異世界娘。育ててます?

Diggy-miya

新たなる世界

 
 ――――クリスタルの洞窟・オアシスの間




 ついに出口まで辿り着けたというのに、まさかこんな結末が待っていようとは誰が想像しただろうか?
 出口と示された場所がまさかの 『水中』 なんて。


 自分だけならともかく、子供のカスミにこの深さを潜っていくなんてとてもじゃないが出来ないだろう。
 ダイビング装備があってギリギリ実行しようかどうか悩む所だ。


 シャロニカからそこが出口だと聞かされてから、改めて泉を覗き込んでみたが、目に見える深さに変化は一切無い。
 かなりの透明度を誇っている泉の水は、空が見えない洞窟内においてもなぜか美しい青を湛えている。こんこんと湧き出している流れはこのずっと底の方から来ていると推測できるが、その先に外へ出るルートが用意されているのかと問われると答えに詰まってしまう。
 それ程に深いのだ。


 この深さを潜っていくなんて普通の人間には出来る事ではない。
 あとはもう普通の人間には出来ない 『魔法』 に頼るしか道はないのだ。




「シャロニカさん出番です!」


「水の中どうにかしろって?」


「なんとか出来ますよね……?」


「そうねぇ……」




 1つ大きなため息をついた後、泉の底を見下ろすシャロニカ。




「……うーん、別に魔法いらないんじゃね?」




 弧を描くようにゆっくりと水面を撫でながら金髪金眼の女神が呟いた言葉は伊吹の想像とは違っていた。




「え……? 魔法無しでここ潜っていけって?」


「うん」


「いやぁ……それはちょっと自殺行為じゃないかな……俺はともかくカスミは……」


「カスミちゃんはその気まんまんそうだけど?」


「ん……?」




 ピッとシャロニカが指差す先に顔を向けると、そこには服を脱ぎ捨てて下着状態になったカスミと謎の動きをしているヒマワリの姿があった。




「おいっちにーさんっしーごーろっくしっちはーち」


「ニャッニャッニャッニャッニャッニャッニャッニャッ」




 プールに入る前の準備運動をしている所を見ると、シャロニカの言うようにこの泉に入ろうとしているのは明白だ。




「……うーん、怖いもの知らずって恐ろしい」




 どちらにしてもカスミが泉に入った所で深く潜っていく事は出来ないだろう。
 水遊びを楽しんだらすぐに上がってくると予想して、伊吹はそんなカスミ達を止める事はしなかった。


 カスミが脱ぎ捨てた服を拾い集め、丁寧に畳んだ後ジッパー式ビニール袋にそれを入れバックパックへ仕舞い込んだ。




「よしいこー!」


「ンニャー」




 カスミとヒマワリは慣れ親しんだ自宅の浴槽に入るかのように、ごく自然にその一歩を踏み出し、未知の泉へ沈んでいった。
 2人の軌跡を示すかのように静寂だった水面に小さな波が立ち、幾重にも波紋が広がってゆく。




「本当に行っちゃった」








 余韻を残す波紋が消え、揺らめいていた水面も元の静けさを取り戻しつつある泉を伊吹はジッと見つめている。




「…………」




 時計の秒針が進むのを無意識にカウントしながらまだ動きのない泉とを交互に見やる伊吹。
 それを退屈そうに横目に見ながら1つ小さな欠伸をするシャロニカ。
 何の音もしない洞窟に2人だけの時間が続いている。




「……なぁ、長くない?」




 青ざめた顔の伊吹がシャロニカに話しかけた。




「んー、そうだなぁ。結構経ったかね?」




 あまり気に留めたように感じられない返答が返ってくる。




「結構って、もう1分以上経ったぞ!!」




 そう叫んだ後、堰を切ったように泉へ走り寄って奥底を覗き込む伊吹。




「――――居ない!?」




 どこまでも続いているかのように見える泉の底は目を凝らさずとも、ずっと奥底まで見えている。それは先程見た物とまるで変っていない。
 伊吹の思い描いていた現実と違うのは、そこにカスミとヒマワリの姿が無いという点だけだった。




「ど……どうなってんだ……何で居なくなってるんだ……」




 思い切り息を止めれば子供でも1分程は潜水していられるだろう。
 だが、水深数十メートルは軽くあるであろうこの泉を、姿が見えなくなるまで潜りつづけていくなんて事はどう考えても不可能だ。


