『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~
96話 休息 [許可]
『治療薬が出来ました』と言って来たマムに対して、少し考えてから答えた。
「直ぐに配る事は、避けた方が良いだろうな」
勿論、この場で配る様な事をするのは論外だが、それ以外でも”いつ、どこで、誰に”治療していくかは、考える必要があるだろう。
もし、マムが言う『治療薬』が、ハクエンを治療したような効果を満遍無く示すようであれば尚更、目に触れる範囲を絞る必要があるだろう。
……ハク爺に関しては、施設でハクエンに会っている可能性が高い為、当然治療薬に関して知っている可能性が高い。傭兵と云う職業柄、その価値についても人一倍理解しているだろう。
そもそも、ハク爺自体が瀕死の怪我をしていた訳で、治療薬の効果を体感している可能性すらある。
当然、それら投薬の判断は今井さんがしていた筈だ。
今井さんが判断を間違えるとも思えないが……
状況を考えると、ハク爺及びハクエンの治療に当たっていた看護士、担当医が居るのは確実だ。周囲の医療関係者が、起こった出来事を把握しているのは確実だろう。
まあ、このホテルに招聘される程の医療関係者が”患者”の個人情報を簡単に漏らすとは思えないが……だとしても、一番情報漏洩の可能性が高いのはこのルートだろう。
俺から『直ぐには投薬は出来ない』と聞いたマムは、疑問などを口にする事も無く『はい、パパ!』と言った。
一応、マムには補助的に言い含めておく。
「マム、大々的に薬の存在を広めるわけには行かないが、順番に投薬して行く事になるだろう。もし、治療薬に関して情報が洩れる事が有ったら、喰いとめて欲しい」
そう言うと、マムは手をギュっと握ってから答えた。
「分かりました! もし、情報が欠片でも漏れそうになったら完全削除します!」
「まあ、可能な範囲内でな」
……やり過ぎないか心配だ。
マムであれば、データが流出した際に、電子制御を基準とするあらゆる機械を操作し、流出先でも物理的な破壊を起せるだろう。
……近い将来、天災、人災に続く"電災"が起こっても可笑しくない。
一応、マムには『ヤバい事は相談するんだぞ? 絶対だからな?』と言っておいた。そんな俺に対して、マムは『はい、分かりましたパパ!』と答えていた。
俺がマムと話していた間静かにしていたサナが、再び手を引き始めた。
一応、俺とマムが大事な話をしていると察して、話が終わるまで待っていた様だ。
「お兄ちゃん、あのね、サナも守るなの!」
そう言いながら、手を引くサナに『ああ、そうだな』と返事したところで、今井さん達の座る席へと付いていた。
――
俺の席は6人テーブル。
席には既に、今井さん、上原先輩、元衛兵デウの三人が座っていた。
席は6席なので、俺とサナとマムが座ると丁度良い。
誰も座っていないイスの前には、誰も手を付けていない豪華な”夕食”が並んでいる。……メインは、ステーキらしい。ステーキの横にハンバーガーが置いてあるが……
……イスを見たサナが、『お兄ちゃんの上でも良いの!』と言って来たが、大人サイズの俺ならともかく、今の俺に乗せられる膝など無い。
「俺が大きくなったらな」
そう言うと、少し考えていたサナが『分かったの!』と言って、ニコニコしていた。
……本当に分かっているかは微妙なところだが、今はこれで良い。
「お疲れ様だね……ほら、一杯どうだい?」
そう言って、ガラス製の容器に入れられた飲み物を注いでくる。
……透明な液体だ。
「日本酒とかじゃないですよね?」
見るからに高級な容器から注がれる液体に警戒するが……
「水だよ? ……まあ、この水差し一つで目が飛び出る位の金額だと思うけどね」
そう言って、まじまじと容器を見つめている。
そんな今井さんを横目に、恐る恐るマムに聞いてみた。
