シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

5-1 オッドさんの怒り 3


 そしてオッドの部屋にはレヴィとマーシャ、シオンが残された。

「ああ、怖かった。オッドがあんなに怒ったところは初めて見たぞ、俺」

「私もだ……。あんなに怖いとは思わなかった」

 レヴィとマーシャはビクビクした表情でカップラーメンをすすっている。

 ちなみにレヴィがカレー味、マーシャがシーフード味だ。

 そんな二人をシオンが気の毒そうに眺めている」

「大変でしたね~」

「……元はといえばシオンも原因の一人じゃないか」

 気楽そうに言うシオンを恨みがましそうに睨むマーシャ。

 シオンが服をはだけたまま押し倒されたりしなければ、あんな誤解をしなかったのだ。

 もちろん、その後に面白がってからかおうとした自分達が悪いことぐらいは自覚しているが、それでもシオンだけがのんびりとした態度でそれを眺めているというのはなんとなく腑に落ちないものがあった。

「あたしはただオッドさんに助けて貰っただけですよ~。笑いものにしたマーシャ達が悪いですです」

「それを言われると辛いなぁ。あまりにも面白かったからつい……」

「まあ、オッドさんはあたしには興味無いみたいですから、あんまりからかわない方がいいですよ」

「そうなのか? じゃああの状況は何だったんだ?」

 怒れるオッドに圧倒されて、どうしてあんな状況になったのかを理解していないマーシャは、今更ながらそんな質問をした。

「あれはですね~。実はかくかくじかじかで……」

 シオンはオッドとの間に何が起こったのかを説明した。

 そしてマーシャとレヴィはマジマジとシオンを見る。

「オッドじゃなくて、シオンの方が誘惑していたのか……」

「シオンはオッドが好みなのか?」

 まさかシオンの方から色仕掛けを行ったりしていたという事実に驚く二人。

 おじさん趣味なのだろうか。

「オッドさんは格好いいと思うですよ。でもまあ、ご飯はいつでも作ってくれるみたいですし、無理に誘惑する必要は無いって分かったですです~」

「……食い気か」

「まあ、シオンは子供だしなぁ」

 結局のところ、ご飯を作って欲しいからという理由で恋人に立候補しようとしたらしい。

 理由があんまりだが、子供ならこんなものだろうと諦めがつく。

 むしろそんな理由で誘惑されようとしていたオッドの方が哀れだ。

 それをネタにからかったのだから、あれほどまでに怒るのは理解出来る。

 理解は出来るが、怖いのでもう怒らないで欲しいとは思うのだが。

「結局オッドさんには振られちゃったですよ~」

 振られたという割には全くショックを受けていない様子のシオンだった。

 食事さえ作って貰えればそれでいいのだろう。

 それは恋愛感情とは言わない。

 微笑ましい子供らしさだが、それが原因で怒られたマーシャとレヴィにとっては複雑な心境になるのだった。

「あーあ。こんなんじゃ全然足りねーよ」

「私もだ。しかし今のオッドに作ってくれと言う度胸は無いなぁ……」

「じゃあマーシャは何か作れるか?」

「味の保証をしなくていいのなら頑張ってみるが?」

「……やめておく。不味いと言ったら殴られそうだし」

「殴らない。もふもふを禁止するだけで」

「それだけは勘弁してくださいっ!」

 アホなやりとりだった。

「二人とも、無理にここで食べなくても、外で食事をすればいいだけだと思うですよ」

「それもそうか」

「まあ、そうだな。シオンはお腹空いていないか?」

「あたしはオッドさんにパスタを作って貰ったから大丈夫ですです」

「え……」

「え……」

「とっても美味しかったですです~」

「………………」

「………………」

 自分達はカップラーメン。

