『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~
127話 胸の痛み
ユミルはザイに抱えられた状態で、その光景を見ていた。
……大型の獣が暴れまわった後のようだ。
視界の何処かしらに転がる死体と、血の匂い。
ある者は首、ある者は胸、ある者は背中……
人によってその箇所は違うが、どの死体にも致命傷となる傷があった。
中には拳銃を握りしめ、息絶えている者もいる。
硝煙の匂いがしない事から、銃器類は使用されなかったのだろう。……ドンパチする暇も無かったのか、屋内と言う事で単純に使用されなかったのかは、分からないが。
部屋に入って来たザイの足の運びを見た限りだと、腰の後ろに少なくとも一丁は所持している筈だ。それに、腕に当たる感触から胸にも一丁あると分かる。
確かザイには、『二丁銃』と言う通り名があった。
以前本人に尋ねた所、『若気の至りです……』と誤魔化されてしまったが、間違いなく銃器の取扱は一流だろう。そのザイが、銃を使用していない。
……何故ザイがここに居るのか分からないが、"依頼"を出した人物が綾香の父親――弘瀬組であるならばここに居る理由も、銃を使用していないのも分かる。
ザイは、『娘を助ける為』等と言ってはいたが……少なくとも、ホテルに所属している内は私情で動く事は出来ない。
それらも含めて、弘瀬組の依頼の線が強いだろう。
弘瀬組が依頼したのであれば、『銃器の使用禁止』と言っている可能性が高い。理由は複数あるが、一番は『警察の介入防止』だろう。
公的機関である警察は、個人の事情など考慮しない。
見るのは、その行為が違法かそうでないかだ。
そんな事を考えていたら、ザイが扉から外へと出た。
建物の外に出たが――そこにも、異様な雰囲気が充満していた。
何とも言えない静けさがある。
中庭には、常に何人かの警備が居たと思ったのだが……
不思議に思っていたが、結局一人も居なかった。
もう直ぐ"2400"――24時になる。
しかし、幾ら深夜だからと言って、ここ迄人気が無い物だろうか……?
ふと、中庭の池に何かが見えた気がした。
……池の周りが濡れている。
気にはなったが、一瞬の事で確認できなかった。
……ザイが新たな建物に入ってしまった為だ。
建物に入る際に、扉が留め具から外されていた。
……修理中だったのだろうか?
一応、痛みに対抗する術は身に着けているが、動く度に擦れる"傷口"が気になって来ていた。……失血は止まっている。しかし、判断能力に影響が出ているのだろう。
急に現れた男を、察知出来なかった。
その男は、片手にナイフを持ち、もう片方の手はだらりと下げている。
……?
ザイが、落ち着いた様子で話しかけた。
「……サナ様、デューとバロムはまだ?」
すると、出て来た男がそのまま数歩、歩いて来て……倒れた。
男が倒れた後に、少女が居るのが分かる。
「残りをやっつけに行ってるなの……お姉ちゃん?」
「そうですか……ユミルは、無事です」
……少女が近づいて来て――ザイがユミルを抱えたまま屈んだ――ユミルの手を握る。しかし、その感覚が伝わってこない。
「……ぁさ……ぃえ」
話せない事を、忘れていた訳では無いが『ごめんなさいね』と口から出て来た。
「お姉ちゃん、お手て動かないなの?」
サナが、首を傾けながら聞いて来る。
ユミルがどう伝えたものかと迷っていると、ザイが言った。
「……ええ、でも大丈夫でしょうね。帰ってから休めば良くなりますので」
「そうなの?」
直ぐな瞳で覗き込んでくる。
そんなサナに、コクリと頷いた。
……少しだけ胸の何処かがチクリとした。
ユミルの心境を、知る筈もないであろうサナだったが――数秒の間、ユミルとザイを交互に見つめた後で、口を開いた。
「……大丈夫なの、お兄ちゃんにお願いするなの!」
そう言ったサナに、ザイは優しい顔をして『ええ、そうですね』と言った。
……こんな傷が治る筈がない。
恐らく、サナもザイも"優しい嘘"を付いているのだろう。
その気持ちだけで、何か満たされる物を感じた。
「あぃ……ぅ」
『ありがとう』と言いたかったのだが、案の定言葉にならなかった。
ただ、その気持ちは伝わったようで、サナが『それじゃあ、早くなの!』と言い始めた。
……考えもしなかったが、どうやらこの場所にはサナの他に、神楽様が来ている様だった。ザイが『神楽様』と漏らしていたが、聞き間違いだと流していた。
