『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~

時雲

235話 ワインの痕跡

 空港を出発して三時間後、夕食を終えた正巳達は席を立っていた。

 ――耳には、小型通信装置を付けている。

「どこ行くなの?」

 お腹をさすりながらサナが聞いて来る。

「実は、この機体の下部に特別なシェルターを入れていてな、そこでゆっくり出来るようにしてあるんだ。簡易版ではあるが、VR訓練機も一機入っている筈だからな。暇はしないと思うぞ」

 数日前、マムが機体の安全チェックをしていた際に、『特殊貨物扱いでシェルターを入れられそうです』と連絡して来た。

 どうやら、貨物代金としてはそれなりに高い金額を払う事になるみたいだったが、このシェルターさえ入れられれば色々と役立つと言う事らしかったのだ。

 その辺りは全てマムに任せた正巳だったが、出発前マムからシェルターの機能を聞いて、暇な時間に利用するのも良いと思っていた。

「外暗いから丁度良かったなの!」
「そうだな、夜は夜で綺麗だが景色は変わらないからな」

 サナに頷きながら、通路後方へと歩いて行く。

 途中、白いシャツを着た男と目が合ったが、男は正巳からサナへと視線を動かすと、微笑を浮かべて軽く会釈してくる。

 人のよさそうな中年の男だが、きっと二人を親子とでも思ったのだろう。

 軽く会釈を返しながら通り過ぎた。

「さて……」

 座席の間を抜けた正巳とサナは、そのまま通路へと進んだ。
 通路へと一歩入った正巳は、顔は前に向けたまま視線だけを動かした。

(……そうだよな、来るよな)

 視界の端には手すりがあったが、その湾曲した鏡面には僅かに動く影が映っていた。

「サナ、この先に乗務員が一人いる。トイレまで気を引いてくれ」
「分かったなの!」

 サナが通路の先、"乗務員専用"と書かれた場所に入って行くのを確認しながら、二つの内片方のトイレに入る。すると、サナと乗務員の女性らしき人の会話が聞こえて来た後、二人の話し声と足音が近づいて来た。

「それじゃあ、お父様は寝ているのね?」
「そうなの、起こすのは悪い子なの」

 もし、父親を呼びに行くなんて言われたら困っていたが、流石サナだ頭が回る。

「あらあら、良い子なのね~」
「そうなの、良い子なの!」

 ……これは、演技では無く本当に喜んでそうだな。

「はい、ここがトイレよ。途中にあったのだけど、気付かなかったかしら」
「ぜんぜんだったなの、ありがとうするなの!」

 どうやら、手前が埋まっている事を確認して、通り過ぎた奥のトイレに案内してくれたらしい。ここまでは予定通りだが、あとは……

「いいえ~良いのよ。それより、一人で出来るかしら?」
「大丈夫なの、それよりさっきあっちで何か呼んでる人がいたなの!」

 それで良い。

「あら、それじゃあ私は聞いて来るわね。お嬢ちゃんは――」
「大丈夫なの、しっかり手を洗うなの!」

 恐らく、他の何かを言おうとしたのだろうが、サナの誘導回答によって頷いていた。そうして、サナに気を付けて席に戻るよう言い、歩いて行くのを確認した後でトイレのドアを開けた。

「上出来だ」
「簡単なの!」

 サナの嬉しそうな顔を見ながら、通信機を通してマムに連絡を取る。

「それで、この後はどうするんだ?」

 事前に機体の図面でも確認して来ていればよかったのだが、生憎そんな事はしていない。

『そのまま進むと、調理場の床に梯子があります。そこを下りれば、貨物室へと通じる通路がありますので……あの、やっぱりマムも行った方が良かったのでは……』

「いや、それだと何かあった時に困るだろう。三人席で誰もいないとなれば、怪しまれる事間違いなしだしな……それと、何処で接触あるか分からないからな、頼むぞ」

 少し心配げなマムに応えながら、念を押しておいた。

 その後、マムとの通信を終えた正巳は、マムの話の通りに調理場へと辿り着いていた。

「よし、それじゃあ開けるぞ?」

 そう言った後、サナが頷いたのを確認して床のハッチを開いた。

 通常ここが開くと、操縦室やら機長室なんかにアラームが行く筈だ。しかし、それ等はマムによってコントロールされている為、心配する必要はない。

「よし、サナから入ってくれ」

 頷いて下りて行くサナを確認した正巳は、気配を探った。

(……うん、ちゃんと付いて来ているな)