 仮に潜りつづけていたとしても、視界から消える程の距離をこの短時間で進めるとも考え辛かった。




「――――シャロニカ! カスミ達を探してくれ!」




 慌てて後ろを振り返って助けを懇願する伊吹には悲壮感が漂っている。




「まぁまぁ落ち着けってイブキ。私がカスミちゃんのピンチを見過ごすと思うのか~?」




 ウェーブのかかったロングヘアーをかき上げながらシャロニカが伊吹へと近づいてきた。
 白く美しい腕に一閃輝いているのは首輪と同じデザインで出来た細見の腕輪だ。シルクのように流れて見える金髪を動かす度に躍動している。




「じゃぁ、無事なのか? カスミとヒマワリはどこに行ったんだ?」




 冷静さを欠いている伊吹を宥めるように両肩へ手を置くシャロニカ。
 見れば見る程に輝きを増しているかのように感じる金眼が眼前に近づいてくるのと同時に、甘く、妖しい香りが辺りを覆い尽くしていく。




「教えてあげよっか?」




 ぷるんとした唇は艶やかに言葉を紡ぎ出し、伊吹の視線を無意識に釘づけにした。
 開けた口から顔を出す舌が挑発的な動きを魅せ、甘く囁かれた言葉が耳元で聞こえたように感じて一瞬現実から吹き飛ばされたような感覚に陥った。




「――――え?」




 伊吹の体はその感覚通りに、シャロニカの手によって泉へと突き飛ばされていた。




「――――わああああああ!!」




 一瞬の浮遊感の後、泉の中央付近に着水し、もがくことも叶わずそのまま水の中へと落ちていく。
 原因はクリスタルがたっぷり入ったバックパックのせいだろうか?




「い~ってらっしゃ~い。バイバ~イ」




 沈みゆく中、水面を見上げるとそこには楽しげに笑いながら手を振っている女神の姿が見えた。




 (あいつ……! クソっ!)




 どんどん水面から離れていく自分の体は、ここから引き返せないのではないかと感じさせる。




 (浮き……上がらない!! バックパック……!?)




 背中に感じる確かな重みは、クリスタルのギッシリと詰まったバックパックからだ。
 それを外し捨ててしまえば浮き上がれるかもしれない。しかし愛娘から貰った物を手放す事を、伊吹は躊躇ってしまった。


 息止め出来そうな時間は長くて1分位だろう。そしたらどうなるのか。そんな事を考えながら伊吹の体はなおも底へ底へと沈んでいる。




 (こんな時でも……綺麗な物は綺麗って感じるんだな)




 水面へ向かって立ち上っていく無数の泡。
 透明な青を様々な光で包み込みながらゆらゆらと彷徨っていく。
 1つ、また1つとそれが増えていく度に自分の命の灯が消えていくようにも感じる。




 (……カスミは……怖くなかったのかな……)




 泉の奥底へと姿を消してしまったカスミ。その顔が頭に浮かんでくる。




 (――――ダメだ! 俺が怖がっててどうする! 必ずカスミを見つけるんだ……!)




 伊吹は思い切ってどこまでも続くように見える底へと自らの力で潜り出した。




 (行ける所まで行ってやれ!!)




 全身の力を総動員して、下へ下へとあらん限りの速度で潜水していく。
 吐く息が次第に量を増し、辺り一面を泡のカーテンが包み込んだ。




 (――――どこかに……通じてるはずだ――――!! )




 青く、ただ蒼く、どこまでも続く青を掻き分け進んでいるが、本当にこのままで良いのだろうか?
 闇雲にどこに続いてるのか分からない道を破滅へと向かっているだけではないのだろうか?


 気を緩めると、ふと、そんな風に考えてしまう。


 だから伊吹はただ体を駆動させ続ける事に集中し、雑念を振り払う。




 (――――行けっ! 行けっ! 行けっ――――!!)




 (――――まだっ! まだ行けるっ――――!!)




 (――――――――――――――――)




 (――――――――)




 (………………)










 音が無くなった青は宇宙。


 上も下も無い、自分がどこに在るのかも朧。


 自分を認識できるのは、しきりに回転する両腕が見える瞬間だけだ。


 しかしそれすら青に溶けて消えてしまった頃に、唐突にそれは姿を見せた。




 (――――ひ……か……り……――――)


 (――――っ!? 光だ!)




 ぼんやりとした視界に突如として差し込んできたのは紛れも無く光だ。
 蒼の世界にこぼれるように流れ込んできているささやかな色に、伊吹の意識が覚醒する。




 (――――あれがっ……出口か――――!?)