「マム、アレは幾らくらいするんだ?」
そう聞くと、マムが一瞬間をおいた後で『そのピッチャーは、欧州に本社を置く会社の特注製品で、一つ当たり24万8千円ですね』と言って来た。
……高すぎる。
一つ壊す毎に、初任給ひと月分の給料が飛んで行く。
少しばかり、他の席が心配になったが、どうやら何かを壊してしまった子供はいないようだ。
幾ら金が有るからと言って、物を粗末に扱うのは違う。それに、大きな金額だとよく分からなくなってしまうが、想像しやすい金額だとその価値がよく分かる。
仕事上では、億単位の金額を扱う事もザラだったが、自分のお金として使うのとはまた違う。
「心臓に悪いな」
「パパ? この位の物であれば買いつくせますよ? 恐らく数百年先まで」
確かに、900億も有れば、国内の物は買いつくせるかもしれないが、少し大げさだろう。
「確かに、900億もあればな」
「え?」
マムも大げさに言う事が出来るように成長した、と思ったのだが……
「マムは、パパから任されたお金を増やしたんです」
「……どれくらい増えたんだ? いや、減っていても怒りはしない……せめてこのホテルの支払い分だけ残っていれば……大丈夫だ、うん」
若干テンパりながら答えた。
……もし、足りなかったら今井さんに頭を下げよう。
しかし、マムの言った言葉に違う意味でテンパる事になった。
「はい、パパの資産は日本円に換算すると、現時点で68兆円です。他にも権利資産等も有りますが、それらを現在の価値で計算すると――」
マムの言葉が途中から頭に入って来なかった。
……俺が任せたのは900億円だから、えっと……10倍で9000億円、100倍で9兆円、500倍で45兆円、600倍で……えっと?
途中でよく分からなくなってしまったが、取り敢えず沢山になった。
……うん、沢山。
……
……
「正巳君?」
心配そうな顔をして、こちらを覗き込んで来た今井さんからコップを受け取って、中の水を一気に飲み干した。
「……水ですね」
「そう言ったろう?」
そう言って、相変わらず心配そうにしている今井さんに、『そうですよね、水、ありがとうございます』と返事した。
水……でなくて、資産の事は一先ず沢山になって問題ないようだし良いか。そう考える事にして、意識をテーブルに戻した。
正面に座っている先輩は、落ち付いたモノで、テーブルの上のデザートを食べている。その隣のデウも、同様にしている。
先輩とデウは、一言二言は普通に会話しているが、時折先輩が通訳で使える”仮面”を取り出して会話しているのも見受けられる。どうやら、未だ言語習得には至っていない様だ。
そんな、先輩とデウの会話の合間を見て、話しかけた。
「先輩、既に状況は聞いているかと思いますが、どうしますか?」
この『どうしますか?』には色々な意味が含まれているのだが……
先輩は、俺の問いに対してあっけらかんとした様子で答えた。
「そうだな、新しい所に再就職だな……条件は、俺を捕まえて化物の前に連れ出さない事だな!」
そう言って、口の端をニヤッとさせる。
「そうですか。実は、良い話がありましてね。その会社は、なんと”化物の前に縛って行かない”そうです。それに、条件は”信頼できる事”だそうですよ?」
「お、興味があるな。どれ、教えてくれないか?」
「良いですよ。それじゃあグラスを手に持って下さい」
そう言って、目の前のグラスを手に持った。
「これで良いか?」
先輩も、グラスを手にしている。
「それじゃあ、これからよろしくですね、”先輩”」
そう言って、自分のグラスの水を飲み干した。
……先輩も、一度グラスを掲げた後で飲み干した。
「ふう……それで、早速なんだが……『社長』って呼べばいいのか?」
そう言って、聞いて来る先輩に『いえ、普通に正巳で良いです』と返した。
