『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~

時雲

193話 条約締結

 アブドラの提案が歓声によって迎えられた後、護衛として来ていた大臣によって条約の内容が読み上げられた。驚いた事に、読み上げた大臣は長い条約を全て暗記しているようだった。

 マムのサポートがあればまだしも、全て暗記してそらんじるのは、流石に正巳でも難しいだろう。途中途中、こちらの顔色を確認しながら読み上げる様子を見て、何となく察した。

 恐らく、この短い期間でかなり根詰こんつめて作成したのだろう。心なしか顔色が悪い気がする。招いた後に倒れられても困るので、食事の中に栄養価の高いものを出させておこう。

 その後もつらつらと読まれていった条文を聞きながら、その内容を確認していた。内容的には特別おかしなところは無かった。そればかりか、どう考えても正巳達にとって利となる内容が多かった。

「――第二十六条、双方の輸出入品には関税として必要最低限度の管理税を徴収し、その管理は国が行う事とする。第二十七条、前ニ十六条に於いて問題が生じた際……――第三十条、両国に於いて第三国若しくはそれに準ずる存在から侵略された場合、双方の協議の上にあって、あらゆる手段を以って事にあたるものとする。第三十一条、双方は一方的な侵略をしない事を誓い、あらゆる問題は双方の責任者の協議によって収める者とする――」

 一通り確認したが、どうやら通常段階を踏んで取り交わしていく内容の大半を、一度の条約の中に詰め込んで来たらしい。

 てっきり相互不可侵と協力国の二つの内容だけかと思ったのだが……

「ふむ、悪くないんじゃないかな」

 隣で今井さんが漏らしているが、正巳も同じ意見だった。

 アブドラ側の提示したのは、非常に助かる内容だったのだ。

 特に、食料や物資に困った際に助けを求められると言う点や、こちらで特産品が出来た際に輸出の道が出来たのは大きい。今後を考えると、外貨を稼ぐ事も今後必要だろう。

 一応、日本政府との共同事業で、ある程度の外貨稼ぎが出来ると思うが、収入源を複数つくるのはリスク分散の面で必須だ。

 その後条文が最後まで読み上げられた後で、マムによって宙にその条文の内容が投影された。投影された内容は、子供達に分かり易くひらがなが多く、その内容も意味訳されていた。

 ……侵略された場合の相互協力についてなど、『わるい人が来たときは、お互いにそうだんしてやっつける』と書かれてある。確かに分かり易いのかも知れないが、国家間の条約をこんな風にまとめてしまうとは恐るべき"マム"だ。