 シオンは手作りパスタ。

 そんな事実をかみしめて、目頭が熱くなる二人合った。

 しょっぱい水が流れてくる前に、ラーメンの汁をすする二人。

 実に切ない気分になるのだった。

 胃袋管理人の機嫌を損ねたらしょっぱい気持ちを味わうことになるので、今後は気をつけたい。

「ねえ、レヴィさん。ちょっと訊いてもいいですか?」

「ん? シオンが俺に質問とは珍しいな。俺に答えられることなら構わないけど、何だ?」

「オッドさんの寝顔が気になるですです」

「は? 寝顔?」

「はいです。あたしはお腹が空いてオッドさんの部屋に来たんですけど、その時のオッドさんはソファの上で眠っていたですよ。上に乗っかって起こそうとしたんですけど」

「上に乗っかったのか……」

 少女がいきなり自分の上に乗ってきたら、オッドはさぞかし驚いたことだろうと同情するレヴィだった。

「寝顔が不思議だったです」

「不思議?」

「なんだか嬉しそうだったり悲しそうだったり、泣きそうだったり。いろんな風に変化するですよ」

「そりゃあ嫌な夢を見ていたり嬉しい夢を見ていたりしたら、表情の変化ぐらいはあるだろう」

「それはそうなんですけど。でも起きているオッドさんはほとんど表情が変わらないじゃないですか」

「確かにな」

「オッドはクールだからな」

 女性ならばクールビューティーというところだろうか。

 とにかく冷静でぶれない、落ちついた大人の男性というイメージがあるのだ。

 ……先ほどまでのオッドはその逆だが。

 しかしあれはより恐ろしい。

 落ちついているように見えて凶悪なことを表情一つ変えずにしてくるのだから。

 あれならば怒り狂って叫んでくれた方がまだマシだ。

「だから、寝ている時にあんな辛そうな表情をするのが気になるですよ。それって、起きている時はいっぱい我慢しているってことじゃないですか?」

「いや、そうじゃない。オッドは元々ああいう感じだぞ。眠っている時に表情が変わるのは、きっと嫌な夢でも見ているんだろう」

「嫌な夢?」

 シオンが更に食いついてくる。

 好奇心というよりも、オッドを本気で心配しているのだろう。

 しかしオッド自身が話さないことを、レヴィの一存で教える訳にもいかない。

 しかし本気で心配してくれているらしいシオンに対して、いい加減なはぐらかしもしたくなかった。

 子供であっても、シオンは大切な仲間であり、家族でもある。

 出来る限り誠実に対応したい。

「俺もオッドも、それなりに嫌な経験をしてきているからな。忘れようとしてもなかなか忘れられない。だからあまり気にするな」

「嫌な経験、ですか」

「そうだ。経験だよ。つまり過去。変えようと思っても変えられない。経験した以上は、記憶に焼き付いている。それは一生折り合いを付けていかなければならない問題なんだ」

「一生……? 辛い記憶を一生抱えていくんですか? ナギくんみたいに記憶を消したら駄目なんですか?」

「それは駄目だ」

 嫌な記憶なら消してしまえばいい。

 シオンは単純にそう考えている。

 しかしあれはナギだったから出来たことなのだ。

 他の人間の記憶はそう簡単には消せない。

 消せるからこそ、消してはいけない。

「マーシャ?」

「シオン。確かに嫌な記憶は消せる。今はそれだけの技術がある。だけど、人間が生きていく上で、記憶という経験はとても大切なものなんだ。それがどれだけ辛いものであっても、忘れたいものであっても、そう簡単に消していいものじゃないんだよ」

「でもナギくんは?」

「ナギの記憶は本人のものじゃないからな。本人の記憶ならどれだけ辛くても抱えて、向き合わなければならない。だけど本人のものじゃない記憶で辛い思いをしたりするのは間違っているだろう? だからナギの記憶は消せたんだ」

