五導の賢者

アイクルーク

敗者

 
 俺はコロシアムの壁にもたれかかるように倒れた。
 強く吹き飛ばされた俺の体を受け止めた石壁にはヒビが入っており、所々欠けている。


 負けた‥‥俺の切り札ですら、破られた。


 五導の斬撃カオスブレイクは発動にこそ時間がかかるが、その威力は飛び抜けていた。


 それでも、負けた。


 身体強化・雷サンダーブレイブが解け、強く打ち付けられた全身には激痛が走っていた。
 クインテットも弾き飛ばされた上、叩きつけられた際に頭でも打ったのか妙に体の反応が鈍い。
 もはや首を上げることすら辛く、血に塗れた自分の体をただ眺めていた。
 すると少しづつ近づいてくる足音が聞こえ、どうにか顔を向けると肩口にさっきまではなかった切り傷のある皇がたたんずんでいる。
 俺の攻撃は完全に返されたと思っていたが‥‥意外と、そうでもなかったようだ。


「少しは身の丈を思い知ったか?」


「あぁ」


 戦ってみて初めてこいつの強さを実感できた。
 俺には遠く及ばないところにいるということを。


「ならここで棄権しろ。これ以上やっても無駄なことくらいはわかっただろ」


 皇はそう言いながら片手でエクスカリバーを俺に向けてくる。
 このまま戦い続ければ俺はもっと傷つくだろう、もっと死ぬリスクが上がるだろう。
 それを避けるのは簡単。
 ただ片手を上へ上げて五秒ほど静止するだけ。
 たったそれだけでこの戦いは終わる。
 けどさ‥‥


「なぜまだ戦おうとする?」


 俺は左足に括り付けてあったナイフを抜くと、それを皇へ向けていた。


「ここで引いたら、二度とラノンに会えない気がする」


 消耗したとはいえ、まだ魔力も残っている。
 大丈夫、まだやれる。


「そうか‥‥」


 皇は軽く目を瞑るとエクスカリバーを振り上げる。
 まずは身体強化・雷サンダーブレイブでここから離──


「えっ‥‥?」


 目を疑うような光景に思わず声が漏れる。
 皇はエクスカリバーをそのまま背中の剣帯に納め、その空いた手を天へと掲げた。
 それが意味することはたった一つ。


「お前‥‥どうして?」


 五秒が経ち、一気に静まり返ったコロシアムで皇は俺に背を向ける。


「それくらい、自分で考えろ」


 皇はそれだけ言うと観客の視線を一身に浴びながら歩き出す。
 それはまるで凍りついたコロシアムでただ一人動いているかのようだった。
 全身から力の抜けた俺は手に持っていたナイフを滑り落とすと、そのまま手の支えを地面に託す。
 少しづつ、少しづつ小さくなっていく皇の背中を見ていると、天から鐘の音が三回鳴るのが聞こえた。
 俺の勝利が確定した瞬間だった。
 誰が見てもわかる、与えられた勝利。
 喜ぶべきものではないかもしれない。
 それでも俺は‥‥


「ありがとう‥‥皇」


 見えなくなった背中にただ感謝の言葉を述べた。
















 コロシアムでの戦いの後、魔法で傷を治すとラノンと対面するために城へと来ていた。
 当然と言うべきか全く歓迎されることはなく、通りすがる者から恨みがましい視線を向けられる。
 だが一応は客人という扱いのなので応接間に通されたので、ぼんやりと雑に入れられた紅茶を眺めていた。
 ここは三日前にラノンと別れた場所。
 俺が賢者とわかってからは長い間別行動をすることはなかったので、久し振りに会える今は妙な高揚感を感じている。


「あの‥‥賢者様」


 ぼーっとラノンが来るのを待っていると俺の見張りとして部屋の端に立っていた兵士が声をかけてくる。
 いつ人が来てもいいようにか俺からは遠いその場を離れようとはしない。


「なんだ?」


 この部屋にいる兵士は四人。
 残る三人の兵士は怪訝そうな顔をしていたが特に注意することはなかった。


「賢者様は‥‥その、昔は弱かったって聞いたんですが、それは本当なのでしょうか?」


 訊かれた質問は予想以上に普通なもので、その兵士の雰囲気からは負の要素が一切感じられない。
 ただ‥‥好奇心、か?


「あぁ、本当だ。昔は上級魔法すら使えず五属性使える以外には何も取り柄のない、そんな魔導士だった」


 今の俺も、十分弱いがな。


「では‥‥どのように勇者と渡り合うほどの力を得たのでしょうか?」


 兵士は‥‥若い男は真摯な目を俺に向けてくる。
 あぁ‥‥なるほど。
 こいつも、力を求めているのか。


「お前、どれだけ訓練している?」


「訓練、ですか?   自分は仕事としての訓練に加えて夜に個人訓練を行っています。時間は‥‥合計して六時間ほどです」


 得意げそうな顔で言う兵士。
 今みたいな警備の仕事ともして六時間は、まぁ優秀な方なのだろう。


「俺は昔‥‥十五時間以上戦わされていたこともあった」


 師匠の修行に体を鍛えるためだけのメニューは一切なかった。
 腕力を上げる時はひたすら刀で打ち合い、脚力を上げる時にはひたすら師匠から逃げ続けた。


「十五時間‥‥?」


 信じられないような顔をしている兵士。
 それを尻目に俺は話を続ける。


「別に時間だけが全てとは思わない。けど、強くなるにはそれくらいの狂気が必要だと、俺は思う」


 その狂気の末に得た力ですら、皇には勝てなかった。


「そう、ですか‥‥ありがとうございました!!」


 そう言った兵士は深々と頭を下げる。
 俺も‥‥もっと強くならなきゃな。
 皇と張り合えるくらいの力まで。
 俺がそう決意していると部屋の扉が力強く開かれ、大きな音を立てる。
 ラノン?
 そう思い振り返ってみるとそこには眉間にしわを寄せた王子がいた。
 王子は明らかに俺の方を睨みつけてくると、ドシドシと地面を揺らすように近づいてくる。


