怪獣のラプソディ
6 アイ
今日の森はとても静かでした。動物たちの声も、風の音も何も聞こえないのです。
というのもさっき恐ろしい二体の怪獣がこの森を歩いていて、そのうえ、今までにないような泣き声にも叫び声にも聞こえる声が森の中に響き渡ったからです。
ほとんどの動物たちはその声に怯え、自分の巣に逃げ帰ってしまったのです。
そして────ラプソディも。
この辺りだけは、巣穴ですすり泣く声が漏れています。
ラプソディは自分の兄から語られた事実にひどく混乱していました。
あの優しかったお父さんこそが、動物や仲間や実の親を殺した狩人だったこと。そして、彼は森でずっと前に死んでしまっていたこと。そしてなによりも……その事実の数々を狩人は死ぬまで隠し続け、ラプソディも何も知らなかったこと。
次から次へと溢れてくる感情をどう抑えたらいいのかわかりません。これが、怒りなのか悲しみなのかさえわからないのです。
もしかしたら、ラプソディは狩人に裏切られたような思いだったのかもしれません。
これを知ったらあの唄を作ってくれた吟遊詩人はなんて言うのでしょう。狩人をけなす感じだったリンダも……。
優しい人間ばかりではないこともラプソディは知っています。でも────
とにかくずっとずっと、ラプソディは泣き続けました。
少し時間が経った頃、ふいにラプソディの足に何かが当たりました。
視線を落とすと、そこに落ちてたのはいくつものドングリ。誰かがまた巣穴に投げこんだようなのです。こうしている間にもまた一つ、コロンとドングリが転がってきました。
そういえば前にもこんなことあったなと思いつつ、ラプソディは震えたままの声で「……誰」とたずねてみます。
この前は悲鳴と共に逃げられましたが、今度は返事の代わりにぴょこんと顔を出す者がいました。
小さな子ギツネです。子ギツネが巣穴からラプソディを覗き込んでいるのです。
「ドングリ……食べれる? 肉の方がいい?」
もじもじと少し恥ずかしそうな様子で、そう子ギツネが聞いてきました。
「肉はあまり食べたことないよ……でも、どうして?」
「そ、その……いつもは泣いたことないのに、今日は泣いてたから。なんか……食べたら元気になるかなって」
「ありがとう。でも、ドングリはリスさんにあげたらどう。僕は今日は食欲ないから」
「……じゃあ明日は食欲ある?」
「明日のことはわからないよ」
昨日までは狩人をずっと信じていて、それはずっと変わらないと思っていたから。
「わかった。じゃあ、明日また来るよ」
見えていた子ギツネの頭がぴゅん、と引っこみました。代わりに聞こえてきたのは声。
「ほら! ぼくが言ってたとおり怖くないでしょ! ママが止めても、ぼくは絶対明日も行くもんねー!」
怖いか怖くないかなんて、簡単にはわからないのに。あの子ギツネは僕にだまされてるかもしれないなんて、考えもしないんだ。
ラプソディは無邪気な子ギツネの声をぼんやりと聞きながらそう思いました。
そこからさらに時間が経ち、日が落ちたころにまた外から声がしました。
「やっぱりここにいたのか」
ラプソディによく似た声。兄でした。
「なあ、さっきはオメエの気持ちも考えないであんな事言って悪かったな。まさかオメエが、そんなにあの狩人を慕ってたなんて思いもしなかったんだ」
「いいよ。本当のことみたいだから。気にしないで」
「……にしても、ここに来るたび思い出すな……あの日のこと」
兄が言っているのは、ラプソディが生まれた日のことでしょう。この日、兄が目を離している隙に両親は狩人に殺され、弟であるラプソディはその狩人によって連れていかれた。兄はラプソディが巣穴に帰ってきていることに気づかなかったけれど。
「今来たとき、ホントはここにオメエがいなかったらどうしようって思ってたんだ。オメエのために飯を持ってきたんだけど、喰うか?」
さっきの激しい口調がまるでウソのように穏やかです。それに無理に巣穴に入ろうともしていません。
でも、ぽいっと巣穴に投げ込まれたのはなんと足をケガして動けなくなっている生きたシカでした。思わずラプソディはのけぞります。
「うわっ……い、いらないよ!」
「……そっか」
外の兄はとてもしょんぼりとしているようでした。
「オメエにとって、家族は……アイツだけだったんだもんな。ごめんな。実はオレが狩人を……」