そんな様子を不思議そうに見ていたデウだったが、先輩が何やらゴニョゴニョと”仮面”越しに耳打ちすると、慌てて言って来た。
「アノ、ワタシ、ヲヤトッテモラウますか? おカネ、イラナイ、ケドアンゼンがイイ」
そう言いながら、必死な顔をしている。
……何を吹き込んだのかと、思って困った顔をしていたのだが、そんな俺の顔を見たデウは心配になったようで、いきなりピッチャーを掴んで中の水を飲み始めた。
……何となく、酒の場で一気飲みを強要している様で、嫌な気分になりそうになる。
「おい――」
『止めろ』と、俺が言う前に先輩が慌てて止めていた。
……『冗談を教えないとな』とか言っている。
そんな様子を見ていた今井さんが、面白そうに言った。
「何だか、賑やかな”仲間”が増えたね」
そう言っている今井さんは、何だか楽しそうだった。
――
先輩とデウはその後、仮面を介してやり取りをして、落ち着いたようだった。
……先輩が申し訳なさそうにしていたのは、きっと気のせいでは無いだろう。
そんな二人を見ていて、大使館での出来事が随分と前の出来事のように思えて、少しだけ感慨深いものがあった。
……まさか、今井さんの部屋を訪ねた後こうなるとは思いもしなかった。
そんな風に思い出していたら、横から声を掛けられた。
「正巳君、それで子供達はどうするって言ってたんだい?」
「はい、全員に確認しましたが……里親に出たいとか、外部の施設に行きたい子供は一人もいませんでした」
俺が、今井さんにそう答えると『そうだろうね』と言って、何処か安心した表情を浮かべていた。……恐らくだが、今井さんとしても子供達の事が心配だったのだろう。
「それで、子供達なんですけど、俺としては子供達にこのホテルに――」
『このホテルに住んでいて貰って』と言おうとしたのだが、口を挿む者がいた。
「アニキ、お願いが有るんだ!」
そう言った声に振り返ると、そこにはアキラがいた。
……ハク爺、ハクエン、それにテンがいた。
「……どうしたんだ、アキラ?」
そう言うと、アキラは『”ゴクリ”』と唾をのみ込んだ後、思い切った様子で言って来た。
「俺達がハク爺に鍛えてもらう事を、認めてほしいんだ!」
「認めてほしい? ……ああ、許可して欲しいって事か」
流れとしては大体想像できる。
恐らく、ハク爺の技術を知っているアキラが、ハクエンを鍛えているハク爺を見て、『俺にも教えてくれ』と言ったのだろう。
それに対して、ハク爺は『先ず、保護者である俺から許可を貰ってこい』と言った。……恐らくこんな所だろう。
自分の身を守る為に必要な技術を身に着けるのは、重要だ。
特に、人と同じレールに乗っていない場合は、全てにおいてアドリブが重要になる。
それは、今回レールから外れてみて、俺自身が痛感した。
「良いだろう、許可する」
自分で求める者には、その機会が無くてはいけない。人間は、自分で成長したいと思うからこそ、今のように便利な世を生み出せて来た。
”ダイヤの原石”である子供達の”研磨”の機会を潰すのは愚かな大人のする事だ。大人の役割は、子供達がやろうとしている事を見守る事、いざという時には手を差し出す事だろう。
俺の言葉を聞いたアキラが、飛び跳ねて喜んでいる。
アキラだけではなく、テン、それにハクエンまで一緒になって……
「不味かったかな……」
そんな風に呟いた俺に、ハク爺が苦笑いしながら話しかけて来た。
「坊主に”お願い”しに来ていたのは、アキラ達だったのじゃが、どうやらそれには気が付いておらんかったようじゃのぅ」
そう言いながら、ハク爺が視線を動かす。
ハク爺の視線を追って、見ると……
「……まさか、この全員が?」
「そのようじゃのぅ。……あの後、アキラがみんなを集めて話し合っていた様じゃが、その時に決めたと言っておった」
『あの後』というのは、俺が戻って来た時の事だろう。
改めて、『ヤッター』と、盛り上がっている面々を見る。
