異世界から勇者を呼んだら、とんでもない迷惑集団が来た件(前編)
9話
空の色が赤から黒へ移行し始めた頃、戦艦『陸奥』は異世界の軍港を旅立ち、その行き先を南の海へと向けました。
ここらが船旅です。南方の大陸との海峡を通り、海路でソラメク王国の南部海岸地帯に向かいます。
上陸した後、アルブレヒト氏一行は城塞都市へ向かうため、そこで一時別れます。自分たちは皇女様とともにソラメク王国を北上、子爵領跡へと向かいます。
子爵領到着後は、カクさんの勘を頼りに調査となります。
調査の時間はわかりませんが、皇女殿下は長く帝都を空けられるわけではないので、調査の期間は最長でも1週間ほどになるといいます。以降に延びる場合、自分とカクさんのみが残り、後の皆さんは皇女様が率いてアルブレヒト氏と合流、南の海峡から陸奥で帝都への帰路につくそうです。
つまり、伸びて仕舞えば自分たちの帰りは陸路という事になります。ヨホホホホ。
まあ、本来であればそうなっていたのですから、行きに船旅があるだけマシと見るべきでしょう。
船旅はゆったり満喫できますから。いや〜、得した気分ですな。
日が沈みきった中を進む大戦艦の甲板にて、月を眺めながら主砲を背に座っています。
今頃カクさんがどんなどんちゃん騒ぎをしているか、はたまた幸せな状況に押し込まれているか、どちらにせよ退屈しない面白い事になっているでしょう。
カクさんの幸福と受難の妄想を肴としながら、月を楽しんでします。
この宇宙もない世界において、月や太陽がどういう存在であるか。それらを調べるのも一興かもしれませんね。
まあ、そういったことは魔族の皇国と天族の神国を黙らせてからとしましょう。
夜空に輝く月を船に揺れながらしばらく鑑賞していたところ、背後から誰かが近づいてきました。
気配に覚えがあります。
近衛大隊『ヴァリアント』の中隊長、ティルビッツ氏ですね。
「今宵の月は程よい三日月ですな。隣に失礼します」
自分の隣にやってきたティルビッツ氏は、月を眺めながら腰を下ろします。
その手には酒の満ちた瓶とグラスが2つ、握られていました。
「ヨホホホホ。月見酒ですか。美しい夜空は肴にもってこいでしょう」
「静かな夜を酒で過ごすのは、私の一番の楽しみです。湯垣殿も如何ですか?」
ティルビッツ氏はそう言いながら、2つあるグラスの1つを差し出してきました。
受け取るのが礼儀でしょうが、流石に飲酒できる年ではありませんので、ここは遠慮させてもらいましょう。
「大変申しわけありませんが、自分は酒を嗜む齢ではありません。今宵は月を眺めるのみにさせていただきます」
ティルビッツ氏は自分が断るのが予想外だったのか、若干驚いた表情を浮かべました。
「の、飲めないのですか? 富山氏は普通に飲んでいたと思うのですが…」 
ティルビッツ氏はアンネローゼさん救出に成功したのちに国を挙げて執り行われた祭りの席でケイさんが酒を平然と飲んでいたことを持ってきました。
勇者召喚を受けた我々が同年であることは、ネスティアント帝国の多くの方が知っている周知の事柄となっています。それなのに年齢を理由に酒を跳ねた自分に困惑したのでしょう。
確かに、ケイさんの未成年なんか関係あるかと言わんばかりの飲酒を考えると、なるほど自分が年齢を理由に断るのはおかしく感じてしまうかもしれません。
「ケイさんはヤンチャに身を任せている時期なんですよ。家族とうまくいってなかったですから」
とりあえず反抗期で不良になったということを伝えると、途端にティルビッツ氏の表情が暗くなりました。
何か良からぬ誤解を与えてしまったのでしょうか。
そう考えたのですが、ティルビッツ氏の言葉で何を思ったのかすぐにわかりました。
「家族、ですか…」
どうやら異世界召喚で身内と離れ離れになった中で、家族というワードを言わせてしまった事に後悔してしまっている様子です。
感じるものがある方もいると思いますが、自分は別にそのことでクヨクヨしたりする感性はありませんから大丈夫です。ヨホホホホ。
「ティルビッツ氏、お気になさらずとも大丈夫です。家族がいないのは寂しいものですが、ともに異世界に召喚された仲間と自分たちを受け入れてくれた帝国の皆さんがいますから。ヨホホホホ」
