シルバーブラスト Rewrite Edition
5-1 オッドさんの怒り
最初に襲いかかってきたのは、強烈な痛覚だった。
同時に、これは夢なのだなと自覚した。
痛みの強い夢などご免被りたいのだが、見てしまったものは仕方が無い。
諦めて通り過ぎるのを待つしかないだろう。
死にそうなぐらいに身体が痛い。
これは何の夢だろう。
それとも、過去だろうか。
「オッド!!」
悲痛な声が聞こえる。
自分の声ではない。
自分を呼ぶ声だ。
「おい、しっかりしろよ……」
ぼんやりと目を開けると、そこにはレヴィの姿があった。
今よりもずっと若い。
まだ軍人だった頃の、上司の姿。
ああ、そうか。
これは三年前の夢だ。
俺たちの人生を変えた、あの悪夢。
いや、悪夢ではなく現実というべきか。
あれは間違いなく起こってしまった現実なのだから。
「嫌だ……頼むよ、頼むから、俺の前でこれ以上死ぬな……!!」
泣きそうな、苦しそうな、絶望で今にも折れてしまいそうな、レヴィの声。
「………………」
貴方のそんな声は聞きたくない。
いつだって飄々としていて、明るくて、部下を安心させてくれる、そんなカリスマを持ったレヴィには似合わない絶望の声。
このまま死んでしまうかもしれないという絶望よりも、そんな声を聞きたくないという悲しさの方が上回った。
しかしそんな声を出させているのは自分なのだ。
過ぎてしまった過去は変えられない。
だから、現実だったこの夢も変えられない。
それでも耐えられるのは、この後に救いが待っていることを知っているから。
この絶望を乗り越え、二人とも生き延び、痛みと哀しみを抱えて、何かを諦めつつも時間が過ぎていったけれど、その先にはちゃんと光があった。
レヴィを追いかけてきてくれた女の子が、希望をくれた。
今のレヴィは楽しそうに笑ってくれるし、幸せそうにしてくれる。
だから、この夢も通り過ぎるのを待つだけ。
たとえ夢であっても、今は違うと分かっていても、泣きそうなレヴィの顔は見たくなかった。
だから夢の中で更に目を閉じて、それが通り過ぎるのを待った。
★
「………………」
ようやく目が覚めた。
温かな何かに導かれた気がする。
そして目が覚めても温かな何かが触れているように思えた。
「……?」
その温かなものに触れてみると、いい匂いたした。
ふわりとした青い髪。
大きな翠緑の瞳がじっとこちらを眺めてくる。
「……何をしているんだ? シオン」
「おはようですです♪」
「おはよう」
にこっと笑うシオンの笑顔は不思議とこちらを和ませる。
この少女はまだ幼いので、その無垢さがこちらの気分を和やかなものにしてくれるのかもしれない。
起き上がると、そこがベッドではないことに気付く。
どうやらソファの上でうたた寝をしていたらしい。
「………………」
そしてここが見慣れた部屋ではないことに気付く。
といっても、移動が多いシルバーブラストのクルーになってからは、見慣れた部屋というのも使いづらい言葉になっているが。
強いて言うならシルバーブラストの船内にある自分の部屋が最も見慣れているのかもしれない。
今はマーシャの里帰り中なので、惑星ロッティにいる。
リーゼロックの屋敷内に与えられた部屋はかなり豪勢で、ソファも寝心地がいい。
手持ち無沙汰でごろごろしていたら、そのままうたた寝してしまったのだろう。
「嫌な夢でも見ていたですか?」
「まあ、そうだな。あまり見ていたい夢ではなかったかもしれない」
「怖い夢ですか?」
「怖いというほどでは無いが、嫌な夢であることは確かだ」
「大丈夫ですか?」
「ただの夢だからな。大丈夫だ」
「良かったですです」
「……ところで」
「?」
「どうしてシオンは俺の上に乗っているんだ?」
うたた寝しているところを起こしに来てくれたのだとしても、どうしてシオンの華奢な身体が俺の上に乗っているの
か、その状況が理解出来ない。
しかも自分の顔を覗き込んでいるので、かなり近い位置にシオンの顔がある。
年齢的にも精神的にも幼いシオンの顔が近付いたところで、妙な気分になったりはしないが、だからこそこの状況は不味い。
端から見るとロリコンの図になっているのが非常に不味い。
「降りてくれないか?」
そんな内心の動揺は悟らせず、いつも通りに冷静な声でシオンを促す。
「はいです~」
シオンは逆らうことなく素直に俺の上から降りてくれた。
「起こしてくれたのは礼を言うが、どうして俺の部屋に入り込んでいるんだ?」
