『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~

時雲

125話 間一髪

 正巳が部屋に入る数十分前、一人の少女が連れられて来ていた。

 その少女は、何を言われたのか、特別抵抗する様子も無かった。

 特徴的なのは、その長い黒髪と強い意志を感じる黒い瞳だ。

 その黒い瞳は、一人の男を映していた。

 部屋の隅に灯った豆電球が、部屋内をオレンジ色に染めている。

 ――淡い光で、気持ちが落ち着く。

 オレンジ色に染められた部屋内に、月の光がスリットを入れている。

 ――まるで、絵本の中の様な雰囲気だ。

 ……状況とはそぐわない、落ち着いた雰囲気がそこに在る。

 普段であれば、落ち着いて一杯紅茶でも……となるのだろうが、今はそんな余裕がない。それこそ、コレ・・が夢であれば、"悪い夢"として話の種にでもなったのだろう。

 ……食いしばった唇からは、鉄の味がした。

 27度目のソレ・・が迫る。

 ――ふと、護衛として一緒に暮らしていた女性ひとの事を思い出す。

(ユミもこんな目に合っているのかしら……)

『"バチンッ!"』

 左膝に、焼けるような痛みを感じる。

 ――声を漏らさないように呻く。

(もし、ここにユミが一緒だったら、もう少し我慢できるのに……)