「湯垣殿…」
「あまり自責の念を駆られることはしないでください。怪我をした皆さんを治療した後に返ってくる言葉は、感謝の言葉の方が嬉しいです。それと同じですよ」
「そう、ですね。そうですね!」
ティルビッツ氏の顔が明るくなりました。
少しは悩みを晴らす事に貢献できたようで何よりです。
ティルビッツ氏は晴れた表情で瓶の栓を開けると、グラスに酒を注ごうとします。
おっと、そこはせっかくなので酌をさせてもらいたいところですな。
「ティルビッツ氏」
「何でしょう?」
自分が声をかけると、ティルビッツ氏は傾けようとしていた酒瓶を持つ手を止めました。
自分はティルビッツ氏に対して手を出します。
「折角の機会です。注ぎましょう」
「あ、いや…」
ティルビッツ氏は自分だけ飲む中で酌までさせては申し訳ないと思っているのでしょうか。
さりとてむげに跳ね除けることもできずに、しどろもどろとなります。
ヨホホホホ。そこまで気にせずとも大丈夫だと思うのですが。
そんな感じにしどろもどろになっている隙に、グラスに瓶の中身を注ぎました。
果実酒ですな。月の光に照らされた酒の輝きは、美しいものです。
「…いただきます」
注がれてはもうどうしようもないという感じで、ティルビッツ氏はグラスを呷りました。
月の光に照らされた海は、神秘的な深く暗い青色に照らされています。
やはりといいますか、月見酒はとても心地よいものですね。
自分は素面ですがね。ヨホホホホ。
村上氏の召喚したこの大戦艦は、その殆どが自動で動く機構を備えています。
大半の操作は艦橋と機関室で行える為、甲板にはほとんど人がいません。
それでも数人で動かせるような代物ではないのですが。
順調にすすめば、航海はおよそ一週間になります。
燃料と弾薬の補給が必要ない為、南部海岸にたどり着くまでは一度も丘に上がらずに進みます。
上陸後は海軍並びにアルブレヒト氏と別れ、近衛二個中隊の護衛を連れた皇女様とともに、ソラメク王国の子爵領へと向かいます。
そして調査…。
本来は何も起こらずに進む旅路のはずですが、何かが起きそうな気がします。
カクさんが歩けばトラブルが舞い込む、みたいな感じでしょうか。カクさんはそういったものを引き込む性質があるような気がします。
多分、気のせいでしょうが。
ティルビッツ氏は静かに月を見上げながら、酒を飲んでいます。
もともと、口数が多い方ではないのか、それとも酒が入ると静かになるタイプなのか。自分はティルビッツ氏ではありませんから、そこまで詳しいことはわかりません。
ですが、この静寂はなかなかに心地の良いものだと感じました。
月見酒を嗜みながら夜空の下で静かに過ごすというのは、風情があるものです。
夜空を見上げるティルビッツ氏と、その後瓶の中身が尽きるまで過ごしました。
今頃、カクさんは何をしているでしょうか。
なんとなく、こちらの世界に来て帝国の方々と触れ合ってから、カクさんが召喚前に比べてとっつきやすくなってきたように感じます。
素直になったといいますか、堅物の角がとれてきたという感じですね。
その割りに、副委員長との仲はまるで変わらぬ犬猿の仲ですが。
目が合えば喧嘩ばかりしています。喧嘩するほど仲がいいとは言いますが、その喧嘩が周囲に与える被害を鑑みれば、止めるべき案件でしょう。
自分は煽りますけどね。その方が面白いですから。ヨホホホホ。
ふと、横に目を向けます。
「……………」
ティルビッツ氏は、静かに目を閉じていつの間にか眠りについていました。
かろうじてグラスを持っていますが、いつその手からこぼれ落ちてもおかしくはありません。
いびきの1つもない静かな寝顔です。
しかし、ヴァリアント大隊はかなり強面揃いの大隊ですが、ティルビッツ氏は他のメンバーと一線を画した優男です。
女性で構成されたイラストリアス大隊の面々と比べれば確かにたくましい顔つきですが、男性の基準で見れば眉目秀麗という表現の合うイケメンです。
実力も高く、顔もかっこいい。なんとも優良物件ですな。ヨホホホホ。人気がありそうな要素を多く持っておられます。