何だか信じられない事だったが、神楽様一向が"訓練"を受けたとすれば、どうにか納得出来る。
大方、訓練の一環、実戦経験として来ているのだろう。
偶々、その実践経験の最中に"弘瀬組"から依頼が来て、偶々神楽様達に鉢が回った。……この流れであれば、何ら不思議じゃない。
"訓練"と"実践"にサナくらいの小さな"少女"がいる事には、多少の疑問が残るが……だとしても、お客様の事を詮索するのは良くないだろう。
――"ホテル"として、顧客情報を収集する事はあっても、詮索する事はあり得ないのだ――
通常の"訓練"は、数年単位での研修になる。
これが、私の様に"経験者"であれば別なのだが、神楽様の様な一般の方だと、少なくとも一年はかかるだろう。とすると、神楽様が居るという場所には、少なくとも一人もしくは、二人の補助員が付いている筈だ。
……サナが一人で出て来た事と、目の前で倒れている男の事はいまいちよく分からない。そもそも、サナから何かとんでもない猛獣かの様な気配がするのも、既に色々とダメージを受け過ぎた影響だろう。
「それでは、目的地に向かいましょう……上階は、どの様に?」
「まだなの……」
「了解しました、それでは私が――」
「大丈夫なの! ……マム?」
元気よく『大丈夫!』と言った後で、サナが何やら耳に手をやっている。
恐らく、通信装置の類いだろう。
「……分かったなの!」
サナがそう言うと、すたすたと歩いて行く。
その後をザイが付いて行くと……そこには、パネルの付いた扉があった。
「ここなの? ……なの!」
疑問符を浮かべたと思ったら、こちらを向いて扉を指差す。
……?
ユミルが不思議に思ったのと同じで、ザイも疑問を感じたのだろうが、何かを聞く前にその扉が開いた。
「……自動昇降機でしょうか?」
「そうなの、真っすぐお兄ちゃんの所なの!」
どうやら、この中に乗れば良いらしい。
……ザイは何も言わずに乗り込んだ。
普通であれば、有事の際に自動昇降機を使う事の無いザイだが、今回は何も言わずに乗っている。
その後、サナが『先に行ってるなの』と言うと、ドアが閉まった。
……当然、ボタンなどは無く、何か操作した訳でもなかった。
どうやら、このエレベーターは何処かの階への直通らしい。
外に付いていたパネルで、使用の為の認証を行うのだろう。
先程、何か操作しているようには見えなかったが、ユミルには1つだけ、心当たりがあった。
――恐らく、ナビだろう。車の制御が出来るような存在であれば、エレベーターの制御が出来ても可笑しくはない。
そんな事を考えていたら、エレベーターの扉が開いた。
「……」
僅かに反応したザイにつられて目を向けると、そこには二人の男が床に伏せっていた。
……窓ガラスが割れ、倒れた男の内一人の腕に刺さっている。状況から考えて、屋上からの"降下襲撃"をしたのだろう。
ザイは一瞬足の重心を片方に移動させて構えたが、直ぐに構えを解いた。
「一人は突入時に始末。もう一人は肘から上腕にかけて破壊の上、気管部の押圧。ですか……」
ザイの呟きを聞きながらも、ユミルは別の事に頭が行っていた。
……割れた跡からは、どう考えても一人としか計算出来なかった。
……訓練の内の"試験"であれば、一人が突入後に同じ場所から突入する事も、無くは無いのだろうが……それにしても、わざわざそんな試験方式を取る必要が有るとは思えない。
基本的に"試験"は、同時突入時の連携を"試験"する事が多い。
一人で突入させて、その対処を"試験"するなど、いざと言う時のサポートが出来ない為、ほとんど例が無いはずだ。あるとすればそれこそ、話に聞いた事がある"総支配人試験"の際などだろう。
何はともあれ、中に入れば直ぐわかる。
……目の前にある"扉"を入りさえすれば。
ユミルの気持ちを汲んだわけでは無いだろうが、ザイは進んで行くと、扉に手を掛けた。
……扉が開いて行く。
恐らく、鍵なんかの類は、特に掛かってなかったのだろう。スムーズに開いた。
そして――
ユミルの目には、ある光景が映し出されていた。
「……ぁぐ……まぁ?」
そこには、少しの希望と期待を描いていた人物がいた。
――その腕に綾香を抱き、口元を交わらせて……。
――
その光景を見た時、それまで考えていた"試験"やら"訓練"やら、その他のあらゆる事が吹き飛んでいた。そして、残ったのは純粋な疑問。
(どうして二人は口元を交わらせているの?)
