シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

3-6 マーシャとトリス


 マーシャ達が着々と準備を進める中、トリスの方もエミリオン連合軍と戦う為の準備を進めていた。

 ある程度の戦力は把握している。

 ここに集まってきているエミリオン連合軍の数もそれなりに把握出来ている。

 完全ではないが、海賊にしては恐ろしいほどの情報精度であることは間違いないだろう。

 トリスは現在クレイドルの街中にいる。

 クレイドルで確保した情報屋とのやりとりを行っているのだ。

「今のところこのクレイドル付近に集まっているエミリオン連合軍はざっと軍艦八ってところですね。戦闘機は恐らく百五十を越えるぐらいじゃないですか?」

「だろうな。ずいぶんと集まったものだ」

「ファングル海賊団っていう、面倒な海賊を仕留める為らいしんですけどね」

「なるほど」

 情報屋はトリスがファングル海賊団の頭目であることを知らない。

 トリスはその情報を知られていようと、そうでなかろうと構わないと考えていたが、金を払う限りに置いてこの情報屋は裏切らない。

 人に対して誠実なのではなく、金に対して誠実なのだ。

 そういう人間は信用出来る。

 信頼は出来ないが、信用するだけなら問題無い。

「それから妙な奴らがクレイドル付近に集まってるって情報もありますね」

「……なんだそれは」

「別料金になりますが、どうします?」

「………………」

 トリスは少し悩んだが、すぐに追加料金を渡した。

 興味があるのはエミリオン連合軍だけだが、他にも戦力が集まっている場所があるというのは見過ごせない。

 もしかしたらエミリオン連合軍の隠し球かもしれない。

 だとすればどうしても把握しておく必要がある。

「エミリオン連合軍じゃないことは確かなんですけどね」

「そうなのか?」

「だって識別信号が無いんですよ」

「……何だと?」

「アンノウンの船です。下手をするとアレがファングル海賊団なのかもしれないですね」

「………………」

 それは無い。

 トリスの率いるファングル海賊団にも識別信号はある。

 といっても、その時々で偽装しているものだが、それでも識別信号が無ければどこの宙域も無事に飛べないことが分かっているからだ。

 識別信号は宇宙船にとっては身分証明のようなものであり、それを発していない船はいつ軍艦に仕掛けられてもおかしくはない不審船なのだ。

 どこの海賊団も、停泊することを考えると、どうしても偽装が必要になる。

 ファングル海賊団も、表向きの偽装は適当な惑星の船籍として識別出来るようにしてある。

 だからこそ、明らかなアンノウンというのはおかしい。

 海賊ならば停泊地を持たない訳ありだし、そうでなければ不気味過ぎる。

「詳細は分かるか?」

 分かるのならば追加料金を払ってでも欲しい情報だが、生憎とそれは叶わなかった。

「いや、だからアンノウンなんですよ。こっちの電脳魔術師《サイバーウィズ》をフル稼働させても情報一つ掴めません。アンノウンの癖に防壁はかなりのものですね、ありゃあ」

「………………」

「強いて言うならそれが分かっている情報ってところですね」

「分かった」

 とにかく、手強いということ以外は何も分からないということだ。

 今までのやりとりから、情報の精度はそれなりに信頼してもいい。

 自分のところにいる電脳魔術師《サイバーウィズ》に調べさせている情報とも矛盾しない。

 こちらで分かっていること、こちらからでは分からないことの摺り合わせを行う為にこうやって金を払っているのだが、思った以上に有効な情報が手に入ったので、トリスはそれなりに満足していた。