とは言っても、自分にはあまり関係ない話ですな。
問われるまでもなく、自分に恋愛要素がつく可能性は皆無だからですよ。ヨホホホホ。
恋沙汰にちょっかい入れれば大抵ろくな目にあいませんし、ティルビッツ氏の恋に関してはあまり干渉しないほうがいいと思います。
面白ければ煽りますしからかいもしますが、ティルビッツ氏をいじるよりは、断然カクさんや海藤氏をいじる方がのほうが面白いですから。
とはいえ、甲板なんかで寝かせていては体調を崩しかねません。
毛布を持ってくるよりは、船室に運んだほうがいいでしょう。
自分はティルビッツ氏を抱えて、グラスと空の瓶を回収し、寝てしまった彼をあてがわれている部屋まで運びました。
その後、甲板に戻ってみると、そこにはティルビッツ氏といた場所にいつの間にかカクさんとアンネローゼさんが立っていました。
さすがにここで出て行くことはしません。物陰に隠れて、様子を伺います。
2人の会話に耳を立てると、どうやら今回の旅に関して…ではなく、目的地である子爵領にて起きたアンネローゼさんの奪還戦の時のことを話しているようです。
アンネローゼさんにとって辛い記憶である事件のことをわざわざカクさんが振るとは思えないので、おそらく言い出しはアンネローゼさんなのでしょう。
「…あまり、覚えていないのです」
「そうか…。申し訳なかった、思い出したくもない記憶を」
「いえ、良いのです。私は北郷様と土師様、鬼崎様に救っていただきました。これは変わらない事実ですから」
「貴様の言うサラトガという魔族を倒したのは土師だがな」
カクさんは、こういう時にはちゃんと副委員長のことを苗字で呼びます。
なぜか本人に対しては意地でも言わないのですが。
カクさんらしいといえば、カクさんらしいですね。
しかし、サラトガ氏は副委員長の逆鱗に触れて屋敷まで飛ばされたというのが真実だったとは。自分の発勁如きで倒れるような方とは思っていませんでしたが、なるほど副委員長のやる気を呼び起こすような地雷ワードを口にしてしまったのでしょう。南無。
「暗くなってきたな」
カクさんが、冷え込んできた頃合いを見計らい会話を切り上げます。
結局話の中心部分は全く聞けませんでしたが、盗み聞きするような内容でもないでしょう。
2人が艦橋に向かっていくのを確認した後、自分は甲板に出て海の先に目を向けました。
この海洋の遥か先に存在するのが、魔族皇国ですね。
姿も形も暗くて見えませんが、あるのは確かでしょう。
陸奥の航跡に目を落とします。
「…?」
ふと、そのとき何か視線を感じました。
視線の元は海洋ですね。
…何でしょうか?
そちらの方に目を向けてみます。
しかし、目を凝らせど見えるのは暗い海ばかりですね。
しかし、目を合わせたところはっきりと感じました。
誰かが、こちらを見ています。
距離はつかめませんが、薄っすらと気配も感じます。
何かが近づいてきているようです。
自分は御手杵を構えてそれの来る方向へと目を凝らします。
船縁に手をかけて、近く何かの気配を探ります。
はてさて、何でしょうか。
…魔族大陸を隔てた海洋側からくる時点で、ろくな予感がしませんが。
海中を進んできたそれは、確かな気配を認識できるほどの距離に近づいてきたところで、まるでトビウオのように海中から飛び出してきました。
「入れませんよ!」
明らかに陸奥艦橋めがけてミサイルのように飛んできたそれを、自分は御手杵を用いて迎撃します。
バットのように振り回して海に叩き落そうと思っていたのですが、相手は自分の想定に反してまるで狙いが最初からそれであったかのように御手杵に絡みついてきました。
「おや?」
自ら飛びかかってきたそれに、疑問の声が上がります。
しかし、その一瞬の隙を相手は見逃しませんでした。
人型のようなものが槍に絡みついてきたと識別できた直後、それは手を伸ばして自分の頭を掴みとると、尾を船縁に器用に巻いてから、力一杯自分ごと海へと飛び込んだのです。
「–––––!?」
声を上げる間もありませんでした。
瞬く間に自分は陸奥から引き摺り下ろされ、夜の海へと落下していきました。
