十億分の一の魔女 ~ナノウィッチ~ 農家の息子が魔女になる
友達と約束とベーコンチーズトーストとオニオンスープ
レスリックは週休二日制。月火水木金土日という七曜の内、土日の二曜は休日と定められている。つまり、学生はもとより、研究生、研究員も公的に羽を伸ばすことが許された日ということである。そして、ナノもその一人。
「さーてと。朝から何をしたもんかな」
朝食を終えたナノは椅子の背を預け、天井を仰ぎ見ながら呟く。
田舎暮らしだったナノに丸一日の休日というものはとても珍しい。それが二日続くともなれば希少である。
普通の人ならば趣味に没頭するもよし、友人と一緒に過ごすもよし、日曜日ならば街に出ることも許される。
「あいつらは休みの日って何してるんだろうな」
思い浮かべるのは三人の姿だ。
『ソーン・テラはヴィオラの練習、カンデラ・マイは魔道書の読書、ミリは魔車の研究です』
リリスは自分に訊かれたものだと思い答えた。
「何でも知ってるんだな。お前」
『何でもではありませんが、調べたことならば知っています』
つまり、リリスが知っていることは全て調査した上で知ったことということらしい。
「三人が休みの日にどこにいるか知ってるか?」
『テラは女子寮、マイは女子寮か図書館、ミリは研究室です』
おおよそそこら辺であることはナノでも予測できた。
――午前はテラ、正午はマイ、午後はミリの所に顔を出すか。
一日の大まか予定を組んだ。予定という程の予定でもないかもしれない。
「リリス、女子寮って俺が入ったらまずいらしいんだけど、どっか忍び込める場所無いか?」
女子寮に堂々と入るのがまずいならば、こっそり忍び込むという発想になる。
『テラやマイがいる女子寮は学生棟ですね。学生棟は今年、使われていない部屋があるはずなのでそこから忍び込むとこができます』
「どの部屋か分かるか?」
『分かります』
リリスはテラ、マイ、ミリの部屋と空き部屋の十七部屋を紙に描いて教えてくれた。
「こんなに空き部屋があるのか」
百余の部屋数にして十余の空室というのは不可解だ。
『毎年、入学生が二十人いるのですが、今年は貴方を含めて四人です。常時なら平民から志願を募るところを貴方のための環境整備に費用が多く回されたため、このような現状となっています』
ナノは金がかかる男らしい。
「ガイ王が決めたのか?」
『決めたのはガイ王ですが、進言したのはフランです』
「なるほどね」
環境整備といえば聞こえはいいが、誰かが魔女になる機会を奪っているっていうのもあまり気持ちがいいものではない。フランもまさかリリスがここまで情報を持っていると思わなかっただろう。
情報といえば、リリスには他にも聞いてみたいことがあった。
「そういえば、クラウンって組織の名前の由来とか知ってるか?」
最初はクラウンを人名だと思っていたナノ。実はクラウンという組織の頭の名前がクラウンという名前なのかもしれないと思った。
『クラウンは王冠。つまり、当時の王への反逆を意味します。王の冠を意味する名を持つことで現王に対する反旗の意味を持つとも言えますね』
リリスが答えた内容はナノの想像とは異なるものだった。
「反逆か。施設でもそう教えてるのか?」
『はい。間違いを間違いと指摘できない世界にしてはいけない。全てを神に委ねてはならない。そういった考えを持つ者が集まり、反逆を反逆と知りつつ、現実を受け止め、その上で王に反旗を翻したそうです』
やはり、クラウンという組織には解せない事柄が多い。
クラウンの施設は明らかにおかしなところもあれば明らかに正しいところもある。この教えが正しいものか間違ったものか判断に困る。
「歴史ってのは難しいから分かんないもんだな」
無味乾燥な感想しか出ない。ナノにとっての歴史とはお伽話にも似た絵空事に近い。経験せずに得た知識と言えば当たらずとも遠からずなのかもしれない。
「そろそろ出るか。リリスも来るか?」
なんとなしにリリスを誘ってみる。
『私は寮で待っています。貴方は休暇を楽しんできてください』
リリスの外出をゼプトか或いはフランが許可を出していないのかもしれない。
「ほいじゃ、行ってきます」
ナノは振り向くことなく寮を出るが、リリスはきっと小さな指先で見送ってくれているだろう。
『いってらっしゃい』
平日ならば授業が始まる午前九時頃。
ナノは身を隠しながら女子寮へと近付く。手入れされた庭木は身を隠す場所としては適しており、容易に接近できる。
リリスから聞いた一階の空き部屋のベランダに上がり込み、フォースの魔術で鍵を開き窓を開ける。
中は使われていないためか埃っぽく、生活感がない。ナノが使っている部屋の間取りに似ているが、決定的に違う点はベランダや窓があるといった点だろう。
――そういえば、俺の部屋に窓ってないんだよな。
ゼプトが言っていた檻という意味がなんとなく分かった気がした。
聞き耳を立てて廊下に人気がないことを確認してから小さく扉を開く。
入り込んだ空き部屋はテラの部屋のすぐ隣。
――誰もいないようだな。
まだ朝も早いということなのか、ここぞとばかりに寝ている学生が多いのか、学生の出入りは皆無だった。
できるだけ物音を立てずに移動する。
コンコンコン。