 ゴール目前に迫ってラストスパートをかける。


 迫るほどに光は大きさを増し、巨大な白が歓迎するように揺らめいている。
 そこに向かって躊躇う事無く飛び込む伊吹の胸中は安堵感で溢れかえっていた。






「――――っぶはあっ!!?」




 大きく息をしながら飛び出した先には期待通り空気があった。




「――――あ、あれ?」




 一瞬、自分がどういう状況に居るのか理解出来ないのは天地が逆さまだからだ。
 伊吹は確かに下へと進み、泉の奥底まで辿り着いたと思っていた。


 しかし光の先へ顔を出してみると、自分の胸から下は未だに泉に浸かったままなのだ。




「…………ずっと下に行ってると思ってたけど、違ったのか?」




 狐につままれたような気分のまま、とりあえず水から陸へと上がる伊吹。




「……? 濡れて……ない?」




 陸に上がってから水気を落とそうかと服を見やって気が付いた。
 服も、髪も、バックパックも、身に着けているものも全てが一切濡れていないのだ。




「なんなんだよ一体……」




 両手を広げてまじまじと自分の体を見つめながら、不可思議な泉での出来事に困惑する伊吹。


 シャロニカのあの態度はこうなる事が分かっていたからなのだろう。
 今になって改めて腹が立ってきた。




「あー! いぶききたー!」


「お? 本当だ。よーやく着いたのか。やっぱビビりだなイブキは」




 声のする方には今すぐ小一時間程問い詰めたい女神の姿と、もう会えないかもしれないと思っていた愛しい娘の姿があった。




「カスミーー!! 大丈夫なのか!?」


「えへへ、だいじょぶだよー! いぶきはだいじょぶー?」


「良かった良かった…………うん、俺は全然大丈夫だよ……本当にカスミが無事で良かった……」


「わー、いたいいたい! ぎゅーしすぎだよーいぶきー」


「いいだろー……心配だったんだ」




 カスミの体を力いっぱい抱きしめながら頭をぐしゃぐしゃと撫でまわしている伊吹。
 少しだけ嫌がる素振りを見せたカスミだが、心情を察したのか、それに応えるように身を委ねた。




「ほらな? 魔法、いらなかっただろう?」




 親子の再会に水を差すように、右手をひらひらさせながら得意気な顔を浮かべるシャロニカが声を掛けてきた。




「……最初に教えてくれてもよかっただろ……」




 カスミの体をゆっくりと解放しながら意地の悪い女神に視線を向ける。




「んー? なんだい? よく聞こえないねぇ~?」


「……クソっ……もういいよ!」




 泉に飛び込む事を恐れていたのは自分だけだった事が、酷く恥ずかしくなった伊吹。
 恐らくシャロニカが伊吹を突き飛ばしたのは、そんな恐怖心を克服させる荒療治だったのだと今はそう思えている。




 (不思議な泉だったな色々と……)




 全ての不思議な現象は恐らく 『魔法』 によるものなのだと推測できる。
 それがどういう理屈で成り立っているのか知る由もないので、ただ一方的にそれらを受け入れるしか今の伊吹には無いのだ。


 一方、いつものように思考迷宮へと足を踏み入れるのを留まり、それよりもっと衝撃的で、感動的な目の前に広がる景色を伊吹は五感全てで感じでいた。








「――――外に出れたんだよな……」




 数時間程度とは言うものの、その体感時間はその何倍にも感じられる程、クリスタルの洞窟での出来事は濃密な物だった。


 幻想的な空間は美しく、芸術的ではあったが、やはりどこか閉塞感にストレスを感じていた。
 停滞している空気に時折辟易する瞬間もあったり、自分達以外の生き物と言えば凶悪なドラゴン位しか見られなかった。


 それら全てをひっくるめて膨大な緊張感に苛まれていたのだ。


 そしてそれらから今、解放された。




「――――で……ここは……どこ?」




 空が見える。とてもよく晴れた青空だ。もはや常識的な時間感覚は意味を成していなさそうだ。


 流れる雲も、風もある、そしてあれは鳥だろうか?


 足元。地面がある。固いゴツゴツした石の大地だ。後ろにはさっき出てきた泉が見える。


 そして視線を戻し、辺りを見回してみる。




 (……岩山、そっちも岩山……んで、あっちも岩山……こっちにも尖った岩山……)




 岩、岩、岩。周辺ほぼ全てが岩山に囲まれている。
 クリスタルの洞窟内部にあった岩山とはまた違うように見える岩。


 丸く大きい岩というよりは、細く長く尖った岩が剣山のように地面から突き出している。
 それらが密集して岩山を形成しているのだ。


 一言で言えば殺風景な風景、と言えるだろう。




「予想していたけど、やっぱり家には戻れない、か……」




 洞窟さえ抜け出せればもしかしたら見慣れた風景が広がってるかもしれない。
 いつも通りにスマホが鳴って、分からない事はそれで全部調べて、そして皆が待ってる場所に帰ればいい。