……軽く、300人はいるだろう。
一番幼なくて、サナより一二歳は年上のようだが……
「で、ハク爺は、何を教えるんだ?」
そう聞くと、ハク爺は楽しそうな顔をして言った。
「そうじゃのう。基本的には、ワシが普段教えてる事じゃが……そうよのぅ、一通りのサバイバルを重点的に教える事になるかのぅ」
……まあ、良いか。
こう見えても、ハク爺は教えるのが上手い。
下手な人にお願いするより良いだろう。
教えるのが上手すぎて、子供達の生活スタイルが変わってしまわないか、心配だが。
「分かった、それじゃあ頼もうかな……因みに、どのくらい時間はかかりそう?」
そう聞くと、『そうじゃのぅ』と考え込んだ後で、言って来た。
「最低でも4ヶ月、5ヶ月は欲しいのぅ」
……5ヶ月か。
「今井さん、どう思いますか?」
俺がそう聞くと、今井さんが言った。
「そうだね、僕は良いと思うよ。いつも搾取されるのは”弱者”だからね」
そう言って、遠くを見る目をしている。
……今井さんが反対で無いのであれば、俺の答えは決まっている。今井さんに『分かりました』と答えると、ハク爺に向き直った。
「それじゃあ、ハク爺にお願いしようかな……それで、幾ら位になる?」
ハク爺は、傭兵である。それも、俺が思いつく中で最高の傭兵だ。……まあ、語れるほど”傭兵”について知らないが。
傭兵である、ハク爺に”依頼”するのだから、金銭的報酬が有って当然だろう。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、俺の言葉を聞いたハク爺は、一度俺の顔を見て、その後今井さん、先輩、デウ、そして子供達へと視線を動かした。
そして、満足したように頷いて、言った。
「そうじゃのぅ、ワシとワシの家族が戻る場所を空けておいてくれれば、それがこの上ない報酬となるじゃろう」
いまいち、直接何を指して言っているのか分からなかったが、俺からしたらそんな事どうでも良かった。
「分かったよ、ハク爺とその家族の居場所は、いつもここに有る」
そう言って、立ち上がると、ハク爺と手を握り交わした。
……いつの間にか集まっていた子供達が、俺とハク爺の様子を見て、はしゃぎ始めた。……アキラなんかは、ホテルマン達といつの間にか仲良くなったのやら、男達に胴上げされていた。
「直ぐに配る事は、避けた方が良いだろうな」
勿論、この場で配る様な事をするのは論外だが、それ以外でも”いつ、どこで、誰に”治療していくかは、考える必要があるだろう。
もし、マムが言う『治療薬』が、ハクエンを治療したような効果を満遍無く示すようであれば尚更、目に触れる範囲を絞る必要があるだろう。
……ハク爺に関しては、施設でハクエンに会っている可能性が高い為、当然治療薬に関して知っている可能性が高い。傭兵と云う職業柄、その価値についても人一倍理解しているだろう。
そもそも、ハク爺自体が瀕死の怪我をしていた訳で、治療薬の効果を体感している可能性すらある。
当然、それら投薬の判断は今井さんがしていた筈だ。
今井さんが判断を間違えるとも思えないが……
状況を考えると、ハク爺及びハクエンの治療に当たっていた看護士、担当医が居るのは確実だ。周囲の医療関係者が、起こった出来事を把握しているのは確実だろう。
まあ、このホテルに招聘される程の医療関係者が”患者”の個人情報を簡単に漏らすとは思えないが……だとしても、一番情報漏洩の可能性が高いのはこのルートだろう。
俺から『直ぐには投薬は出来ない』と聞いたマムは、疑問などを口にする事も無く『はい、パパ!』と言った。
一応、マムには補助的に言い含めておく。
「マム、大々的に薬の存在を広めるわけには行かないが、順番に投薬して行く事になるだろう。もし、治療薬に関して情報が洩れる事が有ったら、喰いとめて欲しい」
