シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

5-7 加速の先にある世界 4


 翌朝。

 この家の誰よりも遅く寝た筈なのに、誰よりも早く起きることになった。

 みんなが起き出す頃に朝食を作り終えておく必要がある。

 台所に行ってから朝食を作る。

 まだ眠気は覚めなかったが、動いている内に少しずつ頭がハッキリしてきた。



「ふう……」

 朝食を作り終えると、今度はシンフォを起こしに行く。

 あどけない表情で眠るシンフォは子供のようで、起こすのが忍びなくなってしまうが、栄養を摂らせる必要があるので、ひとまず身体を揺さぶる。

「シンフォ。起きろ」

「………………」

 起きない。

 まだぐっすり夢の中だ。

「シンフォ。起きろ」

 再び呼びかける。

 今度はわずかに反応があった。

「……うえふぉにゅわ?」

「……意味不明だな」

 ぼんやりとした瞳で見上げてくるシンフォ。

 まだ俺がここにいるということを認識していないらしい。

「朝だぞ。起きろ」

「……おふぁようごじゃいまふ」

「まだ意味不明だな」

 恐らくは『おはようございます』と言っているのだろう。

「朝食が出来ているから起きて食べるといい」

「っ!」

 反応は劇的だった。

 ぼんやりとしていた瞳はしっかりと開き、身体はしゃっきりと起き上がる。

「ごはんっ!」

 ぐぎゅるるるるるる……



「………………」

「………………」

 起き上がると同時に盛大な腹の虫が空腹を主張した。

 この上ない明確さを伴った主張だった。

「あ……う……」

 真っ赤になるシンフォ。

 かなり恥ずかしそうだ。

 聴かなかった振りも出来ないぐらい近くで耳にしてしまったので、誤魔化すことも出来ない。

「……早く食べろ」

 ぽんぽんとシンフォの頭を撫でておく。

 誤魔化すことは出来ないが、慰めることぐらいは出来る。

「……はい」

 しょんぼりしながら起き上がるシンフォ。

 台所の隣に設置してあるカウンターダイニングへと向かった。



「美味しいっ!!」

 そして恥ずかしさはどこかに消えたようで、輝く表情で俺が作ったサンドイッチを頬張っている。

 シンフォの口に合ったようで、大喜びで食べてくれている。

 ここまで喜んで貰えると、作った側としてもかなり嬉しい。

「それは良かった」

 シンフォは小柄な割には健啖なようで、あっという間に一人前を平らげてしまった。

「………………」

 そしてじーっと注がれる視線。

 俺が食べているサンドイッチに熱視線を送ってくる。

「………………」

 譲ってオーラがバリバリ出ている。

「………………」

 俺は無言で自分の皿をシンフォの方へと押しやった。

「ありがとうございますっ!」

 女性でここまで遠慮しない相手というのも珍し……いや、マーシャとシオンもこんな感じか。

 最近はこういうのがスタンダードなのかもしれない。

 かなり恐ろしいスタンダードだが。

 幸い、材料の買い置きはまだある。

 これでも足りるかどうかは怪しいのだが、ひとまず追加を作るとしよう。







「「ご馳走様でしたっ!」」

「ああ」

 そして二人揃って俺の作った食事を平らげてしまう。

 あの後すぐにゼストが起きてきて、俺の作ったサンドイッチを大喜びで食べていた。

 俺が食べる分が無くなるぐらいの勢いで食べたので、俺自身はゼストの買い置きであるインスタント食品で補うことになった。

 ……微妙に理不尽だ。

 しかしまあ、大事な本番を控えたレーサーと、それを支える整備士の為ならば仕方ないと諦めるのが無難だろう。

「いや~。本当に美味しかったですねっ!」

「言えてる。オッドは料理人なのか?」

「いや。料理は片手間でやっているだけだ。本職は砲撃……というよりも雑用だな」

 砲撃手と言いかけたが、少し物騒なので思いとどまった。

「そりゃすごい。レストランでも開ける腕前だぞ」