「いいなの~」

 サナからの合図に頷いた正巳は、そのまま下に降り始めた。

「……よし、それじゃあ行くか」
「いいなの?」

 通路に降りた正巳は、サナの不思議そうな視線と上を指差すジェスチャーに頷く。

「ああ、ここでは色々と面倒だからな」
「……わかったなの」

 頷いたサナに、『良い子だな』と頭を撫でながら、目的の場所まで歩き始めた。

 ――その背後には、戸惑うような気配があったがそれも直ぐに消えていた。


 ◇◆


 私はしがない記者だった。

 しかし、つい半年と少し前に書いた記事で注目を集め、異例の最高売り上げを達成したのが切っ掛けで、今では異例の出世を果たして記者部門の副部長にまで昇進していた。

 そんな私が何故、飛行機……しかも所謂"ロイヤルクラス"と言う超VIP席に座っているのか。これには、私自身未だに状況を理解できていなかった。

 つい三日前だ。

 部長に呼び出された私は、会議室――しかも役員会議の際に使用する特別な部屋――へと入室した。先ず、ここまでで驚くべき事なのだが――通常部長以上の準役員クラスでないと入室出来ない――入室した私は、そこで二度驚いた。

 先ずは、部長が下座に座っていた事。

 ……いや、これは大したことではないのだが、何分普段から『我々記者部が会社の基幹部署であり、会社を支えているんだ!』――などと口にして憚らない人なのだ。大人しく下座に座っている事に驚いた。

 そして、その部屋には会長以下役員が勢揃いしていた事。

 ……いやいやいや、これには驚くと言うよりはタマゲタ。しかも、開いているのは会長と社長の横の上座も上座だ。そこにいた面々の視線から、(さっさと座れ!)と言っているのは明らかだった。

 恐る恐る、そのおっそろしい席の前に立った私は、自分の所属と氏名をフルネームで名乗った。これは、別に促されたわけではないが、自分がここにいても良いのかという問題提起だったのだと思う。

 私の所属から氏名まで、きっちりと聞いていた会長及び社長役員の面々だったが、聞き終えた後に立ち上がると手を差し出して来た。

 訳も分からずその手を握った私だったが、社長の言葉を聞いて更に混乱した。

 社長はこう言った。

「いやぁ~君は優秀だと聞いていたが、これほど優秀だったとは!」

 当然何の事だか分からず聞き返したのだが、どうやらそれが謙遜していると思われたらしい。

「おいおい、そんなに謙遜する事はないだろう。なんせ、国内で唯一許されると言う特別な取材に、首相自らの手紙によって指名されたのだからなあ!」

 ……全くもって人違いだと思ったが、嬉しそうに社長が差し出した手紙には、確かに現首相にして過去最長政権を誇る"長期政権"の長の名前が記されていた。

 思わず、本物かどうか聞いてしまったが、会長曰く『首相が直接持って来た』らしかった。

 その日は、あまりの事で思わず有給休暇を申請したのだが、社長直々に許可されてしまった。

 それから、あれよあれよという間に前日を迎えた。

 そして今現在、私は座り心地の良い広いボックス席に横になっている。

「ふぅ、早く休んで明日に備えなくてはいけないんだけどなぁ……」

 どうしても気が高ぶって寝つけない。

 どうせ寝られないならと、テレビでも見ようかとした時だった。

 ひとつ前の機体――ここはロイヤルクラスだが、前はビジネスクラスになっている――から、一人の男と幼い子供が歩いて来るのが見えた。

 男の方は、それ程寒くもないのに長そでを着ており目を引いたが、少女がチラリと見えるとそんな事はどうでもよくなった。

 少女は、それこそファッション誌なんかに取り上げられても、なんら可笑しくなさそうな美少女だ。しかも、その髪は透き通るようなホワイト。

 ……もしかしたら、二人はモデルと担当者の関係なのかも知れない。

(いや、もしかすると移動の際に付く護衛か?)

