異世界娘。育ててます?

Diggy-miya

その契約

 
 人は興奮状態にある時には脳内麻薬が分泌されて、
 体の痛みを感じにくくなったり、通常より力を出せたりする。
 といった話は知識として持っていたのだが、
 いざ自分がそれを体験する事になるとは思ってもみなかった。


 通常では考えられないダメージと、自分の身体能力に今更ながら驚いた。
 高所から固い岩の地面に落ち、石が雨のように猛スピードで体に衝突してくる。
 さらには暴れ狂う象以上に大きい獣から子供を抱えて全速力で逃げ切った。


 火事場の馬鹿力とは正にこういう事を言うのだろうと伊吹は思っていた。


 ただその代償に喉元を過ぎた熱さが今になって襲ってきた。
 全身はもう来たのかという早さで筋肉痛が始まっている。
 普段使わない筋肉をフル稼働させた反動だろうか。
 特に背面側の痛みが強いのは落下時のダメージも蓄積されているように思える。


 (脇腹の痛みが一番か……)


 呼吸をする度に左脇腹に鈍い痛みが走る。
 水を飲んでから激しい運動をした時に起こる痛みに似ているが、
 それよりは外的ダメージによるものと考えられる。


 (とはいえこの程度で済んで良かった)


 リアルな死すらも感じてしまうような状況下で、
 他に大した怪我も無く、五体満足でこうして居られるのは奇跡に近かった。
 日頃の行いと、自分を加護する守護霊に感謝する伊吹であった。


 (ご先祖様に感謝しかない……こんな時だけ、とか言われそうだけど)


「なんでおいのりしてるのー?」


 目を閉じ、手を摺合せていると横からカスミが話しかけてきた。


「爺ちゃん、婆ちゃんにありがとう、って言ってたんだよ。無事で居られて感謝です、って」


 カスミにしてみればもっと前の祖父、祖母にあたるのだが。
 まだご先祖と言ってもよく分からないだろう。


「おじいちゃん、おばあちゃん! ありがとー!」


 伊吹と同じように手を合わせるカスミ。
 カスミに続いてありがとうと大きな声で天に向かって言葉を放った。
 静かな洞窟内に2つの声が木霊していく。


「ンニャ~オ」


 そんな2人の姿を見て、早くしろと言わんばかりに先を行くヒマワリが鳴き声を上げた。


「もどってきたねー! おっきいキラキラ!」


 再びの大広間に足を踏み入れた。
 巨大クリスタルの佇む光景はつい先程見たばかりなのに、やはり鮮烈な姿だ。
 それとは別に一種の緊張を感じて伊吹は唾を飲み込んだ。


「……行こう。またさっきのお姉さんとの話教えてくれるか?」


「うん! まかせてー!」


 中央のクリスタルへと歩を進める最中、
 期待していた通りに銀鈴の音が頭に響いてきた。




 ≪――――&a-r,;U?>#――――≫


「おかえり、だって! ただいまー!」


「た、ただいま?」




 もっとネガティブな言葉を掛けられるかと思っていたが、
 思いの外ウェルカムなトーンでホッとした気分になった。
 カスミとヒマワリの軽快なステップに比べやや足取りが重かった伊吹だが、
 ようやく2人と同じ速度で歩けるようになっていた。




 ≪――――.kTyTYg%#sb<3)q;SL#=.:mBE――――≫


 ≪――――h.BrOEldQ$j>1F+'n=q_Mtc(wRf=4――――≫


 ≪――――_X&WR*]k$p6!S$Gku27=――――≫




 中央付近にたどり着くまでに、何度か声が響いてきたが、
 カスミは頷いたり笑ったりしただけで伊吹に言葉を訳す事はしなかった。
 カスミにだけ話しかけていたのだろうか。


「ケイヤクするきになったのかー? だって」


 気付くと中央、巨大クリスタル前まで辿り着いていた一行。
 カスミと不思議な声とのやり取りをどこか他人事のように眺めていた伊吹だが、
 その問いかけにハッと我に返った。
 カスミとヒマワリがこちらを見上げている。