そう言うと、マムは手をギュっと握ってから答えた。
「分かりました! もし、情報が欠片でも漏れそうになったら完全削除します!」
「まあ、可能な範囲内でな」
……やり過ぎないか心配だ。
マムであれば、データが流出した際に、電子制御を基準とするあらゆる機械を操作し、流出先でも物理的な破壊を起せるだろう。
……近い将来、天災、人災に続く"電災"が起こっても可笑しくない。
一応、マムには『ヤバい事は相談するんだぞ? 絶対だからな?』と言っておいた。そんな俺に対して、マムは『はい、分かりましたパパ!』と答えていた。
俺がマムと話していた間静かにしていたサナが、再び手を引き始めた。
一応、俺とマムが大事な話をしていると察して、話が終わるまで待っていた様だ。
「お兄ちゃん、あのね、サナも守るなの!」
そう言いながら、手を引くサナに『ああ、そうだな』と返事したところで、今井さん達の座る席へと付いていた。
――
俺の席は6人テーブル。
席には既に、今井さん、上原先輩、元衛兵デウの三人が座っていた。
席は6席なので、俺とサナとマムが座ると丁度良い。
誰も座っていないイスの前には、誰も手を付けていない豪華な”夕食”が並んでいる。……メインは、ステーキらしい。ステーキの横にハンバーガーが置いてあるが……
……イスを見たサナが、『お兄ちゃんの上でも良いの!』と言って来たが、大人サイズの俺ならともかく、今の俺に乗せられる膝など無い。
「俺が大きくなったらな」
そう言うと、少し考えていたサナが『分かったの!』と言って、ニコニコしていた。
……本当に分かっているかは微妙なところだが、今はこれで良い。
「お疲れ様だね……ほら、一杯どうだい?」
そう言って、ガラス製の容器に入れられた飲み物を注いでくる。
……透明な液体だ。
「日本酒とかじゃないですよね?」
見るからに高級な容器から注がれる液体に警戒するが……
「水だよ? ……まあ、この水差し一つで目が飛び出る位の金額だと思うけどね」
そう言って、まじまじと容器を見つめている。
そんな今井さんを横目に、恐る恐るマムに聞いてみた。
「マム、アレは幾らくらいするんだ?」
そう聞くと、マムが一瞬間をおいた後で『そのピッチャーは、欧州に本社を置く会社の特注製品で、一つ当たり24万8千円ですね』と言って来た。
……高すぎる。
一つ壊す毎に、初任給ひと月分の給料が飛んで行く。
少しばかり、他の席が心配になったが、どうやら何かを壊してしまった子供はいないようだ。
幾ら金が有るからと言って、物を粗末に扱うのは違う。それに、大きな金額だとよく分からなくなってしまうが、想像しやすい金額だとその価値がよく分かる。
仕事上では、億単位の金額を扱う事もザラだったが、自分のお金として使うのとはまた違う。
「心臓に悪いな」
「パパ? この位の物であれば買いつくせますよ? 恐らく数百年先まで」
確かに、900億も有れば、国内の物は買いつくせるかもしれないが、少し大げさだろう。
「確かに、900億もあればな」
「え?」
マムも大げさに言う事が出来るように成長した、と思ったのだが……
「マムは、パパから任されたお金を増やしたんです」
「……どれくらい増えたんだ? いや、減っていても怒りはしない……せめてこのホテルの支払い分だけ残っていれば……大丈夫だ、うん」
若干テンパりながら答えた。
……もし、足りなかったら今井さんに頭を下げよう。
しかし、マムの言った言葉に違う意味でテンパる事になった。
「はい、パパの資産は日本円に換算すると、現時点で68兆円です。他にも権利資産等も有りますが、それらを現在の価値で計算すると――」
マムの言葉が途中から頭に入って来なかった。
……俺が任せたのは900億円だから、えっと……10倍で9000億円、100倍で9兆円、500倍で45兆円、600倍で……えっと?