他人の屋敷内とは言え、ここは俺に与えられた部屋であり、プライベート空間として機能している。
セキュリティロックもかかっている筈なのだが、シオンの手にかかれば簡単に解除出来てしまうらしい。
しかしロックを解除してまで入り込んだ理由が分からない。
「実はオッドさんにお願いがあるですよ」
「俺に?」
どうやら何か頼みたいことがあって部屋に入り込んだらしい。
そこまでは理解した。
上に乗っかって顔を覗き込んでいたことについては全く理解出来ないが。
「俺に出来ることなら構わないが、何をして欲しいんだ?」
シオンとシャンティのおねだりに振り回されることは慣れている。
レヴィとマーシャを二人きりにして楽しんで貰う為にも、子供達の面倒は俺の担当になっている。
そのことに不満はない。
自分でも驚いたことに、子供の面倒を見ることがそこまで面倒ではないのだ。
意外と子守に向いているのかもしれないと思ったぐらいだが、それはトリスの方が明らかに向いている。
ついこの間まで復讐に走っていた亜人の青年トリスは、今はマーシャとレヴィの手によって助け出され、このロッティで平穏に暮らしている。
孤児院の先生という、宇宙海賊の頭目には恐ろしく似合わない仕事をしているが、子供達と接するあの青年の穏やかな表情を見ていると、あの姿が彼本来のものなのだろうと感じさせられた。
長年の戦いと復讐心によって擦り切れていった心は、少しずつ癒やされていくだろう。
トリスのクローンとして生み出されたナギという少年についても、和解して今は仲良くしているらしい。
マーシャ達がトリスとナギの為に奔走している間も、シャンティとシオンの面倒は俺の担当になったが、そこに不満は無かった。
彼らは彼らにしか出来ないことをしているのだから、自分も見えないところでその手助けが出来ればいいと考えている。
それが子守だったとしても、小さな手助けにはなっている筈だ。
俺はマーシャのような万能性も、レヴィのような天才性も持っていない、普通の人間だ。
だから、小さな事で力になれればそれでいいと思う。
……よく考えると、俺の周りには天才ばかりだ。
マーシャの万能性は言うまでもない。
レヴィの天才性もずっと見てきた。
シャンティは電脳魔術師《サイバーウィズ》としては最高峰の天才少年だし、目の前に居る少女は生まれながらの電脳魔術師素体《サイバーウィズマテリアル》であり、シャンティを越える天才性を秘めている。
このメンバーの中で凡人は俺だけだ。
そのことに劣等感を抱いていないと言ったら嘘になるが、それは気にしても仕方の無いことだ。
そんなことで苛まれるぐらいならば、とっくにレヴィの傍から離れている。
戦闘機操縦者としての腕の差は明らかで、そのことを負い目に感じていたら、レヴィの傍にはいられない。
それでも彼を上司として認め、共に戦場を駆け抜け、護りたいと願ってきたのは、才能とは関係無しに、自分がそうしたいと望んだからだ。
だから俺は凡人である自分を受け入れ、何が出来るかを少しずつ探していくことが大切だと思っている。
表に出て目立つヒーローではなく、そんな彼らを裏から助ける黒子のような存在として役立てるのなら、それで十分だ。
「オッドさん」
「なんだ?」
じーっとこちらを見てくる翠緑の瞳。
五月の新緑を思い出させる綺麗な色だと思う。
この身体が作り物だとは思えないぐらいに、自然な活力に満ちている。
最も、有機アンドロイドといってもかなり人間に近い体構造なので、人間と同じように成長したり食事をしたり出来るのだが。
こうなると作り物と自然の物との境界線が分からなくなる。
もしかしたら、考える必要は無いのかもしれない。
「お腹が空いたです♪」
「………………」
どんなお願いか身構えてしまっていたので、がっくりと肩を落とす。
買い物に付き合って欲しいとか、ゲームの遊び相手になって欲しいとか、そういうことならいつも通り付き合うのだが、これは少しばかり予想外だった。
ここはリーゼロックの屋敷であり、使用人も三人ほど常駐している。
彼女たちに言えば食事の準備ぐらいはしてもらえる筈なのだが、どうして俺のところに来るのだろう。
「どうして俺のところに来るんだ? ここには作ってくれる人たちがいるだろう?」
「今日はあのお姉さん達、別の用事に駆り出されているみたいですです~」
「そうなのか?」
「はいです。コンパニオンの人手が足りないとかで、お爺ちゃんが急に仕事を頼んだですよ」
「なるほど」
それならば作ってくれる人が居ないという状況にも納得出来る。
