『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~
82話 帰還 [ハクエン]
図らずも正巳が名付け親となった少年は、正巳の腕の中でこれ迄の人生を思い出していた。それは、まるで一つの人生が終わり、もう一つの人生が始まる。そんな感覚に近いものだった。
◆
物心ついた頃、既にそこに居た。
温度のない床、灰色の天井、時折受ける罵声と衝撃。
初めの内は、痛みに泣いたり、声を上げたりした。
しかし、泣くと更に強く打たれ、声を上げると面白そうに笑われた。
……いつの間にか、痛みは薄くなっていた。
言葉は自然に覚えていた。
言葉には種類があり、同じ事を表現する言葉が、複数ある事にも気が付いた。
歩けるようになってからは、なるべく目立たないように歩いた。
歩かない日が続くと、足が動かなくなるのを経験した。……なるべく歩く事にした。
ある日、施設に来た”ぼくしさま”とぶつかりそうになった。
普段から、周囲にやさしい顔を向けていたので(大丈夫かな)と思っていたら、思った通り『おやおや、元気がいい事ですねぇ』と言って許してくれた。
その日から僕は、”ぼくしさま”が来る度に、近くに行って話を聞くのが、習慣になった。
”ぼくしさま”は、何時も優しくて、何時もニコニコしていて、何時も心配してくれた。それに、数字の事や、簡単な計算を教えてくれたりした。
そんなある日、外から子供が連れられて来た。
その子供は、僕よりも4つか5つ年上で、暫く泣き続けていた。
仕方なく慰めていると、次第に落ち着いたようだった。
その子は落ち着くと、自分の話し始めた。
『親に預けられた』と言っていたが、どうやら”売られて来た”ようだった。
子供達が売り買いされている事は、夜密かに抜け出した時に、知っていた。
暫く、その子と一緒に暮らす日々が続いた。
話していて、”幼過ぎる”気がしたが、”子供”とはそういうモノなのかも知れないと思った。
数カ月経ったある日、大人たちが『あのガキ、そろそろ出荷だな。14歳で売られるとしたら、”娼婦”か?』と話しているのを聞いた。
僕が10歳と云う事を知っていたので、恐らく一緒の部屋にいる子の事だと分かった。
どうやら、売られて行くらしかった。
夜、その話を伝えた。
しばらく考えた後に、『逃げよう?』と言って来た。
今まで”逃げる”という事を、考えた事も無かった。
驚いていたら、手を引かれたので、仕方なく着いて行く事にした。
途中までは上手く逃げられた。
しかし、外へと飛び出た瞬間、全身を悪寒が走り抜けた。
全てがゆっくりと見えた。
立ち止まった僕に、驚いたその子が振り返った。
しかし、それまでだった。
『パンッ!』と言う乾いた音の後、前を歩いていた子が地面に倒れた。
……目の前で、驚いた顔がゆっくりと、歪んでいくのが見えた。
……目を閉じても、脳裏に、その光景が繰り返された。
頭を地面に打ち付けた。
額に熱を感じたが、その”夢”は消えなかった。
……目が覚めると、部屋の中に居た。
目を覚ました事が知られ、大人が入って来た。
酷く怒っていた。
『お前のせいで、商品がダメになった。代わりに、お前を”男娼”として売り飛ばすから覚悟しろ』と、言われた。正直、どうでも良いと思った。
その日は、何も喉を通らなかった。
一日中、自分が何を間違えたのかを考えていた。
……答えは出なかった。
次の日、ぼくしさまが施設に来た。
驚いたのと、嬉しかったのとで近くに走り寄ると、ニコニコした顔のまま、髪の毛を掴まれた。
一瞬訳が分からなかったが、鈍い痛みで思わず声が出た。
いつの間にか、”痛み”が戻っている事に驚いたが、それよりも”ぼくしさま”が本当に、あの”ぼくしさま”だとは思えず混乱していた。
混乱している中、そのまま引き摺って行かれ、一つの部屋に入れられた。
