シルバーブラスト Rewrite Edition
3-3 トリストレヴィ 2
弱さは全部置き去りにしたつもりだった。
ただ復讐を。
そして仲間を取り戻す。
それ以外の全てを捨てて、自身を燃やし続ける。
いつか燃え尽きてしまったとしても、それが自分の選んだ生き方なのだと、そう言い聞かせた。
だから憎悪に堕ちることはあっても、人の心を取り戻すことはないだろうと、そう思っていたのだ。
大切な人に背を向けて、悲しませて、それでも自分の願いを優先させたのだから、当たり前の幸福など、弱さなど、許されない。
そう思ってきた。
それなのに、懐かしい金色に再会出来ただけで、自分はこんなにも揺らいでいる。
まだ純粋さを残していた少年の心が表に出ようとしている。
自分はもうあの頃とは違うのに。
それなのに……
「トリス。久しぶりだな」
「…………はい」
あれから七年は経っている。
それなのに変わらない。
屈託の無い笑顔も、傍に居るだけで安心させてくれる不思議な温かさも。
何一つ変わっていない。
自分はこんなにも変わってしまったのに……
「それにしても驚いたな。まさかトリスがクレイドルにいたなんて。マーシャからはあの後すぐに飛び出してしまったって聞いていたけど」
「マーシャに、会ったんですか?」
再び、懐かしい名前。
かつて、誰よりも大切だと思った少女の姿が思い出される。
彼女は、今も元気にしているだろうか。
どれだけ堕ちてしまったとしても、幸せを願わずにはいられなかった少女。
幸せで居て欲しいと、今も願っている。
「ああ。元気だぞ。成り行きで一緒に旅をすることになってな。今もクレイドルにいるぞ。ああ、そうだ。マーシャに連絡しようか。きっと会いたがるだろうし」
「………………」
「トリス?」
「それは、止めて下さい」
「今はまだ、会えない」
「………………」
今にも泣き出しそうな表情のトリスに、レヴィは携帯端末を持つ手を止めた。
「んー……まあ、いっか」
「レヴィアースさん……?」
放っておけない気持ちにさせられる表情だが、トリスがそれを望まない事も分かっていた。
もしも誰かの手助けを望むのならば、彼はリーゼロックを飛び出したりはしていない。
一人きりで成し遂げたいことがあるからこそ、巻き込みたくないからこそ、変わり果てるまで一人で立ち続けたのだから。
「今はレヴィって呼ばれてるんだ。トリスもそう呼んでくれるか?」
「レヴィ……さん」
「ああ。それがいいな」
屈託なく笑うレヴィを見て、トリスもくしゃりと顔を歪めた。
あまりにも変わらない、懐かしすぎる笑顔。
過ごした時間は僅かなのに、こんなにも心を揺さぶる存在になっている。
トリスにとっては、それこそが意外だった。
「一つだけ確認してもいいか? トリス」
「……?」
トリスは怪訝そうに首を傾げながらも頷いた。
レヴィを前にすると調子が狂わされてしまう。
部下の前では見せられないほどに弱々しい姿だった。
「助けは、必要か?」
「………………」
その言葉に、また泣きそうになる。
この人は、何一つ変わっていない。
自分はこんなにも変わり果ててしまったのに。
困っている弱者を見捨てられない。
手を差し伸べずにはいられない。
そんな優しさに、かつての自分達は間違いなく救われたのだ。
だけど今の自分は違う。
弱者のままではいられなかった。
だからこそ、強者になれなくても、強者を食い千切る狂気の牙になると誓っていた。
強者になれなくても、獣にならなれる。
それが本来の姿なのだから、そうすることに躊躇いはなかった。
以前のレヴィなら何も言わずに助けてくれただろう。
そして今のレヴィがわざわざ確認してくるのは、トリスの力をある程度認めているからだ。
自分一人でも目的を遂げられる強者の一人だと、認めてくれているからだ。
それでも今のトリスを見て、手を差し伸べずには居られない。
それほどまでに弱い姿を晒してしまっているのだろう。
いや、違う。
弱くなった訳ではない。
ただ、紙一重の脆さを秘めているだけだ。
それは自分でも分かっている。
心を壊して歩き続けた自分は、いつ崩壊してもおかしくない。
壊した心が粉々になって、生きていく事すら出来ないほどに狂ってしまう日はそう遠くはないことも分かっている。
それでも、目的を遂げるまでは立ち止まれない。