「もういいよ」
兄の言葉をさえぎりました。それ以上は聞きたくありませんでした。
「もういいから」
「……ごめん」
その後まもなく、足音だけが悲しげに響いていきました。
傷ついたシカはまだがたがたと震えながらラプソディを見つめています。彼はそれを外まで運んでいってあげました。
「ここなら多分、誰かが見つけてくれるよ」
「……た、たた、食べないの? いいの?」
「いいよ。僕は動物を食べないから」
「あ……ありがと」
ラプソディはよろよろと歩くシカを見送ると、また巣に戻っていきました。
次の日、やはり子ギツネは変わらぬ様子でやってきました。
怖くないの、と聞くと怖かったよ、と子ギツネはしれっと答えます。
「一回お話してみたくて、たまにこっそりついていったりイタズラをしたりしたんだけど、やっぱ怖いから話しかけられなくて……でも、落ちこんでるときだったら襲って来たりしないかなぁって」
それから子ギツネは巣穴に入ってきて満面の笑みで言いました。
「ママは食べられるからだめって言ったんだけど、ぼくは絶対大丈夫だと思ったんだ! ねえ! これからどっかに行こう? ぼくのおうちでもいいよ!」
決してラプソディを元気づけようとしているわけではないのでしょう。あくまで好奇心。
でも、子ギツネに半ば引っ張られるようにして巣穴を出て、幼い彼を肩に乗せて歩き回っていると少しだけ気分転換になりました。
子ギツネは花の名前だとか木の実のことだとかなんでも聞いてくるので、ラプソディもできる限り教えてあげます。すべて、自分が昔狩人にしてもらったことです。
そして、次の日もその次の日も子ギツネはやっぱり遊びに来るのです。ラプソディも段々元気を取り戻していきました。
狩人のことも今は冷静に考えられます。
狩人がなぜずっと自分の正体を隠し続けていたのか。
毎日子ギツネと一緒に森を歩いていて、自分があのときの狩人のような立場になって、ある日ふいに狩人の言葉を思い出したのです。
『懐いてくれたのはお前くらいだ。だが俺はお前がいればそれで十分だ』
この言葉が狩人の心を物語っていたのかもしれません。
答えは単純、きっと狩人は自らの過去を語れば必ずラプソディに嫌われてしまうと思ったのです。盲目のアンナに正体を明かすことをためらったラプソディのように────
狩人が死んでいる今、もう彼のことをこれ以上知ることはできませんが、不器用で無愛想だった彼はもしかしたら人間の中でも孤立していたのかもしれません。
あるとき、狩人はラプソディの両親を銃で撃ったあとに巣穴の中に生まれたばかりのラプソディがいるのを見つけた。それで兄の存在を知らなかった狩人はラプソディを天涯孤独にしてしまったと思ったのでしょう。
赤ちゃんは自分で生きる術を持ちません。母親がいなければ、そのまま死んでしまいます。
だから彼はラプソディにこう言ったのです。
『このままではお前は死んでしまう。俺と一緒に来ないか』と。
きっとあの愛情は、あの言葉は不器用だった彼なりの罪滅ぼしだったんだ。ラプソディはそんな考えにたどり着きました。
そしてラプソディの兄────きっと彼のあの人間や狩人への強い怒りもラプソディや仲間を愛していたから。
あれきり、彼は巣穴に来ていませんでした。ラプソディが突き放してしまったから。
今会えば、お互いに感情的にならずにちゃんと話せるでしょうか。
「ねえ、怪獣さん。今度はもっとたくさんの友達を連れてくるからみんなで遊ぼうよ! ケンカしていたあのもう一体の方の怪獣さんも連れてさ!」
子ギツネが今から待ちきれないというふうに、ラプソディの肩の上で動き回ります。
「うん……でも、みんな怖がるんじゃないかな?」
「大丈夫だよ! ぼくがいつも怪獣さんと遊んでるの森でウワサになってるし、おしゃべりなシカさんが食べられなかったってみんなに言ってるんだもん!」
兄はふつうに動物の肉を食べるのでそれは実現するかどうかわかりませんが、話すだけ話してみようと思いました。
ラプソディは肩の子ギツネを優しくなでます。
いつか、お前の心に気づいたその時は────
狩人のその言葉はまもなく現実になりかけていました。