 トリスは少しだけ追加の情報料を払っておいた。

 アンノウンの情報は不気味だが、何も知らずに行動を起こせばただでは済まなかっただろう。

「へっへっへ。まいどあり。あんたは金払いがいいから助かりますね。またいつでもご利用ください」

「そうさせてもらう」

 そう言いつつも、今後は利用しないだろうと考えていた。

 情報屋としては使える男なのでかなり重宝していたが、今回の作戦は自分自身すらも生き残れる保証が無い。

 更に言えば仲間の遺体を取り戻し、セッテを殺すことが出来れば、トリスが戦う理由は無くなってしまう。

 エミリオン連合軍への復讐も残っているが、それがどれだけ不毛なことか分からないほどに愚かではない。

 本当に殺したい仇に辿り着くまでに、何も知らない、命令に従うだけの人間を殺し続ける必要がある。

 それではあまりにも虚しすぎる。

 エミリオン連合ではなく、世界が、情勢が、仲間を殺した。

 そう考えなければキリがない。

 ファングル海賊団もそれは分かっているのだろう。

 エミリオン連合軍に対して深い憎悪を抱いているが、それでも本気でエミリオン連合軍全体を潰せるとは考えていない。

 ただ、何かをしなければ壊れてしまう。

 無駄だと分かっていても、八つ当たりだと分かっていても、それでもこの復讐心を満たす行動を取らなければ、自分自身を保てない。 

 そういう人間の集まりなのだ。

 トリスはそんな人間達に対して、何の感慨も抱いていない。

 自分の正体を知れば、きっと見下してくるだろう。

 亜人の正体を晒して見下したり、軽蔑したりしなかったのは、リーゼロックの人間とレヴィだけだった。

 全ての人間を憎んでいる訳ではない。

 ただ、クラウスやレヴィ達は稀な例外だと思っているだけだ。

 彼らは特別な宝石。

 砂漠の中に埋もれている、かけがえのない光。

 出会えたことが幸運であり、人生の宝なのだ。

 だから、トリスは人間を軽蔑しない。

 ただ、見限っているだけだ。

 一部の特別を除いた人間達に対して、見切りを付けている。

 人間に対して誰彼構わず殺そうとするのではなく、利害が一致する相手を見つけ出して利用し合う関係になったのは、そういった割り切りの気持ちがあったからこそ出来たのだろう。