そして、『お前には何の価値も無い。未熟児で生まれ、捨てられ、折角”商品”として育てたのに、損害を出す。果ては、お前自身売り物にならない。……覚悟していろ、お前は死ぬまで道具だ。何の価値も無い、生きている意味も無いが、玩具位にはなれるだろう……折角、手を付けづに居た”上物”までダメにしやがって!』
そう言うと”ぼくしさま”は震える手で、徐に取り出した煙草に火を点け、一服した。
そんな様子を見ながら”ぼくしさま”の言った、言葉の意味を考えてみた。
『何の価値も無い、生きている意味も無い』
確かに、そうなのかも知れない。
”価値が無く、生きている意味が無い”
そう思うと、涙が出て来た。
何の涙か分からなかったが、胸の奥の奥、背骨と背中の間辺りがズキズキと痛んだ。
胸を掻きむしっても、押さえつけても、痛みは治まらなかった。
そんな様子を見ていた”ぼくしさま”が、『煩いですよ』と言いながら、煙草を押し付けて来た。
焼けるような痛みが、腕に走った。
その後、何本か煙草を吸った後、”ぼくしさま”は部屋を出て行った。
……その日から、部屋にはカギがかけられるようになった。
今までは、僕だけ自由に歩き回れたのに、どうやら今いる部屋が”専用”になった様だった。
……それからは、毎日職員や知らない人、時々”ぼくしさま”が部屋に来ては”一服”して行くようになっていた。
感じるようになっていた痛みは、再び感じなくなり、与えられる食事は最低限命が繋がる程度。
それでも、それでも、考えていた。
『何の価値も無い、生きている意味も無いのであれば、なぜ生きているのだろうか、何の為に居るのだろうか』と。
それから時が過ぎ、すっかり歩けなくなっていた。
日中、部屋を歩き回る様にしていたのだが、もう2年以上前から栄養が足りなくて、体を支えるだけの力が足にはなくなっていたのだ。
……相変わらず、夜になると”一服”しに来る者はいた。
今日も、そうだった。
職員の中でも、質の悪い”イタズラ”をしてくるグループの内の一人、やたらと下半身を触って来る男だった。
一通りの事をされた後、男が出て行こうとしたのだが、如何やら扉に鍵が掛かっている様だった。何度も、『ふざけてないで、出せ!』と無線で言っていた男だったが、一向に開かないようだった。
男が苛立ちながら戻って来て、こう言った。
『まったく、あいつら! ……しかたねぇ、もう少し遊んでいくか!』
そう言った男が、再び向かって来た。
……暫くして、満足したらしい男が、煙草を取り出した。
そして、火を付けようとしたのだが……
次の瞬間、男は拘束されていた。
……扉が開いている。
いつの間にか、物音を少しも立てずに入って来たらしい。
『誰ですか?』
そう口を開こうとしたが、入って来た女性は静かに首を振ってこう言った。
『後から来る人に、伝えなさい』
そう言い、男を縛り上げた後、出て行ってしまった。
……(何を伝えろと言うのか)そんな風に、疑問を感じたが、ふと思い出した。
『価値が無く、生きている意味が無い』
……しかし、その価値のない僕が、こうして助けられた。
……助けられたというのは、初めての経験だ。
誰も助けて等くれなかった。
逆に、助けを求めて来た子を死なせてしまった。
それなら、何が出来ると言うのか。
そんな事を考えていたら、扉が開いた。
……大きな、今まで見た中で最も大きな男だった。
……この男に、”伝えれば良いのか”と思った。
しかし、扉を開いた男は、何やら部屋を見渡した後で出て行ってしまった。
……
伝える事も出来ないのか。
ただ、『ありがとう』と言いたかっただけなのに。
……
そうだ、伝えたいのは”ありがとう”だ。
そう思ったら、居ても立っても居られない気持ちになった。
しかし、足で立って歩き出す事は出来ない。
……どうにかして、伝えたい。
そう願った時、再び扉が開いた。
入って来たのは、鋭い目をした男だった。