扉をノックする。すると、部屋の中から足音がする。
「いま開けますわ」
テラは無警戒に扉を開けた。鍵は施錠されておらず、すんなりと開けられた。
銀髪のポニーテールがそこにいた。
正確にはポニーテールに髪を結ったテラが扉を開けた。
「よ」
ナノが扉に手をかけて、もう片方の手を掲げて挨拶をする。
「どうしてあなたが?」
テラは訝しげな表情を明白に浮かべる。
本来ならば男性禁制。そんな場所に踏み入るナノ。これが夜ならば夜這いもいいところである。
「遊びに来た」
ナノは言外の意を用いない。ナノが言った言葉は全て額縁通りである。
「なぜ、私のところに?」
意外。正しく意外である。
「休みの日に何すればいいか分からなくてさ。皆が休みの日に何してるのか興味があって見て回るつもりなんだ」
傍から聞けば、女性のいる場所を転々とすると公言しているようなものである。
「そうですか。ですが、何も面白いものはありませんよ」
そう言ってテラは扉から手を離し、背を向ける。尻尾(=結った髪)がぶらぶらしている。
「お上がりなさい。いい機会ですから少しお話をしましょう」
どうやらナノを招き入れてくれるようだ。ナノは遠慮することなくテラの部屋に上がり込む。
女性特有の少し甘い匂いが漂う。
部屋はとても手入れが行き届き、綺麗なものだった。机、椅子、ベッド、クローゼット、空き部屋には無かった本棚まである。壁にはあの夜に使っていた楽器、リリスはヴィオラと言っていた弦楽器が飾られていた。
「これはあの夜のやつか」
艶やかに光る仮漆が塗られており、ナノはそれを見て蜂蜜でコーティングしたかりんとうを連想してしまう。
「貴方には聞かれてしまいましたね」
優しい手つきでヴィオラと弦を手に取り、テラは構えた。
「一曲、聞いていただけますか?」
それは社交辞令的な一句。
「あ、うん」
生返事である。
テラの意図が掴めない。
腰掛ける場所はテラが普段使っているであろう勉強机の椅子。テラに断ることもなくそこに腰掛ける。
何かを無理矢理吹っ切ろうとするような歪で沈鬱な面持ち。それを気取られないようにしようとする口元。だけど、その目はナノを見ているようで、本質的には見ていない。
テラは表情が豊かであるが故に読みやすい。
演目はあの日、盗み聞いたあの曲。
重たい音色はテラの心奥を覗かせる。
爽快感というには程遠くも胸に残る音響の残滓。それは心臓の鼓動にまで影響する。
ドキドキする。
それが率直な感想。それはあの日の夜に抱いた興奮だ。熱に浮かされるような奇妙な感覚。聞けば聞くほど自身の心奥に何かの手が触れるような感覚。
それに気付いた瞬間、興奮が不快に、熱は悪寒に変わり、身体はぶるぶると震えた。
ナノの様子がおかしいことに気付いたテラは演奏をしていた手を止めた。
「貴方、大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
ナノ自身も血の気が引いていることに気がついた。
「いや、大丈夫。うん、続きを聞かせてくれ」
ナノはテラに詫びて演奏の続きを頼んだ。
テラはナノの体調を気にかけつつも言われるまま演目を続けた。
テラの気が散ったおかげか、先程感じた不快感はなく、普通に上手な演奏を聞くことができた。
「どうかしら?」
「俺は上手いと思うぞ」
顔色も良くなり、悪寒も無くなったナノは素直にテラを褒めた。
ナノに音楽の技術こそ分からないが、耳触りの善し悪しぐらいは分かる。
「私の演奏、聞かせた男性は貴方で二人目よ」
テラは優しい手つきでヴィオラを壁にかけ直しながら言った。
「じゃあ、一人目は?」
「お兄様」
間髪入れずにテラは答えた。
「テラのお兄様っていうとあれか、ガイ王の息子で時期王位継承者とかいうアレ」
時期王継承者をアレ呼ばわりである。その言い草にテラは半ば呆れつつも肯定した。
「そうよ。ソーン・ケイお兄様はソーン家の長男で私よりも五つも上の方」
年上の方とはどこかよそよそしい。
――五つも上ってことは今は二十ってことか?
ナノが簡単な足し算をしていた。
「貴方の事も聞いていいかしら?」
私にばかり話させてずるいといった表情だ。
「いいぜ。なんでも聞いてくれよ」
「貴方、交際している女性はいらっしゃる?」
話題が直角に曲がったような感覚を覚えたが、テラにとっては連想から来た話題のようであることが表情から見て取れる。
――交際ってあれか。男女が付き合うっていう絵空事。
ナノの中では未だに田舎暮らしにおける考えが抜けない所もある。
「いないな」
身近な女性といえば母親のアマラぐらいである。時偶訪れる奴隷商の商品に女性は確かにいたが、近寄ると気分が優れなくなるためあまり接したことはない。
「そう。貴方は自分の立場を自覚していらっしゃるのかしら」
「立場? だからあれだろ。俺が魔力を持つ男で学校に魔術の勉強をしにきてるってやつ」
ナノはこれで間違っていないと思っている。
「確かにそれも一因なのだけど、本質はそこじゃないの」
「じゃあ、他に理由があるのかよ」
テラはナノの顔を覗き込む。それはナノの表情を読み取ろうとする表情だ。慎重かつ挑発的な独特の表情。
「この学校の誰かが貴方と結ばれ子供を産むためよ」
――は?