しかしどうして俺が作らなければならないのか、という理由はまだ納得していない。
「だったら外で食べるか何か注文すればいいんじゃないか?」
シルバーブラストのクルーは基本的に懐が温かい。
それほど仕事をしている訳ではないのに、マーシャから与えられる給料は軍人だった頃の三倍はあるのだ。
はっきりいって破格。
というよりも女性に養われているヒモの気分で複雑なのだが、レヴィが納得しているのなら、その傍で手助けをすると決めた俺にとって不満はない。
まあ、普段が楽なだけで、トラブルに巻き込まれると軍人時代以上に厄介なこともあるので、バランスは取れているのかもしれないが。
シオンもマーシャから小遣い……もとい給料を貰っている筈なので、懐は温かい筈だ。
買い物に付き合わされる時も、金額を気にせず浪費しまくっていることを知っている。
まさか浪費しすぎて金が足りなくなった……などということはあるまい。
……無いと信じたい。
「オッドさんのごはんが食べたいですよ~」
「む……」
可愛くおねだりされると弱い。
というよりも和んでしまうのが困る。
えへへとはにかむ姿を見ていると、つい甘やかしたくなってしまう。
俺も案外、子供に甘いのかもしれない。
「まあ、いいか」
「やった~♪」
結局、作ることになった。
これも仕事の内と思えば不満もない。
普段怠けている分、お守りぐらいは担当しなければ給料泥棒すぎる。
幸いというべきか、この部屋にはキッチン設備も充実している。
俺が普段から料理をすると言ったら、クラウスさんがこの部屋を用意してくれたのだ。
料理は嫌いではないが、ここに来てからはあまり腕を振るっていない。
冷蔵庫の中を確認すると、一通りの材料が揃っていた。
どうやら、いつでも料理が出来るように環境も整えてくれているらしい。
外に出ている間は掃除や管理などを使用人達に任せると言ってあるので、食材の入れ替えや管理などもそれに含まれているのだろう。
しかししかし今まで利用する機会が無かったので、ここに来て始めて冷蔵庫を開いたので驚いたことも事実だ。
もしかして、料理をすることを期待されていたのだろうか。
いや、ただの偶然だろう。
そう思っておこう。
「何が食べたい?」
「ちゅるちゅる~」
「麺類だな」
「ですです~」
シオンの言葉は時々分かりづらいが、付き合いが長くなってくると意味も通じてくる。
ちゅるちゅる。
つまりちゅるちゅる食べられるもの=麺類ということだ。
パスタ麺が目に付いたので、それをメインとして使うことに決めた。
「具はシーフード希望ですです」
「分かった」
ちょうどシーフード具材も揃っているので問題無い。
冷凍庫からシーフード具材をいくつか取り出して解凍処理する。
その間に麺を茹でて味付けの準備。
十五分ほどでバター醤油ベースのシーフードパスタが完成した。
「出来たぞ」
「わーい。ありがとうですです~」
ついでなので俺の分も作った。
二人でテーブルについて食べ始める。
バター醤油の味付けは最近変えたオリジナルだが、なかなか悪くない感じに仕上がっている。
料理の細かいアレンジが趣味になってきているので、もう少し本格的に色々と揃えたら面白そうだ。
「はう~。美味しいですです~」
「そうか」
「はいです~」
本当に美味しそうに食べてくれるシオンを見ていると気分が和む。
自分の作ったものを誰かに美味しそうに食べて貰えるというのは、料理をする人間にとっては嬉しいものだ。
「オッドさんは料理上手ですね~。あたしも料理は担当していたですけど、オッドさんほど上手くはないですからね~」
「……あれを料理と言うのか?」
ちなみにシオンが担当している料理というのは、冷凍レトルト食品を温めて出すだけのものだ。
高級冷凍食品なので栄養素は味はそれなりにしっかりしているのだが、流石にあれを『料理』だと言うのはどうかと思う。
「駄目ですか?」
「う……」
上目遣いで見るのは止めて欲しい。
駄目とは言えなくなってしまう。
しかし認めることも難しい。
「流石に、あれは料理とは言わないだろう」
「う~……」
「う……」
不満そうに俺を睨まないで欲しい。
事実しか言っていないと思うのだが。
「まあ、いいですけど」
「いいのか?」
「料理はオッドさんが担当してくれるので、あたしが無理して覚える必要は無いですしね~」
「………………」
丸投げされてしまった。
てっきり負けず嫌いが発揮されて頑張る方向に行くと思ったのだが。
