ALONE 一人ぼっちの夜に

浮艇景

4.星空へ

「おいで。一緒に行こう」


 そう言ってぼくはテディベアをしっかりと抱きしめる。


「それ、いつも抱きしめてるのか?」
「ええ。お母さんがずっと前のクリスマスに唯一買ってくれたぼくの友達なんです」
「……」


 ピートはどこか悲しげにアーロン達を見つめると、大きく開け放たれた世界に向き直った。
 ラピスラズリを砕いて塗り広げたような、群青色の世界だ。地上は雪の白と家々の温かなオレンジの明かり、空は色とりどりの星々と冷たくたたずむ青い月。


「……本当に飛べるんですか?」
「ああ、しっかり手を繋いでいろよ」


 ぼくは左手でピートと手を繋ぎ、右手でテディベアと手を繋いだ。


「行くぞ。いち、にの……さんっ!」


 足下がふわりとして一瞬落ちたかと思うと、三人はまるで魔法にかけられたように空へ舞い上がった。
 冷たい風さえとても心地よくて、心にも透明な風がしみわたっていく気がした。
 家がとても小さい。いくら上へ行っても決して星空は近づかないけれど、どんどん地上からは離れていく。
    アーロンは、目の前の景色に感情を取り繕うことすら忘れていた。


「ピート、すごい! これは魔法? 魔法って絵本の中だけだと思ってたのに!」
「そう、これは魔法だ。この目で見たことがないというだけで実在しないと決めつけるのは、ちと気が早すぎたな。魔法はあるんだよ。ってことはきっとサンタも、本物のピートとかいう奴も探せばきっとどこかにいるんだろうな」


 え、と彼は少し前を飛ぶピートを見上げた。


「あなたはピートじゃないの?」
「少なくとも、オレはサンタの弟子ではないな。ピートはニックネームみたいなもんじゃないか、アローン?」
「それは、ぼくの……」


 アローン。孤独。氷よりもずっと冷たいその言葉がぼくの体を突き刺した。
 ぼくは空を飛んでいるのではない、誰の手も届かない星空に放り出されたのだと思った。


 魔法が解けたら、夢から覚めたらまた一人────いや、やっぱり最初から最後まで自分は一人だったのかもしれない。


 だって、ピートの正体がぼくの作り出した夢や幻影だったのだとしたら、存在しないも同じじゃないか。所詮はぼくの一人遊び。


「……アーロン?」


 心配してくれてか、ピートが側にやって来る。


「お願いだから、正直に教えてほしい。夜が明けたらあなたは消えてしまうの? ぼくはまた一人ぼっち……?」


 ピートは不思議そうな顔でじっとぼくを見ていた。


「……お前さんは最初から一人じゃないと思うぜ。もし仮にそうなんだとしたら、オレでよかったら友達になるよ」
「そんなの嘘だ!!」


 びっくりするピートをアーロンは振り払った。代わりに、テディベアを引き寄せてまた抱きしめる。テディベアは嘘をつかない。何も言わないし、何も考えたりしない。


「根拠のないものは信じません。契約書でも書いてもらわないと、ぼくは信じないです」
「なんでだ? なんで、そんなに頑なに信じようとしない? それが自分で壁を作って孤独にしてしまってるというのに」
「裏切られた事があるからです。ぼくの、お父さんとお母さんに」


 心が冷たく凍りついていく。いや、無理にでも凍りつかせようとしていると自分でもわかってる。
 元々生まれたときから世話は使用人に任せきり。ぼくの事なんかどうでもよかったんだ。


「このテディベアは、唯一お母さんがくれたクリスマスプレゼントなんです。気づいたらぼくの隣で一緒に寝てて、そのとき手紙を持っていました……私達の代わりに、この子が来年のクリスマスまであなたを見守っています。来年こそは、家族で過ごそうねって、そう書いてありました。なのに…………帰ってこなかった。二人とも、ぼくだけおいて遠くに行ったから……!!」


 赤の他人と同じだったからどうでもいい。今更関係ない。どうでもいい、どうでもいい────


 そう念じれば念じるほど、逆に何かがこみあげてくる。


「わかったよ。本来友達とかそういうのに契約なんか無いんだけどな、そんなに言うんなら契約書でもなんでも書いてやるよ。だって、本当はずっと寂しかったんだろ?」


 最後の一言で彼の中で凍りついていたものが粉々に砕け散った。
 一度溢れてしまった感情はもうどうにもならない。今まで抑えてきた涙が次から次とこぼれてきて、返事をしようとしても声にならなかった。そんなアーロンをずっとピートは優しく抱きしめてくれていた。まるで、いつか思い描いていた彼の理想のお父さんのように。


 これが夢や幻じゃなくて、本当だったらいいのに。いや、きっとこれは夢でもなんでもない。もしそうだとしても、今この瞬間もきっと夢と同じようにぼくを抱きしめてくれている。
 今度ピートの本当の顔を見せてもらおう。その正体も……


 星屑がきらめく夜の中、揺りかごのようにふわふわと揺られているうちに彼はいつしか眠くなっていた。
 頬に冷たくはりついた雫もそのままに静かに落ちていった────


「ごめん。ごめんな……」


 暗闇の中でかすかに聞こえたのはたしかに、ピートの言葉だった。

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