誰よりもきれいな色になれ

みずかなで

1-2

 彼女は不思議なことを言っていた。それは不思議な少女に見えた、という単なる理由で許容していた。もし、彼女のいうことが本当ならば……どういうことなんだ? やはり何度考えてもわからない。僕でも知っている、有名な画家であるゴッホと名乗った理由。
 ーー彼女は何者なんだ。
 昔中学校の頃、授業で「自分の好きなこと」をテーマに自由に絵を描け、と授業内課題を課せられた記憶がある。周りの同級生がスラスラと描く中、自分は悩みに悩んで筆が全く進まなかったことを思い出した。
 でも、なんとか下手でも頑張って描いた絵はどの絵よりも輝いて見えたんだ。好きなことを自由に敷き詰めて完成させた絵は、自分には才能があるんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。どれがすごい芸術なのかなんて不確定なことは理解しえなかったが、自分が描いたものは自分には最高の芸術に思えてしまったんだ。
 おそらくそれはゴッホーー彼女も一緒なんだろう。あの絵は確かに彼女らしく描かれていて、彼女の内面を表したものなんだろう。自分の目には素晴らしい作品に見えるんだ。だけど、認められないのが何よりも嫌だったのだろうか。
 そして彼女と出会ってから初めての土曜日がやってきた。
 僕は約束通り晴人と一緒に巽教授の講義レポートのために電車に乗って二駅先にある美術館を訪れた。
 美術館に初めて来た。こんなところに、外装もオシャレでRPGゲームに出てくるような神殿のような建物があるとは初めて知った。大理石でできた柱が数本規則正しく建てられている。
 入り口には「近代西洋絵画展」と、今回の展覧会のテーマが掲げられていた。そこらへんにベレー帽やらハットやらを被った初老の人やいかにもアーティストと主張しているような派手な格好している人がたくさんいる。普通の場所であれば浮いているような人々がその場にマッチし、逆に浮いているのは何もない僕たちだ。
「大雅、とりあえず入ろうぜ」
 晴人が美術館の入り口を指差しながらそう言った。頷くと僕は彼の横に行く。
「俺、案外こういうの楽しみだったんだよね」
「へえ意外じゃん。講義の課題だからって、適当に見て適当に書いて帰ろう、とかいうと思ってたよ」
「馬鹿、俺は案外感傷に浸れる人間なんだよ。素晴らしい音楽、映画とか漫画とか……自分の心にグッと来るものを見ると自然と涙が出てまうぐらいだ」
「……鑑賞中にいきなり隣で泣き出されても困るからね」
 軽口を言いながらもそんな感情的になれるのを少し羨ましく思ってしまう。
「大丈夫大丈夫。迷惑かけないようにお前とは別行動してやるよ」
「え、なんだ。じゃあ僕も一人で見ることになるのか?」
「そう言ってんじゃん。一人じゃ無理だっていう中学生でも言わないようなこと言うのやめなよ気持ち悪い」
「いや、そういう意味で言った訳じゃ……まあいいけどさ。確かに遊びにきたんじゃないな」
 一人で見て楽しめそうなのか少し不安なのだ。僕は絵画の価値なんて分からない。自分が絵を見てどう思うのだろう。ただ絵が上手いとか、これくらいなら自分でも描けそうだなんて失礼なことを考えてしまうかもしれない。
 だったらそのようなボロが出ないように世間話をしながら淡々と見ていく方が良かったのだが、彼がそういうなら仕方ない。
 入り口の回転ドアをくぐり抜け、僕たちは体験したことのない空間へと飛び込んだ。
 広い空間がそこにはあった。白の壁のおかげか、所々にある絵画などがより高級感が溢れるように飾られている。その作品固有の色を大きく主張するかのように。
「じゃあ俺は一人で回るよ。なんだか別世界に来たようで興奮してきた。まあなんかあったら合流しようや」
 晴人はそう言うとじゃあな、と右手を軽く上げて僕から離れていく。
「さて、じゃあ僕はあいつとは違うルートに行こうかな」
 独り言を呟く。そして、人の波に従うように晴人とは違う道を選択する。どんな絵画が飾られているかを示す標識が見えたが、そこには「印象派」と書かれていた。それにはピンとこなかったが、高貴な人々の波に押されながら歩みを進める。
 そして絵画が両端に規則正しく飾られている通路へとたどり着いた。そこには両手を広げても包み込めないであろう広さの絵の何枚かが、自ら絵が有名な画家に描かれたと主張するように毅然とした態度で何もなかったであろう白の空間を、自らを主張する色彩で彩る。
 見た感じ、飾られているのは風景画が多い気がした。明るい色彩で描かれた光と空気がその風景をうまく包み込み、それに映る人物が溶け込んでいる。主役であろう人物、風景がその光や空気のおかげで印象づけられている。おそらくそういう意味での印象派なのだろうか、と勝手に解釈した。
 絵画を描いた作者とタイトルが書かれた表示を見る。モネ、マネ、ポールセザンヌ……聞いたことのあるようなないような名前が書かれている。彼らの絵画はは有名であろうが、僕には見たことがなかった。それらが通路に並べられていて、僕と同じように鑑賞に来た人々は感嘆の声を上げている。
 目の前の絵に食い入るように見ている。僕には審美眼というものが備わっていないから、風景の中に人がいてその人が何かをしている、という見たまんまの描写を表現する。
 感性がまったくないわけでは、ないはずだ。ただ平面に色をぶちまけたものだというひねくれた考えが根底にある。
 ある専門家は、この絵のこういうところには作者のこういう気持ちが込められているだとか、作者の筆が感情によって動かされているだとか。根拠のないことを自信ありげに言う。
 作者にしか分からないことを分析して研究して、さも全てを分かったかのように語っている。そういうのが気にくわないのかもしれない。それは文学でも一緒だ。
 絵から分析した作者が主張したいことは、本当に作者が伝えたいことなのか。本当だと分からないことを主張する専門家を胡散臭く感じるのだ。作者は真逆のことを言っているかもしれない、なのにそれをでっち上げるように述べる。それは違うんじゃないか。
 本質的に芸術というものが苦手だという理由はそこにある気がする。違う感情を本物と言い張り学問だという認識が僕の脳内にこびりついている。
 僕は自分が思った以上にひねくれ者で、卑屈だ。だからこんな考えをしてしまう。
 絵を眺め、そして次の絵へと向かう。綺麗な絵だというか、なんかすごいだとか今時の小学生でも抱かないような感想を頭に浮かべながらの鑑賞はこの場にふさわしくなくて逆にそれが心地よくて。皆が真面目に自分の意識を高めようとしている中、僕だけがまるで外で裸になっているような気持ち良さ。しかもそれが誰にも咎められない。なんて最高なんだろう。
 流し見をし、そして僕は足を止める。僕の興味・意識は全て目の前にあるものに吸収される。