「それってどういうことだよ」
胃が一回転するような居心地の悪さを感じた。
「もし、魔力を持つ男性と魔力を持つ女性との間に産まれる子供は男女関係なく魔力を持つ可能性が高い。そういえば分かるかしら?」
「……」
さすがのナノもテラが言おうとしてる所が分かった。
――だから、檻ってわけか。
「フラン校長もクローネ先生も知っているはずよ。というより、フラン先生が画策したことだと私は思ってるわ」
――学校にナノを呼んだのはフラン。そのための環境整備をしたのもフラン。そのフランに進言したゼプトも共犯なのか?
「たぶん、マイは気づいてる。ミリもなんとかく気づいてると思う。心当たりはないかしら?」
そう言われてナノはマイが書いた手紙を思い出した。その中の一文に私に近づかないでと書いてあった。きっとこれがそういうことなのだろう。
「ってことは、俺は種牛ってわけかよ」
隠喩としては直球である。
「田舎暮らしの貴方からすれば、その表現が正しいかもしれないわね」
ナノは歯に衣着せない。脚色も誇張もない。白なら白、黒なら黒だ。
「……面白くないな」
誰かの掌の上で踊るというのはナノの性に合わない。
「私はてっきり、貴方が女性を選ぶために学校に入学したものだと思っていたの」
申し訳なさそうな色を含んだ言葉。
――そういえば、最初の頃に比べればテラが丸くなっている気がするな。
「そんなこと考えもしなかったぞ。魔女学校なんだから勉強するのが本分だぜ?」
学校は勉強をする場所である。ナノはそのつもりで学校に来た。
「確かにそうね。……貴方の思考回路がだんだん分かってきたわ」
端的に言えばナノは素朴なのだ。テラはナノとの会話の中でその性質の一端を見た気がした。
「でもさ、どうしてそんなことを俺に話したんだ?」
よくよく考えればテラがナノにこの話をする理由がない。世間話というには談笑できない話題だ。
「そうね。ここからが本題なの。その前に紅茶を淹れても構わないかしら?」
「俺が淹れようか?」
「いいわ。私好みの温度は私にしか分からないもの。それに貴方が外に出たら色々とまずいでしょ?」
そう言って立ち上がりテラは一度部屋を出た。
そういえば、ここは女子寮だった。
テラが戻ってきたのはそれから数分経ってからだった。
テラが持ってきたお盆には紅茶の他に茶菓子までついてきた。
「玄関で用務員さんがお菓子を作って持ってきてくださったそうで少し頂いてきたわ」
「そりゃあ都合がいいな。お菓子ってなんだよ?」
テラはティーカップをナノの前に差し出しながら答えた。
「かりんとうって言うそうよ」
――ゼプトか。
この連想の仕方はどうかと思うが、仕方がないのかもしれない。
「じゃあ、さっきの話の続きでもするか」
「そうね」
二人でティーカップを傾ける。蜂蜜を溶かしたアップルティーだ。
「私がどうしてさっきの話をしたのかって理由だったわね」
「ああ、茶話の話題にしては重いだろ?」
「それはね……。私は貴方を婿として招きたいってことなの」
――婿?
使い慣れない単語のためつい頭を捻ってしまう。
――婿ってーと、俺がテラの旦那になってソーン家に行くってことか?
「それはできねぇだろ」
「あら、少しは迷ってくれたみたいね」
婿という単語を思い出していたことをテラは迷ったと受け取ったらしい。
「なんで俺なんだよ」
訊かずにはいられない。知り合って間もない相手を婿として招きたいなんて正気の沙汰じゃない。
テラはオオキク項垂れ答えた。
「これも簡単な話よ。貴方と私との間に魔力を持つ男の子を授かれば、私はソーン家を支えることができ、国に貢献することができるわ」
――それは本心なのか?