途中でよく分からなくなってしまったが、取り敢えず沢山になった。
……うん、沢山。
……
……
「正巳君?」
心配そうな顔をして、こちらを覗き込んで来た今井さんからコップを受け取って、中の水を一気に飲み干した。
「……水ですね」
「そう言ったろう?」
そう言って、相変わらず心配そうにしている今井さんに、『そうですよね、水、ありがとうございます』と返事した。
水……でなくて、資産の事は一先ず沢山になって問題ないようだし良いか。そう考える事にして、意識をテーブルに戻した。
正面に座っている先輩は、落ち付いたモノで、テーブルの上のデザートを食べている。その隣のデウも、同様にしている。
先輩とデウは、一言二言は普通に会話しているが、時折先輩が通訳で使える”仮面”を取り出して会話しているのも見受けられる。どうやら、未だ言語習得には至っていない様だ。
そんな、先輩とデウの会話の合間を見て、話しかけた。
「先輩、既に状況は聞いているかと思いますが、どうしますか?」
この『どうしますか?』には色々な意味が含まれているのだが……
先輩は、俺の問いに対してあっけらかんとした様子で答えた。
「そうだな、新しい所に再就職だな……条件は、俺を捕まえて化物の前に連れ出さない事だな!」
そう言って、口の端をニヤッとさせる。
「そうですか。実は、良い話がありましてね。その会社は、なんと”化物の前に縛って行かない”そうです。それに、条件は”信頼できる事”だそうですよ?」
「お、興味があるな。どれ、教えてくれないか?」
「良いですよ。それじゃあグラスを手に持って下さい」
そう言って、目の前のグラスを手に持った。
「これで良いか?」
先輩も、グラスを手にしている。
「それじゃあ、これからよろしくですね、”先輩”」
そう言って、自分のグラスの水を飲み干した。
……先輩も、一度グラスを掲げた後で飲み干した。
「ふう……それで、早速なんだが……『社長』って呼べばいいのか?」
そう言って、聞いて来る先輩に『いえ、普通に正巳で良いです』と返した。
そんな様子を不思議そうに見ていたデウだったが、先輩が何やらゴニョゴニョと”仮面”越しに耳打ちすると、慌てて言って来た。
「アノ、ワタシ、ヲヤトッテモラウますか? おカネ、イラナイ、ケドアンゼンがイイ」
そう言いながら、必死な顔をしている。
……何を吹き込んだのかと、思って困った顔をしていたのだが、そんな俺の顔を見たデウは心配になったようで、いきなりピッチャーを掴んで中の水を飲み始めた。
……何となく、酒の場で一気飲みを強要している様で、嫌な気分になりそうになる。
「おい――」
『止めろ』と、俺が言う前に先輩が慌てて止めていた。
……『冗談を教えないとな』とか言っている。
そんな様子を見ていた今井さんが、面白そうに言った。
「何だか、賑やかな”仲間”が増えたね」
そう言っている今井さんは、何だか楽しそうだった。
――
先輩とデウはその後、仮面を介してやり取りをして、落ち着いたようだった。
……先輩が申し訳なさそうにしていたのは、きっと気のせいでは無いだろう。
そんな二人を見ていて、大使館での出来事が随分と前の出来事のように思えて、少しだけ感慨深いものがあった。
……まさか、今井さんの部屋を訪ねた後こうなるとは思いもしなかった。
そんな風に思い出していたら、横から声を掛けられた。
「正巳君、それで子供達はどうするって言ってたんだい?」
「はい、全員に確認しましたが……里親に出たいとか、外部の施設に行きたい子供は一人もいませんでした」
俺が、今井さんにそう答えると『そうだろうね』と言って、何処か安心した表情を浮かべていた。……恐らくだが、今井さんとしても子供達の事が心配だったのだろう。
「それで、子供達なんですけど、俺としては子供達にこのホテルに――」
『このホテルに住んでいて貰って』と言おうとしたのだが、口を挿む者がいた。
「アニキ、お願いが有るんだ!」
そう言った声に振り返ると、そこにはアキラがいた。
……ハク爺、ハクエン、それにテンがいた。
「……どうしたんだ、アキラ?」
そう言うと、アキラは『”ゴクリ”』と唾をのみ込んだ後、思い切った様子で言って来た。
