誰よりもきれいな色になれ

みずかなで

夢は揺れる-2

 斜め後ろで見ていた父は嬉しいと言ってくれた。嬉しい? じゃあこれでいいの?
『○○は、美術界の宝だ!だから何も気にしなくていい、お父さんについてきてくれ』
 色が分からない。父は鮮やかな色をしていた。何にでも興味があって、小学生のようにハツラツとした好奇心があって楽しそうな色だった。でも母が亡くなってから、色は落ち込んだ。ねずみ色、マンホールの底にあるような、ドブの色になってて、でもある程度鮮やかに戻っていたはずなのに。
 今は色が見えない。なに色でもない、無色で透明で。恐怖がそそられる。初めてそんな色が見えたから。
 父は私になにが見えていたのだろう。金色に見えたのかな。私の色は、一体なに色?
 何もわからないまま私はいっぱい絵を描かされた。でも、何描いても褒められていた時とは違って、父にたくさん貶された。『これはダメだ、これは認められない、これはゴッホじゃない』私は、ゴッホじゃないよ? 私は○○○○、覚えてないの? 親子なのに、一緒に暮らしていたのに、一緒に喜びも悲しみも共有したはずなのに。私たちはーー。
 考えることをやめた。私はもう囚われている。鎖に繋がれた奴隷とでも言っていいたろうか。
 父はこの事態に関して何も言わなかったけれど、私は理解した。そして私は道具になった。父の欲望を満たす筆となるべきなんだろう。
 私は描き続けた。多分自分も描きたかったんだろう、筆がスルスルと滑ってくれる。でも私の心が満たされることはなくて、けど肩は軽くなる。ああ、満たされているのは当然私じゃなくて『彼』なんだ。奴隷だから口に出す権利なんかない、道具だから描くしかない。満足は二の次、私とは違う誰かを満足させなければ自分に幸福はない。
 絵を「練習」する日々が続く中、時たま父の知り合いである偉い美術専門家の人たちに会わされた。そして私じゃない私の絵を見て褒める。それは尋常じゃないくらい褒められた。でもその対象は私じゃないのはわかっている、けどありがとうございます、と言わざるを得なくて苦しかった。
 この時から私と接触する大人はこんなのばっかだった。私が気分転換に外に出ても自分の利益を求める人たちばかりが近づいてきて、うんざりして作り笑顔の練習した記憶がある。目尻をわざと下げて、印象がいいように口元をあげる。笑っていない目がばれないように目を細める。鏡の前で何度も練習してみた。可愛くなかったけどそれでいいと思えた。
 大人たちとの対応にも慣れ、自分の能力の扱いもできるようになった。父も私の絵を貶すことがなくなりだいぶ彼の色も戻ってきた。
 だから自分の絵を再び描いてみようと思った。自分の表現で、自分の色でキャンバスにぶつけてみようかと思った。
 筆を持って、パレットの絵の具を選択する。……あれ、私はどんな色が好きなんだっけ。どんな色で表現していたんだっけ。
 得意だった色がまるで分からない。なに色で表現すればいいのかも、何を描きたいのかも頭の中からすっぽりと消えている。
 あんなにアイデアが湧いてでていたのに、今は空白。逆に私ではない『彼』のイメージが私の表現を邪魔する。でも、前みたく描けなくなったような感覚はなくなっていた。成長だと信じたい。
 震えはなくなっていた。だから昔の自分の色を忘れてしまったというのなら、新しく生み出してしまえばいい。
 色を選択して自分の思うがままに描いてみた。昔のように腕が動かないかもしれない、繊細なタッチができないかもしれない、それでも自分を信じてみた。新しい自分はどんな表現ができるんだろう、若干の淡い期待があったんだけど。だけど。
 完成したのは、絵とは言いがたいもので絶句した。大量の黒と赤が混ざり合ってキャンバスが塗りつぶされたもの、そして自分が無意識のうちに闇を表現する黒を選んでいたのかと驚嘆した。
 黒という色は、「失敗」を意味すると個人的には思っていて、というのはどんな色を混ぜても黒という色が出来上がってしまう。混ぜる量を少しでも間違えると黒になる。青と赤を混ぜ合わせて綺麗な紫ができるとは限らない。
 失敗の果てに黒があって、それは虚無だ。
 だから私の描く絵は失敗なんじゃないか、これからずっとずっと描く絵も失敗になっちゃうんだろうか。
 目の前の私の絵は、失敗だ。自分の今を表現したつもりで、色もすべて私主導で描いた。だから私の描く絵としては本物なのだ。これはまぎれもない事実で、自分にも誰にも崩せない。
 その事実を自らが突きつけてきたのだから、悔しくて涙が出た。苦しい時期がまた続いてしまうんだ、これから私の絵には誰にも振り向いてくれない。私の違う私が描く絵が評価される。
 自分というものがわからなくて、自分という存在が、自分の絵が忘れ去られるのだろうか。私だけは覚えていたいと思った。でも、自分の表現も忘れてしまっているしどんな絵を描いていたのかも分からない。
 だから、私は黒だ。心も絵もすべてが黒。私はだれかにとっては成功だとしても自分自身にとっては失敗だから、黒を受け入れるしかない。
 そして父が余計なお世話をしてくれた。暮らすには十分すぎる家を捨て、新しい家に引っ越した。私がちゃんと才能を発揮できるように、とアトリエも広かった。でも、私は学校での友達と離れることになってしまって、唯一の友人関係が彼の気まぐれで解消されてしまった。
 心細さが一気に増幅する。誰も本当の私を見てくれる人がいなくなってしまった。アトリエで絵を描いては満たされもしない誰かの欲望を満たす。
 そうだ、ここが心細いならどこかへ行こう。より広い空間なら私を見つけてくれる人が現れるかもしれない。囚われの城から出ないわけにはいかない。
 そして私は父を説得して外で絵を描く許可をもらった。私が別の意味で大切なのはわかる。でもそんなのはお節介だ。自分の絵が描けない反発、友達がいなくなったことに関する反発。それを言葉にしたら許可してくれた。条件をちゃっかりつけてね、まあそれは仕方がないかな。
 その次の日から私は父が務めている仕事場の近くの公園に向かうようになった。その公園は芝生が綺麗に生えていて、緑が豊かだった。太陽が差す日差しが緑を映えさせ輝かせる。緑に光が反射して昼だから明るい当然の空間が、さらに明るくみえた。そういえば長い期間ずっと明るいのか微妙な空間で過ごしてきたから、明るすぎて思わず目を細めてしまった。公園の中央には大きな大樹があって、その下で座るためのベンチが設置されてある。大樹の葉がふんわりと横に広がっており、その葉が屋根になり日陰が出来上がっている。
 よしそこに座ってキャンバスを広げよう。私は大きな荷物を抱えながらベンチに向かう。そして絵を描く準備をしよう。画材立てにキャンバスを立てて筆を取り出した。
 スッーと頬を風が撫でていく。ふわりと凪ぐ風は心地よい。
 私は私を探したい。自分の色を見つけて自分の表現を新しく身につけたい。
 この緑が溢れるところだったら見つけられるかもしれない。狭い空間ではなくて、私の知らない物が広がり続けている空間なのだから。

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