表情を読むには前髪が邪魔。銀色の前髪は文字通りの銀幕だ。
「私としては、貴方に全てを自覚してもらった上で受け入れて欲しかった」
顔を上げたテラ。その言葉に偽りはない。
「さっきの話を聞いて、結婚しましょうとは普通ならないだろ」
普通でない人間が言う。
「そうね。でも、貴方を政治の道具として利用するならそのことを告げる必要があった。それが公平というものよ」
それがテラなりの公平なのだろう。
「そっか。でも、俺は農家を継ぐつもりだから婿入りはできない」
それでも、ナノはの意思は変わらない。
「……もし、私が貴方の奥さんになるとしたら?」
「それなら歓迎するぞ。働き手が俺と母さんしかいないからな」
どこまで行っても農家の息子。
「……そう。残念だけど、私の細腕じゃ農作業なんてできないわ」
諦めの表情。寂しい笑み。
「ナノ、私と友達になってくれるかしら?」
紅茶を下ろして真摯な眼差しをナノに向ける。それは今までで見た中で一番かっこいいと思える表情。
ナノはテラの姿の更なる向こうに何かが見えた気がした。
「もちろんいいぜ。一緒に紅茶を飲んだ仲だからな」
ナノとテラの最初の繋がりは友達からだった。
友達同士の気軽な茶話。三叉烏の面子ではできないことだった。
正午に差し掛かり、テラは昼食のため食堂に向かうという。昼食にナノも誘われたが、当初の予定を崩すつもりもない。昼食の誘いを断りマイの部屋へと向かった。
テラの部屋を出るときに、休日のマイは本を読み耽るためこの時間は部屋にいると教えてくれた。
マイの部屋はテラの部屋の斜向かい。ちなみにテラの正面はミリの部屋だったりする。
つまり、新入生の部屋はこの区画だけで、そのほかは空室ばかりだ。
廊下に人気が無いことを確認してから外に出てマイの部屋の扉をノックする。
返事は特にないが、軽い足音がする。
幾重にも施錠された鍵が開ける音がしてから扉が開く。
黒髪のポニーテールがそこにいた。
正確には長い黒髪を後ろで一束に結ったマイがそこにいた。
「……何?」
「遊びに来た」
「……」
マイは振り向いて自分の部屋を眺めた。
ナノもその視線を追って部屋を眺めた。
高く積まれた本。敷き詰められた本。本の山に埋まった本。本棚に本。
「……上がって」
マイは気にすることなくナノを招き入れた。
通路にも本が積まれ狭い。
マイはベッドに座り、本が敷き詰められた床に座ることができず、椅子に座った。
「マイの部屋って本だらけだな。全部借り物か?」
部屋の体積の五分の一から四分の一は本だ。
「……半分は私の本」
それでもかなりの量だ。
「マイは本が好きなのか?」
「……好き」
「そうか。俺も本を読み出したんだよ。音字の本」
「……」
どうにも会話の間が悪い。
それがどうかしたの? という小首を傾げた表情をマイは浮かべている。
――話題を変えよう。間が持たない。
「そういえば、この手紙なんだけど」
例の箇条書きの手紙を持ち出した。
「これってどういう意味なんだ?」
「……文字通り」
口下手なのか社交下手なのか、それともこれが素なのだろうか。
「さっき、テラから教えてもらったんだよ。俺がどうして学校に呼ばれたのかっていう本当の理由」
「……」
話を聞こう。そんな表情をマイはした。
マイとの会話のコツは視線と眉と顎。口元はあまり動かないが、そのことに注意さえすれば表情が読みやすくなる。
「テラが言うには、俺がここに呼ばれた理由ってのが俺の配偶者を選んで子供を作るため。それでマイもそのことに気づいて俺を遠ざけてるんじゃないかって」
「……そう」
納得と肯定の表情。
「それでさ、やっぱり皆と仲良くしたいんだよ。俺の知らないところに理由があって、それで俺が遠ざけられるんじゃ面白くない」
「……そうね」
想像してから納得した表情。視線の動きに注意すると分かる。
「force」
立つのも煩わしいのか、ホルダーから杖を抜き、フォースでカーテンを閉める。
暗い部屋。マイの黒く光る丸い瞳がナノを真っ直ぐ見つめる。
「……貴方は何を望むの?」
もしかしたら、ナノ以上に直接的なのかもしれない。
どうしたい? と問うのではなく、何を望む? と問う。
ナノの答えは決まっていた。
「俺はマイと友達になりたい」
テラに友達になって欲しいと言われた時、自分がどうしたいのか分かった。
友達だ。
ナノは友達が欲しかった。
マイと友達になりたかった。
皆と友達になりたかった。
皆で一緒に鍋をつつく未来を夢見た。
「俺と一緒に鍋を食べないか?」
マイはゆっくりと目を瞑り、顔を俯ける。
マイが真剣に考えていることは分かるが、その表情が読めない。
「……鱈鍋」
顔を俯けたまま一言だけ呟いた。
「鱈鍋?」
「……ポン酢」
顔を少しだけ上げてそう言った。唇は確かにポン酢と動いた。
「分かった鱈鍋だな。来週には用意する」
それはマイ流の肯定の意思なのだろう。動かなかった広角が少しだけ動いた。それが何よりの証拠だ。
「……ネギはいらない」
ネギは嫌いらしい。
「分かった。ネギは抜こう。代わりに春菊を入れよう」
食事は美味しく楽しく。
「……ナノ」
「どうかしたか?」
「……出汁は北島の昆布」
こだわりらしい。
「分かった。全部任せろ」
「……うん」
そんなことを話してると腹が減ってきた。
「マイ、食堂に行くぞ。本ばっかり読んでて、まだ飯食ってないだろ?」
「……うん」
ナノが立ち上がり、扉に手をかけようとすると、後ろ髪を引かれた。文字通り引かれた。
「……出るなら窓から」
マイはナノが他の学生に女子寮の侵入がバレるのを心配して引き止めたらしい。文字通り。
「そうだな。じゃあ、また後で、食堂で会おうか」
「……はい」
ナノは窓を開き、ベランダを飛び降りる。
――マイ、感情が表情に出難いけど、素直な奴なんだな。それにしても、ポニーテールが流行ってるのか?