「そうですね。是非とも将来的には考えてもらいたいところです」

「……考えたとしてもこの星で開店することはないと思うぞ」

「………………」

「………………」

 あからさまに不満そうな顔をしないでもらいたい。

 元よりこの星の住人ではないのだからこれが当然の筈だ。

「今回はシンフォが食事を忘れそうなほどに危なっかしかったから、特別に面倒を見ただけだ」

「なるほど」

「そういうことですか」

 うんうんと納得する二人。

 何故か嫌な予感がするのだが……

「オッドさん。私、今後も食事を忘れそうですっ!」

「そうだな。俺もシンフォの機体の整備をしている内に、食事が不安定になりそうだっ!」

「………………」

 清々しいまでのまかない要求だった。

 遠慮などどこにも存在しない。

「まあ、シンフォの次のレースが開始されるまでは構わない。結果を見届けたらマーシャ達と一緒にこの星を離れるから、それまでで良ければ面倒を見る」

「やった~っ!」

「よっしゃっ! むしろうちの専属シェフとして雇われないか?」

「それは遠慮しておく」

「……残念だ」

 本気で落ち込むゼストを見て、やや引いた。

 そこまで執着するとは、一体どれだけ酷い食生活だったのだろう。

 俺の腕は並程度だと思うんだがな。



 食べ終わるとシンフォはシャワーを浴びていた。

 昨日はそのまま眠ってしまったので、身体が汗でベトベトしている筈だ。

 それを許容出来るのは女性としてどうかと思うが、何かに熱中している人というのは案外そういうものなのかもしれない。

 ゼストもシンフォにシャワールームを貸すことに異論はなかったようだが、困ったことに女性用の着替えなどが存在しなかった。

 タオルにしても男の一人暮らしがずっと使っていて、しかもまともにたたまれていないものを使わせるのは気が引けた。

 幸い、シンフォは長風呂のようなので、マーシャに連絡を取って、ここに向かってくる途中に必要なものを買ってきてくれるように頼んでおいた。

 流石に女性用の下着や衣類などを俺が買いに行くのは抵抗がある。

 同じ女性であるマーシャの方がまだハードルは低いだろう。



 その間に俺はもう一度買い物に出た。

 シンフォの着替えではなく、新たな食材を買い足す為だ。

 あの二人の食欲をかなり甘く見ていた。

 俺の見込みよりも遙かに食べる。

 マーシャぐらいの食欲を発揮しているので、それを基準にして材料を用意した方がいいだろう。

 かなり大量に買い込んでから、冷蔵庫いっぱいに詰め込む。

 酒しか入っていない癖に、冷蔵庫の容量だけはかなりのものだった。



 それからマーシャがやってきて、シンフォの分の着替えとタオルを持ってきてくれた。

「ありがとう。助かる」

「気にするな。私も熱中していると入浴を忘れることもあるしな。シンフォにはちょっと親近感を覚えるよ」

「………………」

 それもどうかと思う。

「駄目だ駄目だ駄目だっ! そんなことをして俺のもふもふが荒れたりしたら大変じゃないかっ!」

 そしてレヴィがアホな理由で憤っている。

 もう少し女性らしい理由を責めたらいいのに、と思わなくもない。

 しかしレヴィに対してそれは愚問なのだろう。

「それよりもオッド」

「どうした?」

「私達はオッドのご飯が恋しいぞ」

「……それは、すまん」

 そこまで恋しがられても困るのだが、雑用担当としては、本来の雇い主であるマーシャをほったらかしにしていることに対して罪悪感があったりもする。

「という訳で今日は手作り昼食を所望する」

「え……」

「大丈夫だ。必要な設備はこっちで準備した」

「準備って……」

「昨日の練習場にはキッチン付きトラックを運び入れてある」

「………………」

 準備が良すぎる。

「いつの間に練習場まで行ってきたんだ?」

「うん? 自動運転設定だぞ」

「そうか……」

 確かに目的地を設定すれば自動運転でも可能だが、そこまでするか。

「材料もぎっしり詰め込んであるから、オッドの好きな物を作ってくれ。もちろん私達の好きな物も大歓迎だ」