凡そ、恋愛と言う経験をした事が無いユミルにとって、二人が行っている行為が理解できなかった。……いや、『理解できない』のではなく、『思考を止めた』と言う方が適切だろう。
冷静に考えると、そんな事はあり得ないのだが、二人のしている行為が何か特別な意味のある事に思えたのだ。――実際"治療"と言う面で意味があったのだが……
ユミルは、胸に感じるチクリとした痛みに『痛みは制御しているのに、なんで?』等と、見当違いの事を考えていた。
……と、それ迄舌を動かす様にしていた神楽が顔を離した。
こっちには気が付いている様であったが、その視線はまだその腕の中の綾香にある。……何となく、こっちを向いて貰いたくなったが、ふと、綾香の様子が普通ではない事に気が付いた。
綾香の様子をよく見ようと、目を凝らす。
すると、その状態が次第に分かって来た。
……四肢のあちこちが傷められ、全身から血が滲んでいる。更には、その頭部は一部が抉れており、片方の眼球は潰れている様ですらあった。
どうして…………『うぇ……ぁ』……声にならない声が漏れる。
もしかすると、先程の口づけは綾香の"最後の願い"だったのかも知れない。
◆
ユミルが、見当違いな事を考え始めた所で、ソレは起こり始めた。
……綾香の全身が熱を持ち始める。
次第に熱は高くなって行き……遂には、手を振れているだけで火傷しそうな熱さになった。
――しかし、正巳は手を離さなかった。
「……もう少し頑張れ、ほらユミルも来てるんだ」
そう声を掛けると、少女は薄っすらと目を開いた。
――潰れた筈の片目に、膜の様なモノが張っている。
「……ぃル……?」
「そうだ、ユミルだ」
再度声を掛けながら、少女を励ました。
――喉元の細胞が盛り上がって来ている。
「もう少しだけ頑張れ、ほら、もう皆で帰れるんだから」
「……みん……な……?」
――体の節々に見える傷が塞がっているのが見える。
「ああ、そうだ。……伍一会は無くなるんだ」
「……お父さんにあいたい」
「大丈夫、会えるさ」
「ほんと……に?」
少女はそう言ってみて、自分の体に起きた"変化"に気が付いたのだろう。
驚いた様子で、自分の手や足を眺め、自分の頭を触っていた。
「……悪いな、その、欠損していた部分は、元の通りには治らなかった」
少女は、髪の一部は黒髪に交じって薄っすらと赤色が、その片目は赤の混じった黒へと変わっていた。それに、薄暗いから余計なのか、再生した方の瞳が仄かに灯って見える。
「いえ……その、ありがとうございます」
……正巳の腕の中に居た事に気付いた綾香が、飛び跳ねるようにして起きた。
「ああ、治って良かった……」
そう言いながら、先程から視線を感じていた方に目を向けた。
「……ユミル」
正巳が目を向けた先には、初老に片足を入れているであろう男――ザイに抱えられた女性が居た。その様子を見ると、込み上げて来るものがあった。
……大型の獣が暴れまわった後のようだ。
視界の何処かしらに転がる死体と、血の匂い。
ある者は首、ある者は胸、ある者は背中……
人によってその箇所は違うが、どの死体にも致命傷となる傷があった。
中には拳銃を握りしめ、息絶えている者もいる。
硝煙の匂いがしない事から、銃器類は使用されなかったのだろう。……ドンパチする暇も無かったのか、屋内と言う事で単純に使用されなかったのかは、分からないが。
部屋に入って来たザイの足の運びを見た限りだと、腰の後ろに少なくとも一丁は所持している筈だ。それに、腕に当たる感触から胸にも一丁あると分かる。
確かザイには、『二丁銃』と言う通り名があった。
以前本人に尋ねた所、『若気の至りです……』と誤魔化されてしまったが、間違いなく銃器の取扱は一流だろう。そのザイが、銃を使用していない。