「何か用か?」


 もうベルーガに媚びる必要がない以上、無駄な敬語はいらない。


「なっ‥‥貴様、無礼者が!!   僕を誰だと思っている!?」


 座ったまま対応する俺に王子が業を煮やす。


「ベルーガの第一王子だろ。それがどうした?」


「どうした、だと?   僕に逆らったら兵士達が黙──」


「全滅するだけだ」


 王子は俺の一言で口を止め、何も言わなくなる。
 ここで王子がいくら喚こうとも俺がその気になれば一瞬で殺すことができる。
 それは変わらない。


「で、何の用だ?」


 俺は殺気のこもった目で王子を睨みつける。


「いいか、お前。今ならまだ許してやる、決闘で得た権利を破棄しろ」


「するわけないだろ」


 なんのために必死で戦ったと思ってだ。


「ほぉ、ならば王国との共同戦線の話はなかったことになるのだぞ?」


 再び偉そうで人を見下す態度に戻った王子。
 見ているだけで不快になる。
 俺は一切視線を合わせないでさっきまで話していた兵士の方を見ていた。


「だから?」


「だから、だと?   そんなこともわからないのか。もしベルーガが兵を出さなければ王国が大きな損害を受けるのだ」


 見なくても王子の勝ち誇ったような顔が目に浮かぶ。


「そんなことにはならねえよ」


「はっ、何を根拠に言っているのか。自分の罪がわかっているのなら早くラノンを渡してもらおうか」


 その発言が癇に障った俺はイスから勢いよく立ち上がると身構えている王子にギリギリまで近づく。


「魔王との戦いには俺が出る。お前らみたいな弱小国の力なんか必要ない」


 至近距離からの威迫に負けた王子はその場にへたり込む。


「し、知らないからな‥‥どうなっても」


 そう言い残し、王子は逃げるように部屋から出て行こうと扉を開ける。
 するとそこにはリアとグレイスを連れ、純白のドレスを身にまとったラノンの姿があった。
 ラノンは突然開いた扉の向こうに王子がいたことに驚いていたが、すぐに視線を外すとその隣を通り抜ける。


「あっ‥‥ラノ──」


 ラノンに向かって手を伸ばす王子に俺が殺気を送るとまた腰を抜かしそうになり、王子は躊躇いつつもこの部屋を後にした。
 邪魔者のいなくなった部屋で向かい合う俺とラノン。
 二人の間で妙な沈黙が生まれてしまい、互いに一言も口にしない。
 ラノンの表情は真剣で、真っ直ぐと俺の目を見ていた。
 怒っているのか、はたまた泣きそうなのを堪えているのかは‥‥わからない。


「リアから聞きました。私のために‥‥魔王との戦いに、参加するのですね」


 先に口を開いたのはラノンだった。


「あぁ」


 この戦いで俺が死ぬ可能性が高いこともラノンは知っている。


「レンさん、いつもそうです」


 ラノンはそう言いながら俺に背を向け、月が見える窓に歩き出す。


「誰かのために一人で戦って、傷ついて‥‥それでもまた、戦おうとして」


 後ろにいたリアとグレイスは気づけば部屋の端まで移動していた。


「私はそんなレンさんが好きです」


 ラノンは長く伸びた白いスカートをなびかせながら振り返る。
 悲しそうで、でもどこか嬉しそうな、そんな複雑な表情をしていた。


「でも‥‥私は辛いんです。レンさんが傷つく姿を見ることが」


「レンさんが私のためを思って戦ってくれたのはわかります。でも、レンさんはそれでいいのですか?」


「‥‥俺に後悔はない」


 俺はずっと戦いから逃げてきた。
 それは死ぬのが嫌だったから。
 けど、あの時‥‥ラノンが王子のものになるって聞いた時‥‥俺は迷わなかった。
 俺が魔王と戦うことになってもいい、そう思ったんだ。


「でもレンさん、死んじゃうかもしれないんですよ?」


 ラノンの目が潤んでいるのに気がつく。  


「俺は死なない、そう約束しただろ?」


 俺は誰かのために死ぬつもりなんかない。
 ただ、自分の命と守りたいと思った人を守り抜くくらいの力はあるつもりだ。


「絶対、ですよ?」


 ラノンは念を押すように『絶対』の部分を強調して言う。


「あぁ」


「そうですか‥‥わかりました」


 納得したのかラノンは俺の下に寄ってくるとそっと手を腰に回してくる。


「レンさん、ありがとうございました」


 最後にラノンは俺の一番欲しかった言葉をくれた。
 俺は自分の口元が緩むのを感じながら、そっとラノンの頭を抱き寄せる。







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