その目は、一度俺に目を留め、直ぐに部屋内をぐるりと一瞥した。
……男が近づきながら聞いて来る。
『……その傷は誰にやられた?』
その問いには直接答えず、質問した。
『あなたが、伝えるべき、人ですか?』
確かにそう言ったつもりが、上手く唇が動かず、音にならなかった。
男はそのまま去ると思った。
……こんな僕に、わざわざ付き合う必要などない。
しかし、予想は外れた。
男は、耳を口元まで近づけて来たのだ。
確信した。
この男が、”伝えるべき人だ”と。
迷わず、出せる全力で言葉にした。
『ありがとう』
……上手く伝えられたか分からなかった。
しかし、男には確かに伝わっていたようで……
『もう大丈夫だ』
そう言ってくれた。
その後男は、施設の奴に幾つか質問した後、男の命を終わらせていた。
……その一連の動きは、綺麗だった。
静かに、ただ静かに見入っていた。
男が、不意に『名前は?』と聞いて来たので、思い返してみた。
しかし、”名前”と言うモノは持ったことが無かった。勿論、他の人には有った様だが、自分にはなかったので、他の人の名前に興味を持ったことも無かった。
正直に答えた。
『名前無いです』
すると、男は考える様な仕草をした後で、こう言った。
『よし……”ハクエン”だな』
一瞬何の事か分からなかったが、直ぐに、自分の”名前”が与えられたのだと気が付いた。
そのことに気が付いた瞬間、始めて認められた気がした。
ここに居る事を、生きている事を、存在している事を。
胸の奥から、例えようのない感情が湧き出して来た。
知らない内に、涙が溢れていた。
……こんなに、自分の内に水分があった事に驚いたが、男が僕を見ながら言った『誕生日、おめでとう』という言葉に”伝えたい言葉”が自然に口を突いて出た。
『ありがとう』
しばらくそうして泣いていたが、落ち着いて来た頃に、男が『後で迎えに来る』と言って、出て行った。……施設の男は、そのまま外へと引きずり出されて行った。
扉の外へ出て行く男を見ながら、ふと、男の名前が気になった。
◆
物心ついた頃、既にそこに居た。
温度のない床、灰色の天井、時折受ける罵声と衝撃。
初めの内は、痛みに泣いたり、声を上げたりした。
しかし、泣くと更に強く打たれ、声を上げると面白そうに笑われた。
……いつの間にか、痛みは薄くなっていた。
言葉は自然に覚えていた。
言葉には種類があり、同じ事を表現する言葉が、複数ある事にも気が付いた。
歩けるようになってからは、なるべく目立たないように歩いた。
歩かない日が続くと、足が動かなくなるのを経験した。……なるべく歩く事にした。
ある日、施設に来た”ぼくしさま”とぶつかりそうになった。
普段から、周囲にやさしい顔を向けていたので(大丈夫かな)と思っていたら、思った通り『おやおや、元気がいい事ですねぇ』と言って許してくれた。
その日から僕は、”ぼくしさま”が来る度に、近くに行って話を聞くのが、習慣になった。
”ぼくしさま”は、何時も優しくて、何時もニコニコしていて、何時も心配してくれた。それに、数字の事や、簡単な計算を教えてくれたりした。
そんなある日、外から子供が連れられて来た。
その子供は、僕よりも4つか5つ年上で、暫く泣き続けていた。
仕方なく慰めていると、次第に落ち着いたようだった。
その子は落ち着くと、自分の話し始めた。
『親に預けられた』と言っていたが、どうやら”売られて来た”ようだった。
子供達が売り買いされている事は、夜密かに抜け出した時に、知っていた。
暫く、その子と一緒に暮らす日々が続いた。
話していて、”幼過ぎる”気がしたが、”子供”とはそういうモノなのかも知れないと思った。
数カ月経ったある日、大人たちが『あのガキ、そろそろ出荷だな。14歳で売られるとしたら、”娼婦”か?』と話しているのを聞いた。