「それも、もうすぐ終わる」

 トリスは自分が生き残ることを考えていない。

 生き残れるような作戦でもない。

 それに、戦力が違いすぎる。

 最低限、自分の目的だけは果たせるような作戦を組んでいるが、それでもその後はどうにもならないだろう。

 全てが終わったら逃げる力も残らない。

 だからこそ、ファングル海賊団はここで消滅する。

 トリスの命もここで終わる。

 しかしトリスはそれでいいと思っていた。

 彼は生きることに疲れていたのだ。

 元々、仲間の命を慮って、自分が傷つきながらも相手を殺さずに戦い続けてきた子供だった。

 優しすぎる性格が災いして、その心が闇に堕ちてしまったが、根本のところでは変わっていない。

 殺すのは辛いし、憎むのは疲れる。

 それでも無残に殺されて、死んだ後も弄ばれ続けている仲間から目を逸らすことも出来なかった。

 自分は過去に囚われているのだろう。

 マーシャは未来に目を向けて生きている。

 そうすることが正しいと、頭では分かっている。

 それでも、トリスの心は納得しようとしない。

 だから、自分はこういう生き方しか出来ないのだろうと諦めた。

 この生き方を貫いて、最後は燃え尽きる。

 それでいいと、自分で納得した。

「これで、最後だ」

 そうすれば、これ以上殺さなくていい。

 これ以上憎まなくていい。

 心が少しだけ軽くなったような気がした。

「………………」

 深く息を吐いた。

 少しだけ、疲れたものを吐き出したい気持ちだったのだ。

 今までずっと張り詰めて生きてきた。

 死ぬ前に、少しぐらい気を緩めてもいいだろう。

 そう思った時、幻が見えた。

「え……?」

「………………」

 黒髪の女性がトリスの目の前に立っている。

 獣耳と尻尾は隠れたままだが、あの意志の強い銀色の瞳は見間違いようがない。

「マーシャ……?」

 幻だろうか。

 いや、違う。

 このクレイドルにはレヴィがいる。

 だったら、ここにいるマーシャが幻だとは考えにくい。

 彼女も同じ場所にいるのだから。

 そしてレヴィがトリスと再会したことをマーシャに話したのだとしたら、彼女が自分に会いに来るのは予想出来ることだった。

 最期にもう一度だけ会いたいという願望が形になっただけなのかもしれないが、それでも会えたことは嬉しかった。

「久しぶりだな」

 マーシャは穏やかな笑みで笑いかけてくる。

「………………」

 昔はこんな笑い方は出来ない少女だった。

 レヴィに助けられてからはいつも楽しそうにしていたが、感情が極端で、楽しい時は楽しい、嬉しい時は嬉しいというように、分かりやすすぎるぐらいに明確な子供だった。

 しかし今は違う。

 穏やかな笑みの中に悲しみと寂しさが織り交ぜられており、複雑な感情を覗かせている。

 時間の流れというものを嫌というほどに感じさせられる姿だった。

 会えて嬉しい。

 しかし、一緒に過ごせなかった時間の長さを思い知らされて、辛い気持ちにもなるのだった。

「ああ、久しぶりだな」

 トリスは荒んだままのアメジストの瞳をマーシャに向ける。

 自分はこんなに変わってしまった。

 マーシャも驚くほどに変わった。

 それでも、お互いに変わっていない部分も残っている。

「俺を止めに来たのか?」

 トリスが死ぬつもりなら、マーシャはきっと見捨てない。

 見捨てる自分を許さない。

 だからこうやって会いに来たのだと思った。

 ここで邪魔をするつもりなら、たとえマーシャでも許さない。

 そういう意志を込めて彼女を見る。

「まさか。止めるつもりなら、七年前に止めてるよ」

 しかしマーシャは否定した。

 あっさりとした態度だった。

 そのことが嬉しくもあり、少しだけ寂しくもある。

 しかし寂しいという気持ちは身勝手なものなので、表に出さないように自分を戒める。

「そうだな。あと、言い忘れていた。御守り、ありがとう。何度も助けられた」

「御守り……ああ、あれか。しかしあれは気休め程度のものであって、実際に助けられるような構造じゃないだろう」

 金属製のものならば、たまたま心臓に当たる筈だった弾丸を防いでくれた……等というエピソードも期待出来るが、尻尾の毛をアクセサリーにしただけのものにそれは期待出来ない。

