シルバーブラスト Rewrite Edition
03-3 悪夢を越えて 2
「おーい。客だぞ」
「分かってる」
医者は立ち上がり、すぐに部屋を出て行った。
「……まさか追っ手じゃないですよね?」
「俺たちみたいな死に損ないを追うほど、エステリもエミリオンも暇じゃないと思いたいが、まあ違うだろ。いつもの奴だ」
「いつもの?」
「時間帯的に間違いないだろうよ。もうすぐ戻ってくる」
「?」
よく分からないオッドが首を傾げていたが、本当にすぐに戻ってきた。
「今日は目を覚ましてるから食えるな」
医者はトレイに入った弁当を二つ、持ってきてくれた。
「え……?」
「お前、三日ぐらい眠りっぱなしだったからな」
「まさか、残りの二日分は食事が無駄になったんですか?」
「いや。俺が二人前食った。だから無駄にはなってない。お前は栄養点滴してるから、問題無いしな」
「そうですか」
「今日は食えるだろう?」
「多分……」
まだ起き上がれない状態だが、覚醒している以上、空腹感はある。だから恐らく食べられるだろうと判断した。
「食べられないようなら栄養点滴してやるから言え」
「ありがとうございます」
それだけ言って医者は出て行った。
こちらに振り返ることもしない。
「ちょっと待ってな。飲み物も用意するから」
レヴィアースは立ち上がってから部屋の中にある冷蔵庫から飲み物を取り出した。
ボトルに入っているのは麦茶のようだ。
それを冷蔵庫の上にあるトレイに載せてあったグラスへと注いでいく。
「起き上がれるか?」
「……なんとか」
起き上がるとかなりの激痛が走ったが、少しは身体を動かしておかないと不味いことは自分でも分かったので、少し無理をする。
無理をしすぎるのは良くないが、多少の無理は自分の身体の状態を把握する為にも必要だった。
「ぐ……」
鎮痛剤の効果が切れかけている。
先ほどの医者は必要な点滴はしてくれても、鎮痛剤の投与は止めたようだ。
意識が無い間は痛みも無い方が睡眠で回復に専念出来ると判断したようだが、覚醒したのなら、ある程度の痛みに身体を慣れさせておくべきだということだろう。
その意見にはオッドも賛成だ。
痛みはあるが、生きている実感もある。
その感覚を鈍らせられるのはあまり歓迎出来ない。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「あまりそうは見えないんだけどな。ゆっくり食え」
「ありがとうございます」
突き刺して食べられるようにフォークを用意されていた。
病人食とはいかないが、それでもよく咀嚼して食べればしっかりと栄養になる。
オッドは一時間ほどかけて、ゆっくりと食事を済ませた。
「食べられたな」
「はい」
全部食べてくれたので、レヴィアースもほっとしたらしい。
「よし。じゃあ寝るか」
「……俺は起きたばかりなんですが」
「そうだな。でも俺が眠い」
レヴィアースはソファに寝転がって毛布を被る。
「ちょっと待って下さい。まさか、ずっとソファで寝ていたんですか?」
「そりゃそうだ。床に寝るのは嫌だったからな。ソファの方がずっと寝心地がいい」
「……代わりますから、ベッドを使って下さい」
「アホ。怪我人を差し置いて俺がベッドを使えるか」
「しかし……」
自分が寝込んでいる間、ずっとレヴィアースに負担を掛けていたかと思うといたたまれないオッドだった。
しかしレヴィアースの方も譲るつもりは無い。
「任務や訓練中の床雑魚寝に較べたら遙かにマシだ。気にするほどのことじゃない」
「………………」
「それよりも悪いと思うならさっさと治せ。元気になったら働いて返せ。俺が言いたいのはそれだけだ」
「……はい」
それがレヴィアースなりの不器用な優しさだということは分かっている。
彼はストレートに優しい時と、不器用に優しい時がある。
どちらも微笑ましいと思うのだが、対等と認めた相手には割と不器用で、保護しなければならない弱者にはストレートに接している。
そういった意味では対等と認められているので嬉しく思う。
「あの、一つだけいいですか?」
「何だ?」