「……分かった」

 そこまで準備されておいて断るのも気が引けるというか、無理だった。







 それからシンフォと一緒に練習場まで向かう。

 今度は三機ではなく二機で向かう。

 俺が飛翔を見せる必要がなくなったので、シンフォと、後は全員が乗れる機体があれば十分だったのだ。



 練習場は相変わらず閑散としている。

 そしてシンフォはすぐに飛び始めた。

 俺もそれを見続けていたいのだが、食事の準備に追われる羽目になっている。

 健啖タイプが最低でも二人いるので、量を作らなければならない。

 そして設備もあるので、手抜きをする訳にもいかない。

 風で身体が冷えるので、鍋物にすることにした。

 材料もちょうど揃っているので、問題無いだろう。

 材料を切って下処理をする。

 肉類は臭みを取って、更に下味を付けておく。

 ついでに熟成室に放り込んで、ある程度熟成させておく。

 短時間で熟成出来る新型のコンパクト熟成室なので、エイジングミートを作るにはかなり便利かもしれない。

 このコンパクト熟成室は通常の設備ではなく、マーシャが追加料金を払った分だろう。

 設備の整い具合からしてかなりの値段がした筈だが、彼女の懐はまったく痛んでいないのかもしれない。

 いや、確実に痛んでいない。

 リーゼロックの財力も含めると、マーシャの懐具合は天井知らずだ。

「まあ、ここまで設備が整っていると俺も楽しいけどな……」

 限られた環境下よりも、思う存分腕を振るえる状態の方が楽しいことは確かだ。

 いろいろなことにチャレンジ出来るというのは、心弾むものがある。

 料理が趣味という訳ではないが、その内趣味になるかもしれない。

 最近はそれなりに楽しいと思い始めているし。

 大きな鍋に出汁を取っていく。

 合わせて六人なので、大きめの鍋で囲めば十分だろう。

 六人掛けの折りたたみテーブルまでトラックに入っているし。

 準備が良すぎる。



 一通りの準備を終えて、鍋に蓋をする。

 後は食べる前に火を入れるだけだ。

 シメ用の麺類も準備したので、これで俺の仕事は完了だ。

 後は安心してシンフォを眺めることにしよう。



 シンフォは気が済むまで飛んだのか、生き生きした表情で戻ってきた。

「凄いですっ! シャンティくんとシオンちゃんに弄ってもらった後、反応速度が劇的に向上しましたっ!」

「えっへん。もっと褒めていいよ~」

「褒め殺し大歓迎ですです~」

 子供達二人はかなり得意気だ。

 確かに得意気になってもいい部分なのだが、調子に乗せると厄介そうなのでこれぐらいにしておいて貰いたい。

「良かったな」

 シンフォの飛翔は俺が見ても滑らかなものだった。

 自分の飛びたい『道』を思う存分飛んでいる。

 危険と隣り合わせの操縦だが、その恐怖に打ち勝ったシンフォはこれから劇的に変わっていくだろう。

 ただし、彼女の真似をする操縦者が現れる心配も残るが。

 そこはもう仕方のないこととして諦めるしかないだろう。

 人前で飛ぶ以上、それを模倣しようとする人が現れるのは避けられないのだから。

 その後のことは自己責任にしてもらうしかない。

「はいっ! これで思う存分飛び回れますっ!」

 シンフォは本当に嬉しそうだ。

 こうやって無邪気に笑っている姿こそが彼女本来のものなのだろう。



 そろそろ昼食時なので、用意していた鍋を振る舞う。

 時間を見計らって火を通し、全ての具が食べられる状態になっている。

 テーブルに用意した鍋の蓋を開けると、ほかほかとした湯気が上がる。

「うわあ~っ! 美味しそうですっ!」

 シンフォが大喜びしている。

 ここまで喜んでくれると、俺としても作った甲斐があったと思える。

「流石オッドだな。いい匂いだ」

 マーシャもくんくんと鼻をひくつかせている。

 犬っぽい。

 口にしたら怒られそう……もとい殴られそうなので言わないが。

「………………」