 自分の一部がトリスを護ってくれるようにという祈りを込めたことは確かだが、それでも明確な効力を発揮するとは思えなかった。

 マーシャにとっては気休め以上のものはなかった。

 トリスは苦笑しながら御守りを取り出した。

 漆黒の毛で作られた小さな尻尾の御守り。

 マーシャの尻尾の一部がトリスの胸に納められている。

「そうでもない。何度も救われた。折れそうになる度、狂いそうになる度、この温かさに救われたんだ」

「……それは、複雑だな」

 狂ってしまうのは困るが、折れてくれれば連れ戻すことも出来た。

 だからこそ複雑な気持ちになるのだった。

「俺にとってはこれがあったからこそここまで来られたようなものだ。本当に、感謝している」

「……まあ、いいけど」

 この七年間で、トリスは自分の意志がそこまで強くないことを思い知らされた。

 憎悪の気持ちは本物だ。

 殺意も本物だ。

 しかし七年も手がかりを追い続けて、そしてすり抜けていく内に、心はどんどんすり切れていく。

 全てを諦めて、狂いそうになることも決して少なくはなかった。

 そんな時、マーシャの一部であるこの御守りを握りしめると、別れた時の気持ちを思い出すことが出来たのだ。

 気持ちをリセットして、折れそうになる心を元に戻して、再び立ち上がる。

 この御守りは、トリスにそういう力を与え続けてくれたのだ。

「マーシャ」

「ん?」

「何をしに来た?」

「うん。実はちょっと情報を渡しに来たんだ」

「何?」

「セッテ・ラストリンドはエミリオン連合軍で匿われている」

「………………」

「そして今はこのクレイドル付近にいる」

「………………」

「そんな顔をするなよ。セッテは私にとっても因縁のある相手なんだ。自衛の為にもその動向を調べるのは当然だろう」

「だったら近付かなければいい。マーシャの正体を知られたら、今度はエミリオン連合軍を使って攫われかねないぞ」

「今の私がそんなヘマをすると思うか?」

「………………」

 今のマーシャは昔とは違う。

 軍人をも圧倒する戦闘能力を身につけ、宇宙船の操縦技術においても天才性を発揮し、その能力を最大限に活かせる最新鋭の宇宙船を持っている。

 それに加えてレヴィという最強の戦闘機操縦者と電脳魔術師《サイバーウィズ》達を抱えている。

 エミリオン連合軍の艦隊を相手にしても勝利出来るぐらいの力を手にしている。

「アンノウンの宇宙船について知りたくないか?」

「……知っているのか?」

「あれは私達だ」

「何だと?」

「正確にはリーゼロックPMCの精鋭部隊だな。宇宙船がアンノウンなのは、お蔵入りの試作船だからだ。といっても、リーゼロックの開発部門の遊び心がたっぷり詰まっているから、性能は破格だけどな。安全基準を満たしていない
から商品化出来なかっただけで、ピーキーさを活かせば軍艦すらも圧倒出来るぞ」