……何故ザイがここに居るのか分からないが、"依頼"を出した人物が綾香の父親――弘瀬組であるならばここに居る理由も、銃を使用していないのも分かる。
ザイは、『娘を助ける為』等と言ってはいたが……少なくとも、ホテルに所属している内は私情で動く事は出来ない。
それらも含めて、弘瀬組の依頼の線が強いだろう。
弘瀬組が依頼したのであれば、『銃器の使用禁止』と言っている可能性が高い。理由は複数あるが、一番は『警察の介入防止』だろう。
公的機関である警察は、個人の事情など考慮しない。
見るのは、その行為が違法かそうでないかだ。
そんな事を考えていたら、ザイが扉から外へと出た。
建物の外に出たが――そこにも、異様な雰囲気が充満していた。
何とも言えない静けさがある。
中庭には、常に何人かの警備が居たと思ったのだが……
不思議に思っていたが、結局一人も居なかった。
もう直ぐ"2400"――24時になる。
しかし、幾ら深夜だからと言って、ここ迄人気が無い物だろうか……?
ふと、中庭の池に何かが見えた気がした。
……池の周りが濡れている。
気にはなったが、一瞬の事で確認できなかった。
……ザイが新たな建物に入ってしまった為だ。
建物に入る際に、扉が留め具から外されていた。
……修理中だったのだろうか?
一応、痛みに対抗する術は身に着けているが、動く度に擦れる"傷口"が気になって来ていた。……失血は止まっている。しかし、判断能力に影響が出ているのだろう。
急に現れた男を、察知出来なかった。
その男は、片手にナイフを持ち、もう片方の手はだらりと下げている。
……?
ザイが、落ち着いた様子で話しかけた。
「……サナ様、デューとバロムはまだ?」
すると、出て来た男がそのまま数歩、歩いて来て……倒れた。
男が倒れた後に、少女が居るのが分かる。
「残りをやっつけに行ってるなの……お姉ちゃん?」
「そうですか……ユミルは、無事です」
……少女が近づいて来て――ザイがユミルを抱えたまま屈んだ――ユミルの手を握る。しかし、その感覚が伝わってこない。
「……ぁさ……ぃえ」
話せない事を、忘れていた訳では無いが『ごめんなさいね』と口から出て来た。
「お姉ちゃん、お手て動かないなの?」
サナが、首を傾けながら聞いて来る。
ユミルがどう伝えたものかと迷っていると、ザイが言った。
「……ええ、でも大丈夫でしょうね。帰ってから休めば良くなりますので」
「そうなの?」
直ぐな瞳で覗き込んでくる。
そんなサナに、コクリと頷いた。
……少しだけ胸の何処かがチクリとした。
ユミルの心境を、知る筈もないであろうサナだったが――数秒の間、ユミルとザイを交互に見つめた後で、口を開いた。
「……大丈夫なの、お兄ちゃんにお願いするなの!」
そう言ったサナに、ザイは優しい顔をして『ええ、そうですね』と言った。
……こんな傷が治る筈がない。
恐らく、サナもザイも"優しい嘘"を付いているのだろう。
その気持ちだけで、何か満たされる物を感じた。
「あぃ……ぅ」
『ありがとう』と言いたかったのだが、案の定言葉にならなかった。
ただ、その気持ちは伝わったようで、サナが『それじゃあ、早くなの!』と言い始めた。
……考えもしなかったが、どうやらこの場所にはサナの他に、神楽様が来ている様だった。ザイが『神楽様』と漏らしていたが、聞き間違いだと流していた。
何だか信じられない事だったが、神楽様一向が"訓練"を受けたとすれば、どうにか納得出来る。
大方、訓練の一環、実戦経験として来ているのだろう。
偶々、その実践経験の最中に"弘瀬組"から依頼が来て、偶々神楽様達に鉢が回った。……この流れであれば、何ら不思議じゃない。
"訓練"と"実践"にサナくらいの小さな"少女"がいる事には、多少の疑問が残るが……だとしても、お客様の事を詮索するのは良くないだろう。
――"ホテル"として、顧客情報を収集する事はあっても、詮索する事はあり得ないのだ――