 そんな風に少しだけ考えていた。






「ナ~ォウ」


「よう、ヒマワリ。まだ家には帰れないみたいだけど、大丈夫か?」




 励ましに来てくれたように擦り寄って来た銀の猫を優しく撫でる伊吹。
 珍しく喉を鳴らしているので、抱き上げてみた。




「あったかいなーヒマワリは。スリスリしちゃおっかなー」


「……」




 普段は結構な確率で嫌がれるのだが、今回は素直にやらせてくれるヒマワリ。
 その温もりを感じながら少しだけ気持ちを立て直す事が出来た。




「……さて、っと。まぁ、冬の夜で凍える……って事は無さそうだけど……」




 この殺風景な場所で何かの糸口が見えるとも思えなかった。
 顔を上げれば開けた空が見えるが、本当にそれだけだ。


 どこかへ通じていそうな道らしい物すらここには見当たらない。クリスタルの洞窟の方がまだそういった意味ではマシだったとも言えそうだ。


 こうなってくると、頼りになるのはシャロニカしか居ない。
 女神ならば万能なのだろうから、それにあやかるのが最も効率的かつ現実的なのだ。




 (ほんっと、自分が情けないけど……)




 相変わらずこの 『異世界』 において自分に出来る事はほとんど無く、無力感に苛まれる。






 <――――気にすんなって――――>






「――シャロニカ?」




 突然頭の中に銀鈴の音が響き渡った。それは間違い無くシャロニカの声だ。




「――??」




 シャロニカはカスミと楽しそうに遊んでいる。今のはテレパシーみたいな物だろうか。




「……うーむ……」




 シャロニカに届くように返事を念じてみた伊吹。




 <――――まさか心も読めるのか?――――>




 <――――読めなくても見れば分かるわよ。わっかり易い顔して落ち込んでるんだもの――――>




 返事はすぐに返ってきた。
 暗い顔をしていたので心境を悟られたようだが、心が読まれてない事が分かってホッとした。


 いや、結局の所読まれてるから同じような物だが。
 顔に出やすいのは今後気を付けよう。




 <――――まぁこのシャロニカ様が居ればなんとかなるって。イブキ、あんたはカスミちゃんの為にいつも元気で居てやらないとダメだろ?――――>




「…………」




 返す言葉がすぐに見つからなかった。
 色んな感情が混ざり合って、渦となり、言いようのない想いが口から溢れ出しそうになった。




 <――――そうゆう事だから、気にせず私を頼れよな。そんだけ。じゃね~――――>




 言いたい事を言い終わったのか、伊吹の返事を待たずにそれ以降テレパシーは続かなかった。






 (……はー……)


 (……バカかあいつ……)


 (……ほんっと……)






「……惚れてまうやろ……」


「ニャーン」




 ぼそりと独り言を呟く伊吹の手の中からヒマワリが飛び出していってしまった。




「――いった! 引っ掻いていくなよなーもうー……」




 軽快な足取りでカスミの方へ向かっていくヒマワリの後姿はいつもと変わらない。
 猫の気まぐれさは何時になっても慣れる事は無さそうだと伊吹は思った。




「……よっし」




 気を取り直して深呼吸を1つ、2つすると、入ってくる新鮮な空気がこんなにも美味しかったのかと気付かされた。




「――でねー? おじーちゃんのねーつくってくれるごはんはねー」


「うんうん? ふむふむ?」




 カスミとシャロニカが会話を楽しんでる所に、伊吹がゆっくりと近づいてきた。




「――――さてー、皆、そろそろここから移動しようか!」


「――わぁ! びっくりしたー! いどーするのー? つぎはどーするのー?」




 突然割って入ってきた伊吹の声に驚いて目を丸くするカスミ。




「次はねー、俺にも分かんない!」


「えーそーなのー? じゃぁシャロはー?」




 くるっと顔をシャロニカへ向けて話を振るカスミ。
 何の疑問も持たずに話が出来るのは子供の特権だ。




「ふふん。やっぱりここは女神中の女神であるこのシャロニカ様の出番って事よね!」




 待ってましたとばかりに得意気な笑みを浮かべながらこちらに向かってウィンクを飛ばしてくる女神。




「おぉー!ドキドキ! シャロならわかるー!」


「そうね……じゃあ~……」




 そう言って晴れ渡る大空向かって人差し指を突き上げた。










「――――皆で空、飛んでっちゃおっか!」










 あっけらかんと、そう金髪金眼の女神は言い放ったのだった。


 洞窟探検、潜水、と来てどうやら次は 『空中飛行』 のようです。






 あぁ……女神様……







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