今日の食堂のメニューはベーコンチーズトーストとオニオンスープ。
昼食というよりも軽食だった。
「さーてと。朝から何をしたもんかな」
朝食を終えたナノは椅子の背を預け、天井を仰ぎ見ながら呟く。
田舎暮らしだったナノに丸一日の休日というものはとても珍しい。それが二日続くともなれば希少である。
普通の人ならば趣味に没頭するもよし、友人と一緒に過ごすもよし、日曜日ならば街に出ることも許される。
「あいつらは休みの日って何してるんだろうな」
思い浮かべるのは三人の姿だ。
『ソーン・テラはヴィオラの練習、カンデラ・マイは魔道書の読書、ミリは魔車の研究です』
リリスは自分に訊かれたものだと思い答えた。
「何でも知ってるんだな。お前」
『何でもではありませんが、調べたことならば知っています』
つまり、リリスが知っていることは全て調査した上で知ったことということらしい。
「三人が休みの日にどこにいるか知ってるか?」
『テラは女子寮、マイは女子寮か図書館、ミリは研究室です』
おおよそそこら辺であることはナノでも予測できた。
――午前はテラ、正午はマイ、午後はミリの所に顔を出すか。
一日の大まか予定を組んだ。予定という程の予定でもないかもしれない。
「リリス、女子寮って俺が入ったらまずいらしいんだけど、どっか忍び込める場所無いか?」
女子寮に堂々と入るのがまずいならば、こっそり忍び込むという発想になる。
『テラやマイがいる女子寮は学生棟ですね。学生棟は今年、使われていない部屋があるはずなのでそこから忍び込むとこができます』
「どの部屋か分かるか?」
『分かります』
リリスはテラ、マイ、ミリの部屋と空き部屋の十七部屋を紙に描いて教えてくれた。
「こんなに空き部屋があるのか」
百余の部屋数にして十余の空室というのは不可解だ。
『毎年、入学生が二十人いるのですが、今年は貴方を含めて四人です。常時なら平民から志願を募るところを貴方のための環境整備に費用が多く回されたため、このような現状となっています』
ナノは金がかかる男らしい。
「ガイ王が決めたのか?」
『決めたのはガイ王ですが、進言したのはフランです』
「なるほどね」
環境整備といえば聞こえはいいが、誰かが魔女になる機会を奪っているっていうのもあまり気持ちがいいものではない。フランもまさかリリスがここまで情報を持っていると思わなかっただろう。
情報といえば、リリスには他にも聞いてみたいことがあった。
「そういえば、クラウンって組織の名前の由来とか知ってるか?」
最初はクラウンを人名だと思っていたナノ。実はクラウンという組織の頭の名前がクラウンという名前なのかもしれないと思った。
『クラウンは王冠。つまり、当時の王への反逆を意味します。王の冠を意味する名を持つことで現王に対する反旗の意味を持つとも言えますね』
リリスが答えた内容はナノの想像とは異なるものだった。
「反逆か。施設でもそう教えてるのか?」
『はい。間違いを間違いと指摘できない世界にしてはいけない。全てを神に委ねてはならない。そういった考えを持つ者が集まり、反逆を反逆と知りつつ、現実を受け止め、その上で王に反旗を翻したそうです』
やはり、クラウンという組織には解せない事柄が多い。
クラウンの施設は明らかにおかしなところもあれば明らかに正しいところもある。この教えが正しいものか間違ったものか判断に困る。
「歴史ってのは難しいから分かんないもんだな」
無味乾燥な感想しか出ない。ナノにとっての歴史とはお伽話にも似た絵空事に近い。経験せずに得た知識と言えば当たらずとも遠からずなのかもしれない。
「そろそろ出るか。リリスも来るか?」
なんとなしにリリスを誘ってみる。
『私は寮で待っています。貴方は休暇を楽しんできてください』
リリスの外出をゼプトか或いはフランが許可を出していないのかもしれない。
「ほいじゃ、行ってきます」
ナノは振り向くことなく寮を出るが、リリスはきっと小さな指先で見送ってくれているだろう。
『いってらっしゃい』
平日ならば授業が始まる午前九時頃。
ナノは身を隠しながら女子寮へと近付く。手入れされた庭木は身を隠す場所としては適しており、容易に接近できる。
リリスから聞いた一階の空き部屋のベランダに上がり込み、フォースの魔術で鍵を開き窓を開ける。
中は使われていないためか埃っぽく、生活感がない。ナノが使っている部屋の間取りに似ているが、決定的に違う点はベランダや窓があるといった点だろう。
――そういえば、俺の部屋に窓ってないんだよな。
ゼプトが言っていた檻という意味がなんとなく分かった気がした。
聞き耳を立てて廊下に人気がないことを確認してから小さく扉を開く。
入り込んだ空き部屋はテラの部屋のすぐ隣。
――誰もいないようだな。
まだ朝も早いということなのか、ここぞとばかりに寝ている学生が多いのか、学生の出入りは皆無だった。
できるだけ物音を立てずに移動する。
コンコンコン。
扉をノックする。すると、部屋の中から足音がする。
「いま開けますわ」
テラは無警戒に扉を開けた。鍵は施錠されておらず、すんなりと開けられた。