 ……28度目の準備に入ったのが見える。

 下劣な男だとは思っていたが、正直ここ迄だとは思わなかった。

 噂で、その趣味・・の事や子飼いにしている者達の事を、聞いた事があった。しかし、噂で聞くのと、実際に目で見るのとは、天と地ほどの違いがあった。

 噂では、あくまでも"少女趣味"や"SM趣味"としか聞いていなかった。
 しかし実際は、そんな可愛らしいモノではない。

 視界の端で床に裸で横たわる少女……まだ8歳にもならないだろう。そして、すぐ横の壁には、元の顔立ちが分からない程ボロボロになった少年がいる。

『"バチン!"』

 少年に目を向けたタイミングで、鞭が体を打ち据えた。

 ――体を絞られたような、千切られたような痛みが走る。

「ッツ! ぅ……」

 思わず声を漏らすと、鞭を振るっていた主が嬉しそうにする。

「むっふ~たまらんねぇ」

 ……舐めまわすような視線で、見て来る。

「どうだぁ? そろそろ、私の物になるって言ったら楽になるぞぉ?」

 少し前だったら諦めていたかも知れない。

 ――しかし、今は私の護衛あのひとがいる。

 ……誰よりも強く美しく温かい、ユミお姉ちゃん。

 前回も、前々回も、もう駄目だと思った時に、助け出してくれた。

 今度も、きっと来てくれる。

 そう信じて、口を開いた。

「醜いですね、自分で慰めでもしたらどうです――『"バヂン!!"』」

 29度目は顔の左側、頬の上を掠った。

 頭部への衝撃が理由か、単に大した傷ではないのか、痛みは感じなかった。

 しかし、明らかな異変があった。

 さっき迄は確かに見えていた筈の、視界の半分・・が暗くなっていた。

 ……もしかすると、額が切れて、血が目に入っているのかも知れない。

「うるせぇ!」

 そう叫んだ後で、『お前ら親子揃って見下して来やがって』などと呟いているが、父が誰かを見下す事は見た事が無い。ただ、決まりを守らない者には厳しいのは確かだが……

 呟きながら、鞭の柄の部分を"ガシガシ"と噛んでいる。

 どうやら、相当頭に血が上っているようだ。

 腕を震わせながら、鞭を持ち上げたり下ろしたりし始めたが……?
 鞭の先に、髪の毛が絡まっているのが見えた。

 どうやら、先程鞭が当たった際に、ごっそりと持って行かれたらしい。
 ……ユミに洗って貰った、髪の毛なのに。

 極限の状態にあるせいか、異常なほど頭が回る。
 現状を整理してみると、相当に不味い状況だ。

 痛みはないものの、見えなくなった視界が回復する気配がない。
 ……例え生きて出られたとしても、治らないかも知れない。

 それに……鞭に絡め取られた髪の毛を見るに、無理やり引っこ抜かれた様に見える。
 抜かれた箇所からは、二度と髪が生えないかも知れない。

 ……女としては、醜い姿だろう。
 ……だとしても、ユミならきっと――
 片眼が不自由でも、醜い姿でも、側に居てくれるだろう。

 もしかしたら、今までよりもよりもずっと近くに、ずっと一緒に居てくれるかもしれない。

 ――そう考えてみると、笑みが漏れて来た。

『一つだけ……一つだけ、大切なものが残れば、それで十分』

 自分では気が付いていなかったが、その時、綾香は一つの"極地"に居た。

 その姿は美しかった。

 そんな綾香を見て、部屋の主である男……岩斉保文は、振り下ろした鞭を思わず止めそうになった。しかし――

 ――既に手遅れだった。

 綾香に向けて振り下ろされた鞭は、残された眼球を確かに捉えていた。

 ……岩斉は鞭に関して、それなりの手練れだった。
 狙った場所を外すほど、腕は悪くない。
 一瞬手元がブレたが、その程度で影響はないのだ。

 ――鞭の先が当たろうかと言う瞬間だった。

 部屋の温度が、急激に下がったかのような"悪寒"が走った。

 ――体を駆け抜ける寒気。

 肌が泡立ち、首筋に手を這わせたくなる。

 そして――……ソレ・・を見た。

 紅い髪を揺らしながら、綾香との間に立つ――"鬼"。

 その姿は、"鬼"としか言い表せない。

 ……その"鬼"と、鞭で繋がっている。

 綾香に鞭が当たる寸前に、"鬼"が掴んだのだろう。

 鞭の先端は、視認できるような速さではない。それを掴むとは……

 思わず後ろに倒れ込むが、握ったままだった鞭のお陰で、一瞬体が止まった。

 ……背中が浮いている状態だ。

 本当だったら、鞭など今すぐ手離したい。
 しかし体が、腕が、思うように動かない。

 だが、問題無い。

「お、お前を言い値で雇ってやろう……そうだな、毎月一千万で――」

 誰しも、金の持つ魔力には抗えない。

 そう、聖職者であっても、人を導くような立場の者であっても。

 だから、金で釣ろうとした。

 しかし……

「ヴぁッ?」

 思いっきり引かれた鞭に引っ張られ、前につんのめる。

 そして、そのまま床に顎と肩を打ち付けた。

「貴様ぁ――」

 『何をしているのか、分かっているのか!』そう言おうとしたが、最後まで言葉が続かなかった。その瞳を見た瞬間、何も言えなくなった。

 ……太ももの辺りに、生暖かいものを感じる。

「動くな」

 男の言葉にただ、頷く他なかった。







 正巳は、部屋の中に入った瞬間、理性が吹き飛んだのを感じた・・・

 この状態になると、自分でも制御ができなくなる。

 だからこそ、部屋に入る前、"自分に"言い聞かせたのだ。

 しかし、無駄だった。

 中の光景が目に入って来た瞬間、全てを理解した。
 理解したのと同時に、タガが外れたのだ。

 正巳が見たのは、男による蛮行の痕だった。

 床に横たわる少女と、その状態。
 壁にもたれている少年は、元の顔が分からない程に痛々しい。
 木に拘束されている少女は、特に危険な状態だ。

 気に拘束されている少女……綾香は、片方の目からは血が出ており、その頭部は一部が抉れていた。

 ……自然に体が動き、綾香へと迫っていた"鞭の先"を掴んだ。

 正に、"間一髪"だった。
 コンマ一秒遅れていたら、鞭の先端が当たっていた。

 普段の正巳であれば、その欲するままに目の前の男……"伍一会の岩斉"を始末していただろう。しかし――

 不思議な事に、正巳は落ち着きを取り戻していた。