通常の"訓練"は、数年単位での研修になる。
これが、私の様に"経験者"であれば別なのだが、神楽様の様な一般の方だと、少なくとも一年はかかるだろう。とすると、神楽様が居るという場所には、少なくとも一人もしくは、二人の補助員が付いている筈だ。
……サナが一人で出て来た事と、目の前で倒れている男の事はいまいちよく分からない。そもそも、サナから何かとんでもない猛獣かの様な気配がするのも、既に色々とダメージを受け過ぎた影響だろう。
「それでは、目的地に向かいましょう……上階は、どの様に?」
「まだなの……」
「了解しました、それでは私が――」
「大丈夫なの! ……マム?」
元気よく『大丈夫!』と言った後で、サナが何やら耳に手をやっている。
恐らく、通信装置の類いだろう。
「……分かったなの!」
サナがそう言うと、すたすたと歩いて行く。
その後をザイが付いて行くと……そこには、パネルの付いた扉があった。
「ここなの? ……なの!」
疑問符を浮かべたと思ったら、こちらを向いて扉を指差す。
……?
ユミルが不思議に思ったのと同じで、ザイも疑問を感じたのだろうが、何かを聞く前にその扉が開いた。
「……自動昇降機でしょうか?」
「そうなの、真っすぐお兄ちゃんの所なの!」
どうやら、この中に乗れば良いらしい。
……ザイは何も言わずに乗り込んだ。
普通であれば、有事の際に自動昇降機を使う事の無いザイだが、今回は何も言わずに乗っている。
その後、サナが『先に行ってるなの』と言うと、ドアが閉まった。
……当然、ボタンなどは無く、何か操作した訳でもなかった。
どうやら、このエレベーターは何処かの階への直通らしい。
外に付いていたパネルで、使用の為の認証を行うのだろう。
先程、何か操作しているようには見えなかったが、ユミルには1つだけ、心当たりがあった。
――恐らく、ナビだろう。車の制御が出来るような存在であれば、エレベーターの制御が出来ても可笑しくはない。
そんな事を考えていたら、エレベーターの扉が開いた。
「……」
僅かに反応したザイにつられて目を向けると、そこには二人の男が床に伏せっていた。
……窓ガラスが割れ、倒れた男の内一人の腕に刺さっている。状況から考えて、屋上からの"降下襲撃"をしたのだろう。
ザイは一瞬足の重心を片方に移動させて構えたが、直ぐに構えを解いた。
「一人は突入時に始末。もう一人は肘から上腕にかけて破壊の上、気管部の押圧。ですか……」
ザイの呟きを聞きながらも、ユミルは別の事に頭が行っていた。
……割れた跡からは、どう考えても一人としか計算出来なかった。
……訓練の内の"試験"であれば、一人が突入後に同じ場所から突入する事も、無くは無いのだろうが……それにしても、わざわざそんな試験方式を取る必要が有るとは思えない。
基本的に"試験"は、同時突入時の連携を"試験"する事が多い。
一人で突入させて、その対処を"試験"するなど、いざと言う時のサポートが出来ない為、ほとんど例が無いはずだ。あるとすればそれこそ、話に聞いた事がある"総支配人試験"の際などだろう。
何はともあれ、中に入れば直ぐわかる。
……目の前にある"扉"を入りさえすれば。
ユミルの気持ちを汲んだわけでは無いだろうが、ザイは進んで行くと、扉に手を掛けた。
……扉が開いて行く。
恐らく、鍵なんかの類は、特に掛かってなかったのだろう。スムーズに開いた。
そして――
ユミルの目には、ある光景が映し出されていた。
「……ぁぐ……まぁ?」
そこには、少しの希望と期待を描いていた人物がいた。
――その腕に綾香を抱き、口元を交わらせて……。
――
その光景を見た時、それまで考えていた"試験"やら"訓練"やら、その他のあらゆる事が吹き飛んでいた。そして、残ったのは純粋な疑問。
(どうして二人は口元を交わらせているの?)
