繋がりのその先で

Bolthedgefox

1-17暗闇の逃避行

ある日、父は死んだ。何の前触れもなく。
死因は交通事故だった。横から迫っている車に気が付かず、轢かれてしまった。俺は父親が死んだ事実を、テレビのニュースで知った。誰も教えてくれる人が周りにいなかったからだ。父親が死んだのは、俺が小さい頃の話で、あまり記憶には残っていない。ただただ、テレビに流れる自分の父親の名前を見つめ、呆然としていたことをよく覚えている。
…と、俺は今まで何の疑いもなくそう思っていた。だが、それは間違いだった。

俺は俺の父親がなぜ死んだのか、知っていた。
なぜなら、父親の死んだ現場に、俺も居合わせていたからだ。
ある日、マフィーさんは何も言わずに外に出た。最初、父はそれに気づかずに、時計の作成と修正に熱中していた。だが正午あたりを過ぎたころ、昼食の時間だと言って父親はマフィーさんを呼んだ。だがマフィーさんの返事はない。父親は異変に気付き、すぐさま家の中をくまなく探し始めた。俺はその時、何を思ったのか、リビングのソファーに座りながら、父親が慌てふためいているのを眺めていた。勿論、父親が俺に探すのを手伝ってくれないかと一声かけていたら、俺は一緒に探していただろう。普段のマフィーさんの行動から、もしかしたらすぐに居場所を突き止めることができたかもしれない。
だが、父はなぜかその日、俺に話しかけることはなかった。
まるで俺が見えていないような素振りで。まるで死んだはずの母を必死に探し求めるような素振りで。父親はその日の昼過ぎ、大慌てで家を飛び出して行った。
俺は何故か、悔しくなったのか寂しくなったのかはわからない。何も理由などなかったのかもしれない。俺は父親の後を追った。子供の足では到底追いつけないはずの父親を追い求めて。まるでどこに行けば父に会えるかわかったような足取りで、見えるはずのない父親の姿を追った。
マンションのホールを出て、公園の方へと真っすぐに向かった。大通りに出る道を曲がったその先に、父親の姿があった。
赤く染まった父を、こぼれるはずのない涙をこぼしながら、しゃがみ込んで抱きかかえるマフィーさんの姿を、俺はその時、確かに見たのだった。
その時、俺は言葉も出なかった。ただ遠くからマフィーさんを眺めることしかできなかった。何も声が出なかった。息をしていたのかさえ危うい。俺はその時、ちゃんと生きていたのか、自分でもわからなかった。







「私はあの日、時雨様に公園の地下にある施設を案内しようかと尋ねられました。なんと時雨様は、そこの施設に入ることができる方だったのです。私はその誘いを聞いたとき、未知への好奇心とともに、少しの恐怖を感じました。『外』という空間は、貴方のお父さんと共に歩いた地でもありましたので、恐怖はありませんでした。しかし、地下に広がっているというその空間は、私にとって全くの未知な空間であり、かつ貴方のお父様でさえ知らなかった場所でもあります。だから私は即答することができずに、その公園でしばらく考え込んでいたのです。どうすればいいものか悩んでいた時、ふと貴方のお父さんの顔がよぎりました。はっと私は我に返り、今の私の状況を再認識しました。そして時雨様に、『今はある人に無断でここにきているため、地下の見学はまた今度にさせていただきます』と返事いたしました。すると時雨様はそれがわかっていたのか、『早く帰ってあげて』と言ってくださりました。まるで私の状況を再認識させることが目的であったかのように、それでいて、それをあからさまにするのでは無く、あくまでも自然な形で促すように、彼女は私にそう言ったのかと考えつつも、別れを告げ、家に帰ろうと公園を出ました。その時、貴方のお父さんが私の方に走りながら、貴方の母親の名前を叫んでいました。私は一瞬、ドキッとしました。見つかってしまった、怒られるのではないか。そんなことが頭によぎり、一瞬だけ視界に写る情報を処理するのが遅れたのでしょう。視界の片隅から走ってくる車が彼を轢く0.02秒前に、私の思考はその光景が危険であると判断し、行動を始めました。遅いことはわかっていました。彼が轢かれる前に、彼の死が私の脳で確定し、それをどうすることもできなかった。私が余計な思考をしていなければ、私が時雨様のように優秀で、先を見通す力があれば。あの瞬間、あのわずかな時間に、私は数億回の後悔を脳に刻み、彼を抱きかかえながらフリーズしたのです。私は目の前が見えなくなる直前に、遠くからこちらを見つめる春樹様を見たような気がしました。」