 男が近づいて来るにつれ、普通とは明らかに違う肉体――長袖の下からでも分かる筋肉質な身体――をしているのに気が付いて、そんな事を考えていると視線が合った。

 慌てて誤魔化そうとしたが、少女がそっと男の袖を掴んでいるのを見て落ち着いた。

(こんな少女に懐かれるのだから、きっと良い人だろう)

 軽く会釈すると、男も返して来た。

(ほら、やっぱり良い人だ)

 安堵を感じ、思わず息を付いた。

「……ワインでも飲んで寝るかな」

 そんな事を呟いた男だったが、その直後やって来た乗務員に同じ事を頼んだ。

「あの、すまないがワインを貰えるかな? 晩酌に欲しいんだけど」

 すると、乗務員の女性が笑顔で言った。

「お客様でいらっしゃいましたか、ご用意させて頂けるのはワインは16種類ございまして――……」

 説明を聞きながら、(まだ呼んでなかったんだけど丁度良かった)と思った。

 その後、寝る前に良さそうなおすすめのワインを頼んだ。

 乗務員の女性に頼んでいる最中、反対側の通路を歩いて行くフードを被った人が見えた。

 もしかしたら、自分以外に乗務員を呼んだ人だったのかも知れないと焦ったが、何となく慌てた様子だったので、単にトイレに行きたいだけだったのかも知れない。

 その後、届けられるワインを待ちながら横になったのだが、ゆっくりと暗くなって行く機内に自然と意識が薄れ始めていた。

 何となく、薄れる視界の中ワインが届けられた気がしたが、きっと夢だったのだろう。そのワインを届けたのは、話をした乗務員では無く淡く光を反射する、ホワイトカラーの髪をした女性だった。


 ◇◆


 眠りに落ちた男を確認したマムは、手に持っていた注文通り・・・・のワインを、そっと脇のデスクに置いた。

 本来であれば、こんな事自分の主人以外にはしたくないのだが、それも仕方がない。

「……あんなことがあったんじゃ、ね」

 僅かにスカートの裾が朱に染まっていたが、それを手で覆うとその後には、綺麗さっぱりその跡さえ消えていた。

「さて、あとはあの人間に替えの服を着せて戻りましょうか。……パパが戻って来た時に心配しないように、完璧にしないといけないしね」

 呟いた後、少し前まで地で赤く染まっていた調理場へと向かった。

 そこでは、運悪く"そのタイミングを見てしまった女性"と"命がけの任務に潜んでいたひとり"の邂逅の跡が未だに僅かに残っていた。

 それらは、僅かな凹みだったり傷だったりしたが、それ等は全て元のように戻さなくてはならない。そう、――全ては余計な心配をしなくても良いように。

 その後、修復中にあったマムだったが、通信回線が開いた事に安堵した。

「――マム、貨物室の非常ゲートを開いてくれ。ちょっと大きなゴミがあってな、それを捨てなきゃいけないんだ」

 間違いない。
 "対処"した後なのだろう。

 機内の警報システムアラームをコントロールしながら、指定のあったゲートを開いた。ここは、非常時に脱出する為の"脱出口"の一つだが、同時に非常用のパラシュートも付いている。

「……後で補給ですね」

 その後、主人からの『ありがとう』という言葉に酔いながら、寝かせていた女に"血液生成"の効果のある治療薬を飲ませた。

 普段主人の為の物を分けるなどあり得ないが、この時は褒められた直後で、気分が高揚していたのだろう。少しはこの嬉しさを分けても良い、そう判断していた。


 ――その後、数時間経って女性乗務員は目が覚めるのだが……やけに体調の良い事と、記憶にない仕事の跡を見て(よっぽど疲れがたまっていたのかしら。それでも、ぐっすり寝たせいか気分が良いわね)などと、のんきな感想を持ったのであった。

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