おクルマの営業

たんぴん

え、いきなりですか?

 
 自動車販社の営業は、土日及び祝日も出勤となる。普通に考えればわかるが、書き入れ時である土日が、お客様が来店しやすい日だ。
 基本的には月曜日が定休日(各社によって違う)且つ月に3日~4日程度での休日が付与される。したがって、連休は取りにくい環境とされている。
 また、年間休日は106日。連休はGW、盆、年末年始であり、少し物足りなさはあるだろうか。


 さて、本日からは初のフルタイムでの出勤になる。
 朝の儀礼的行為である、母親の叫びから1日が始まるが、目覚まし時計では起きないのに、あの叫びでは何故か目覚めてしまう。ルーチンとして身体が記憶してしまっているのだろう。近所からあの家はおかしいと噂をされても一向に文句は言えまい。


 母親は俺を起こすと同時に、アイロン掛けの有無を毎朝チェックしている。ちなみにやる日とやらない日と、メリハリをつけることでバランスをとっている。あれ、これって高度な駆け引きなのではないだろうか。そう考えてニヤリとした。
 さて、馬鹿らしいことを考えていないで、準備をするとしよう。


 いつもの髪型、いつものスーツ、いつもの煙草。


「コラー!  家で煙草吸うな言うてるやろ」


「あーはいはい、行ってくるわいや。煩いこと言うなや」


 これも毎朝のお馴染みだ。
 勘違いはして欲しくはないが、お互い嫌いあっている訳ではない。憎まれ口を言い合っている位の方が、我が家においては活気が出るのだ。


 母親は俺が2歳の頃に父親と離婚している。父親は俺以上のダメ人間で、詳細はわからないが浮気をした挙げ句に、家を出ていった。その後も養育費は一切もらってはいないそうだ。
 女手一つで育ててくれた母親には、内心感謝はしている。人生で一番報いたい人だが、今さら恥ずかしさが先行してしまいなかなか素直にはなれない。
 まあ、おれの性格は父親の血を引いたのだろうから、仕方がない。純血のクズ二世だと、そう自己完結している。


 家を出て駅まで歩く。
 毎朝出会う犬の散歩をしているおばあちゃんに挨拶をする。連れている犬種は柴犬だろうか。俺は毎朝この柴犬のケンを撫でてやる。目が白くなりかかっているため、高齢犬なのだろう。
 1ヶ月前は怯えていたケンも、いまや俺を見ると尻尾をふって飛び付いてくるようになった。
 このおばあちゃんとは本社研修の頃からいつもの公園前で毎朝会う。
 配属後に通勤時間が変わる話をしたら、わざわざ散歩の時間を変えて、毎朝待っていてくれるのだ。
 どんな気持ちでも、このおばあちゃんとケンと会うと気持ちが朗らかになる。言うなれば俺の精神安定剤だろうか。


「いってらっしゃい。気を付けてや」


「じゃあねーおばあちゃん。また明日!」


 朝の儀式二つを完了した俺は旭店への向かう。


「おはようございます」


 自分なりに元気良く挨拶をする。


「おはよう」
「おはようさん」
「うっす」


 皆が挨拶を返した。
 始業時間の9時半まではあと30分ある。


「春日井支店長。なにかやることはありますか?」


 春日井支店長は営業の須藤さんを呼び出した。


「おい、掃除用具の場所とやり方を榊原君に教えてあげてや」


 須藤さんは即答する。


「はい!  わかりました」


 須藤さんの後を着いていき、掃除用具を受け取った。
 掃除する場所を聞き、ショールームの綺麗にしていく。
 定時の9時半ではなく、9時に来いとはこういうことだったのか。


 俺は手際よく、ショールーム内を掃除していく。当然ながら昔は母親の手伝いをよくしていたので、家事全般は得意である。できないのではなく、やらないだけだ。そこは勘違いしないでいただきたい所なのだ。


 掃除が終わり、デスクに戻る。
 俺がショールームを掃除している間に、他の営業はショールーム外の展示車や試乗車を洗車している。
 これも毎朝のことなのだろう。


 掃除と洗車が一段落すると、ついに営業のミーティングが始まった。事務所では全員が起立し、支店長を見つめていた。
 支店長は各自の当日の動き及び見込みを報告させた。


 佐々木係長は今月は登録台数として4月受注分の登録待ちが5台あり、今月は既に3台の代替え見込みを保持しているようだ。


 補足すると自動車販社においては、営業スタッフの実績としてカウントされるのは、新車の登録月となる場合がほとんどだ。
 流れとして大まかに言及すると、(商談→契約成立→管轄警察署への車庫証明の届け出及び新車の検査登録後ナンバープレートの交付→納車)となる。
 したがって4月末に契約したとしても、登録業務が間に合わない為、営業スタッフの実績としては5月扱いになるのだ。




 その後、平川さんと宮田さんは見込み客への訪問活動をすると報告していた。支店長は戦略を語っている。


「須藤!  お前は?!」


 須藤さんがビクッとした。支店長が声を荒らげた。


「ありません…」


「は?」


「すいません。車検2カ月前のお客様から徹底的にアタックします。また土日の来店を促してとります」


「頼むわほんま。営業に0はないで。お前の分は誰かが助けてるんやで」


 初めて見る支店長の詰めである。正直に言えば怖い。目力が段違いな上に、普段の姿とのアンマッチさから、迫力を助長している。
 明らかに機嫌が悪そうだ。


 各スタッフには、年次に応じて各項目のノルマがある。
 それと同時に、所属スタッフ数や年次による店舗ノルマが存在する。当然ながら、一人が1台も売れなければ、他のスタッフが補填せねばならない。
 さらにノルマは月毎に、猛獣のように襲いかかってくるため、精神と肉体が休まるときはほぼない。厳しい世界である。


 これは研修の受け売りだが…  研修中に退職した二人はこれが引き金なんだろうか。


「榊原は今月のノルマとして車検をとってきてください。お客様がいないのはわかっています。まず1台。どんな泥臭い方法でもいいです」


 ???


「車検… ですか?」


 訝しげな表情…に、なってはいけない。
 まず言われたことをやってみよう。


「は、はい! 頑張ります」


 主旨が理解できない。
 お客様がいないのに車検なんて取れるはずないじゃないか。言ってることが、無茶の極みだ。


 支店長に先ほどの迫力は無くなっており、笑顔で俺に話しかけた。


「よし! じゃあ今日は1日外に出ても構いません。やれることをやってください」


 営業ミーティングは解散になり、各々が目的に向け散らばって行き、営業側の事務所は支店長と営業事務の松原さんだけになってしまった。


 俺もとりあえず社外に出た。
 どうしろと言うのだ。勘弁してくれ。
 方法など、停まっている車の車検ステッカーを見て訪問する意外に思い付かない。
 今時そんなアナログな営業など存在するのでしょうか…
 春日井支店長は昭和のパラダイムに生きていると言うのか。


 こうして意味のわからない指令を出され、社外に放り出された俺は、旭区内を放浪することになってしまった。


「勘弁してくれー!」


 と、小言で呟き、買い物に出かける主婦、呑気にお散歩に興じるご老人の列を抜けて、住宅街に歩を進めた…



コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品