竜の肉を喰らう禁忌を犯した罪人はその命を賭して竜を鎮めよ

ゆきんこ

――004―― 王の隣に立てるのは

 リュックはいずれこの日が来るのではないかと思っていた。フランシスとマリーの別れがあまりにも不自然だったのだ。
 マリーの居場所を掴んだ日から何度となく彼女の元に足を運んでいた。会う度にフランシスはどうしているのかと聞く彼女に当たり障りのないことしか答えられなかった。彼女はずっとフランシスが迎えに来ると信じているのだと娼婦たちは言う。彼女たちは王であるフランシスに対して平気で恨み言を言った。まあ、体を売るしか生活の出来ないような生活をしているのだ。それは仕方がない。だが、彼女たちの言葉は何一つリュックに恨み言を言わないマリーの代弁のようだとリュックは感じていた。そんな彼女を娼館から出そうと考えた事がないわけではなかったが、

 ――結果は出来なかった。

 彼女に科せられた罪はなんなのだろうかと思うほどマリーを娼館から出すことは難しかった。

 馬車の中でフランシスの浮かれようは目に余るものだった。

「マリーに会ったら一番になにを話そうか」
「マリーはどれだけ美しい女性になっただろうか」
「マリーにラベンダー色のドレスはどうだろうか」

 近頃目にしていなかったフランシスの様子にリュックはなにも言わなかった。マリーがフランシスに対してなにを思っているか分からない現状に不安しかない。そんな場所に王であるフランシスを連れて行くには危険が多すぎると、進言したところで聞くはずもなくリュックは黙って従うしかなかった。

 お忍びであっても王が乗る馬車だ。貧民街に入ってすぐ人だかりが出来るくらい目立っていた。マリーがいる娼館の前でフランシスは息を飲む。思っていたよりも、思っていた以上にみすぼらしい建物に驚きを隠せない。どこぞの貴族が来たと対応に出てきた店主は今にも泡を吹きそうだ。一目見ただけで王だと分かる装いにリュックの苦労がうかがい知れる。

「マリーはどこだ? どこにいる?」

 マリーはいつもと違う娼館の騒々しさに、あてがわれている部屋から顔を出す。

――王様が来た――

 誰の声ともわからない言葉に心が弾む。待ち望んでいたフランシスが来たと驚き目を丸くする。
 騒々しいエントランスの階段を上がってくる見覚えのある黒い頭髪。いつだって優しい眼差し。昔より少し肉がつき、精悍さの増した姿が涙に滲む。

「マリー!」

 抱きしめられた感触は昔と変わらない。マリーは骨と皮だけと形容できる今の自分の姿を思い出し、恥ずかしくなる。フランシスは全く気にする様子もない。ここが娼館であるはずなのに周囲が恥ずかしくなるほど、フランシスはマリーに甘い言葉を囁き、マリーもそれに返す。
 返しながらもマリーは、あの頃のようにときめかない心を悟られないよう必至だった。乱暴に自分勝手に欲を吐き出していく他の客に向ける感情となにも変わらないのだ。巷を賑わせるほど焦がれた想いとは、あれ程待ち焦がれていたのはなんだったのかと、思うほど冷め切っていた。それとは別に込み上げる黒い想いに体が震える。

「お目にかかりたかった……」

 腕の中で顔を埋めるマリーをフランシスは愛おしいとだけ思っていた。ずっと自分の事を思い続け、再開した出来た事を体を震わせて喜ぶ姿に、マリーの言葉の真意など思いもしない。

「ずっと、マリーの事を忘れられなかった」
「……私もですわ」

 中身がなくても、王の一言はどれ程偉大なのかとリュックは半ば呆れていた。あれ程難しかったマリーを娼館から出す事が、フランシスの一言で片付いてしまったのだ。

 フランシスがマリーを迎えに行ったという話はすぐに王妃カロリーヌの耳に入った。噂好きな侍女の不用意な一言に違いはないが、ただの一夜限りの女とは訳が違う。世間の女達だって夫の昔の恋人が現われたといえば吐き気がするほど嫌な気持ちになるものだというのに、相手はあのマリー・ヴレットブラードだ。かつて世間を賑わせたフランシスの恋人だった女で、カロリーヌが父に頼んではめた女だ。嫌な気持ちと一言で済ませられるようなものではない。

「どうして、あの女が生きてますの?」

 カロリーヌは父、ヴィカンデル侯爵を呼び出した。娘のただならぬ様子にヴィカンデル侯爵は固唾を呑む。
 ヴィカンデル侯爵はマリーは勝手に野垂れ死ぬと思っていたのだ。なにもない貴族の娘が一人で生きていくには厳しい世の中にあって、それでも更に厳しい環境を用意した。慈悲とはいっても生きるよりも死が喜びに思えるようにと、愛娘の願いを叶えたのだ。それなのにだ。かつての恋人同士はお互いに惹かれ合うよう再び手を取り合ってしまった。
 カロリーヌは手の震えを押えるように扇を強く握り締めている。生臭いと目を向ければ、小さな血溜まりを侍女が片付けていた。側に落ちているレースのリボンはカロリーヌが可愛がっていた小犬が付けていたものだ。

「今、王の隣に立てるのはカロリーヌだけだ。なにも心配するようなことは……」
「私は、あの女が彼の側に居るというだけで虫酸が走りますの!」

 ヴィカンデル侯爵がカロリーヌを宥めようとしていることも、彼女の苛立ちに油を注ぐようなものだった。幼い頃から大人達にフランシスの恋人のようだと囃したてられ、ずっと婚約者の地位に一番近いとされながら、思春期の多感な時期にどこの馬の骨ともわからない男爵令嬢に婚約者の地位を奪われた悔しさは忘れられなかった。やっとの思いで、マリーにあらぬ罪を着せ追いやったといのに、今更ながら彼女が出てくるなど思いもしない。

「……あの時、殺しておけば、よかった」

 今更後悔しても遅いと扇を握り潰す。小さく軋む音がまるで今の幸せを壊すかのように響いた。
 子供の居ないカロリーヌは王妃の座を追われるのではと、嫌な汗をかく。
 子供の頃から憧れ、折角手に入れた地位だ。幼い頃から好いていたフランシスをやっと自分のものにしたのだ。簡単に手放せるはずがない。
 それはヴィカンデル侯爵も同じだ。フランシスの側近のリュック・スンドグレーン伯爵の台頭は目を見張るものがあるのだ。マリーが自由になっただけではフランシスの恋人として側にいることは難しいはずだ。彼女の後見人としてスンドグレーン伯爵が出張ってくると予想が出来る。王妃の実家という地位がある限りヴィカンデル侯爵の宰相の地位は安泰だが、マリーだけでなく、スンドグレーン伯爵もどうにかしなくてはいけないと目を細める。

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