ここらが船旅です。南方の大陸との海峡を通り、海路でソラメク王国の南部海岸地帯に向かいます。
上陸した後、アルブレヒト氏一行は城塞都市へ向かうため、そこで一時別れます。自分たちは皇女様とともにソラメク王国を北上、子爵領跡へと向かいます。
子爵領到着後は、カクさんの勘を頼りに調査となります。
調査の時間はわかりませんが、皇女殿下は長く帝都を空けられるわけではないので、調査の期間は最長でも1週間ほどになるといいます。以降に延びる場合、自分とカクさんのみが残り、後の皆さんは皇女様が率いてアルブレヒト氏と合流、南の海峡から陸奥で帝都への帰路につくそうです。
つまり、伸びて仕舞えば自分たちの帰りは陸路という事になります。ヨホホホホ。
まあ、本来であればそうなっていたのですから、行きに船旅があるだけマシと見るべきでしょう。
船旅はゆったり満喫できますから。いや〜、得した気分ですな。
日が沈みきった中を進む大戦艦の甲板にて、月を眺めながら主砲を背に座っています。
今頃カクさんがどんなどんちゃん騒ぎをしているか、はたまた幸せな状況に押し込まれているか、どちらにせよ退屈しない面白い事になっているでしょう。
カクさんの幸福と受難の妄想を肴としながら、月を楽しんでします。
この宇宙もない世界において、月や太陽がどういう存在であるか。それらを調べるのも一興かもしれませんね。
まあ、そういったことは魔族の皇国と天族の神国を黙らせてからとしましょう。
夜空に輝く月を船に揺れながらしばらく鑑賞していたところ、背後から誰かが近づいてきました。
気配に覚えがあります。
近衛大隊『ヴァリアント』の中隊長、ティルビッツ氏ですね。
「今宵の月は程よい三日月ですな。隣に失礼します」
自分の隣にやってきたティルビッツ氏は、月を眺めながら腰を下ろします。
その手には酒の満ちた瓶とグラスが2つ、握られていました。
「ヨホホホホ。月見酒ですか。美しい夜空は肴にもってこいでしょう」
「静かな夜を酒で過ごすのは、私の一番の楽しみです。湯垣殿も如何ですか?」
ティルビッツ氏はそう言いながら、2つあるグラスの1つを差し出してきました。
受け取るのが礼儀でしょうが、流石に飲酒できる年ではありませんので、ここは遠慮させてもらいましょう。
「大変申しわけありませんが、自分は酒を嗜む齢ではありません。今宵は月を眺めるのみにさせていただきます」
ティルビッツ氏は自分が断るのが予想外だったのか、若干驚いた表情を浮かべました。
「の、飲めないのですか? 富山氏は普通に飲んでいたと思うのですが…」 
ティルビッツ氏はアンネローゼさん救出に成功したのちに国を挙げて執り行われた祭りの席でケイさんが酒を平然と飲んでいたことを持ってきました。
勇者召喚を受けた我々が同年であることは、ネスティアント帝国の多くの方が知っている周知の事柄となっています。それなのに年齢を理由に酒を跳ねた自分に困惑したのでしょう。
確かに、ケイさんの未成年なんか関係あるかと言わんばかりの飲酒を考えると、なるほど自分が年齢を理由に断るのはおかしく感じてしまうかもしれません。
「ケイさんはヤンチャに身を任せている時期なんですよ。家族とうまくいってなかったですから」
とりあえず反抗期で不良になったということを伝えると、途端にティルビッツ氏の表情が暗くなりました。
何か良からぬ誤解を与えてしまったのでしょうか。
そう考えたのですが、ティルビッツ氏の言葉で何を思ったのかすぐにわかりました。
「家族、ですか…」
どうやら異世界召喚で身内と離れ離れになった中で、家族というワードを言わせてしまった事に後悔してしまっている様子です。
感じるものがある方もいると思いますが、自分は別にそのことでクヨクヨしたりする感性はありませんから大丈夫です。ヨホホホホ。
「ティルビッツ氏、お気になさらずとも大丈夫です。家族がいないのは寂しいものですが、ともに異世界に召喚された仲間と自分たちを受け入れてくれた帝国の皆さんがいますから。ヨホホホホ」
「湯垣殿…」
