ALONE 一人ぼっちの夜に

浮艇景

6.また会う日まで

 ────夜が怖くないと思ったのは初めてだ。


 ぼくは毛皮のコートを着込んで、そして息を大きく深呼吸をした。
 覚悟を決めて、寝室の窓を開け放つ。朝よりも冷たくて鋭い空気が一気に入ってくる。


「うわ、寒っ」


 なんでこの中ピートは平気でいられるんだろう、と不思議に思いながらアーロンは窓から身を乗り出した。


「おーい、ピートー! どこにいるのー?」
「呼んだ?」
「!?」


 明らかにヘンな方向からピートの声がして慌てて振り向く。


「うわぁ」
「なんか一気に明るくなったな、お前さん」


 三日月のような真っ赤な唇が嬉しそうに歪む。
 ピートが、なぜだかアーロンの真後ろに立っていた。


「や、やっぱり昨日のあれは……ゆ、夢じゃ、なかったんですね……」
「なに急に丁寧語になってんだよ。だから言ったろ、あれは魔法だって」
「じゃあ、ぼくがこの町の人と少し仲良くなれたのも魔法?」


 え、とピートから笑顔が消える。


「仲良く……なれたのか?」
「うん。ぼくはずっとずっと、お父さんやお母さんやみんなの事を誤解していた。でも、ピートに会ってから色々あってね。とにかく、ぼくは孤独だと思い込んでいただけだったんだ」
「それはオレの魔法じゃない。お前さんが自分で、壁を打ち破ったんだ……よかったじゃないか」


 とても優しくて、どこか物憂げなほほえみを浮かべて彼はそう言った。


「……どうしたの?」
「実はオレ、一人ぼっちのお前さんのために両親を捜していたんだ。どこかにいるんじゃないかと思ってさ────そしたら、いたんだよ。遠い遠いところで暮らしていた」


 その瞬間、ぼくは頭が真っ白になった。
 両親は船の事故で死んだって町の人から聞いていたから。そしてぼくもそれを疑っていなかった。でも……


「それ、本当?」
「ああ、本当さ。両親はお前さんを置いていってしまった事をとても悔やんでたし、とても会いたがっていた……お前さん、会いたいか?」
「会いたい」


 迷わずに頷く。


「一緒に暮らしたいか」
「暮らしたい」
「だが、よく考えて欲しい。今までお前さんを放置していた人間だ。そして、ここが一番大事なところだが……一緒に暮らすなら、こことはお別れしなきゃならんくなる。町の人にもだ。そのクマちゃんも連れていけない。それでも、一緒に暮らしたいか?」


 レイチェルおばさんの顔がぼくの頭の中に浮かぶ。いつも心を閉ざしたままのぼくに、ずっと話しかけてくれていたおばさん。温かい料理を振る舞ってくれたりお菓子も作ってくれた。せっかく仲良くなれたのに、お別れなんて。


「ねえ、お父さんとお母さんはどこにいるの? 一度行ったら、戻ってくることはできないの?」
「できないな。一度行ったらそれっきりだ。二度とこの町に戻ってくることはできないぜ」


 しばらく考えた末、アーロンは言った。


「一つだけ教えて欲しい。お父さんとお母さんには、いつか必ずまた会える?」
「ああ、いつかは会えるだろうな」
「じゃあ、ぼくはもう少しここにいるよ。やっと、ここにいたいって思えるようになったんだ」


 その瞬間、ピートのギョロギョロとした目玉が僅かに見開かれたように見えた。


「そうか……よかったじゃないか」


 その言葉の響きはどこか淋しげであった。


「それならきっと、オレがいなくてもやってけるよな」
「……え? ちょっと待ってよ、どういうこと?」


 それには答えないで、ピートは背を向けて窓の方へ向かう。
 アーロンはピートの腕を引っ張ったけれど、少しの体温も感じられなかった。


「ぼく、次に出会ったそのときには本当に友達になろうって伝えようと思ってたんだ。それなのに、どうして……」
「なあアーロン。最初にお前聞いたよな。オレは人間なのかって」
「うん、聞いたよ。三階から入ってきた地点で人間じゃないってわかってた。でも、そんなのどうでもいいんだ。あなたが誰であっても……」


 ぱっと振り返ったピートに、ぼくは思わず口をつぐむ。


「そうさ、オレは人間じゃない。人間じゃないってことは、元々生きる世界が違うのさ。ただオレは心配になったんだ。クリスマスの夜にお前さんが一人ぼっちで泣いてたから────オレは、力になってやろうと思った。けど、お前はオレの力を使わずとも結果的に自分で乗り越えたんだ。だから、オレは元いた世界に帰る……ただそれだけのことだ。こういう場には慣れてる」


 本人はきっと極めて冷淡に言ったつもりなのだろう。けれど、慣れてると言った割には彼の声は少し震えていた。
 ピートは窓の縁に足をかけ、ふとそこで動きを止める。


「そうだ、友情の証にオレの本名を教えてやろう。オレはプルートっていうんだ」
「プルート……ぼく達は友達だよね?」
「ああ」


 その問いに、プルートは迷わず頷いた。


「ねえ、最後に一つお願いがあるんだ。プルートはお父さんとお母さんの元には自由に行き来できるの?」
「まあな」
「だったら、伝言を届けて欲しいんだ。またいつか会えたら……そのときは一緒に過ごそうって」
「わかった……任せとけ。必ず伝えるから」


    このとき、ぼくには彼が何者だったのか、なんとなくわかっていた。でも正体なんて、ぼくにはもう本当にどうでもよかったんだ。


「……ありがとう」


    アーロンが言った瞬間、フッと強い風が吹き込んできて彼は思わず目を瞑る。
    そして再び目を開けたときにはもう、パタパタと開かれたままの窓の戸が揺れているだけだった。

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