 明確な理由は分からない。

 ただ、正巳の脳裏には、一瞬見えた綾香の表情が残っていた。

 その表情かおはとても安らかで、"何故か目が離せない"そんな魅力があった。

 そんな事を考えていたら、岩斉が何やら戯言たわごとをほざいて来たので、手に握っていた鞭を引いた。

 岩斉が倒れたのを横目で見ながら、綾香の様子を確認しようとしたが、岩斉と言う男は存外、打たれ強いようだった。

 ……岩斉が憤慨した様子で『貴様!』と続けている。

 そこで、殺気を込めて短く『動くな』と言った。

 ……流石に"殺気"には耐性が無かったようで、失禁していた。

 このままでは、床に横たわった裸の少女が汚れてしまう。

 そこで、少女を抱き上げると、毛皮のコートで包んで床に寝かせた。

 このコートは、部屋の隅に掛けられていた物で、無駄に高そうだ。
 
 ……僅かに視線を感じる。

 そちらを見ると、岩斉が拳を握りしめていた。

 ……本当に打たれ強いと言うか、懲りないと言うか、このままでは無駄な手間が増えそうだったので、先に拘束しておく事にした。

 腰に付けたポーチの一部を上に引くと、一本のワイヤーが出て来るので、そのワイヤーを持って岩斉の前まで行く。

「俯せになれ」
「……くそっ」

 どうやら、一応は観念したらしい。
 ……油断などしないが。

 少し殺気を含ませて命令する。

「両手を後ろに組め」
「ひぃっ」

 ビクッとした後で、大人しく腕を後ろに回している。
 それにしても、随分と良いものを食べているようだ。

 ……腕がむっちりしている。
 ……ボンレスハムみたいだ。

 岩斉の腕を掴むと、ワイヤーを一周させ、もう片方の腕も同じようにする。そして、ワイヤーを回した両腕を最後にまとめた。

 足も同じように縛ったが、危うく岩斉の"水溜り"に足を付けそうになった。

 下手に動かれると、色々な意味で困るので、足の方はきつめに縛って置いた。

 ……これで、一先ず大丈夫だ。

 ワイヤーで特殊な縛り方をした。
 もし強引に解こうとしたら、ワイヤーが喰い込む事になる。

 岩斉を縛り終えたので、再度三人の状態を確認した。

 ……優先順位が一番高いのは、木に拘束されたままの綾香だろう。

 服は破け、両腕の打撲痕も酷いが、出血及び頭部へのダメージ……特に、眼球の状態が心配だ。このままでは、取り返しのつかない事になる可能性がある。

 流石に、死んでしまったら手の施しようがなくなる。

 ……死んでさえいなければ大丈夫だ。

 状態を視認しながら近づいたが、何やら反応が悪い。

 ……『安心したのに、再び不安になって来た』と、そんな所だろうか。

(何故だ?)

 そう考えてみて、ふと自分の姿の事を思い出した。

「マム、ヤモ吉の視点を出してくれ」

 そう言うと『はい、パパ!』と返事があり、薄暗い部屋の中に立つ"般若の面"を付けた男が見えた。……これは、俺でも怖い。

「……マム、面を外してくれ」

 そう言うと、マムが『カッコ良いのに……』と言いながらも、外してくれた。

 ……外れた仮面を見ると、普段通りのツルっとした能面に戻っている。

「さて、これで良いか?」

 そう、綾香に話しかけると、心なしか表情が和らいだ。

「外すぞ?」

 そう言いながら、綾香を拘束している器具を解いて行く。

 途中、腕の拘束を外した時点で倒れ込んで来たので、体を支えながら拘束を完全に解いた。

 再度、その容態を確認する。

 ……一刻を争う事態だ。

 綾香の表情を伺うに、痛みは感じていない様だが、恐らく"脳の安全装置"が働いたのだろう。これは、"正気を保てなくなる程の痛みが生じている"と言う事だ。

 人間の脳は上手く出来ていて、強すぎる信号が来た場合、全ての信号をシャットアウトするのだ。シャットアウト……つまり、"痛み"と言う信号を脳が受け取らなくなる。

 つまり、今のまま放っておくと、痛みを感じないまま――死んでしまう。

 綾香を見ながら("治療"の手段を用意しておいて良かった)と心底ホッとしていた。

「マム、治療だ……」
「はい、パパ。綾香さんの容態ですと……レベル3の治療薬を使って下さい」

 持って来た治療薬は、"レベル1~5"迄の5種類だが、その内『レベル3』と言う事は、"効力が3段階目に強い"と言う事だ。

 ……逆に言えば、まだ二段階上があると云う事でもある。

 正直、正巳自身もレベル毎に、どの程度の効力が有るのかを知らない。

 と言うのも、正巳が過去使ったのは、"レベル1"を一度のみのなのだ。

 あの時は、両足を複雑骨折していた者の治療をした。

 『治療をした』と言っても、治療薬を飲ませただけだが……翌日にはすっかり良くなって、走り回っていたのには驚いた。

 そんな事を思い出しながら、マムに『分かった』と答えた。

 "レベル5"でも良い気がしたが、マムが『レベル3』と言ったのだ。

 特に問題無いのだろう。

 そう判断したところで、上着の内ポケットから、淡い赤色を帯びた薬品を取り出した。

 ……前回使用した際に『変な効力(ハク爺を治療した時の様な)は無いよな?』と聞いた。すると『はい、大丈夫です。逆巻さんに使用したのは、試験薬だった"原液"なので……完成品は、元に"治す"だけです!』と答えがあった。

 マムの説明に納得していたら、その後で『"原液"の場合、きちんと個人に対して調整しないと、最悪即死ですからね……パパにそんな危険な物渡せません!』と呟いていて、『ハク爺、失敗してたら……』と少し青くなったのだった。

 何にせよ、この治療薬を飲ませなくてはいけない。
 見た感じ、既に体を上手く動かせなくなっているようだ。

「……飲めるか?」

 綾香の口元に、治療薬の入った容器を添えるが……口元が微かに震えるだけで、飲む事が出来ない。少し口元に流し込むも、飲み込めずに溢してしまっている。

 一応、視線は薬を追っているが……薬は其々一種類しか持って来ていない。治療にどれくらいの量が必要か分からないが、これ以上少なくなると、取り返しがつかない可能性がある。

 そこで、正巳は残りの治療薬を口に含んだ。

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