「あまり自責の念を駆られることはしないでください。怪我をした皆さんを治療した後に返ってくる言葉は、感謝の言葉の方が嬉しいです。それと同じですよ」
「そう、ですね。そうですね!」
ティルビッツ氏の顔が明るくなりました。
少しは悩みを晴らす事に貢献できたようで何よりです。
ティルビッツ氏は晴れた表情で瓶の栓を開けると、グラスに酒を注ごうとします。
おっと、そこはせっかくなので酌をさせてもらいたいところですな。
「ティルビッツ氏」
「何でしょう?」
自分が声をかけると、ティルビッツ氏は傾けようとしていた酒瓶を持つ手を止めました。
自分はティルビッツ氏に対して手を出します。
「折角の機会です。注ぎましょう」
「あ、いや…」
ティルビッツ氏は自分だけ飲む中で酌までさせては申し訳ないと思っているのでしょうか。
さりとてむげに跳ね除けることもできずに、しどろもどろとなります。
ヨホホホホ。そこまで気にせずとも大丈夫だと思うのですが。
そんな感じにしどろもどろになっている隙に、グラスに瓶の中身を注ぎました。
果実酒ですな。月の光に照らされた酒の輝きは、美しいものです。
「…いただきます」
注がれてはもうどうしようもないという感じで、ティルビッツ氏はグラスを呷りました。
月の光に照らされた海は、神秘的な深く暗い青色に照らされています。
やはりといいますか、月見酒はとても心地よいものですね。
自分は素面ですがね。ヨホホホホ。
村上氏の召喚したこの大戦艦は、その殆どが自動で動く機構を備えています。
大半の操作は艦橋と機関室で行える為、甲板にはほとんど人がいません。
それでも数人で動かせるような代物ではないのですが。
順調にすすめば、航海はおよそ一週間になります。
燃料と弾薬の補給が必要ない為、南部海岸にたどり着くまでは一度も丘に上がらずに進みます。
上陸後は海軍並びにアルブレヒト氏と別れ、近衛二個中隊の護衛を連れた皇女様とともに、ソラメク王国の子爵領へと向かいます。
そして調査…。
本来は何も起こらずに進む旅路のはずですが、何かが起きそうな気がします。
カクさんが歩けばトラブルが舞い込む、みたいな感じでしょうか。カクさんはそういったものを引き込む性質があるような気がします。
多分、気のせいでしょうが。
ティルビッツ氏は静かに月を見上げながら、酒を飲んでいます。
もともと、口数が多い方ではないのか、それとも酒が入ると静かになるタイプなのか。自分はティルビッツ氏ではありませんから、そこまで詳しいことはわかりません。
ですが、この静寂はなかなかに心地の良いものだと感じました。
月見酒を嗜みながら夜空の下で静かに過ごすというのは、風情があるものです。
夜空を見上げるティルビッツ氏と、その後瓶の中身が尽きるまで過ごしました。
今頃、カクさんは何をしているでしょうか。
なんとなく、こちらの世界に来て帝国の方々と触れ合ってから、カクさんが召喚前に比べてとっつきやすくなってきたように感じます。
素直になったといいますか、堅物の角がとれてきたという感じですね。
その割りに、副委員長との仲はまるで変わらぬ犬猿の仲ですが。
目が合えば喧嘩ばかりしています。喧嘩するほど仲がいいとは言いますが、その喧嘩が周囲に与える被害を鑑みれば、止めるべき案件でしょう。
自分は煽りますけどね。その方が面白いですから。ヨホホホホ。
ふと、横に目を向けます。
「……………」
ティルビッツ氏は、静かに目を閉じていつの間にか眠りについていました。
かろうじてグラスを持っていますが、いつその手からこぼれ落ちてもおかしくはありません。
いびきの1つもない静かな寝顔です。
しかし、ヴァリアント大隊はかなり強面揃いの大隊ですが、ティルビッツ氏は他のメンバーと一線を画した優男です。
女性で構成されたイラストリアス大隊の面々と比べれば確かにたくましい顔つきですが、男性の基準で見れば眉目秀麗という表現の合うイケメンです。
実力も高く、顔もかっこいい。なんとも優良物件ですな。ヨホホホホ。人気がありそうな要素を多く持っておられます。
とは言っても、自分にはあまり関係ない話ですな。
問われるまでもなく、自分に恋愛要素がつく可能性は皆無だからですよ。ヨホホホホ。