まるであの日に戻ったかのように、頭の中に光景が浮かぶ。忘れもしない痛みを深々と噛みしめながら、彼女は言葉を絞り出すように話し続ける。
人間の神経伝達は0.3秒かかるといわれているため、実際に車に轢かれることを認知する頃には、痛みと共に地面に打ち付けられているか、もうこの世にはいないかのどちらかだろう。だが彼女は。マフィーさんは自身がロボットであったがために、父が死ぬ前に父が死ぬことを認知出来てしまった。その一瞬は、まさしく言葉通りの『永遠』であったことが痛いほど伝わってくる。

「…お分かり頂けたでしょうか。私は、私の個人的な理由での無断外出により、私の造り手を、貴方の父を殺してしまったのです。なので私は、本来、貴方様の前に現れるべきではないのです。」

手で顔を覆い、泣き崩れながらも自責の念と共に吐き出される言葉には、かなりの重みがあった。俺はかける言葉を探すが、俺の口から出る言葉は全部軽いのではないかと思った。蘇った記憶でさえ、まだ今も他人の記憶を見ていた気がしてならなかった。説明を聞いた今でさえ、無意識のうちに、どこか他人事のようにしてしまっている自分がいた。
掛ける言葉が見つからない。俺自身の言葉は軽いだろう。
でも、彼女は一つだけ、間違っていることを言った。

「それはち…」と俺が言おうとした時、ある言葉が横から割って入ってきた。

「それは違うよ?マフィーさん。少なくとも、貴方が春樹のお父さんを殺した訳じゃない。それだけは言えるね。」

俺とマフィーさんは、その声にハッとし、聞こえた方向へと目を向ける。するとそこには、倒れこんではいるが、しっかりと意識を取り戻した昴がいた。

「す、昴!?」

いきなりのことに、俺は驚いた。さっき確認したときは完全に電源ごと落ちていたのに。俺は安堵のため息とともに、涙がこみ上げてきそうになるのを我慢した。

「何故、貴方が動けるのですか…?」

彼女の口から自然と口から言葉が漏れた。当然の疑問だ。俺も、昴は何らかの方法によってマフィーさんに体の自由を奪われているんじゃないかと推測していた。が、これで確定した。やはり彼女が昴を動けなくしていたのだ。

「にっしっし。やっぱり張っといて正解だったね~。僕の勘もたまには当たるもんだ。」

昴はにっこり笑いながらゆっくりとその体を起こした。

「春樹のマフィーさんに対しての問いの投げかけがなかったら危なかったよ。完全に信じていたからね。だからマフィーさんが手を挙げて指を鳴らす瞬間、僕は再起動プログラムを実行したんだよ。」

再起動プログラム。なるほど。昴はマフィーさんが指を鳴らすほんの少し前に、自らに何かしらの作用が働くようなことを仕掛けてくる、もしくは仕組まれていると踏んで、あえて動けなくなるふりをするために再起動を行ったのか。俺は心底、昴の勘の良さに呆れ、心の中で称賛する。