というのもさっき恐ろしい二体の怪獣がこの森を歩いていて、そのうえ、今までにないような泣き声にも叫び声にも聞こえる声が森の中に響き渡ったからです。
ほとんどの動物たちはその声に怯え、自分の巣に逃げ帰ってしまったのです。
そして────ラプソディも。
この辺りだけは、巣穴ですすり泣く声が漏れています。
ラプソディは自分の兄から語られた事実にひどく混乱していました。
あの優しかったお父さんこそが、動物や仲間や実の親を殺した狩人だったこと。そして、彼は森でずっと前に死んでしまっていたこと。そしてなによりも……その事実の数々を狩人は死ぬまで隠し続け、ラプソディも何も知らなかったこと。
次から次へと溢れてくる感情をどう抑えたらいいのかわかりません。これが、怒りなのか悲しみなのかさえわからないのです。
もしかしたら、ラプソディは狩人に裏切られたような思いだったのかもしれません。
これを知ったらあの唄を作ってくれた吟遊詩人はなんて言うのでしょう。狩人をけなす感じだったリンダも……。
優しい人間ばかりではないこともラプソディは知っています。でも────
とにかくずっとずっと、ラプソディは泣き続けました。
少し時間が経った頃、ふいにラプソディの足に何かが当たりました。
視線を落とすと、そこに落ちてたのはいくつものドングリ。誰かがまた巣穴に投げこんだようなのです。こうしている間にもまた一つ、コロンとドングリが転がってきました。
そういえば前にもこんなことあったなと思いつつ、ラプソディは震えたままの声で「……誰」とたずねてみます。
この前は悲鳴と共に逃げられましたが、今度は返事の代わりにぴょこんと顔を出す者がいました。
小さな子ギツネです。子ギツネが巣穴からラプソディを覗き込んでいるのです。
「ドングリ……食べれる? 肉の方がいい?」
もじもじと少し恥ずかしそうな様子で、そう子ギツネが聞いてきました。
「肉はあまり食べたことないよ……でも、どうして?」
「そ、その……いつもは泣いたことないのに、今日は泣いてたから。なんか……食べたら元気になるかなって」
「ありがとう。でも、ドングリはリスさんにあげたらどう。僕は今日は食欲ないから」
「……じゃあ明日は食欲ある?」
「明日のことはわからないよ」
昨日までは狩人をずっと信じていて、それはずっと変わらないと思っていたから。
「わかった。じゃあ、明日また来るよ」
見えていた子ギツネの頭がぴゅん、と引っこみました。代わりに聞こえてきたのは声。
「ほら! ぼくが言ってたとおり怖くないでしょ! ママが止めても、ぼくは絶対明日も行くもんねー!」
怖いか怖くないかなんて、簡単にはわからないのに。あの子ギツネは僕にだまされてるかもしれないなんて、考えもしないんだ。
ラプソディは無邪気な子ギツネの声をぼんやりと聞きながらそう思いました。
そこからさらに時間が経ち、日が落ちたころにまた外から声がしました。
「やっぱりここにいたのか」
ラプソディによく似た声。兄でした。
「なあ、さっきはオメエの気持ちも考えないであんな事言って悪かったな。まさかオメエが、そんなにあの狩人を慕ってたなんて思いもしなかったんだ」
「いいよ。本当のことみたいだから。気にしないで」
「……にしても、ここに来るたび思い出すな……あの日のこと」
兄が言っているのは、ラプソディが生まれた日のことでしょう。この日、兄が目を離している隙に両親は狩人に殺され、弟であるラプソディはその狩人によって連れていかれた。兄はラプソディが巣穴に帰ってきていることに気づかなかったけれど。
「今来たとき、ホントはここにオメエがいなかったらどうしようって思ってたんだ。オメエのために飯を持ってきたんだけど、喰うか?」
さっきの激しい口調がまるでウソのように穏やかです。それに無理に巣穴に入ろうともしていません。
でも、ぽいっと巣穴に投げ込まれたのはなんと足をケガして動けなくなっている生きたシカでした。思わずラプソディはのけぞります。
「うわっ……い、いらないよ!」
「……そっか」
外の兄はとてもしょんぼりとしているようでした。
「オメエにとって、家族は……アイツだけだったんだもんな。ごめんな。実はオレが狩人を……」
「もういいよ」
兄の言葉をさえぎりました。それ以上は聞きたくありませんでした。
「もういいから」
「……ごめん」
