいに強くなれたのなら、その時初めて自分はそれを求めることが出来るのだと思っていたから。
本当に少しずつ求めて、そして取り戻していくつもりだった。
だけどタツミが戻ってきてから、それは恐るべき速度でランカの手元に溢れてきたのだ。
それはランカの心が追いつかないぐらいの勢いで、彼女自身に襲いかかってくる嵐のようなものだった。
告げることは無いと思っていた恋心も。
そして不思議なぐらい自然な気持ちで出てきた「友達になって」という言葉も。
八年間、自分から一度も求めたことの無い絆を、マーシャと出会ってすぐに求めてしまった。
自然な口調で、自分でも驚くほどにすんなりと、そう言葉にしていた。
言った自分が一番驚いた。
マーシャも驚いていたが、彼女は友人としてとても魅力的な女性だった。
三つも年上だとは信じられないぐらいに可愛らしくて、幼い部分がある。
とても強くて優しくて、傍に居るだけでとても楽しい気持ちになる。
彼女と友達になっても失う心配はしなくて済む。
それだけの安心感があった。
また会いたいと、心から思う。
一緒に遊んで、はしゃいで、そしてまた温泉に入りたい。
あの可愛らしいもふもふにもっと触れさせて欲しい。
「うぅ……」
そして同時に思い出すのは、忘れようも無い唇の感触だった。
いきなりのキス。
驚いたと同時に、激烈な怒りが込み上げてきたのだが、それでも嬉しかった。
タツミが自分と同じ気持ちを抱いてくれている、という事がとても嬉しかったのだ。
きっと、今度こそずっと傍に居てくれる。
殴ってしまったけれど、それぐらいは構わないだろう。
その程度のことで、今更嫌われるとは思わない。
……むしろ殴られることを喜んでいたような気がするのがかなり恐ろしい。
あの時言いかけた言葉はまだ伝えられないけれど、でも帰ってきたらもう一度挑戦してみよう。
いや、すぐに好きだと言うと調子に乗ってしまうかもしれない。
もう少し怒ったままの方がいいかもしれない、と思い直す。
だけど、言ってしまいたい。
「うーん……」
どちらにしようか、本気で悩んでしまう。
薄暗い室内で、恋する少女はひたすらに悩み続けた。
最後に一言、旅立った彼らに向けて笑顔で呟いた。
「無事に戻ってきてね」
事件の証拠を掴めなくても、それはそれで構わない。
無事に戻ってきてくれれば、それだけで十分だったのだ。
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