銀髪のポニーテールがそこにいた。
正確にはポニーテールに髪を結ったテラが扉を開けた。
「よ」
ナノが扉に手をかけて、もう片方の手を掲げて挨拶をする。
「どうしてあなたが?」
テラは訝しげな表情を明白に浮かべる。
本来ならば男性禁制。そんな場所に踏み入るナノ。これが夜ならば夜這いもいいところである。
「遊びに来た」
ナノは言外の意を用いない。ナノが言った言葉は全て額縁通りである。
「なぜ、私のところに?」
意外。正しく意外である。
「休みの日に何すればいいか分からなくてさ。皆が休みの日に何してるのか興味があって見て回るつもりなんだ」
傍から聞けば、女性のいる場所を転々とすると公言しているようなものである。
「そうですか。ですが、何も面白いものはありませんよ」
そう言ってテラは扉から手を離し、背を向ける。尻尾(=結った髪)がぶらぶらしている。
「お上がりなさい。いい機会ですから少しお話をしましょう」
どうやらナノを招き入れてくれるようだ。ナノは遠慮することなくテラの部屋に上がり込む。
女性特有の少し甘い匂いが漂う。
部屋はとても手入れが行き届き、綺麗なものだった。机、椅子、ベッド、クローゼット、空き部屋には無かった本棚まである。壁にはあの夜に使っていた楽器、リリスはヴィオラと言っていた弦楽器が飾られていた。
「これはあの夜のやつか」
艶やかに光る仮漆が塗られており、ナノはそれを見て蜂蜜でコーティングしたかりんとうを連想してしまう。
「貴方には聞かれてしまいましたね」
優しい手つきでヴィオラと弦を手に取り、テラは構えた。
「一曲、聞いていただけますか?」
それは社交辞令的な一句。
「あ、うん」
生返事である。
テラの意図が掴めない。
腰掛ける場所はテラが普段使っているであろう勉強机の椅子。テラに断ることもなくそこに腰掛ける。
何かを無理矢理吹っ切ろうとするような歪で沈鬱な面持ち。それを気取られないようにしようとする口元。だけど、その目はナノを見ているようで、本質的には見ていない。
テラは表情が豊かであるが故に読みやすい。
演目はあの日、盗み聞いたあの曲。
重たい音色はテラの心奥を覗かせる。
爽快感というには程遠くも胸に残る音響の残滓。それは心臓の鼓動にまで影響する。
ドキドキする。
それが率直な感想。それはあの日の夜に抱いた興奮だ。熱に浮かされるような奇妙な感覚。聞けば聞くほど自身の心奥に何かの手が触れるような感覚。
それに気付いた瞬間、興奮が不快に、熱は悪寒に変わり、身体はぶるぶると震えた。
ナノの様子がおかしいことに気付いたテラは演奏をしていた手を止めた。
「貴方、大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
ナノ自身も血の気が引いていることに気がついた。
「いや、大丈夫。うん、続きを聞かせてくれ」
ナノはテラに詫びて演奏の続きを頼んだ。
テラはナノの体調を気にかけつつも言われるまま演目を続けた。
テラの気が散ったおかげか、先程感じた不快感はなく、普通に上手な演奏を聞くことができた。
「どうかしら?」
「俺は上手いと思うぞ」
顔色も良くなり、悪寒も無くなったナノは素直にテラを褒めた。
ナノに音楽の技術こそ分からないが、耳触りの善し悪しぐらいは分かる。
「私の演奏、聞かせた男性は貴方で二人目よ」
テラは優しい手つきでヴィオラを壁にかけ直しながら言った。
「じゃあ、一人目は?」
「お兄様」
間髪入れずにテラは答えた。
「テラのお兄様っていうとあれか、ガイ王の息子で時期王位継承者とかいうアレ」
時期王継承者をアレ呼ばわりである。その言い草にテラは半ば呆れつつも肯定した。
「そうよ。ソーン・ケイお兄様はソーン家の長男で私よりも五つも上の方」
年上の方とはどこかよそよそしい。
――五つも上ってことは今は二十ってことか?
ナノが簡単な足し算をしていた。
「貴方の事も聞いていいかしら?」
私にばかり話させてずるいといった表情だ。
「いいぜ。なんでも聞いてくれよ」
「貴方、交際している女性はいらっしゃる?」
話題が直角に曲がったような感覚を覚えたが、テラにとっては連想から来た話題のようであることが表情から見て取れる。
――交際ってあれか。男女が付き合うっていう絵空事。
ナノの中では未だに田舎暮らしにおける考えが抜けない所もある。
「いないな」
身近な女性といえば母親のアマラぐらいである。時偶訪れる奴隷商の商品に女性は確かにいたが、近寄ると気分が優れなくなるためあまり接したことはない。
「そう。貴方は自分の立場を自覚していらっしゃるのかしら」
「立場? だからあれだろ。俺が魔力を持つ男で学校に魔術の勉強をしにきてるってやつ」
ナノはこれで間違っていないと思っている。
「確かにそれも一因なのだけど、本質はそこじゃないの」
「じゃあ、他に理由があるのかよ」
テラはナノの顔を覗き込む。それはナノの表情を読み取ろうとする表情だ。慎重かつ挑発的な独特の表情。
「この学校の誰かが貴方と結ばれ子供を産むためよ」
――は?