「なるほど。そういうことですか」

「そういうことだ」

「じゃあ、自分の記憶なら辛いことでも向き合っていかなければならないってことですか?」

「そういうことだな。まあ、全ての人間がそれを実践出来ている訳ではないが」

「そうなんですか?」

「あまりにも辛い記憶だと、自分自身で忘れてしまったりすることもあるからな。後は人格が歪むほどに酷い記憶だと、医師の判断で消去したりすることもある」

「ん~。酷い記憶なら消去してもいいなら、オッドさんの記憶も消去していいんじゃないですか? 基準がよく分からないですよ」

 シオンは難しそうな表情で考え込んでいる。

 確かに難しい問題だろう。

 消していい記憶と、消すべきではない記憶。

 それはあくまでも持ち主や周りの人間の主観に依るところが大きいのだから。

「確かに難しい問題だけどな。オッド自身は記憶を消されることを望まないだろうから、そこは考えなくていいよ」

「そういうものですか?」

「そういうものだ。それにこの手の問題に正しい答えは無いからな。ただ、簡単に判断したらいけないことだという部分だけ理解してくれればいい」

「でもそれだったらずっと辛いままじゃないですか?」

「そんなことはないさ。あいつ、ちゃんと笑っていたんだろう? 悲しい顔だけじゃなくて、笑顔になった時もあったんだろう?」

「そうですけど……」

「だったら大丈夫だ」

「う~」

 大丈夫だと言われても納得は出来ないのだろう。

 不満そうなシオンの青い頭をそっと撫でるレヴィ。

 オッドを心配してくれるのは嬉しいが、夢の中で蘇る以外は乗り越えた問題だと思っているので、そこまで気にする必要は無いと考えている。

「過去は変えられない。でも嫌な思い出は幸せな思い出で上書きすることが出来る筈なんだ。これから先、オッド自身が幸せだと思えることがもっと増えれば、あの過去は消えなくとも、悲しい顔や辛い顔をすることはぐっと少なくなる筈だ」

「さっきは幸せとは対照的な顔をしていた気がするですけど」

「わははは。まあ、あれは俺たちが悪いな」

「うん。反省してる……」

 ビクビクしながら頷くマーシャ。

 オッドを怒らせるとレヴィが首を絞められるだけではなく、食事まで侘しくなってしまう。

 これは大問題だった。

 食事のグレードが下がると、幸せのグレードまで下がってしまうような気持ちになってしまうのだ。

 これからはなるべくオッドを怒らせないようにしようと心に決める二人だった。

「でもオッドさんって、何に幸せを感じているですか?」

 きょとんとなりながら言うシオンに、レヴィも返答に困ってしまう。

 腕を組んで考え込んでみる。

「それが結構謎なんだよな。見たところ、女に興味が無いって訳じゃない。でも特定の誰かを気にしている風でもない。趣味があるようにも見えないしなぁ」

「強いて言うなら料理が趣味か?」

「あれは趣味というよりは俺たちの面倒を見てくれているだけという気もしてくるしなぁ……」

「確かに。見ていられなかったんだろうな」

「まあ、助かってるけど。オッドの料理は日々成長していて、ますます美味くなってるし」

「確かに。この調子で腕を上げていけばレストランでも通用するんじゃないか?」

「それどころか店を開けるかもな」

「あ、いいかも。その時は私が出資しようかな」

「その時は頼むぜ。それにしても、うーん。オッドの幸せかぁ。やっぱりすぐには思い付かないな」

 長年一緒にいる相棒的存在ではあるのだが、レヴィはオッドについてそんなことも知らなかった。

 そんなことも知らなかったという事実に、少しばかり凹んだ。

 今までそれを考えようともしなかった自分が腹立たしい。

 オッドに支えられていることを自覚しているだけに、オッドを支えられない自分がもどかしいのだ。

 彼の為に、自分は何をしてやれるだろうか。

 それが分からないことがもどかしい。

 いっそのこと本当にロリコンであってくれたのなら、全力でシオンとの仲を応援するのに、などということも考えてしまう。

「私に分かるのは、オッドの最優先順位がレヴィであるということだけだな。彼はレヴィが傷ついたり死んだりすることを恐れている。レヴィが仲間を失うことを恐れているのと同じようにな」