燃え尽きても構わない。
死んでも後悔しない。
そう決意して、ここまで進んできたのだ。
今更、過去には戻れない。
戻る訳にはいかない。
「……大丈夫、です」
「そうか。じゃあ、それでいいや」
「………………」
訊きたいことは沢山あるだろう。
今のトリスを見て放っておけないと思うのは、レヴィにとって不自然なことではない。
その気持ちを呑み込んで、トリスの意志を尊重してくれている。
それが嬉しかった。
「ありがとう……ございます……」
「いいさ。色々あったんだろ?」
「………………」
「あと、昔みたいに話してくれると嬉しい。よそよそしくなると寂しいからな」
「……分かった」
つい敬語で話してしまっていたが、確かに子供の頃はもっと距離が近かった。
トリスにとっては変わり果ててしまった後ろめたさからついそうなっていたが、レヴィにとってはそれこそが寂しかったのだろう。
「よっしゃ。じゃあ今日は俺が奢ってやるよ」
「え……?」
「久しぶりの再会だしな。まあ安上がりで悪いけど、ここの飯は美味いからな」
「あ、ありがとう……」
「いいっていいって。好きなもの頼めよ。ああ、そうだ。蟹がお勧めだぞ。ブレヒト蟹料理をこの値段で出してくれるような店は多分ここだけだ」
「わ、分かった……」
レヴィに勧められるまま、次々と料理を口に運んでいくトリス。
レヴィの方も満腹に近い状態だったが、トリスと会話している内に少し余裕が出来たので、軽くつまむようになっていた。
食事をしながらレヴィの近況について知りたがったので、差し障りの無い範囲で話してやることにした。
流石にオープンスペースでは言えないことも多すぎるが、それでもトリスには知っておいて欲しいことが沢山ある。
「表向きには姿を消したことになってるけど、まあスターリットでのんびりとしていたところを、マーシャがいきなり突撃してきたんだ。いや~。びっくりしたのなんの。あいつ、すっげー美女になってたし」
「マーシャらしいな」
いきなりレヴィに突撃していくマーシャの姿は簡単に想像出来たらしく、トリスも少しだけ笑っていた。
そして笑っていたことに気付いて驚いた。
自然な笑みが漏れるなど、何年ぶりだろう。
しかし、弾む気持ちは止められない。
心を壊しても構わないと思っていたのに、二度と戻れないと覚悟していたのに、こんなにもあっさりと取り戻している。
レヴィといるとそれが自然なことに思える。
それが不思議で、そして辛かった。
かつての決意を鈍らせてしまいそうで怖かった。
それでも、この心地いい時間が一秒でも長く続いて欲しいと願ってしまう自分がいることも認めていた。
「いきなり問答無用で依頼してきて、軍とやり合わせて、最終的には最新鋭の戦闘機に乗せたんだぜ。しかも俺に合わせた特別機《エクストラワン》。いやもう、ここまでお膳立てされたら乗っからない訳にもいかないよな」
「確かに」
マーシャはずっとレヴィに会いたがっていた。
レヴィと再会する為にあらゆる努力を惜しまなかった。
そして願いを叶えたのだ。
再会するだけではなく、ずっと一緒にいられるように、徹底的にお膳立てを整えた。
「レヴィさん」
「ん?」
「その、今のマーシャとは、どういう関係なんだ?」
「あー……その、こういう関係、かな?」
レヴィは少しだけ照れくさそうに首に掛けた指輪を取り出した。
銀色の指輪がチェーンにかけられている。
マーシャの瞳を示す色だった。
その指輪を見て、少しだけ心が痛んだ。
マーシャに対する淡い想いが、二度と届かないものだと悟ったからだ。
元より、届かせるつもりなどなかった。
それでも、こうして示されてしまうと、多少は傷ついてしまうものなのだと自覚してしまう。
「そうか。マーシャもようやく、レヴィさんと一緒になれたんだな……」
「いや、結婚はしてねえよ。つーか出来ねえからなぁ。俺の場合、戸籍の問題があるし」
「でも、一緒に生きていくことには変わりないんだよな?」
「それはまあ、そうだな」
少しだけ照れた表情で答えるレヴィに、またトリスの心が痛む。
しかし表情には出さなかった。
ただ、マーシャとレヴィが幸せで居てくれることが嬉しかった。
それからマーシャの武勇伝……もとい暴走ネタを話したり、少しだけ嫉妬深いことも話題にしたりして、それなりに盛り上がった。
時間はあっという間に経過した。