「そのお金、本当にどこから引っ張ってきたんですか?」
それだけが気になっていた。
まさか犯罪に手を染めたのではないかと、心配になってしまったのだ。
「心配すんなって。真っ当とは言えないかもしれないけど、汚れた金じゃねえし」
「どういうことですか?」
「ちょっとな。金持ちの爺さんに伝手があるんだ」
「?」
クラウス・リーゼロックの事までは知らないオッドが首を傾げる。
「俺個人の伝手だからな。そこは気にしなくていい。そんで、その爺さんから一回限りのウルトラカードを預かっていたんだ」
「ウルトラカード?」
「レイス銀行のキャッシュカード。一回限りだが、二十億まで引き出せる。その後は足がつかないように処分しろって言われたから、切り刻んでゴミ箱に放り込んでおいたけどな」
「二十億……」
では、あの鞄に入っているのは二十億近くということだろうか。
「いや。この鞄に入ってるのは十億程度だな」
「残りは?」
「使った」
「は……?」
「だから、使った」
「ど、どういう用途で……?」
たった三日でどうやって十億もの金を使い切ってしまえるのか、それが気になった。
心配になったとも言う。
「まあ、いろいろだな。今後の逃走手段の確保とか、かりそめの身分証明の取得とか。情報屋と何でも屋と電脳魔術師《サイバーウィズ》に金をばらまきまくったから、一気に減ったんだよ」
「……一体どこからそんな伝手を」
「なんとなくかな。マティルダやトリスの時にそういった伝手を頼ってみた経験から、そういった奴らのいそうな場所とか、雰囲気とかがなんとなく分かるようになった。で、直感に従ってあちこち回ったりして、全部につなぎを取ったんだ」
「………………」
直感だけで恐ろしいことをしないで欲しい。
しかしそれで今後の安全が確保されるというのなら、呑み込んでおくべきなのだろう。
「明日は偽造身分証明を取りに行くし、ひとまずそれが出来ればエステリを出ることは出来るだろうな」
「そうですか。しかし偽造だとバレたら不味くないですか?」
「絶対にバレない偽造身分証明らしいから、出国チェックぐらいなら大丈夫だろうけど、それも今は不味いかな。表向きはテロリスト、裏事情はエミリオン連合軍との戦争状態だから、一般人の入出国にはかなりの制限がかかっているだろうし」
「では、しばらくここで足止めですか?」
「あんまり長居したくない」
「でしょうね。では、どうするんです?」
「密出国」
「え……?」
「五日後にエステリを出る貨物船に紛れ込ませてくれるってさ。荷物として船に運び込んで、出国前には乗組員のフリをさせてくれるらしいから、問題無いだろ。まあえらい金額をぼったくられたけどな。こっちも急いでいたから、足下見られてるって分かっても払うしかなかったんだ。ただし、金を払った分、船内労働は免除させた」
「……そんなことまで言われてたんですか?」
「ちょうど人手が足りていないタイミングらしくてな。乗せるついでに手伝えって言われたんだが、怪我人に労働させる訳にもいかないし、オッドには俺が付き添っておく必要があるし。無理だろ。だから金で解決した」
あっさりと言ってくれるが、既に庶民の考えではない。
どうしてそこまでぶっ飛んだ考えが出来るのか、不思議でたまらなかった。
しかしそれで生き延びることが出来るのならば、全て棚上げにしておくべきなのだろう。
「すみません。俺の所為で余計な金を使わせましたね」
「いいって。元々は使う予定の無かった金だ。それに、元々俺の金じゃねえし。あの爺さんには大きな借りが出来たから、いつかは返さなければならないけど、まあそれも今を凌いでからの話だな」
「その返済は俺も手伝いますよ」
「おう。是非ともそうしてくれ」
「じゃあ寝るぞ」
「はい。おやすみなさい、レヴィ」
レヴィアースは明かりを消してからソファで横になる。
そのまますぐに寝息が聞こえた。
「………………」
本当に疲れているのだろう。
すぐに眠ってしまった。
そんな時こそベッドを使って欲しいのだが、オッドの身体もまだ本調子ではない。