「………………」

 リーゼロックの技術の高さはよく知っている。

 クラウスからの助力は未だに続いており、ファングル海賊団の旗艦であるフォルティーンにもリーゼロックの最新技術が流れている。

 というよりも、安全基準を満たせずにお蔵入りした技術をクラウスがトリスに流してくれているのだ。

 クラウスの身も危うくなるような所業だが、彼もただトリスの力になっている訳ではなく、海賊活動による実戦データをフィードバックするように要請してきている。

 試運転よりも実戦、訓練よりも戦場。

 どちらがより多くのデータが採れるのかは、言うまでもない。

 それらの実戦データはトリスの手によってクラウスへと送られ、リーゼロック開発部門の参考資料となっているだろう。

 トリスも出来るだけ多くのデータを取ってから、クラウスに返すようにしている。

 自身にもメリットのあることとはいえ、トリスにずっと力を貸してくれたクラウスに、少しでも返せるものがあるのなら、全力でそれを成し遂げたいと考えていたからだ。

 そして安全基準を満たしていない、商品化出来なかった製品の凶悪さを、トリスはよく知っている。

 自分達で活用し続けてきた力を、今度は別の勢力が活用してきているのだ。

 邪魔をしてくるのだとしたら、恐ろしい敵になることは分かりきっていた。

「邪魔をするつもりなら、お前でも許さない」

「だから、邪魔をするつもりは無いんだよ。私はただ、トリスを取り戻したいだけだ」

「………………」

「もちろん、トリスの目的を果たしてからでいい。帰ってきて欲しいんだ。ちゃんと生きたまま、リーゼロックに」

「………………」

「死ぬつもりだっただろう? 死んでもいいと思っていただろう?」

「………………」

「でも私は嫌だ。近くにいてそんなことを見過ごすのは嫌だ」

「変わったな」

 昔のマーシャはそんなことを言わなかった。

 トリスが自分で選んだことなら、その意志を尊重してくれた。

 それなのに今は、トリスの意志を無視してでも、彼を助けようとしている。

 自分のことだけ考えて、未来に目を向けていた頃のマーシャとは明らかに変わっている。

「そうかもしれないな。私も、レヴィのお人好しが少し移ったのかもしれない」

「………………」

「でも、悪い気分じゃない。私はそんなレヴィが好きだし、手助けをしたいと思う。だから今の私はこれでいいんだ」

「……そうか」

 昔よりもずっと穏やかに笑うようになったマーシャ。

 それを見て、本当に彼女は変わってしまったのだと思い知る。

「これが現在エミリオン連合軍が集めている戦力と、作戦詳細。精々役立ててくれよ」

 マーシャがトリスにメモリースティックを渡す。

 そのデータを受け取ったトリスが怪訝そうにマーシャを見る。

「情報料は?」

「それは私じゃなくてレヴィに払ってくれ」

「何?」

「思ったよりも簡単にその情報を得られたのは、レヴィが立案した作戦のお陰だからな。報酬は彼に与えられるべきだ」

「つまり、次に会った時に金を渡せばいいのか?」

「いや。金は受け取らないと思うぞ」

「………………」

 嫌な予感がした。

 子供の頃のことを思い出したのだ。

「まさか……」

 少しばかり青くなるトリス。

 何を求められるのかを悟ったのだろう。

 マーシャは意地悪くニヤリと笑った。

 自分がいつもうんざりするぐらいもふもふさているのだ。

 マーシャよりも立派な尻尾を持つトリスが更にもふもふされるのは分かりきっている未来だった。

「そのまさかだな。精々たっぷりもふられろ♪」

「………………」

「といっても、トリスにも頭目としての立場があるだろうからな。支払いは全部終わった後のプライベートタイムで構わないぞ」

「……しかしそれでは」

「その為にも生き残って貰わないと困るんだ。レヴィがもふもふ出来ないと残念がるからな」

「理由が……」

 理由がしょうもなさすぎる。

 しかしそういう理由があるからこそ、気軽な調子で力を貸してくれようとしているのだろう。

 深刻な理由よりも、アホらしい理由ぐらいの方がちょうどいい。

 そういう気分なのかもしれない。

「ふふん。レヴィのもふもふ狂いはこの七年で悪化しているからな。覚悟しておいた方がいいぞ」

「………………」

 真っ青になるトリス。

 久しぶりに素の表情が見られて嬉しくなるマーシャだった。

「そっちのデータにもあるけど、彼らが動き出すのは三日後だ。それまでにクレイドルを出ておいた方がいいぞ」

「分かっている」

「船の偽装は上手くいっているみたいだけど、あっちもフォルティーンには当たりを付けているみたいだから、今日にでも出て行った方がいい。明日にはクレイドルの封鎖を行うみたいだからな」

「……そこまで調べたのか?」

 フォルティーンのことも怪しまれているとは思っていたが、他にも怪しい船はいくらでもある。

 それら全てを調べるよりは、泳がせるだろうと思っていたのだが、トリスが予想していたよりもずっと早い展開が待っていたらしい。

 手遅れになる前に教えて貰えたことは幸いだった。

 しかしエミリオン連合軍の動きは部下の電脳魔術師《サイバーウィズ》にも調べさせていたのに、情報精度ではマーシャ達の方が圧倒的に上回っているらしい。

 そのことが少しばかり面白くないトリスだった。

「うちには腕利きの電脳魔術師《サイバーウィズ》が二人いるからな。一人は電脳魔術師《サイバーウィズ》という存在に特化して造られた存在でもあるし、もう一人は経験豊富な天才だ。並の腕の電脳魔術師《サイバーウィズ》じゃ歯は立たないよ」

「どこからそんなキワモノを……」

「まあ、こっちにもいろいろと伝手はあるんだ。全部終わったら紹介してやるよ。見たらきっと驚くぞ」

「………………」

 トリスが想像しているのは、経験豊富な天才、つまり気難しそうな成人男性の電脳魔術師《サイバーウィズ》の姿だった。

 しかしその正体があどけない少女と少年の組み合わせだと分かったら、しばらく開いた口が塞がらないぐらいの衝撃を受けるだろう。

 その時を楽しみにしながら、マーシャは続けた。

「それからそっちの電脳魔術師《サイバーウィズ》に軍艦へのハッキングを仕掛けるつもりならやめておけ。既にうちの連中が罠を仕掛けているからな。巻き添えを食らうぞ。船の管制と戦闘制御に割り振った方がいい」