 幸いな事に、アブドラ側には表示されている文字を読める者は居ないらしかった。もし、読める者が居たら気分を悪くしたかもしれない。

 恐らく、その事も十分に分かった上でやっているのだろう。

 折角なので、子供達の意見も聞いてみる事にした。

「皆はこの内容についてどう思う?」

 正巳がそう言った瞬間、四方八方から一斉に手が上がった。

 手を上げているのは、子供達の中でも年長の子が多かったが、一部小さな子が精一杯大きな声で『おにいちゃんといっしゃ!……しょ!』と言っていた。

 その子は、周囲の子に慌てて口を押えられ、その後小さく手を上げ直していた。

 その様子を見ながら、聞き方を失敗したと思った正巳は、改めて聞き直した。

「それじゃあ、この条約に反対の子はいるかな?」

 そう聞いた正巳は、その質問に対して数人の子が、手を上げたままである事に驚いていた。てっきり、全会一致で賛成だと思ったのだが……

 面白いと思いながら、手を上げたままの子に理由を聞いてみる事にした。

「ここまで来て理由を聞かせてくれるかな?」

 そう言ってみて、何となく威圧してしまっていないか気になった正巳だったが、どうやら問題なかったようだ。正巳の前まで来た子供は、全部で三人居た。

「理由を聞かせてもらえるか?」

 最初に聞いたのは、13、4歳になるであろう女の子だ。

 正巳の問いかけを受けて、真っすぐに口を開く。

「はい。私は反対です。他の国の為に皆が傷付くのは見たくありません!」

 若干唇が震えているが、それでもその視線は真っすぐと揺らぎが無かった。

 ……なるほど、確かにもっともな意見だ。

「そうだな、確かにそれはもっともな意見だ。しかし、我々が困った時に外部から助けがあると言うのは心強いし、いざと言う時の選択肢にもなるんだ」

 そう言った正巳に、少女は頷きつつも不安げな表情を浮かべている。
 ……それはそうだろう。正巳は、まだ少女の問いに答えてはいない。

 感情的にならない少女に感心しつつ、少女の視線に合うようにひざを屈めると言った。

「大丈夫だ。外に出て、他の国の為に何かをしなくちゃいけない時は、俺がどうにかするから」

 『約束だ』と言うと、頷いた少女は『わかりました』と言ってから小さく続けた。

「……その、おにいさ――正巳様が強いのはよく分かっています。でも、絶対に無理はしないで下さいね……私達には正巳様しかいないので」

 少女の言葉にどう答えたものかと思ったが、どうにも言葉にならなかったので、頷く事しか出来なかった。

 恐らく、正巳は少女とのこの約束を守る事は出来ない。それでも少女に頷いたのは、ただその場をやり過ごす為だけでは無かった筈だ。

 少女が足取り軽く戻るのを見守ってから、次の子に聞いた。

「理由を聞いても良いかな?」

 次の子は、10歳程だろうか利発そうな黒髪の男の子だった。

 男の子は、キュッと結んでいた口を開くと言った。

「良い人は騙される、悪い奴は付け込む、お兄ちゃんは良い人」

 どうやら、口下手なようで感情を言葉に出来ず、悔しそうにしているのが良く分かった。

「そうだな……別に俺も良い奴だとは限らないさ――な?」

 そのままでは男の子の緊張がほぐれそうになかったので、問いかけの向きを変えた。話しかけたのは、マムの通訳に集中している様子のアブドラだった。

 アブドラ達にどんな通訳をしているのか気になって、少し聞き耳を立ててみたが……どうやらマムは話の内容が変わらないように、それでいて伝える必要のない事は省いて通訳していたらしい。

 通訳で正巳の質問内容を聞いたアブドラが言った。

「良い奴か……そうだな、その点に関して言えば間違いなく"良い奴"だな! ただし、仲間以外――敵にでもなれば最悪な災厄、悪魔と言ってもそう遠くは無いだろうな。それこそ笑って頭蓋骨を砕いてそうなイメージすらあるな!」

「お、お前――」

 大真面目な顔をしてそんな事を言い始めたアブドラに、思わず素で突っ込みそうになった。しかし、途中でマムが『大丈夫です。訳さなければよいのです!』と言ったので如何にか留まる事が出来た。

 全体には、会話の前半のみが訳されたらしく、正巳が動揺したのも、単に照れ隠しの同様だったと解釈されたみたいだった。

 何となく生暖かい視線が気に入らないが、それでも怖がられるよりは良いだろう。

 正巳が一人で慌てているのを見て、アブドラは笑っていたしライラも同様だった。笑っている二人に(後で覚えていろ)と心で呟きながら、すっかり脱線してしまったので話を戻した。

「そうだな――名前は?」
「カイトです」

 どうやら、思惑通り多少は少年の緊張も解れたみたいだ。カイトと名乗った少年に『良い名前だな』と前置きをすると言った。

「もし、カイトがこのおじさん達を悪い奴だと思っているなら、今はそれでも良い。しかし、それは相手をよく見て"判断"しなくちゃいけない事なんだ」

 そこで言葉を切ると、少し間を開けてから言った。

「カイトは、良く知ろうとしたかな?」

 正巳の言葉を受けた少年は、ハッとした顔をした後で考える仕草をしていた。その後、正巳とアブドラ達の間を二度ほど、視線を行き来させてから言った。

「……ごめんなさい。僕には、良い人かどうか分かりませんでした」

 そう言って視線を床へと向けた少年だったが、直ぐに正巳の目を真っすぐに見ると言った。

「でも、僕の信じるお兄ちゃんを信じます!」

 その真っすぐな言葉と視線を受けた正巳は、『俺の判断を信じてくれてありがとう』と答えた。少年は、一度だけアブドラの方を見て会釈すると戻って行った。

 その後、最後の子供に質問した正巳は、これまた少し違った問題が生まれ始めている事に気が付く事になったのだった。

 出て来た子供達の内最後の一人は、12歳ほど――最初と二番目の子供の間位の年齢の、男の子だった。その男の子は、栗毛色のウェーブのかかった髪をしていた。

 男の子は、物怖じしない性格のようで、自分の番が来た事を知ると一歩前に進み出てから言った。その口調には、ゆるぎない"確信"が込められていた。

「私のような者が近づく事を許して下さり感謝します。あぁ、我が全てはあなた様の物ですが、ただ一つだけ許せない事があります。そ・れ・は、あなた様が主人であるにもかかわらず、それを理解しない者達であり、同じ様に上位者に従う事の出来ない者達です! あぁ、私は幸いな事にこうして我が主人に全てを捧げる心が与えられました! そう、これこそ正に奇跡です! 我が主人にして全てであるあなた様には……――」

 その後も延々と始まった一種の"狂気"に、正巳はただ固まる事しか出来なかった。

 ……この様な人々は、訓練で赴いた紛争地帯で見て来た。その多くが心に深い傷を負い、その結果縋るモノを求め狂信的な邪教を生み出した"被害者"達だった。

 目の前でナニカが起こり始めている――いや、既に起きていたのを知った正巳は、咄嗟に目の前の少年を抱きしめていた。

 何かを考えてした訳では無かったが、咄嗟にそうする"必要"があると思ったのだ。

 しばらくの間、訳の分からない事を呟いていた少年だったが、正巳はその声に上書きする様にして『大丈夫だよ、俺達は一人じゃない。辛い事も抱える必要はない。一人じゃないんだ、もう大丈夫』と繰り返していた。

 その後、何か溜まっていた物が決壊する様に、少年は正巳にしがみ付いたまま泣き始めてしまった。そのまま少しの間泣いていた少年だったが、やがてそのまま寝息を当て始めた。