五日後には動き始めなければならないというのなら、その時にレヴィアースの足を引っ張らないよう、回復に専念するべきなのだろう。
「………………」
いろいろなことがあった。
いろいろな絶望があった。
しかし、レヴィアースは変わらない。
いつも通り、明るくて、磊落で、前向きな、優しい上官のままだ。
いや、もう上官ではないのか。
表向きは死んでいることになるのなら、次はどんな立場になるのだろう。
お互いに命の恩人だと言ってくれたが、どう考えても自分の借り分が多すぎる。
治療を受けられる環境を用意してくれて、命を繋いでいられる。
それはレヴィアースがあそこから必死でここまで命を繋いでくれたお陰だろう。
そして今後のことについても、レヴィアースがほとんど動いてくれている。
謎の金については金持ちの爺さんとやらが関わっているらしいが、レヴィアースが信用しているのなら、オッドに詮索するつもりはない。
いつかその人にも恩返しをしようと考えるぐらいだ。
オッドが寝込んでいる間に死んだ自分達の新たな身分と、この国からの脱出手段まで確保してくれている。
もしかしたら、ほとんど眠っていないのかもしれない。
「せめて、今だけはゆっくり休んでください」
オッドはそのまま横になった。
自分も少しでも休んで回復しなければならない。
これ以上、レヴィアースの足を引っ張ることだけは避けたい。
自分はレヴィアースを守りたいのだ。
守られたい訳ではないし、足を引っ張るなど言語道断だと考えている。
「………………」
しかしこの状況になって、改めて考える。
どうして自分はそこまでレヴィアースに拘っているのだろう。
尊敬する上官であることは間違いない。
戦闘機操縦に関しては天才であることも間違いない。
しかしそれだけだ。
戦場で、そして職場で関わる分にはそれだけで十分な筈だ。
しかしあの時は命の危険に晒されて、自分がまず生き延びなければならなかったのに、迷わずにレヴィアースを庇った。
自分を盾にしてまで、庇った。
そのことにオッド自身が驚いて、戸惑っている。
どうして自分はそこまでしたのだろう。
「………………」
まさか、恋愛感情?
「無いな」
きっぱり否定した。
断じて違う。
同性愛者を否定するつもりはないが、自分がそうではないことは、オッド自身がよく分かっている。
その証明に至る思考も明確で、レヴィアースとキスをしたいかどうかを考えるだけで済んだ。
断じて拒否。
これだけでも恋愛感情ではないことは明確だ。
だったらどうして、という疑問に立ち戻る。
「………………」
答えは出なかった。
分からない。
強いて言うならそれが答えだ。
しかし、案外そんなものなのかもしれない。
死なせたくないと思って、身体が勝手に動いて、今の状況がある。
理由を自覚しいる訳ではない。
だけど、そうしたかったのだ。
後悔なんてしていないし、これからもしないだろう。
「ああ、そうか……」
そして一つだけ分かったことがある。
四年前のレヴィアースも、きっとこういう気持ちだったのだろう。
ただ、助けたいから。
それだけの気持ちで、亜人の子供達を助けたのだ。
自分が危なくなることを承知の上で、そんなものは知ったことかと不安を吹き飛ばして、小さな子供達を助けた。
今も元気で暮らしているだろう子供達のことを、少し考える。
オッドは最後まで関われなかったけれど、幸せでいてくれればいいと思う。
「そういうことか」
深く考える必要なんてない。
ただ、そうしたいからしただけ。
自分のやりたいようにやる。
望むようにやる。
それだけなのだ。
そしてそれが正しいことを、オッドは知っている。
他人から間違っていると言われても、自分に後悔が無いのなら、それは正しいことなのだ。
自分で胸を張ってそう言える。
そういうことなのだろう。
そしてそんなレヴィアースの姿勢を自分もいつの間にか実践出来ていることが、少しだけ嬉しかった。
絶望の中でも前向きに、常に未来を見据えて、これからのことを考える。
それが出来る強さを、心の底から誇りに思う。
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