あまりにも楽しい時間は、忘れるぐらいに流れが加速する。
レヴィの携帯端末が鳴ったことで、それは一区切りついたようだ。
「ちょっと待ってくれ」
「ああ」
「お、マーシャからだ」
「っ!」
マーシャからの連絡だと知って、トリスの表情が強ばる。
会いたいという気持ちはあるのに、会えないという気持ちが強いのだろう。
「………………」
その気持ちを正確に察したレヴィは、通話をスピーカーモードにした。
これならば、少なくとも声は聞こえるはずだ。
「………………」
せめて声だけでも聞かせてやろうという配慮に、トリスはまた泣きそうになる。
「レヴィ? なかなか戻ってこないけど、何してるんだ?」
「おう、マーシャ。ちょっとな。せっかくだからクレイドルをうろうろしているんだ。美味しいブレヒト蟹を出す屋台を見つけたぞ」
「ブレヒト蟹を屋台で? なんだそれは。正気じゃないな」
「だよな~。でもまあ美味いぜ。臓物の煮込みとか最強だな」
「それは私も食べてみたいな。今から合流してもいいか?」
「俺の方はもう満腹だからなぁ。折角だから明日にしないか?」
「それもそうだな。じゃあ明日で」
「おう。もう少ししたらホテルに戻るから、その後たっぷりもふもふさせてくれよな♪」
「そればっかりだな。まあいいけど。じゃあ待ってるから」
「おう。じゃあな」
そして通話は切れた。
「………………」
トリスは久しぶりに聴いたマーシャの声に表情を緩めていた。
昔と較べて随分と大人っぽい声になっている。
それでいて、幸せそうな声だった。
それだけで十分だと思えるほどに。
「俺は明日もマーシャとここに来るけど、トリスはどうする?」
「……俺は、いい。まだ会えないから」
「そうか」
会いたい。
ずっとずっと、会いたかった。
それでも、まだ会えない。
今の自分は、七年前から一歩も進んでいない。
目的を果たすまで、戻ることは許されない。
それが自身に課した誓いだから。
トリスは無意識に胸の辺りを握りしめていた。
服の下にあるのは、マーシャの尻尾の毛で作られた御守りだった。
トリスがリーゼロックから飛び出す前に、マーシャが託してくれた想い。
それを握りしめて、自分の気持ちを押し留める。
立ち止まりそうになる度に、諦めそうになる度に、この御守りを握りしめていた。
そうすることで、あの時の気持ちを思い出せるように。
戻りたい。
だけど戻れない。
あんな想いを抱えて生きていくぐらいなら、壊れるまで、燃え尽きるまで進み続けることを選ぶと決めたあの日。
それを思い出す度に、トリスは折れそうになる意志を奮い立たせてきた。
「トリス?」
苦しそうにしているとリスを心配そうに見つめるレヴィ。
「何でも……ない……」
「………………」
何でもないという表情ではないのだが、そういう青年の強がりをレヴィは理解していた。
自分にも覚えがあることだからだ。
辛い時にこそ、折れる訳にはいかない。
だからこそ、他人の前では強がる。
そしてもう一度立ち上がる。
そういう経験を、レヴィもしてきているのだ。
何を言っても無駄だろう。
止めたところで、止まらない。
放っておくことも出来ないが、だからといって止める権利も無い。
だからこそ、言えるのはたった一つの気持ちだけだった。
「トリス」
辛そうに俯くトリスの頭を、少しだけ強く撫でる。
「レヴィ……さん……?」
昔と同じように、くしゃくしゃと撫でる。
今はカツラで隠している獣耳がぴくんと動くのを確かに感じた。
本当はありのままのトリスを撫でてやりたかったが、それでも気持ちは伝わるだろう。
「何をするつもりなのかは知らない。止めるつもりは無いし、俺には止める権利も無い」
「………………」
「だけど、これだけは覚えておいて欲しい」
澄んだ金色の瞳が、荒んだアメジストの瞳をじっと見据える。
変わらないものと、変わり果てたもの。
それでも、変わらない関係だけは確かに存在した。
「俺も、マーシャも、クラウスさんも、トリスが戻ってきてくれるのを待っている」
「………………」
「今すぐじゃなくてもいい。トリスにも譲れない目的があるんだろう?」
「………………」
くしゃくしゃに顔を歪めたトリスが俯きながら頷く。
そんなトリスの頭を、更に優しく撫でるレヴィ。
「ただ、待っていることを頭の片隅にでもいいから、覚えておいて欲しいんだ」
