五導の賢者

アイクルーク

生きる理由

 
 静まり返った城内に一つの足音がリズムよく響き渡る。
 先頭の痕跡が残っている下階と違い上階の通路は昨日まで見ていたのとほとんど違いない、そんな景色だった。


 ラノンがどこにいるか?


 思い浮かぶのはたった一つ。
 迷いない足取りで階段を上り終えた俺は王城に来てから幾度となく歩いた道を辿る。


 何を話すべきなのか。
 どこまで話すべきなのか。
 そもそもどんな顔をして話すべきなのか。


 何一つ考えのまとまらないまま着実に目的地へと近づいていく。


 そんなことを考えているうちに目的地である氷像がすでに目の前に迫っていた。
 ここはグレイスを魔人とし、凍らせた場所。


 ラノンならここにいるかと思ったんだが‥‥違ったか。


 別れた場所がここだったということもあり、思いついた場所だったがどうやら見当はずれ。
 どうしようかと冷静になって考えようとしたとき、どこかで聞いたことのある音が聞こえてくる。
 儚くも美しい、幻想的なメロディー。


「この音は‥‥」


 その音に確信を得た俺はすぐに石畳を蹴り、走り出す。


 それはかつてラノンの部屋を訪れる度に聞いていた音。
 俺が部屋に入るといつも一人で幸せそうな顔をしてオルゴールを眺めていた。


「ラノン!!」


 壊れていたラノンの部屋の扉を押し開けて中へと入る。
 案の定、ラノンはいつもの椅子に座りながらオルゴールが奏でる音楽を聴いている。
 だがいつもとは違い部屋には戦いの痕跡が残っており、ラノンの顔は悲しさで満ちていた。


