怪獣のラプソディ

浮艇景

4 サーカス

「さて、お次は森から姿を消したといわれていた、あの猛獣の登場でーす!!」


 調子のいい声が響き渡ります。続いて拍手とざわざわというどよめき。


 目の前にいるのは今まで見たこともないたくさんの人々。みんながみんなラプソディを好奇の目で見ています。


 ラプソディは吟遊詩人がくれた木の笛を片手に、ステージの上でスポットライトを浴びていました。
 状況もよくわからずこんな所に立たされて戸惑う彼に、ステージの横でピンクと紫の派手な衣装を着た顔面白塗りの少女リンダが「頑張れ」と小さくささやいています。


 こんなに見られるのは初めてです。なぜでしょう、緊張というより不安と戸惑いの感情がラプソディを包み込んでいます。


 君の仕事は簡単さ。ただ、観客の前で得意の笛を吹けばいい。


 小太りのタキシードの男────団長とみんなは呼んでいたっけ────がそう言っていたのを思い出します。


 ラプソディは言われたままに震える手で笛を構えました。


 どうしてこうなってしまったんだろう? 僕はお父さんを捜したかっただけなのに……


 ステージに置かれた原色ばかりのセット。大勢の人間に、薄暗くて狭いこのテントに、ラプソディに降り注ぐ人工の光。


 ここの人は悪い人じゃないけれど、どうしても慣れることができません。
 それどころか最近見る夢はどれも森の夢ばかりなのです。


 ラプソディは日が経つにつれてはっきりこう思うようになっていました。


 森へ帰りたい。









 あの日ラプソディはアンナの家を離れ、笛を吹きながら森の周りをとぼとぼとさまよい歩いていました。


 彼は知らなかったのです。
 森のすぐ近くには人間がたくさん住む町があったこと。そして知らず知らずのうちにその町に足を踏み入れてしまったことに。


 町の近くでヘビのような目に大きな口にギラギラ光る鋭いツメとキバを持つ巨大な怪獣がうろつけば、目立つに決まっています。アンナのお父さんも知っていたように、笛を吹く珍獣のうわさはもう人々に広がっていました。その醜い姿に怯える人もたくさん現れました。でも、そんなことラプソディは知りませんでした。


 今まで出会った人間は彼を恐れませんでしたから、すべての人間がそうであると思ってしまったのです。


 ラプソディが悪意なしに近づきます。でも人間は襲われると思って逃げていきます。このくりかえしでした。


 やがて、落ち込んでその場に座ってしまったラプソディを木の陰から見つめる人間が現れました。
 ラプソディはそれに気づいて、今度はその人間が逃げてしまわないようにゆっくり近づいていった、そのとき。


 ダン!!


 誰かが狩人を呼んだのでしょう。木陰で見つめる人間は、遠くから隙をうかがっていた狩人だったのです。


 町に銃声が響きました。






「うちの団長サンがあんたのうわさを聞いて駆けつけてなきゃ、多分そのまま撃ち殺されてたぜ。運がよかったな」


 その日の夜、道化師の少女がオリの中で縮こまるラプソディにこう話していました。


 そう、一発目はウロコに当たって二発目を撃たれそうになったとき、タキシードの男が割り込んできて狩人を止めたのです。そしてラプソディをここへ連れてきたのでした。


「そう怯えんなって。そりゃあ銃を向けられたら人間不信にもなるかもしんないけど、アタイたちは何もしないから」


 今でこそ少女は優しい人間だとわかっていますが、このときは顔が真っ白でしかも色とりどりの変な服を着ていた彼女に、得体の知れないものに通じる恐怖がありました。彼女だけじゃない、ここには何人もの人間がいますが、その誰もが変な恰好をしているのです。


 動物たちがラプソディを見る目はこんな感じだったのかもしれません。何者かもわからない、そんな恐怖。


「そういや、新入りだっていうのに自己紹介がまだだったね。アタイはリンダ。見習い道化師のリンダさ! あんた名前なんてーの?」
「……ラプソディ」


 ぼそっとこれまでにないほどの小さな声で言いました。


「わーお! 喋れるんだ! すごいすごい、人気者になれるよあんた!!」
「にんきもの……?」


 ……あんなにみんな怖がってたのに?