「俺達がハク爺に鍛えてもらう事を、認めてほしいんだ!」
「認めてほしい? ……ああ、許可して欲しいって事か」
流れとしては大体想像できる。
恐らく、ハク爺の技術を知っているアキラが、ハクエンを鍛えているハク爺を見て、『俺にも教えてくれ』と言ったのだろう。
それに対して、ハク爺は『先ず、保護者である俺から許可を貰ってこい』と言った。……恐らくこんな所だろう。
自分の身を守る為に必要な技術を身に着けるのは、重要だ。
特に、人と同じレールに乗っていない場合は、全てにおいてアドリブが重要になる。
それは、今回レールから外れてみて、俺自身が痛感した。
「良いだろう、許可する」
自分で求める者には、その機会が無くてはいけない。人間は、自分で成長したいと思うからこそ、今のように便利な世を生み出せて来た。
”ダイヤの原石”である子供達の”研磨”の機会を潰すのは愚かな大人のする事だ。大人の役割は、子供達がやろうとしている事を見守る事、いざという時には手を差し出す事だろう。
俺の言葉を聞いたアキラが、飛び跳ねて喜んでいる。
アキラだけではなく、テン、それにハクエンまで一緒になって……
「不味かったかな……」
そんな風に呟いた俺に、ハク爺が苦笑いしながら話しかけて来た。
「坊主に”お願い”しに来ていたのは、アキラ達だったのじゃが、どうやらそれには気が付いておらんかったようじゃのぅ」
そう言いながら、ハク爺が視線を動かす。
ハク爺の視線を追って、見ると……
「……まさか、この全員が?」
「そのようじゃのぅ。……あの後、アキラがみんなを集めて話し合っていた様じゃが、その時に決めたと言っておった」
『あの後』というのは、俺が戻って来た時の事だろう。
改めて、『ヤッター』と、盛り上がっている面々を見る。
……軽く、300人はいるだろう。
一番幼なくて、サナより一二歳は年上のようだが……
「で、ハク爺は、何を教えるんだ?」
そう聞くと、ハク爺は楽しそうな顔をして言った。
「そうじゃのう。基本的には、ワシが普段教えてる事じゃが……そうよのぅ、一通りのサバイバルを重点的に教える事になるかのぅ」
……まあ、良いか。
こう見えても、ハク爺は教えるのが上手い。
下手な人にお願いするより良いだろう。
教えるのが上手すぎて、子供達の生活スタイルが変わってしまわないか、心配だが。
「分かった、それじゃあ頼もうかな……因みに、どのくらい時間はかかりそう?」
そう聞くと、『そうじゃのぅ』と考え込んだ後で、言って来た。
「最低でも4ヶ月、5ヶ月は欲しいのぅ」
……5ヶ月か。
「今井さん、どう思いますか?」
俺がそう聞くと、今井さんが言った。
「そうだね、僕は良いと思うよ。いつも搾取されるのは”弱者”だからね」
そう言って、遠くを見る目をしている。
……今井さんが反対で無いのであれば、俺の答えは決まっている。今井さんに『分かりました』と答えると、ハク爺に向き直った。
「それじゃあ、ハク爺にお願いしようかな……それで、幾ら位になる?」
ハク爺は、傭兵である。それも、俺が思いつく中で最高の傭兵だ。……まあ、語れるほど”傭兵”について知らないが。
傭兵である、ハク爺に”依頼”するのだから、金銭的報酬が有って当然だろう。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、俺の言葉を聞いたハク爺は、一度俺の顔を見て、その後今井さん、先輩、デウ、そして子供達へと視線を動かした。
そして、満足したように頷いて、言った。
「そうじゃのぅ、ワシとワシの家族が戻る場所を空けておいてくれれば、それがこの上ない報酬となるじゃろう」
いまいち、直接何を指して言っているのか分からなかったが、俺からしたらそんな事どうでも良かった。
「分かったよ、ハク爺とその家族の居場所は、いつもここに有る」
そう言って、立ち上がると、ハク爺と手を握り交わした。
……いつの間にか集まっていた子供達が、俺とハク爺の様子を見て、はしゃぎ始めた。……アキラなんかは、ホテルマン達といつの間にか仲良くなったのやら、男達に胴上げされていた。
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