「レンさん‥‥」


 こちらに気が付いたラノンは弱々しい笑顔を見せる。


「‥‥避難、しなかったのか?」


 会話の切り出しに困った俺は静かに近づきながらそう訊いてみた。


「いえ。一度はここを離れたのですがもう危険はないと聞いたので。それに‥‥」


 ラノンはその続きを視線で語るように、部屋の端にいたリアのほうを見た。


 バエルや他の魔人が去ったことがもう伝わっていたのか。


「そうか‥‥」


 会話が続かない。
 何を話せばいいのか、思い浮かばない。


「魔王は、倒せましたか?」


 ラノンは俺から逃げるように顔を外へと向けるとそんなことを訊いてきた。


「いや‥‥逃げた」


 俺は短く、簡潔に答える。
 そう答えるしか、できなかったから。


「そう、ですか」


 二人の間に微妙な沈黙が生じる。
 内心俺はラノンから追及されることを期待していたが、まるで続きを訊こうとする素振りはない。


 これは俺のほうから話せということなのだろうか。


 意を決した俺は一歩前に出てから口を開く。


「俺は──」


「やめてください!!」


 ラノンの怒号が俺の言葉を遮る。
 あっけを取られた俺の方へラノンは涙ぐんだ顔を向けた。


「いいんです。それ以上‥‥何も言わないでください」


 すぐに訂正の言葉を言おうとしたがラノンの心中を考え、ぐっとこらえる。


 多分、ラノンは俺がどうしようとしているのかわかっている。
 わかっているからこそ聞きたくないのだろう。


 それを理解したうえでもう一度考える。
 今、俺がどうするべきなのかを。


 俺は‥‥


 手に持っていたクインテットを静かに地面へと突き刺すとゆっくりとした歩幅でラノンに近づいていく。


「レンさん‥‥?」


 俺の行動の真意がわからなかったのかラノンはこちらの様子を伺っている。
 すぐ近くまで来た俺は向かい合った椅子に腰をかける。


「話そう。時間が許す限り、二人で」


 いまするべきこと、それは別れの言葉や悲しみの言葉じゃない。


 この時間を無駄にしないことだ。


 俺の言ったことが予想外だったのか、ラノンはあっけを取られたような顔をしている。


「初めて出会った時のこと、覚えているか?」


 こんな時、こんな時だからこそいつものようなありふれた会話をしようと思った。


 そんな俺の考えを理解してくれたのか、ラノンの表情がいつものように柔らかくなり始める。


「もちろん、覚えているに決まっているじゃないですか」


「そうか。俺はあの時からラノンのこと気になっていたな」


 なんでだろうか。
 普段言えないようなことも今ならすらすらと言うことができる。


「私もですよ」


 ラノンが照れ気味に、そして対抗するかのようにそう呟いた。


「それ、本当か?」


 俺は微笑しながらラノンに疑いの言葉を投げかけてみる。


「本当ですよ!!」


 ラノンは少し不貞腐れながらも笑っている。


「でも、そうですね‥‥」


 続けようとしたところで、ラノンは口を濁す。
 焦らずに待っていると、それを感じたのか照れながらも口を開く。


「レンさんを好きになったのはやっぱり、あの時です」


 そう言われて思いつくのはあれかな。
 正体を明かして戦った時かな。


 何度も戦ってきたが正直なところあの時が一番な気がする。


「レンさんが、魔人から私を守ってくれた時です」


「‥‥」


 正直言ってどの時のことを言っているのかわからない。
 それに気づいたのかラノン慌てて付け加える。


「あ、あの時ですよ。あって間もない頃に街中でかばってくれた時のことです」


「あー、あの時か」


 そこまで言われてようやく思い出す。


「確かあの時は力が全然使えなかったから大変だったな」


 身体強化ブレイブ無しで魔人と戦うのはきつかったな。


「やっぱりそうですよね。レンさんならあのくらいすぐ倒せましたよね」


「まぁな」


 そう言われると否定はできない。


「だったら本気でやってくださいよ。私あの時、怖かったんですよ?」


「それは‥‥」


 返す言葉の見つからない俺はそのまま黙り込んでしまう。
 そんな俺の様子を見てラノンは無邪気な笑顔を見せる。


「冗談ですよ」


「レンさんにだって色々あったことは知ってますから。それに‥‥」


 少し間を開けてからラノンは俺の目をじっと見つめてくる。


「私のこと、守ってくれましたから」


 俺は違う意味で黙り込んでしまう。
 だがすぐに一つのことに気が付く。


「もしかしてあの時魔人を倒したこと、知っていたのか?」


 俺はあの時、一人で待ち伏せていた魔人を倒した。
 帰り道でアドネスとあったがやっぱりその時にばれていたのか?


「知っていた、というほどのことではないのですがあの魔人は明らかに私を狙っていました。それなのにもかかわらず追ってこなかったので誰かが倒したのかなって思ったんです」


 そうなった時、候補に挙がったのが俺だった、そういうことか。


「それで、特に理由があったわけじゃないんですが‥‥レンさんだったらいいなって、それだけです」


 なぜだか嬉しそうにそう語るラノン。
 照れからか言葉を返せずに黙り込む俺。
 それをわかってか二人の間に再び沈黙が訪れる。
 だが今度の沈黙はさっきのとは違う、どこか気持ちのいいもの。
 俺とラノンは二人でその緩やかな時間を楽しんだ。










 ここに来てからどれほどの時間が経ったのか。
 すでに日は山に半分ほど隠れており、空は赤く染まっていた。


「レンさん‥‥約束、覚えてますか?」


 不意にラノンが穏やかな表情でそう訊いてきた。


 約束、それはかつて俺がラノンへとした誓い。


 俺は死なない。


 単純な約束だった。


「あぁ、覚えてる」


 忘れられる、はずがない。


「なら、大丈夫です。これ以上、私から言いたいことはありません」


 夕焼けにより色味の増したラノンの顔は最大限の笑顔を見せた。
 きっとそれは俺を送り出そうという誠意なのだろう。
 言いたいことも、訊きたいことも、やりたいこともいっぱいあるだろう。
 それでもそれらを全部ひっくるめたのがさっきの一言だろう。


「俺は‥‥ラノンに逢えて本当によかった」


 心からの言葉を、そのまま口にした。


「私もです」


 ラノンは短く、ゆっくりと応えると半分ほど姿を消した夕日を見た。


「もう‥‥行く時間ですよね」


 あくまで笑顔で、穏やかな顔で。


「あぁ」


「行ってらっしゃい、レンさん」


 この時のラノンは今までで一番、美しいと思った。


「行ってきます、ラノン」


 俺は椅子から立ち上がると地面に刺さっていたクインテットを引き抜きラノンに背を向ける。
 そして一歩一歩踏み占めるように歩き出すと、どんどんとラノンから遠ざかっていくのがわかった。
 部屋の入口までたどり着いた所で足を止めて一度だけ振り返る。
 するとラノンはこちらを見ながら静かに手を振っていた。
 俺は身にまとっていた外套を片手ではぎ取ると優しくラノンの手元へと投げる。
 それを受け取ったラノンは最初は驚いたような顔をしたがすぐに笑顔を取り戻す。
 それを見て言葉にできない感情が湧いてきた俺は誤魔化すように前へと向き直ると薄暗い城内を歩き出す。










 覚悟は、していた。


 あの時、賢者の力を受け入れたときから覚悟はしていたんだ。


 でもその覚悟はきっと、捨てるための覚悟だったんだ。


 ラノンのためだと、自分の命でさえいとわないつもりだった。


 でも、今になって気づいた。


 そんなのは覚悟じゃない、ただの諦めだ。


 勝つ自信がないから、自分の命を懸けようととしたんだ。




 もう、迷わない。


 死が決まるその瞬間まで、全力で足掻き続ける。














 王城を出た俺は迷わずに南門へと足を運んだ。
 まだ門の入口周辺には多くの兵が残っており、疲れ切った顔で警備にあたっていた。
 すぐに周囲に皇がいないことを悟った俺は暗く、明かりのない門の上へと登る。


「ようやく来たか」


 するとそこにはやはりというべきか、皇が待ち構えていた。
 足元に荷物らしきものが二つあり、本人は何を見ているのか俺など気にも留めず城下町を眺めていた。


「あぁ、悪い。少し、遅れた」


「別れは済ませたのか?」


 皇はいつもよりワントーン低い声でそう訊いてきた。


「いや‥‥俺は絶対に生き残る」


 俺のその言葉を聞いた皇は涼しい顔でこちらを見てきた。


「そうか。何も言わなかったのか」


 そう言いながらゆっくりと瞼を落とした皇は再び俺から顔を背ける。


「だが、もしもの時は‥‥わかっているな」


 冷たく、重みのある言葉。


「あぁ」


 そう短く返すと俺は皇の横に並び、僅かに活気の戻った街を見下ろした。







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