「そうさ! だって喋れる動物なんていないもの。しかも、うわさだと笛だって吹けるんだろ? サーカスのアイドル間違いなしだよ! アタイよりも後輩だってのに嫉妬しちゃうなぁ」


 オリの向こう側でリンダは、人懐こい笑みでラプソディに喋りまくっていました。









「ラプソディ、お疲れ!」


 ステージが終わった後、リンダがラプソディを抱きしめてくれます。その他にも空中ブランコで空を飛んでいた双子、右手が作り物の獣使い、足のないマジシャン……色々な人達が彼を笑顔で迎えてくれます。


 この日は彼の初めてのステージだったのです。


 ラプソディが来て数週間、彼はこのサーカス団のアイドルでした。こんなに醜いラプソディを彼らは気にすることもありません。
 そのことについてラプソディが以前尋ねてみたとき、仮面のジャグラーがこんなことを言っていました。


「ここのみんなは世間から孤立してきた奴らの集まりだから、今更外見なんて気にしないのさ。おれだって何か月か前に、森でお前と似た奴に襲われて顔がなくなっちまってる。団長はそういう訳ありの人間や動物を引き取って世話してくれているんだ」
「……じゃ、リンダは?」


 実はラプソディは、隙を見てここから逃げようとしていました。男を捜すために。そして森に帰るために。
 でも、自分を本当の家族のようにかわいがってくれる彼らを見ていると、とてもそんな事できませんでした。それに、このサーカス団のみんなは自分と同じ孤独を知っている者同士なのです。特にラプソディに一番最初に話しかけてくれたリンダ────


「彼女はみなしごなんだ。赤ちゃんの頃に捨てられたから両親の顔も知らない」


 ジャグラーは静かに言いました。


 もしかしたらリンダは、ラプソディに何か通ずるものを感じていたのかもしれません。きっと、ラプソディがいなくなったら彼女は悲しむでしょう────


 だからラプソディは逃げようにも逃げられずに、またその事を告げる勇気も出せないまま笛を手にステージへ上がる日々が続くのでした。






 ある日、ラプソディは衝撃的な事実を知りました。


 団長が言っていたのです。この町にいられるのも、あと数日だと。


 サーカス団も町を渡り歩くもの。次に行く場所は遠い異国の町でした。それが意味するものは、大好きな森からも、おそらくあの男からも限りなく遠く離れてしまうということ。
 時間のなくなったラプソディは、とうとうこの町から離れる前々日の夜にリンダにすべてを話すことにしました。


 リンダは今日も無人のステージの上で玉乗りの練習をしています。そしてそこから愉快に転げ落ちる演技も。
 なかなか話しかけることができないラプソディに、彼女の方から近寄ってきました。


「アタイの練習を見てたんだね? 今はまだあんなだけど、いつか立派な道化師になってみせるんだ……団長サンのためにも……って、なしたの? そんな顔して」


 言いにくそうな様子のラプソディに、リンダは首をかしげて待っています。


「その、おはなし……だいじな」


 意を決してラプソディはすべてを吟遊詩人に話したのと同じように、少しずつ言葉を紡いでいきました。
 自分の生い立ち、男の話、吟遊詩人の話、アンナの話、そして自分のやりたかったこと────最後にサーカス団を抜けたいという話。
 リンダは最初こそ興味しんしんに聞いていましたが、段々と顔が暗いものになっていきました。


「……やめようよ、そんなこと。ずっとここにいようよ」


 少しの沈黙のあと、リンダが消え入りそうな声で呟きました。


「そんなことしたって、無駄に決まってる。わかってるのかい? あんたは捨てられたんだよ。そのかわいがってくれたって男にね。アタイの両親と同じ!」
「ちがう」


 冷たい声が突き刺さります。


 そんなわけ、ない。あるはずない。


「何が違うって言うんだい? 人間は残酷な生き物なんだよ。仕方のないことだけど……あんたはけがれを知らなさすぎる。銃で撃たれたあんたならわかるはずだよ」


 リンダはすがるような目つきでラプソディを見つめました。


「ここにいればあんたは一人じゃない。アタイたちはあんたを家族とさえ思ってる。ねえ、だから……」
「やめなさい、リンダ」


 リンダとラプソディが同時に振り返ると、そこにはいつの間にか団長が立っていました。


「団長! なんで……」
「優秀な人材がいなくなるのは惜しいが、彼には彼の夢がある。その人間と再会するという夢が。わかってるんだろう? ラプソディ。彼が君を捨てるわけないって」


 おれはずっとお前の味方だ。


 その言葉をラプソディは忘れたことはありません。そして今でも信じてます。
 だからこそ、どんなに嫌われても立ち直ることができたのです。


 いつもはシルクハットで隠れている団長のその素顔は、優しい笑顔のおじさんでした。


「応援してあげようじゃないか、リンダ。そしてラプソディ」


 団長がラプソディに向き直ります。


「みんなからは私から説明してあげよう。いつでも待っているから、寂しくなったらまたおいで」


 ラプソディは、こくりとうなずきました。

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