「それってどういうことだよ」
胃が一回転するような居心地の悪さを感じた。
「もし、魔力を持つ男性と魔力を持つ女性との間に産まれる子供は男女関係なく魔力を持つ可能性が高い。そういえば分かるかしら?」
「……」
さすがのナノもテラが言おうとしてる所が分かった。
――だから、檻ってわけか。
「フラン校長もクローネ先生も知っているはずよ。というより、フラン先生が画策したことだと私は思ってるわ」
――学校にナノを呼んだのはフラン。そのための環境整備をしたのもフラン。そのフランに進言したゼプトも共犯なのか?
「たぶん、マイは気づいてる。ミリもなんとかく気づいてると思う。心当たりはないかしら?」
そう言われてナノはマイが書いた手紙を思い出した。その中の一文に私に近づかないでと書いてあった。きっとこれがそういうことなのだろう。
「ってことは、俺は種牛ってわけかよ」
隠喩としては直球である。
「田舎暮らしの貴方からすれば、その表現が正しいかもしれないわね」
ナノは歯に衣着せない。脚色も誇張もない。白なら白、黒なら黒だ。
「……面白くないな」
誰かの掌の上で踊るというのはナノの性に合わない。
「私はてっきり、貴方が女性を選ぶために学校に入学したものだと思っていたの」
申し訳なさそうな色を含んだ言葉。
――そういえば、最初の頃に比べればテラが丸くなっている気がするな。
「そんなこと考えもしなかったぞ。魔女学校なんだから勉強するのが本分だぜ?」
学校は勉強をする場所である。ナノはそのつもりで学校に来た。
「確かにそうね。……貴方の思考回路がだんだん分かってきたわ」
端的に言えばナノは素朴なのだ。テラはナノとの会話の中でその性質の一端を見た気がした。
「でもさ、どうしてそんなことを俺に話したんだ?」
よくよく考えればテラがナノにこの話をする理由がない。世間話というには談笑できない話題だ。
「そうね。ここからが本題なの。その前に紅茶を淹れても構わないかしら?」
「俺が淹れようか?」
「いいわ。私好みの温度は私にしか分からないもの。それに貴方が外に出たら色々とまずいでしょ?」
そう言って立ち上がりテラは一度部屋を出た。
そういえば、ここは女子寮だった。
テラが戻ってきたのはそれから数分経ってからだった。
テラが持ってきたお盆には紅茶の他に茶菓子までついてきた。
「玄関で用務員さんがお菓子を作って持ってきてくださったそうで少し頂いてきたわ」
「そりゃあ都合がいいな。お菓子ってなんだよ?」
テラはティーカップをナノの前に差し出しながら答えた。
「かりんとうって言うそうよ」
――ゼプトか。
この連想の仕方はどうかと思うが、仕方がないのかもしれない。
「じゃあ、さっきの話の続きでもするか」
「そうね」
二人でティーカップを傾ける。蜂蜜を溶かしたアップルティーだ。
「私がどうしてさっきの話をしたのかって理由だったわね」
「ああ、茶話の話題にしては重いだろ?」
「それはね……。私は貴方を婿として招きたいってことなの」
――婿?
使い慣れない単語のためつい頭を捻ってしまう。
――婿ってーと、俺がテラの旦那になってソーン家に行くってことか?
「それはできねぇだろ」
「あら、少しは迷ってくれたみたいね」
婿という単語を思い出していたことをテラは迷ったと受け取ったらしい。
「なんで俺なんだよ」
訊かずにはいられない。知り合って間もない相手を婿として招きたいなんて正気の沙汰じゃない。
テラはオオキク項垂れ答えた。
「これも簡単な話よ。貴方と私との間に魔力を持つ男の子を授かれば、私はソーン家を支えることができ、国に貢献することができるわ」
――それは本心なのか?