「罠とは?」

「それは企業秘密。まあトリスに対して不利になるようなことじゃないから安心していい。どちらかというとかなり有利になると思うぞ」

「………………」

 思った以上に手出しをされている。

 これは自分の戦いだという意識があるので、トリスは険しい視線をマーシャに向ける。

「心配しなくても、邪魔はしない。そう言っただろう? 私達がやるのはサポートだ。トリスの戦力がピンチになったら適度に助けるし、トリスが死にそうになったら、まあ明確に邪魔をするだろうけど」

「………………」

「トリスの目的と私の目的はぶつからない。私だってセッテは殺したいと思っているし、仲間の遺体はこれ以上弄ばれたくないと思っているよ」

「なら、自分の手で殺して、取り戻したいとは思わないのか?」

「私にその資格は無いだろう」

「………………」

「ずっと自分をすり減らしてまで、壊れそうになってまで、その目的の為に進んできたのはトリス自身だ。今更、そこから目を背けてきた私がしゃしゃり出ていい問題じゃない。私の目的は、あくまでもトリスを死なせないこと。セッテのことも、仲間の遺体のことも、トリスが望むようにすればいいと思っているけど、そこだけは譲れない。私はもう一度、あの頃の生活を取り戻したいんだ」

「俺は死んでもいい。そう思っているのに、邪魔をするのか?」

「するに決まってる。私はトリスに死んで欲しくないんだからな」

「余計なお世話だ」

「それ、レヴィの前で言えるか?」

「………………」

 自分を危険に晒してまでトリスとマーシャを助けてくれたレヴィ。

 かけがえのない恩人で、今でも感謝している。

 そんなレヴィに対して、命を助けられた側のトリスが、その命を捨てようとする発言をぶつける。

 そんなこと、出来る筈が無かった。

 そんなことを言えばレヴィが悲しむ。

 彼にはいつも笑っていて欲しい。

 そう思っているのに、その笑顔を自分が曇らせることなど、出来る筈がない。

「言えないだろう?」

 ニヤリと笑うマーシャ。

 トリスは再びマーシャを睨む。

 しかし今度は剣呑な目つきではなく、拗ねたようなものだった。

 その表情を見て、マーシャも少し嬉しくなる。

 ほんの少しだけでも、過去の自分を取り戻してくれたのならば、生き残ろうとしてくれるかもしれない。

 そう期待出来るからだ。

「それに、お爺さまへの借りが山ほどあるんだから、死に逃げは良くないと思うぞ。ちゃんと生きて返さないと」

「う……」

 確かにその通りだった。

 経済面から技術面、そして情報まで、クラウスには世話になりっぱなしだった。

 リスクを受け入れてまで、密かにトリスを手助けしてくれていたクラウスに対して、出来る限りの恩返しをしたいという気持ちはあったのだ。

「という訳で、私達は勝手に動く。邪魔をするつもりはないけど、そうだと思える行動に出た場合は、見ていられなくなったということだからな。弱いトリスが悪いってことで」

「む……」

 そう言われると意地でも手を出されたくないと思ってしまう。

 これでもかなり負けず嫌いなのだ。

「全部終わったら、いろいろ話そう。話したいこと、沢山あるんだ」

「……分かった」

「うん」

 マーシャはふわりとした動作でトリスに抱きついた。

「マーシャ……?」

 意図が分からないまま、トリスはマーシャを抱き締め返す。

 ずっと求めていた温かさだった。

 一度手にしたら手放しがたくなってしまうほどに、焦がれたものでもある。

 そんなマーシャが、今は自分の腕の中にいる。

 それが不思議だった。

 どうして彼女はこんなことをするのだろう。

「トリスはすぐに死にそうになるからな。心配だからおまじないをしてやる」

「え?」

 少しだけ背伸びをしてから、トリスの顔を自分の方に引き寄せる。

「………………」
 まさかキスをされるのだろうかと焦るトリス。