「いまいち要領を得ない話だが……ここから出る手助けをしてくれるってのは本当なんだろう?」


 うっすら人影の見えるそちらへ向き直って伊吹は問いかけた。




 ≪――――CB>Ih――――≫


「ほんとうだ!って」


「……ならそれを……信じる……」




 伊吹に選択肢はそれ程多く残っていなかった。
 そもそも最初から選択肢なんて物は無かったのかもしれない。
 見知らぬ洞窟に迷い込んでしまった時点で、選べる道は無かった。
 他に進む道も無い。誰かに助けを求める手段も無い。
 自分が守らなければいけない小さな娘と猫。
 行く先を阻む絶対的強者の存在に対して、それを切り開ける術も持ち合わせていない。




 ≪――――1c)ucT1vST!Kqc'――――≫


「ではケイヤクセイリツでいいか? だって」




 言葉が通じず、言ってる事はオカルト染みている謎多き 『契約』 を彼女と交わすか。
 それとも独力であの 『ドラゴン』 を攻略し、先を目指すか。
 はたまた別の方法を探るべく洞窟内の探索を続けるか。




 答えは出ている。
 何も無いなら、一縷の望みに託すしかない。
 まだ非現実感が拭えていないし、信用なんか出来る筈も無い声だけの人物とのやり取りだけでこんな事を言ってしまう自分にも辟易とするのだが……
 それでも伊吹はそう言葉を吐き出す事に決めた。




「……俺の魂ならいくらでもくれてやるから、絶対にこの子だけは助けてくれ」


 そうする必要があったのかは分からないが、
 伊吹は無意識に巨大クリスタルに左手を置いていた。
 そして人影に向かってそう懇願していた。




 ≪――――GIUk'Vn)F$nOhdCA>%_.――――≫




 暫くの沈黙の後、穏やかな声が一つ聞こえ、
 間髪置かずに急激な寒気が伊吹の体を包み込んだ気がした。


「――っ!? 何だこれは?」


 クリスタルに触れている左手から伝うように何かが体へと侵入してくるような感覚。
 寒気とは別のゾワッとした何かが伊吹を通り抜けていく。


「――――――うわあああああ」


 白い強烈な光が目の前を覆ったように感じた次の瞬間から、
 赤、青、緑、黄、様々な色が視界を覆い尽くして流れ去っていく。
 それは伊吹にだけ感じている感覚のような物。


 緑生い茂る山々、どこまでも深い海、命を運ぶ川、突き抜ける空、瞬く星、流れる風――
 幾千とフラッシュバックのように現れては消えていく生物達。
 流れ出る溶岩は生命の源。そして生まれ、死んでゆく命達。
 多くの天使と悪魔が戦い、そして唐突にそれらは消え去った。


 次に気付いた時には目の前に美しい光が湛えていた。
 どこかで見たことのあるその光は、この洞窟のクリスタルの色だった。




「――――――ぁぁぁああ!?」




「――――いぶきー!! だいじょぶー!? ねぇねぇー!」


「……あ、あぁ……ここは……?」


「どしたのいきなりー??」


 服をぐいぐい引っ張っていたのはカスミで、それに気付いて慌てて辺りを見回してみた。
 何も変わらない大広間の中央付近、巨大クリスタルの前に自分達は居た。


「俺はどうなってた……?」


「どうー? ってー、わあああー! っていいだしたからしんぱいになって、ゆすったの」


「どれ位そうなってた?」


「ほんのちょっとだよ! 30びょーくらい?」




 (――30秒!? そんな短い時間しか経って居なかったのか…… )