表情を読むには前髪が邪魔。銀色の前髪は文字通りの銀幕だ。
「私としては、貴方に全てを自覚してもらった上で受け入れて欲しかった」
顔を上げたテラ。その言葉に偽りはない。
「さっきの話を聞いて、結婚しましょうとは普通ならないだろ」
普通でない人間が言う。
「そうね。でも、貴方を政治の道具として利用するならそのことを告げる必要があった。それが公平というものよ」
それがテラなりの公平なのだろう。
「そっか。でも、俺は農家を継ぐつもりだから婿入りはできない」
それでも、ナノはの意思は変わらない。
「……もし、私が貴方の奥さんになるとしたら?」
「それなら歓迎するぞ。働き手が俺と母さんしかいないからな」
どこまで行っても農家の息子。
「……そう。残念だけど、私の細腕じゃ農作業なんてできないわ」
諦めの表情。寂しい笑み。
「ナノ、私と友達になってくれるかしら?」
紅茶を下ろして真摯な眼差しをナノに向ける。それは今までで見た中で一番かっこいいと思える表情。
ナノはテラの姿の更なる向こうに何かが見えた気がした。
「もちろんいいぜ。一緒に紅茶を飲んだ仲だからな」
ナノとテラの最初の繋がりは友達からだった。
友達同士の気軽な茶話。三叉烏の面子ではできないことだった。
正午に差し掛かり、テラは昼食のため食堂に向かうという。昼食にナノも誘われたが、当初の予定を崩すつもりもない。昼食の誘いを断りマイの部屋へと向かった。
テラの部屋を出るときに、休日のマイは本を読み耽るためこの時間は部屋にいると教えてくれた。
マイの部屋はテラの部屋の斜向かい。ちなみにテラの正面はミリの部屋だったりする。
つまり、新入生の部屋はこの区画だけで、そのほかは空室ばかりだ。
廊下に人気が無いことを確認してから外に出てマイの部屋の扉をノックする。
返事は特にないが、軽い足音がする。
幾重にも施錠された鍵が開ける音がしてから扉が開く。
黒髪のポニーテールがそこにいた。
正確には長い黒髪を後ろで一束に結ったマイがそこにいた。
「……何?」
「遊びに来た」
「……」
マイは振り向いて自分の部屋を眺めた。
ナノもその視線を追って部屋を眺めた。
高く積まれた本。敷き詰められた本。本の山に埋まった本。本棚に本。
「……上がって」
マイは気にすることなくナノを招き入れた。
通路にも本が積まれ狭い。
マイはベッドに座り、本が敷き詰められた床に座ることができず、椅子に座った。
「マイの部屋って本だらけだな。全部借り物か?」
部屋の体積の五分の一から四分の一は本だ。
「……半分は私の本」
それでもかなりの量だ。
「マイは本が好きなのか?」
「……好き」
「そうか。俺も本を読み出したんだよ。音字の本」
「……」
どうにも会話の間が悪い。
それがどうかしたの? という小首を傾げた表情をマイは浮かべている。
――話題を変えよう。間が持たない。
「そういえば、この手紙なんだけど」
例の箇条書きの手紙を持ち出した。
「これってどういう意味なんだ?」
「……文字通り」
口下手なのか社交下手なのか、それともこれが素なのだろうか。
「さっき、テラから教えてもらったんだよ。俺がどうして学校に呼ばれたのかっていう本当の理由」
「……」
話を聞こう。そんな表情をマイはした。
マイとの会話のコツは視線と眉と顎。口元はあまり動かないが、そのことに注意さえすれば表情が読みやすくなる。
「テラが言うには、俺がここに呼ばれた理由ってのが俺の配偶者を選んで子供を作るため。それでマイもそのことに気づいて俺を遠ざけてるんじゃないかって」
「……そう」
納得と肯定の表情。
「それでさ、やっぱり皆と仲良くしたいんだよ。俺の知らないところに理由があって、それで俺が遠ざけられるんじゃ面白くない」
「……そうね」
想像してから納得した表情。視線の動きに注意すると分かる。
「force」
立つのも煩わしいのか、ホルダーから杖を抜き、フォースでカーテンを閉める。
暗い部屋。マイの黒く光る丸い瞳がナノを真っ直ぐ見つめる。
「……貴方は何を望むの?」
もしかしたら、ナノ以上に直接的なのかもしれない。
どうしたい? と問うのではなく、何を望む? と問う。
ナノの答えは決まっていた。
「俺はマイと友達になりたい」
テラに友達になって欲しいと言われた時、自分がどうしたいのか分かった。
友達だ。
ナノは友達が欲しかった。
マイと友達になりたかった。
皆と友達になりたかった。
皆で一緒に鍋をつつく未来を夢見た。
「俺と一緒に鍋を食べないか?」
マイはゆっくりと目を瞑り、顔を俯ける。
マイが真剣に考えていることは分かるが、その表情が読めない。
「……鱈鍋」
顔を俯けたまま一言だけ呟いた。
「鱈鍋?」
「……ポン酢」
顔を少しだけ上げてそう言った。唇は確かにポン酢と動いた。
「分かった鱈鍋だな。来週には用意する」
それはマイ流の肯定の意思なのだろう。動かなかった広角が少しだけ動いた。それが何よりの証拠だ。
「……ネギはいらない」
ネギは嫌いらしい。
「分かった。ネギは抜こう。代わりに春菊を入れよう」
食事は美味しく楽しく。
「……ナノ」
「どうかしたか?」
「……出汁は北島の昆布」
こだわりらしい。
「分かった。全部任せろ」
「……うん」
そんなことを話してると腹が減ってきた。
「マイ、食堂に行くぞ。本ばっかり読んでて、まだ飯食ってないだろ?」
「……うん」
ナノが立ち上がり、扉に手をかけようとすると、後ろ髪を引かれた。文字通り引かれた。
「……出るなら窓から」
マイはナノが他の学生に女子寮の侵入がバレるのを心配して引き止めたらしい。文字通り。
「そうだな。じゃあ、また後で、食堂で会おうか」
「……はい」
ナノは窓を開き、ベランダを飛び降りる。
――マイ、感情が表情に出難いけど、素直な奴なんだな。それにしても、ポニーテールが流行ってるのか?
今日の食堂のメニューはベーコンチーズトーストとオニオンスープ。
昼食というよりも軽食だった。
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