 大勢の子供達の前だったが、どうやら少年の目には正巳しか映っていなかったらしい。少年は正巳にしがみ付いたまま寝ていた。どうしようかと思ったが、無理に剥がすのも可哀想だった為、そのまま続きを行う事にした。

 アブドラ一向に向き直ると言った。

「待たせたな、こちら側もその内容で同意する」

 アブドラは、一瞬呆気に取られていたようだったが直ぐに戻って来た。

「あ、あぁそうだな、そうか……うむ、分かったそれでは署名を持って、ここに条約の締結を宣言しよう。これで、我々は正式に友好国から同盟国へとなった!」

 その後、アブドラの宣言通り署名した後で手を交わし、子供達の見守る中その証とした。

 予定通り条約の締結を終える事は出来たが、まさか子供を背負ったまま条約を取り交わす事になる等とは思ってもいなかった。

 何か言って来たらどうしようかとも思ったが、何か言われる前に全てを済ませてしまった為、心配は杞憂に終わった。

 一先ず、条約の締結とその証を交わし終えた正巳は、アブドラと話して報酬の件に関しては、食事を摂りながらする事とした。

 既に並べられているテーブルの一つにアブドラ一向を案内した正巳は、少し離れる事を伝えると、その場は今井さんや上原先輩に任せる事にした。

 ミューの伝令とハクエンの指示によって夕食の宴会準備が進んで行く中、何となく、今日の事は複数の面でその後色々面倒な事になりそうだと考えていた。

 一つは背中で寝ている少年の件で、もう一つはその少年を背負ったまま条約を締結した事だ。後者に関しては、後々『子守の正巳』等と言われる気しかしない。

 面倒な事ではあるが、呼ばれても特に嫌な気分にはならないだろうし、問題無い気もする。まあ、通り名として定着するのだけは勘弁してほしいが。

「……問題は少年か」

 背中に重みを感じながら、呟くとマムが言った。

「中々見どころがある少年ですね、パパ!」

 とても嬉しそうに言うマムに注意する。

「おいおい、冗談はよせ。それが健全な信仰であればまだしも、まさか俺が神となる訳が無いだろう。それに、この手の問題は色々と影響が大きい」

 そう言った正巳に、一瞬不思議そうにした後で『神の定義にもよると思いますが、私からすればその位置に居るのはマスターとパパです』と言っていた。

 しかし、少し考えてから『人が人を信仰対象とするのは、マムがマムをパパとして扱うのと同じくらい不自然だと思えば、納得できます』と結論付けたみたいだった。

「今回のは、内面に残っている傷が表面化して来たのだろう」

「なるほど、見かけ上問題無くても、内部的には問題が悪化しているという事ですか……人間というものは厄介なものですね」

 マムに頷きながら言う。

「そうだな……それでなんだが、この子と同じような精神状態にありそうな子を、ピックアップしてリスト化して欲しいんだ。後々ケアに回りたくてな」

 正巳の言葉を聞いたマムは、嬉しそうにすると言った。

「パパのお願いなら!」
「ああ、頼むな」

 心の傷を治癒するのは時間が掛かるだろが、決して直らないモノではない。傷が膿んでしまう前に解決する事にした正巳は、しばらくの間は時間を見つけて少年との時間を作る事にした。

 今は一先ず少年を休ませることにして、マムが持って来てくれた布に包むと、近くに来た給仕の子達に少年の事を頼んでおいた。

 その後、アブドラ達の待つテーブルへと戻ると言った。

「さて、報酬とやらの話を聞きたいが、面倒な事は無いだろうな?」

 早速釘を刺した正巳に、アブドラは言った。

「見合うだけのモノが用意できたかは分からないが、少なくとも傭兵への報酬としては過去に例が無い破格の報酬の筈だ。それに、必要であれば可能な範囲で王令を出す事も出来るぞ?」

 そう言って不敵に笑むアブドラに、どこまで本気か問い正したくなった。

 と言うのも――王令と言うのは、王の印を持って王が出す法令の一種で、王政国家に於いては最上位の法令だったと記憶しているのだ。それに、モノによっては王であっても、過去自分の出した王令を取り消す事が出来ない程に効力のある法令の筈だ。

 余り重要だと考えていなかったが、どうやら思ってもいなかった利がありそうだと、少しだけ期待し始めていた。気になっているのは、今井と上原も同じだったらしく、隣のテーブルで大臣達と席を共にしながらも、耳はこちらへと向いているみたいだった。

 正巳達のテーブルに付いているのは、正巳とアブドラのみの差し飯・・・だった。ただ、其々脇に小さなテーブルを置き、護衛であるライラとサナはそこで夕食にするようではあったが……

 それ迄静かにしていたサナだったが、正巳と視線が合うと言った。

「あのね、サナはお肉が良いと思うなの!」

 どうやら、待ちきれないらしかった。

 思わず笑みをこぼすと、アブドラにも確認をしてから言った。

「ククッ、そうだな。それじゃあ、持って来てくれ!」


 ――晩餐会が始まった。

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