 レヴィの方は鍋よりもマーシャの尻……もとい尻尾が密かに揺れているのを観察している。

 微妙に腹立たしいのは何故だろう。

「もうお腹空いちゃったよ~」

「早く食べたいですです~」

 食べ盛りの子供達二人は既に待ちきれないようだ。

 じたばたしながら食べるのを待っている。

 六人でテーブルを囲んで、屋外で鍋を楽しむという一風変わった昼食になるのだった。

「いよいよ明後日が本番レースだが、大丈夫か?」

 練習を重ねているが、本番も近付いている。

 シンフォの飛翔はほぼ完璧に近いものだが、本番のコンディションや緊張感まではこちらでなんとか出来るようなことではない。

「はい。大丈夫です。ゼストさんもきっちり整備してくれますし。オッドさんのお陰で飛び方も分かりましたし、シャンティくんやシオンちゃんに弄ってもらったお陰で反応速度のタイムラグも無くなりましたし。マーシャさんが居てくれるお陰で金銭面の心配が要らなくなりましたし。今は絶好調ですっ!」

「わはは。悪いな~。俺だけ何もしていなくって」

 レヴィが気まずそうに頭を掻く。

 確かに彼だけ何もしていない。

 マーシャの隣でデレデレしているだけだ。

 といっても、レヴィが本気で活躍するような時は来ない方が平和でいいのだが。

「い、いえっ! すみません。そんなつもりじゃなかったんですけど……」

「いいっていいって。確かに俺は何もしていないしな~。でもシンフォの応援はしているから頑張れよ」

「はい。頑張りますっ!」

 頷きながらも鍋の具を頬張るシンフォ。

 かなり健啖だった。

「もぐもぐ。美味しいな~。まあ今回のレースがラストチャンスで、私はシンフォにある程度の大金を賭けるから、その利益分を今後の活動資金にするってことで。厳しい条件ではあるけど、シンフォなら出来るさ」

「ありがとうございます。スポンサーは見つからないかもしれませんが、今となってはその方がいいかもしれません。飛び方を指定されたり、機体を自由に弄れないのは、やっぱり嫌ですから」

「その気持ちは分かる。自分の命と運命を預ける機体なんだから、思い通りに動かしたいよな」

「マーシャさんにもそういうのがあるんですか?」

「もちろん。だから私の宇宙船は自分で造ってメンテナンスしているし、レヴィの戦闘機だって彼の希望を可能な限り聞き入れて改良しているぞ」

「へえ~。というか、開発や改良もするんですね」

「もちろん。といっても、実際の作業はオートマトン任せだけどな。精密作業は人の手よりも機械任せの方が正確だし手も早い。まあ、高性能な機械に限るけどな」

「なるほど~」

「もちろんゼストみたいな職人の手も貴重だ」

「はい。ゼストさんはいい整備士だと思います」

「うん。いい手をしていた」

 いい整備士というのは手を見れば分かる。

 どんな手をしているかで、大体のレベルが分かってしまうのは、どんな風に手を使うかを俺たちが理解しているからだろう。

「活動資金があれば無理にスポンサーについてもらう必要もないんだよな?」

「はい。今の私のスポンサーに付こうという人も居ないかもしれませんけど」

「結果を出したら殺到するかもしれないぞ」

「かもしれませんね。私を自由に飛ばせてくれる人がいれば、それもいいかもしれませんけど。企業利益が絡むとそれも難しくて。それにスポンサー企業は大体がスカイエッジの製造メーカーなので、きっとこのグラディウスは使わせて貰えませんね。それは困るんです」

「なるほど。そういうことか」

 マーシャがニヤリと笑う。

 きっと悪巧みを思い付いたのだろう。



 それからシンフォの練習と機体の微調整にシャンティとシオンが付き合ってから、その日は終了となった。

 機体の整備を万全にする為、明日は一日中ゼストがつきっきりで整備することになっているので、練習はこれでお終いだ。

 当日のコースはまるで違うものになるかもしれないが、シンフォなら大丈夫だろう。

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