恋沙汰にちょっかい入れれば大抵ろくな目にあいませんし、ティルビッツ氏の恋に関してはあまり干渉しないほうがいいと思います。
面白ければ煽りますしからかいもしますが、ティルビッツ氏をいじるよりは、断然カクさんや海藤氏をいじる方がのほうが面白いですから。
とはいえ、甲板なんかで寝かせていては体調を崩しかねません。
毛布を持ってくるよりは、船室に運んだほうがいいでしょう。
自分はティルビッツ氏を抱えて、グラスと空の瓶を回収し、寝てしまった彼をあてがわれている部屋まで運びました。
その後、甲板に戻ってみると、そこにはティルビッツ氏といた場所にいつの間にかカクさんとアンネローゼさんが立っていました。
さすがにここで出て行くことはしません。物陰に隠れて、様子を伺います。
2人の会話に耳を立てると、どうやら今回の旅に関して…ではなく、目的地である子爵領にて起きたアンネローゼさんの奪還戦の時のことを話しているようです。
アンネローゼさんにとって辛い記憶である事件のことをわざわざカクさんが振るとは思えないので、おそらく言い出しはアンネローゼさんなのでしょう。
「…あまり、覚えていないのです」
「そうか…。申し訳なかった、思い出したくもない記憶を」
「いえ、良いのです。私は北郷様と土師様、鬼崎様に救っていただきました。これは変わらない事実ですから」
「貴様の言うサラトガという魔族を倒したのは土師だがな」
カクさんは、こういう時にはちゃんと副委員長のことを苗字で呼びます。
なぜか本人に対しては意地でも言わないのですが。
カクさんらしいといえば、カクさんらしいですね。
しかし、サラトガ氏は副委員長の逆鱗に触れて屋敷まで飛ばされたというのが真実だったとは。自分の発勁如きで倒れるような方とは思っていませんでしたが、なるほど副委員長のやる気を呼び起こすような地雷ワードを口にしてしまったのでしょう。南無。
「暗くなってきたな」
カクさんが、冷え込んできた頃合いを見計らい会話を切り上げます。
結局話の中心部分は全く聞けませんでしたが、盗み聞きするような内容でもないでしょう。
2人が艦橋に向かっていくのを確認した後、自分は甲板に出て海の先に目を向けました。
この海洋の遥か先に存在するのが、魔族皇国ですね。
姿も形も暗くて見えませんが、あるのは確かでしょう。
陸奥の航跡に目を落とします。
「…?」
ふと、そのとき何か視線を感じました。
視線の元は海洋ですね。
…何でしょうか?
そちらの方に目を向けてみます。
しかし、目を凝らせど見えるのは暗い海ばかりですね。
しかし、目を合わせたところはっきりと感じました。
誰かが、こちらを見ています。
距離はつかめませんが、薄っすらと気配も感じます。
何かが近づいてきているようです。
自分は御手杵を構えてそれの来る方向へと目を凝らします。
船縁に手をかけて、近く何かの気配を探ります。
はてさて、何でしょうか。
…魔族大陸を隔てた海洋側からくる時点で、ろくな予感がしませんが。
海中を進んできたそれは、確かな気配を認識できるほどの距離に近づいてきたところで、まるでトビウオのように海中から飛び出してきました。
「入れませんよ!」
明らかに陸奥艦橋めがけてミサイルのように飛んできたそれを、自分は御手杵を用いて迎撃します。
バットのように振り回して海に叩き落そうと思っていたのですが、相手は自分の想定に反してまるで狙いが最初からそれであったかのように御手杵に絡みついてきました。
「おや?」
自ら飛びかかってきたそれに、疑問の声が上がります。
しかし、その一瞬の隙を相手は見逃しませんでした。
人型のようなものが槍に絡みついてきたと識別できた直後、それは手を伸ばして自分の頭を掴みとると、尾を船縁に器用に巻いてから、力一杯自分ごと海へと飛び込んだのです。
「–––––!?」
声を上げる間もありませんでした。
瞬く間に自分は陸奥から引き摺り下ろされ、夜の海へと落下していきました。
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