その後まもなく、足音だけが悲しげに響いていきました。
傷ついたシカはまだがたがたと震えながらラプソディを見つめています。彼はそれを外まで運んでいってあげました。
「ここなら多分、誰かが見つけてくれるよ」
「……た、たた、食べないの? いいの?」
「いいよ。僕は動物を食べないから」
「あ……ありがと」
ラプソディはよろよろと歩くシカを見送ると、また巣に戻っていきました。
次の日、やはり子ギツネは変わらぬ様子でやってきました。
怖くないの、と聞くと怖かったよ、と子ギツネはしれっと答えます。
「一回お話してみたくて、たまにこっそりついていったりイタズラをしたりしたんだけど、やっぱ怖いから話しかけられなくて……でも、落ちこんでるときだったら襲って来たりしないかなぁって」
それから子ギツネは巣穴に入ってきて満面の笑みで言いました。
「ママは食べられるからだめって言ったんだけど、ぼくは絶対大丈夫だと思ったんだ! ねえ! これからどっかに行こう? ぼくのおうちでもいいよ!」
決してラプソディを元気づけようとしているわけではないのでしょう。あくまで好奇心。
でも、子ギツネに半ば引っ張られるようにして巣穴を出て、幼い彼を肩に乗せて歩き回っていると少しだけ気分転換になりました。
子ギツネは花の名前だとか木の実のことだとかなんでも聞いてくるので、ラプソディもできる限り教えてあげます。すべて、自分が昔狩人にしてもらったことです。
そして、次の日もその次の日も子ギツネはやっぱり遊びに来るのです。ラプソディも段々元気を取り戻していきました。
狩人のことも今は冷静に考えられます。
狩人がなぜずっと自分の正体を隠し続けていたのか。
毎日子ギツネと一緒に森を歩いていて、自分があのときの狩人のような立場になって、ある日ふいに狩人の言葉を思い出したのです。
『懐いてくれたのはお前くらいだ。だが俺はお前がいればそれで十分だ』
この言葉が狩人の心を物語っていたのかもしれません。
答えは単純、きっと狩人は自らの過去を語れば必ずラプソディに嫌われてしまうと思ったのです。盲目のアンナに正体を明かすことをためらったラプソディのように────
狩人が死んでいる今、もう彼のことをこれ以上知ることはできませんが、不器用で無愛想だった彼はもしかしたら人間の中でも孤立していたのかもしれません。
あるとき、狩人はラプソディの両親を銃で撃ったあとに巣穴の中に生まれたばかりのラプソディがいるのを見つけた。それで兄の存在を知らなかった狩人はラプソディを天涯孤独にしてしまったと思ったのでしょう。
赤ちゃんは自分で生きる術を持ちません。母親がいなければ、そのまま死んでしまいます。
だから彼はラプソディにこう言ったのです。
『このままではお前は死んでしまう。俺と一緒に来ないか』と。
きっとあの愛情は、あの言葉は不器用だった彼なりの罪滅ぼしだったんだ。ラプソディはそんな考えにたどり着きました。
そしてラプソディの兄────きっと彼のあの人間や狩人への強い怒りもラプソディや仲間を愛していたから。
あれきり、彼は巣穴に来ていませんでした。ラプソディが突き放してしまったから。
今会えば、お互いに感情的にならずにちゃんと話せるでしょうか。
「ねえ、怪獣さん。今度はもっとたくさんの友達を連れてくるからみんなで遊ぼうよ! ケンカしていたあのもう一体の方の怪獣さんも連れてさ!」
子ギツネが今から待ちきれないというふうに、ラプソディの肩の上で動き回ります。
「うん……でも、みんな怖がるんじゃないかな?」
「大丈夫だよ! ぼくがいつも怪獣さんと遊んでるの森でウワサになってるし、おしゃべりなシカさんが食べられなかったってみんなに言ってるんだもん!」
兄はふつうに動物の肉を食べるのでそれは実現するかどうかわかりませんが、話すだけ話してみようと思いました。
ラプソディは肩の子ギツネを優しくなでます。
いつか、お前の心に気づいたその時は────
狩人のその言葉はまもなく現実になりかけていました。
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コメント
ハギノ
最後まで一気に読ませていただきました。めちゃくちゃよかったです!!!
ラプソディがこれからも平穏な日々を送れますように。