凡そ、恋愛と言う経験をした事が無いユミルにとって、二人が行っている行為が理解できなかった。……いや、『理解できない』のではなく、『思考を止めた』と言う方が適切だろう。
冷静に考えると、そんな事はあり得ないのだが、二人のしている行為が何か特別な意味のある事に思えたのだ。――実際"治療"と言う面で意味があったのだが……
ユミルは、胸に感じるチクリとした痛みに『痛みは制御しているのに、なんで?』等と、見当違いの事を考えていた。
……と、それ迄舌を動かす様にしていた神楽が顔を離した。
こっちには気が付いている様であったが、その視線はまだその腕の中の綾香にある。……何となく、こっちを向いて貰いたくなったが、ふと、綾香の様子が普通ではない事に気が付いた。
綾香の様子をよく見ようと、目を凝らす。
すると、その状態が次第に分かって来た。
……四肢のあちこちが傷められ、全身から血が滲んでいる。更には、その頭部は一部が抉れており、片方の眼球は潰れている様ですらあった。
どうして…………『うぇ……ぁ』……声にならない声が漏れる。
もしかすると、先程の口づけは綾香の"最後の願い"だったのかも知れない。
◆
ユミルが、見当違いな事を考え始めた所で、ソレは起こり始めた。
……綾香の全身が熱を持ち始める。
次第に熱は高くなって行き……遂には、手を振れているだけで火傷しそうな熱さになった。
――しかし、正巳は手を離さなかった。
「……もう少し頑張れ、ほらユミルも来てるんだ」
そう声を掛けると、少女は薄っすらと目を開いた。
――潰れた筈の片目に、膜の様なモノが張っている。
「……ぃル……?」
「そうだ、ユミルだ」
再度声を掛けながら、少女を励ました。
――喉元の細胞が盛り上がって来ている。
「もう少しだけ頑張れ、ほら、もう皆で帰れるんだから」
「……みん……な……?」
――体の節々に見える傷が塞がっているのが見える。
「ああ、そうだ。……伍一会は無くなるんだ」
「……お父さんにあいたい」
「大丈夫、会えるさ」
「ほんと……に?」
少女はそう言ってみて、自分の体に起きた"変化"に気が付いたのだろう。
驚いた様子で、自分の手や足を眺め、自分の頭を触っていた。
「……悪いな、その、欠損していた部分は、元の通りには治らなかった」
少女は、髪の一部は黒髪に交じって薄っすらと赤色が、その片目は赤の混じった黒へと変わっていた。それに、薄暗いから余計なのか、再生した方の瞳が仄かに灯って見える。
「いえ……その、ありがとうございます」
……正巳の腕の中に居た事に気付いた綾香が、飛び跳ねるようにして起きた。
「ああ、治って良かった……」
そう言いながら、先程から視線を感じていた方に目を向けた。
「……ユミル」
正巳が目を向けた先には、初老に片足を入れているであろう男――ザイに抱えられた女性が居た。その様子を見ると、込み上げて来るものがあった。
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