「……分かってる」
「だよな。トリスはそういう奴だ」
「………………」
誰よりも優しかった少年。
成長して、闇に堕ちて、荒んでしまっても、奥底にある心だけは変わらない。
自分を心配してくれている人、慈しんでくれている人の想いを忘れたりはしないし、出来ない。
「待っている。俺たちはずっと、トリスを待っている。待っていても、いいよな?」
「うん……」
それは、トリスを縛り付ける言葉でもあった。
想いという鎖。
愛情という名の束縛。
それは時に人を縛り付け、そして踏み留まらせてくれる。
燃え尽きようとしているトリスを、ギリギリのところで踏み留まらせてくれる想いだった。
「いつか……帰りたい……」
二度と帰れないと覚悟していた。
それでも、帰りたいと願っていた。
クラウスが望んでくれたように。
マーシャが託してくれたように。
そして、レヴィが届けてくれたように。
「待ってるからな」
レヴィはトリスの身体を自分の方に引き寄せてから、そっと抱きしめる。
自分と同じぐらい大きくなったのに、まるで小さな子供のように弱々しい。
きっと根本の部分では何一つ変わっていないのだろう。
あやすように背中をぽんぽんと叩く。
しばらくはレヴィに身を預けていたトリスだが、すぐにその身体を離した。
「ありがとう。レヴィさん。でも、今はこれ以上、貴方に寄りかかれない」
「そうか。まあ、疲れたらいつでも言えよ」
「うん……」
安心出来る場所。
マーシャと同じように、トリスにとっても、レヴィの傍は心安らぐ場所なのだろう。
自分を心から心配して、労り、受け入れてくれる場所。
だからこそ、今はそこに身を委ねられない。
「そろそろ、行く」
「そうか。ここは奢っておいてやるから、元気でな」
「うん。ありがとう」
トリスはゆっくりと立ち上がって、レヴィに頭を下げてから立ち去っていった。
その後ろ姿は今にも壊れそうなぐらいに脆いものだったが、レヴィは何も言わなかった。
言葉で止まるぐらいならば、七年前に止まっている。
だから、今は好きにさせるしかないのだろう。
生きていてくれた。
どれほど変わっていても、生きていてくれた。
それだけで十分だった。
「やれやれ。マーシャになんて言えばいいんだ、これ」
生きていてくれたことは嬉しいのだが、マーシャにあんな姿のトリスを見せるのは気が引ける。
マーシャを傷つけたくはなかったし、何よりも、あんなトリスを見せたくはなかった。
しかしこのまま放っておくことも出来なかった。
何も言う権利はない。
それでも、何か出来ることはある筈だ。
きっと、マーシャも賛成してくれる。
だからこそ、トリスが何をしているのか、何をしようとしているのか、その情報が欲しかった。
「なあ、あいつって、よくここに来ていたのか?」
レヴィが立ち寄ると分かった以上、トリスはもうここには来ないだろう。
あんなに弱々しい自分に立ち戻ってしまうのは、トリスとしても本意ではない筈だ。
「ああ。といっても、いつもはあんな弱々しい感じじゃないけどな。どちらかというととげとげしいっつーか。まあ若
いのに悲惨なものを目にしてきたんだろうなって顔だ」
「………………」
「たまにまだ三回目ぐらいだが、臓物の煮込みとか、後は適当につまみを食っていったな。酒もそれなりに強い」
「だろうな……」
マーシャの酒豪っぷりを見る限り、トリスも同類だろうとは思っていた。
亜人が酒に強いのか。
それとも二人が別格なのか。
なんとなくだが、後者のような気がする。
「堅気じゃないことは分かっているが、支払いもしっかりしているし、悪い奴じゃないと思うんだがな」
「当たり前だ。トリスはすげーいい子だぞ」
「その様子だと知り合いか」
「昔会ったっきりで、すげー久しぶりだけどな」
「その割には随分と心を開いていたようだが」
「まあな。開いてくれたのは俺も嬉しいと思ってる。でも、だからこそ心配なんだよな」
「その辺りの事情はよく分からないが、また二人で来てくれたらサービスぐらいはしてやるよ」
「おう。期待してるぜ」
レヴィは支払いを終えてから立ち上がる。
屋台を後にしてから、マーシャの待つホテルへと戻るのだった。
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