「…なるほど。すべてお見通しというわけですか。」

マフィーさんは観念したのか、その場に座り込んだ。もっとも、先ほどの話を聞く限りでは、マフィーさんはどうやら敵ではないらしかった。

「で、さっきの続きだけど、春樹の父親を殺したのはマフィーさんじゃないよ。春樹の父親は自身の不注意で亡くなったんだ。決してマフィーさんのせいじゃない。」

きっぱりと言い切る昴。俺にはこれができなかった。

「確かに私は殺してません。直接的な死因は交通事故によるものです。…でもそれは、ただの正論でしかありませ…」

「いいや、ただの正論なんかじゃない。不注意で亡くなったってのは、単に車が来ているのかどうかの視覚的不注意って意味じゃない。不注意ってのは、見えてないってのは、単に視覚的なものだけじゃないんだよ。春樹の父親は、あの時既に色んなものが見えていなかったんだ。春樹の父親があんな風になったのは、最愛の妻を亡くしたからだと僕は思う。マフィーさんだって、望んで作られたわけじゃない。どこかに自分の最愛の人を見出したかった。現実逃避をしていた。それで作った。誰かのためじゃなく、自分のために。でも父親本人もわかってたはずなんだよ。自分が現実逃避をしていることも、わかってたはずだ。その上で、彼は見えてなかったんだよ。見ようとしても、見えなくなるんだ。どれだけ目を見開いても、どれだけ視界が開けていても、どれだけ世界が輝いていても、自分から見る光景は、ただただ暗かったんだ。意味を見出せなくなった。彼が死んだときもそうだ。マフィーさん以外、重要じゃなかったんだよ。恐らくマフィーさんだけが光って見えていた。自身は意味もなく生きている存在だと勝手に解釈して、闇の中へと追いやったのも彼だ。結局、彼の死は彼自身が決めたんだよ。」

昴はどこか悲しそうにそう言い切った。

「納得いかないのもわかるよ。だって勝手過ぎるんだよ、春樹の父親は。矛盾もはらんでる。でも、それが人なんだよ。人ってそういうもんなんだと僕は思うよ。そう思わないとさ、春樹の父親が亡くなった原因、『最愛の妻が亡くなったから』ってことになっちゃう。それほど不幸なことはないよ。」

昴の発言を黙って聞いていたマフィーさん。ただの励ましではないことを悟ってから、彼女は昴の一つ一つの言葉を真剣に、受け止めるように聞いていた。

「そう、ですね。私は、勝手にも楽になろうとしていたのかもしれません。誰かに責められることによって、報いを受けることによって、罪の意識から逃げたかっただけなのかもしれませんね。」

彼女は俯きながらそう答えた。
必ずしも「誰が悪いか」を定めることが解決することになるとは限らない。はっきりと「誰が悪い」「誰のせいだ」と決まることは少ない。そういう部分をはっきりさせたいのが人間の性だが、起こりうる問題はそう簡単なものではない。納得がいかないことだって山ほどある。それでもそれを背負って生きていくしかない。そう改めて思った。

「俺はマフィーさんのこと責めようとは全く思いませんよ。逆に感謝の気持ちでいっぱいです。だって、今まで俺の世話をしてくれたり、遠くで見守ってくれていたり、こうやって助けに来てくれたり、色々と俺を救ってくれてるじゃないですか。俺は物心ついたときにはもう母親がいなくて、でも俺にはマフィーさんがいたから、寂しくなかったです。」

俯いたまま、抑えきれない涙が頬を伝って零れ落ちる。彼女は泣きながらも「春樹、様。」と俺の名前を呼んだ。

「今回の件だって、俺の勘違いでマフィーさんは敵なんじゃないかと思っていましたが、本当は助けに来てくれたんですよね?」

そう俺が口にすると、マフィーさんは静かに頷いた。やっぱり、マフィーさんは優しい人だった。昴も先ほどの話を聞いていた(再起動中に聴力のみを働かせていた)のか、今回の全容をおおよそ把握しているようだった。俺はマフィーさんの肩にそっと手を置いた。

「それじゃ、話しながら行きましょう。一緒に来てくれますか?」

俺は第二の母であるマフィーさんにではなく、一人の女性としてのマフィーさんに声をかける。今回も俺は、彼女に甘えることにしようと決めた。
マフィーさんの目には、ほんの少しの戸惑いがあったのかもしれない。でも俺にはわからなかった。人間には認識できないほどの速さで、彼女は数億回の気持ちの整理をしたであろうから。

「…ええ。私もご一緒させていただきます。春樹様。」

うんうんと頷きながら、昴はマフィーさんに手を差し伸べた。俺もそれに見習い、手を差し伸べる。マフィーさんはにこっと笑いながら、二人の手を取った。彼女の抱えてきた物が少しは軽くなっただろうか。そんなことを考えつつも、俺は仲間と共に公園の地下に行くための準備に取り掛かった。

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