 しかし逆らえない。

 かつてマーシャに抱いた恋心は、トリスの中にまだ残っている。

 その気持ちが、逆らうことを許さない。

「………………」

「………………」

 しかし、予想に反して、マーシャの唇はトリスの唇には合わせられなかった。

 マーシャの唇が接触したのは、トリスの額だった。

「………………」

 トリスが拍子抜けした表情でマーシャを見る。

 マーシャはそれを見て悪戯っぽく笑った。

「唇にされるかと思ったか?」

「………………」

 真っ赤になったトリスが顔をそっぽ向ける。

 期待していなかったといったら嘘になる。

 しかしそれは口に出来ない気持ちだった。

 マーシャの気持ちがレヴィにあるから、という理由だけではない。

 かつてのトリスがマーシャよりも復讐と死んだ仲間を選んだからだ。

 だからこそ、今更マーシャを求める資格など無いのだと、自分に言い聞かせる。

「冗談だ。ちょっと本で見たことを真似しただけだ」

「?」

「なんか、勝利や無事を祈る時に、ヒロインが主人公の額とか頬にキスをして、祝福を送るって奴だったな」

「ありきたりだな……」

「なんだ。トリスも知っていたのか?」

「リーゼロックの家で読んだ本の中にそういうものがあった」

「……確か恋愛小説だったと思うんだが、そんなものを読んでいたのか?」

 意外な事実に驚くマーシャ。

 しかしトリスの方は好奇心旺盛だったので、ジャンルを問わずいろいろなものを取り敢えず読んでみようという気持ちだったのだ。

「言われるまでは忘れていた」

「また思い出せるさ。ゆっくり暮らそう。それにお爺さまがトリスに任せたい仕事があるって言ってたからな。その為にも生き残ってくれないと困るんだ」

「任せたい仕事……? 戦う以外のことは出来そうにないが、PMCの仕事か?」

「あはは。それも頼もしいけど、もっと平和な仕事だよ」

「マーシャは内容を知っているのか?」

「知っているけど、今は内緒だ。生き残ってからのお楽しみってことで」

「仕事なのに、楽しみなのか?」

「トリスならきっと楽しみながらやってくれると思う」

「………………」

 マーシャがそう言うのなら、きっとそういう仕事なのだろう。

 恩人であるクラウスが任せたいと言ってくれる仕事なら、トリスとしても全力で励む気持ちはある。

 しかしそれも生き残ることが前提だ。

「トリス」

「………………」

「みんな、トリスを心配してる。生き残って欲しいって、帰ってきて欲しいって、思ってる。だから、その気持ちを、心の片隅にでもいいから、覚えていて欲しいんだ。今は、それ以上を求めたりはしないから」

「……努力する」

 燃え尽きたいと思っていた。

 死んだら楽になれると信じていた。

 だけど、自分はこんなにも想われている。

 一人で生きてきた訳ではない。

 自分の力だけでここまでやってきた訳ではない。

 それが分かるほどには、トリスも大人になってしまった。

 だからこそ、彼らの願いを踏みにじれない。

 約束は出来ない。

 それでも、努力はしてみようという気持ちになった。

 そしてそれこそが、小さくとも、大切な変化なのだ。

「うん。それでいいんだ」

 マーシャはにっこりと微笑んでトリスから離れた。

「………………」

 離れた温もりを名残惜しく思う。

 しかし今はこれでいいのだ。

「じゃあ私はこれで行く。健闘を祈るよ、トリス」

「ああ」

 マーシャはそのまま踵を返した。

 トリスは一人その後ろ姿を見送る。

 温かさを貰った気がした。

 すり切れていた心に、仄かな光が灯っているのが自分でも分かる。

 命を賭けた戦いにこの温もりは邪魔になるだけなのかもしれない。

 それでも失いたくないと、切実に思った。

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