僕が10歳と云う事を知っていたので、恐らく一緒の部屋にいる子の事だと分かった。
どうやら、売られて行くらしかった。
夜、その話を伝えた。
しばらく考えた後に、『逃げよう?』と言って来た。
今まで”逃げる”という事を、考えた事も無かった。
驚いていたら、手を引かれたので、仕方なく着いて行く事にした。
途中までは上手く逃げられた。
しかし、外へと飛び出た瞬間、全身を悪寒が走り抜けた。
全てがゆっくりと見えた。
立ち止まった僕に、驚いたその子が振り返った。
しかし、それまでだった。
『パンッ!』と言う乾いた音の後、前を歩いていた子が地面に倒れた。
……目の前で、驚いた顔がゆっくりと、歪んでいくのが見えた。
……目を閉じても、脳裏に、その光景が繰り返された。
頭を地面に打ち付けた。
額に熱を感じたが、その”夢”は消えなかった。
……目が覚めると、部屋の中に居た。
目を覚ました事が知られ、大人が入って来た。
酷く怒っていた。
『お前のせいで、商品がダメになった。代わりに、お前を”男娼”として売り飛ばすから覚悟しろ』と、言われた。正直、どうでも良いと思った。
その日は、何も喉を通らなかった。
一日中、自分が何を間違えたのかを考えていた。
……答えは出なかった。
次の日、ぼくしさまが施設に来た。
驚いたのと、嬉しかったのとで近くに走り寄ると、ニコニコした顔のまま、髪の毛を掴まれた。
一瞬訳が分からなかったが、鈍い痛みで思わず声が出た。
いつの間にか、”痛み”が戻っている事に驚いたが、それよりも”ぼくしさま”が本当に、あの”ぼくしさま”だとは思えず混乱していた。
混乱している中、そのまま引き摺って行かれ、一つの部屋に入れられた。
そして、『お前には何の価値も無い。未熟児で生まれ、捨てられ、折角”商品”として育てたのに、損害を出す。果ては、お前自身売り物にならない。……覚悟していろ、お前は死ぬまで道具だ。何の価値も無い、生きている意味も無いが、玩具位にはなれるだろう……折角、手を付けづに居た”上物”までダメにしやがって!』
そう言うと”ぼくしさま”は震える手で、徐に取り出した煙草に火を点け、一服した。
そんな様子を見ながら”ぼくしさま”の言った、言葉の意味を考えてみた。
『何の価値も無い、生きている意味も無い』
確かに、そうなのかも知れない。
”価値が無く、生きている意味が無い”
そう思うと、涙が出て来た。
何の涙か分からなかったが、胸の奥の奥、背骨と背中の間辺りがズキズキと痛んだ。
胸を掻きむしっても、押さえつけても、痛みは治まらなかった。
そんな様子を見ていた”ぼくしさま”が、『煩いですよ』と言いながら、煙草を押し付けて来た。
焼けるような痛みが、腕に走った。
その後、何本か煙草を吸った後、”ぼくしさま”は部屋を出て行った。
……その日から、部屋にはカギがかけられるようになった。
今までは、僕だけ自由に歩き回れたのに、どうやら今いる部屋が”専用”になった様だった。
……それからは、毎日職員や知らない人、時々”ぼくしさま”が部屋に来ては”一服”して行くようになっていた。
感じるようになっていた痛みは、再び感じなくなり、与えられる食事は最低限命が繋がる程度。
それでも、それでも、考えていた。
『何の価値も無い、生きている意味も無いのであれば、なぜ生きているのだろうか、何の為に居るのだろうか』と。
それから時が過ぎ、すっかり歩けなくなっていた。
日中、部屋を歩き回る様にしていたのだが、もう2年以上前から栄養が足りなくて、体を支えるだけの力が足にはなくなっていたのだ。
……相変わらず、夜になると”一服”しに来る者はいた。
今日も、そうだった。
職員の中でも、質の悪い”イタズラ”をしてくるグループの内の一人、やたらと下半身を触って来る男だった。
一通りの事をされた後、男が出て行こうとしたのだが、如何やら扉に鍵が掛かっている様だった。何度も、『ふざけてないで、出せ!』と無線で言っていた男だったが、一向に開かないようだった。