「オッドさんはみんなの胃袋をがっちり掴んでいる胃袋管理人ですね~」
「……いつの間にそんな肩書きが」
「あたしはバッチリ掴まれてるですよ~」
「………………」
立場が逆だと思うのだが。
まあ、どちらにしてもシオンは幼すぎて対象にはならない。
シオンにとっても俺はおじさんなので対象にはならないだろう。
「シオンも料理ぐらいは覚えておいた方がいいぞ。将来好きな相手が出来た時に作ってやる楽しみが出来るだろう?」
「うーん。好きな人が出来てから考えるですよ」
「まあ、それもそうか。シャンティ辺りとはお似合いだと思うがな」
「シャンティくんは駄目ですです」
「駄目か?」
「シャンティくんは友達ですから。友達以上の感情は湧いてこないですよ」
「そうか」
確かに仲が良すぎて友達以上には進展しそうにないな。
シャンティの方もシオンのことは面倒を見るべき女の子として認識しているようだし。
「オッドさんとか結構格好いいと思うですよ」
「それはありがたいが、どうせならもっと若いのを選べ。こんなおじさんではバランスが悪いだろう」
「オッドさんは結構若いと思うですよ?」
「シオンから見たらおじさんだろう」
シオンの外見年齢は十五歳ほど。
実年齢はまだ一歳ほどだという。
少女とおじさんどころか、幼女とおじさんぐらいの差がある。
バランス以前の問題だ。
「そうでもないと思いますけどね~」
「まあ言葉だけ受け取っておく」
まだまだ精神的に歳を取るつもりはないので、若いと言って貰えるのは素直に嬉しい。
「年齢差カップルというなら、マーシャとレヴィさんがそんな感じですよね?」
「まあ、そうだな」
今でこそそれなりにバランスが取れているが、出会った当初は本当に大人と子供だった。
自分の腰ぐらいまでしかない身長の少女は、成長して、レヴィを目指して、そして追いついた。
あの時の少女があれほどの美女に成長しているのだから、時の流れとは不思議なものだと思う。
それでも年齢差が変わった訳ではない。
成長して、見た目が追いついて、お似合いのカップルになっただけだ。
レヴィも童顔で年齢の割には幼い外見をしているので、二人はそれなりに若々しいカップルに見えている。
レヴィは今年で三十一歳だが、見た目的にはまだ二十代中盤で通じる。
あれは気分が若々しいから外見もそれに引っ張られているのかもしれない。
マーシャと再会して、もふもふマニアっぷりを発揮するようになってからますます若返ったような気がする。
残念度合いも増えたが、レヴィが幸せそうにしているのなら、それで構わない。
三年前の地獄を乗り越えて、今を生きている。
だから今度こそ幸せになって欲しいと願っている。
その願いはきちんと叶っているのだから、多少アホっぷりが加速したところで、黙認するべきだろう。
マーシャと再会するまでのレヴィはそれなりに楽しそうに日々を過ごしていたが、どこか物足りなさも漂わせていた。
宇宙に還りたい。
そんな気持ちが現れていた。
だからマーシャが現れて、レヴィを本来の姿に戻してくれた時、俺は嬉しかった。
ようやく、レヴィが在るべき場所に還ってきた気がしたのだ。
そしてマーシャをもふもふしている時の実に幸せそうな表情。
あれが本来のレヴィだとは思いたくないのだが、まあ、幸せそうなので良しとしよう。
「でもレヴィさんと恋人同士になってから、あたしはマーシャをもふもふ出来る回数が減ったですよ。あたしのもふもふだったのに」
ぷくっと膨れるシオン。
もふもふを独り占め出来ないのが面白くないらしい。
その理由もどうかと思うが、マーシャとシオンが仲のいい姉妹同然の関係であることは間違いないようだ。
「トリスに頼んでみたらどうだ? あっちの方が大きいぞ」
「トリスさんですか~。なんか怖くて近付きづらいですよ」
「……それはまあ、そうだな」
最近では随分と丸くなったが、それでも荒んでいた頃の名残が残っている。
子供達はそれでもトリスと仲良くやっているようだが、シオンはまだ怖がっている。
「それにあたしはもふもふも大好きですけど、マーシャ込みで大好きですから、やっぱりマーシャをもふりたいですよ」
「なるほど」
もふもふならそれでいいという訳ではないらしい。
シオンなりのこだわりなのかもしれない。
その点、レヴィは見境が無い。
トリス相手でもナギ相手でも徹底的にもふもふする。
いつか見知らぬ亜人女性をもふもふしそうで恐ろしい。
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