誰よりもきれいな色になれ

みずかなで

夢は揺れる-5

 街中は喧騒。人と人の間を行き交う情報がいろんな場所に飛び散っている。
 帽子を深くかぶったゴッホは喧騒の中を僕の横を平然と歩く。意外なものでこんなに堂々と闊歩できるとは思っていなかった。今まで自身の家に幽閉されてたり、あの公園でずっと絵を描いていたり。世俗に慣れていないのかな、と思ったけれどその心配はあまりいらないようだ。
 そして僕は最初に映画館に連れて行った。放映中の映画のポスターの数々が大きなパネルに飾られていてその前で僕は吟味していた。
 自分が見たい映画はなかった。恋愛もの……はちょっとなぁ。アニメ映画? でもそれだと前提の知識がないと分からないだろうし。ハリウッドのアクション映画……ああ、これはいいかもしれない。頭を空っぽにして見られる。
「ねえ、佐伯くん。これを見ようよ」
 指差したのは選択肢から外していたその恋愛ものだった。
「え!? なんか意外だな」
「そうかな。別にそんなことはない気はする。嫌だったらいいけど」
 そんなことはない。と言うと彼女は帽子から目元を下げた柔らかな目をのぞかせた。
「うん、じゃあこれにしよう」
 満足げな顔を浮かべている。
 楽しんでくれるといいな、と僕は急に気恥ずかしく感じ、出かけたその言葉を喉の奥へと無理やり押し込んだ。
 入場チケットを買い、僕は闇から楽しい闇の中へと彼女を連れていく。

 思った以上に精神的にくる内容だった。というのは、濡れ場のシーンが少しであれあったり、あまりにも主人公の男が自分勝手で、その成長も微妙な規模で行われたり。これがメディアで話題と報じられていたとは信じがたい。単純に僕の感性と合ってなかったからかもしれないけれど。
 僕はゴッホを映画館近くのカフェに連れていった。席に座り、各々の飲みたいものを注文した。
「……なんかゴメンね」
 ミルクココアを注文した彼女は開口1番そう言った。
「なーんか、微妙な出来だったね」
「概ね同意。あとは……ちょっとあの内容を語るには少し恥ずかしいというか」
「ああ、濡れ場のシーンが入ってたって話?」
 ストレートに僕の心を読んでくるから飲んでいたコーヒーが気管支に入りむせてしまう。
「いや、まあそうだけど……ああいうの嫌だったりするのかなーと思って。だったら見る前から僕が止めてしまえば」
 そういうと彼女はクスッと笑う。
「大丈夫だよ。ああいうエロスは、どんな芸術にも美しいものとして扱われる。もちろん美術だってそう、文学にも、もしかしたら音楽にも使われてる。今の映画だってそう」
 喋っては息継ぎをしてコーヒーカップを傾ける。まだ熱かったのかフーフーと、吐息は表面に波紋を広げる。
「少なからずああいうエロスな恋愛を美しいと主張する人もいる。一応芸術家な私は否定することはあまりできない」
「そういう考えは、できなかったな。映し出された時何も考えられなかった」
「私には、根本的な意味で分からなかった。経験したことのない不思議な光景が目の前にあって、心がざわめいた気がする」
「ざわめく……?」
「そ。ざわめいたの」
 抽象的に話す彼女の言葉はやはり一度では理解できなかったが、少し落ち着いている印象を受ける。
 彼女は胸に手を当て、思いつめた顔を見せる。
「面白いよね、人間って。すべてに美しさを感じそれを表現しようと奔走する。実はそれを表現するのは簡単、でも美しさには価値観があるから評価されなかったり。苦しい時間が続くのが当たり前なんだよね、芸術家って」
 コーヒーカップをテーブルに置き、温もりを求めるように手で包む。
 苦しい時間。これは僕にも味わったことがあって、逃げ出したことだ。この苦しみを超えて一流へと昇華する。単純な構造だ。
 僕は一流じゃない、もちろん彼女だってそうだった。でも、不思議な祝福で鎖に繋がれている。一流どころじゃない、似つかわしい肩書きを背負って。
 君はどうしてそこまで苦しもうとするんだ。
「……次はどこ行こうか」
 僕はこの空気を変えるべく、彼女に語りかける。そしてその瞬間、パーっと雰囲気が明るくなった気がした。
 すべてが空回りしている気がする。気のせいであってほしいけど、もしかしたらこのデートの誘いがこの後のすべてを壊す引き金になっている予感が、僕の胸を引き裂くように責め立てる。

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