男が苛立ちながら戻って来て、こう言った。
『まったく、あいつら! ……しかたねぇ、もう少し遊んでいくか!』
そう言った男が、再び向かって来た。
……暫くして、満足したらしい男が、煙草を取り出した。
そして、火を付けようとしたのだが……
次の瞬間、男は拘束されていた。
……扉が開いている。
いつの間にか、物音を少しも立てずに入って来たらしい。
『誰ですか?』
そう口を開こうとしたが、入って来た女性は静かに首を振ってこう言った。
『後から来る人に、伝えなさい』
そう言い、男を縛り上げた後、出て行ってしまった。
……(何を伝えろと言うのか)そんな風に、疑問を感じたが、ふと思い出した。
『価値が無く、生きている意味が無い』
……しかし、その価値のない僕が、こうして助けられた。
……助けられたというのは、初めての経験だ。
誰も助けて等くれなかった。
逆に、助けを求めて来た子を死なせてしまった。
それなら、何が出来ると言うのか。
そんな事を考えていたら、扉が開いた。
……大きな、今まで見た中で最も大きな男だった。
……この男に、”伝えれば良いのか”と思った。
しかし、扉を開いた男は、何やら部屋を見渡した後で出て行ってしまった。
……
伝える事も出来ないのか。
ただ、『ありがとう』と言いたかっただけなのに。
……
そうだ、伝えたいのは”ありがとう”だ。
そう思ったら、居ても立っても居られない気持ちになった。
しかし、足で立って歩き出す事は出来ない。
……どうにかして、伝えたい。
そう願った時、再び扉が開いた。
入って来たのは、鋭い目をした男だった。
その目は、一度俺に目を留め、直ぐに部屋内をぐるりと一瞥した。
……男が近づきながら聞いて来る。
『……その傷は誰にやられた?』
その問いには直接答えず、質問した。
『あなたが、伝えるべき、人ですか?』
確かにそう言ったつもりが、上手く唇が動かず、音にならなかった。
男はそのまま去ると思った。
……こんな僕に、わざわざ付き合う必要などない。
しかし、予想は外れた。
男は、耳を口元まで近づけて来たのだ。
確信した。
この男が、”伝えるべき人だ”と。
迷わず、出せる全力で言葉にした。
『ありがとう』
……上手く伝えられたか分からなかった。
しかし、男には確かに伝わっていたようで……
『もう大丈夫だ』
そう言ってくれた。
その後男は、施設の奴に幾つか質問した後、男の命を終わらせていた。
……その一連の動きは、綺麗だった。
静かに、ただ静かに見入っていた。
男が、不意に『名前は?』と聞いて来たので、思い返してみた。
しかし、”名前”と言うモノは持ったことが無かった。勿論、他の人には有った様だが、自分にはなかったので、他の人の名前に興味を持ったことも無かった。
正直に答えた。
『名前無いです』
すると、男は考える様な仕草をした後で、こう言った。
『よし……”ハクエン”だな』
一瞬何の事か分からなかったが、直ぐに、自分の”名前”が与えられたのだと気が付いた。
そのことに気が付いた瞬間、始めて認められた気がした。
ここに居る事を、生きている事を、存在している事を。
胸の奥から、例えようのない感情が湧き出して来た。
知らない内に、涙が溢れていた。
……こんなに、自分の内に水分があった事に驚いたが、男が僕を見ながら言った『誕生日、おめでとう』という言葉に”伝えたい言葉”が自然に口を突いて出た。
『ありがとう』
しばらくそうして泣いていたが、落ち着いて来た頃に、男が『後で迎えに来る』と言って、出て行った。……施設の男は、そのまま外へと引きずり出されて行った。
扉の外へ出て行く男を見ながら、ふと、男の名前が気になった。
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