 伊吹はまるで数時間経過していたかのように感じていた。
 それほどの情報量が頭に直接流れ込んできていたのだ。
 疲弊したように感じるのは脳が疲れた為だろうか。




 ≪――――少し下がって――――≫




「……? 今何て?」


「すこしさがってって!」


「お、おう……いや、うん、そうだよな??」


 もはや聞き馴染み始めた銀鈴の音がはっきりと理解できる言語で響いてきた。


「いやいや……何で解るようになってんだ?」




 ≪――――いいから早く下がりなさい――――≫


「ほらいぶき、はやくさがってってー!」


 強引にカスミに袖を引っ張られてその場から後退していく伊吹。
 呆気に取られたままそれに従うしか無かった。


「な、なぁカスミ。俺にもこの声がわかる――――――」


 伊吹が最後まで言い終わる前に永遠に続くかと思われていた静寂と、
 悠久の時を過ごしてきたであろう大自然の結晶はその姿を突如として変貌させた。


 甲高く、それでいて美しい音を奏でながら巨大クリスタルは砕け散った。
 眩く輝くクリスタルの破片は様々な大きさとなって、伊吹達の頭上から降り注いでくる。
 煌めく砂のようでもあり、雪の結晶のような、七色のカーテンが大広間を彩っていく。
 まるでこの場所にさよならを言っているかのように、それは荘厳な景色となり広がってゆく。


 突然起こった自然の芸術を前に、ただただ眺めるしかない伊吹。
 それでもやはり現代人と言うべきか、職業柄なのか、無意識に動画撮影をする所はさすがと言うべきだろうか。


「……なんて綺麗なんだ……」


「うわー! すごいすごいねー! これあつめよー!」


「ニャア」


 しばらくの間大広間全体を彩っていた七色のカーテンは次第に薄れ消えていく。
 夢のような時間はそろそろお開きを迎えようとしている。


 伊吹はふと、自分の目の前に気配を感じた。
 未だ視界は煌びやかな光の霧で覆われていてはっきりとはしないが、
 確かにそこに人影が見える。
 それはクリスタルの奥に見えていた人物に違いないと、伊吹は確信した。


「ようやく面と向かって話せますかね? お姉さん」


 カスミが度々口にしていた 『おねぇちゃん』 という言葉を借りて、目の前の人物に話掛けてみた。
 先程響いてきた言葉を理解できたのは偶然なのか、それも確認してみたかったのだ。


「……そうですね……」


 靄の向こうから銀鈴の音で返事が戻ってきた。


「良かった。やっぱり言葉、理解出来るようになってる」


 お互い通訳を介さずに意思疎通出来るのは有り難い。
 カスミには難解だった話もこれでようやく聞くことが出来るのだ。


「私と契約を結んでくれた事、誠に感謝しております……」


「いやいや、こちらこそ。ここから出る手伝いをして貰えるなんて感謝しか無いですよ」


 少しづつ霧は晴れ、声の主の姿がはっきりとしてきた。
 若干間合いが遠いので距離を詰めながら伊吹は話を続ける。


「……それで、あのー。さっきの契約の話なんですが、もう少し詳しく教えて貰ってもいいですかね?」


「ええ、構いませんよ? 何からお話したら良いでしょう?」


「じゃぁえっと、まずは 『魂を捧げる』 って所からですかね……何だかオカルト染みてたもので……まさか本当に魂がどーのこーのって訳じゃないんですよね?それ位の意気込みでー、って解釈で大丈夫ですよね?」


 あと一歩か、二歩程の距離まで近づき伊吹は疑問を投げかけ始めた。
 それと同時に霧は晴れ、銀鈴の音の主が姿を現していた。




 目の覚めるような金髪に、同じく荘厳な金眼。
 ウェーブのかかったロングヘアが見る者全てを魅了する。
 豊満な胸に目を奪われてしまうのは男の性か。
 ノースリーブで、黒いドレスの胸元が大きく開けていて、目のやり場に困ってしまう。
 人間離れした色気とオーラに全ての男はひれ伏すのではないか?
 そう思える程の美貌を前に伊吹は息を呑んだ。




「……フン、何を言ってる? もうお前の魂は私のモノだ。 これでようやく自由になれたって訳だ。あーせいせいした! やっぱり自由っていいなー!」




「……え?」




 その契約、果たして伊吹にとって 『吉』 と出るのか 『凶』 と出るのか――――


 今はまだ分からない。



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