ひまわり「フィンセント・ファン・ゴッホ」


 ある日とんでもない所から聞いた名前。そしてそれは僕でも聞いたことがある名前。目が、意識が、心が惹かれてしまう。
 気になるんだ。ゴッホと名乗った少女と今視界に忽然と現れた彼の名作との関係が。だから僕は美術館に入って初めて足を止めた。
 黄色を基調とした背景、そしてねずみ色の壺に入った主役であろう何輪ものひまわりがさらに花開くようにつぼみが扇型に広がっている。なんだか不安になるような色使いに、ずっと自分を見つめてくるようなひまわり。その恐怖感と不安が調和し、それが平面に全て敷き詰められている。
 そして僕は息を呑んだ。なんだか目の前の絵から圧を感じて、それに恐怖を覚えてしまう。思い浮かぶのはあの少女。その影が脳裏にこびりついて、離れようとしない。ずっと居座り続けている。
 シーン、と僕の鼓膜が脳に静寂を伝える。今まで人がいたんだ、急に静かになったことに違和感があって僕は【ひまわり】から目を離し、周りを見渡す。すると、僕以外の人が急に遠ざかっていく。そして近づいてくる者もいない。
 一人の空間とは違う、別の気配を感じる。それは目の前の絵画から悪意なのか怨恨なのか負のオーラを汲み取ってしまう。何だ、と思わず呟いたのちその違和感が脳内をぐるりぐるりと反復していく。
 そして、目が覚めたかのように脳内が現実へと引き戻される。
 ざわざわとした喧騒が再び戻ってきた。今のは意識が別のところへ行ってしまったのかも分からない。確かに僕がわずかにいたあの空間も現実だった気がする。その境界を、何かをきっかけに無意識に移動したのだろうか。
 思わず何かで読んだファンタジーの設定のような非現実的なことを考えてしまう。
 ここは夢なんかじゃない、現実だ。
 僕はその絵から一歩下がって後ずさる。何か危険な色が見える。それはあの少女が脳裏にずっと居座っているから? それと何か関係がありそうだから?
 そうかもしれない、無意識にリスクだと認識して脳内に命令している。
 僕はようやく金縛りから解放された。そして少しだけでも早く、と歩みを早める。それからは何も目にすることなく絵画の迷路を駆け抜けていく。鼓動がドクドクと跳ね上がる。何度も何度もその音が耳にまで上って聞こえてくる。それほどまでに、焦っていた。

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