「そうなんだよな。俺のことを大事にしてくれるのは嬉しいんだけど、もうちょっと自分のことを考えて欲しいっつーか。でも今のオッドにそれを言っても伝わらないんだよな」

「何度か言ったのか?」

「言った。そんでもって返ってくる言葉はいつも一緒。『これは俺が望んでやっていることですから』だとさ」

「……自分の意志と言われると弱いな。こっちが口出し出来なくなる」

「そうなんだよな~。だから問題なんだけどさ」

「そうだな。ああいうタイプにはそれ以上は言うだけ無駄だからな。自分自身に誓ったことを曲げろというようなものだし」

「そりゃ簡単には曲げられねえよな」

「その通りだ」

「いっそのことそれが恩義や忠誠心ではなく、恋愛感情だったら話はシンプルになるのにな」

「怖いことを言うなよっ!」

 身震いしながら叫ぶレヴィ。

 ロリコンならば生暖かい目で見守ることも出来るが、同性愛者だと自分の身が危険に晒されてしまう。

 しかも体格差からしてレヴィが受けだ。

 冗談ではない。

「まあ、それは私も困る。オッドが相手だと嫉妬しづらいからな」

 真面目に考えるのも止めて欲しい。

「だからそっち方面で話を広げるのはやめてくれ……」

「オッドにとってはレヴィが幸せで居てくれることが一番望ましいんだろうけど、レヴィはそれだけじゃ嫌なんだろう?」

「当たり前だ」

「オッドにはオッド自身の幸せを求めて貰いたいってことだな」

「そういうことだ」

「難しいな。あいつ、変な部分で俺に似ているし」

「頑固な部分でな。それで私も苦労させられた」

「今はラブラブだけどな~」

「そうだな。でも尻尾に触りながら言うな。いろいろ台無しだ」

「え~。いいじゃないか。幸せだし」

「………………」

 むくれながらもマーシャは肩を竦めている。

 レヴィの性癖については諦めているようだ。

「ん~。オッドさんはいろいろと難しそうですね……」

 シオンはそんな二人を見つめながら一人で考える。

 同じ過去を共有していても、レヴィは幸せそうで、オッドはそうではない。

 だったら二人の違いは何だろう。

 レヴィにはマーシャがいる。

 しかしオッドにはその相手が居ない。

 恋人が出来ればオッドも幸せになれるのだろうか。

 そんなに簡単な問題ではないことは分かっているつもりだが、だからといってどうすればいいのか、シオンにはまるで分からない。

 ただ、みんなが幸せであればいいと思う。

 大好きなマーシャも、レヴィも、シャンティも、シオンが見る限りはみんな幸せそうに思えるのだ。

 レヴィと一緒に居るマーシャはほんわかしていて、見ていて嬉しくなる。

 マーシャにもふもふしている時のレヴィはだらしなく緩みまくった表情になっているが、全身から幸せオーラが出ている。

 電脳魔術師《サイバーウィズ》としてのスキルにますます磨きをかけているシャンティはいきいきとしていて、やっぱり日々を楽しそうに過ごしている。

 シャンティのことを考えると、幸せになるには必ずしも恋人が必要な訳ではないらしい。

 シオン自身も、今は楽しくて幸せだと思う。

 それなのに、オッドだけがそこから外れている。

 幸せそう見える時もある。

 レヴィが幸せそうにしている姿を見守っている時のオッドは、それなりに幸せそうな空気を出している。

 しかしオッドが一人でいる時は、寂しそうで、辛そうで、見ていられなくなる時がある。

 眠っている時など、特にそうだ。

 夢を見ているから仕方がないのかもしれないが、起きている時も時折その記憶に苛まれるのならば、やっぱり全体的には幸せではないのかもしれない。

 みんなが笑ってくれればそれだけで十分なのに、それだけのことがとても難しい。

 どうすればオッドにも幸せになって貰えるのか。

 長年一緒に居る筈のレヴィや、とても頭のいいマーシャが頭をひねっているのに全く思い付かないのだ。

 シオンが何かを考えたところで、妙案が思い浮かぶ筈もない。

「うーん。とにかく行動が大事ですです」

 考えるよりも行動することが大事だと、シオンは決意する。

 オッドの為に、彼が少しでも哀しい顔をしなくて済むように、シオンは自分に出来ることをしようと決めた。

 やっぱりみんなが笑ってくれている方が嬉しい。

 それにあんな顔を見てしまった以上、放っておけなくなってしまったという気持ちもある。

 これまではそこまで深く関わってこなかったが、もう少し深く踏み込んでみる勇気が必要になるだろう。

 レヴィとマーシャはシオンのそんな幼い決意を温かく見守る。

 シオンの行動が何かを変えるとは限らない。

 しかしなんらかのきっかけにはなるかもしれない。

 そうなるといいなという願いがレヴィの中には存在していた。

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