異世界から勇者を呼んだら、とんでもない迷惑集団が来た件(前編)

ドラゴンフライ山口(トンボじゃねえか!?)

1話

 頭が痛い。こんな頭痛は初めてである。
 気を失った際にこうなったのだろう。冷たい床に倒れている感覚はわかった。
 とりあえず、目を開ける。
 だが、うまく視界が定まらない。頭が本当に痛い。
 第一に、自分の場合は視界が満足に確保出来ておりません。ヒョッヒョッヒョ。何しろ面を被っていますので、目と鼻の穴からしか外の様子を見ることができないのであります。
 ふざけている場合ではない。幸運なことに面に傷はついていないが、頭の痛みをどうにかしなければ焦点さえ定まりそうにないだろう。
 これは、困った事態だ。いや、大差ないかもしれない。
 頭が割れるように痛いが、誰も声をかけてくれないということは他のみんなも自分と同じようなことになっているということでしょうか。それはマズイ、早く起きなければなりますまいて。


「いぎっ…!」


 痛む頭を酷使して、何とかいうことを聞いてくれない体を動かす。
 鞭打つでござる。ええい、動けこの役立たずが! 自分の身体なのに、何で言うこと聞かずに痛みを訴えるか、この役立たずが!
 そうそう、今日の面は確か白式尉の翁面だった。いつもと大差ない、比較的よく身につける面ではあるな。
 クラスのみんなもあまり突っ込みませんでしたしな、ヨホホホホ。
 痛みばかり訴えていないで、働けこの役立たずが! 何だこの体たらくは、クソが!
 いけません。いうことを聞かない己の肉体に対して、少々感情的になりすぎたようです。
 ふらつきながらも立ち上がり、重たい瞼を開けます。


「うぐっ…!?」


 即座に激痛が脳髄の中から暴れ出すような感じに発生しますが、歯を食いしばり耐えて瞼を持ち上げます。
 グズが! 何なんだよ、イタイイタイうるせえんだよ、ざけんなオラ!
 …。
 目を開けたはいいものの、やはり焦点がうまく定まりません。
 何事でしょうか? あと痛みがうるさい。
 身体が体たらくなら、眼球は職務放棄か!? おいこら、いい加減にしろよ!
 両こぶしを握り締めて、自らの頭に拳骨サンドを繰り出します。
 頭蓋に響く衝撃と共に、ようやく視界が定まりました。
 全く、何つー役立たずに時間を…オホン。口汚くなってしまうのは悪い癖です。外に漏らさないだけまだマシということなのでしょう。ここはポジティブに捉えましょう。
 さて、定まった自分の視界に映った光景ですが、それは教室などではありませんでした。
 言うなれば、白一色に染め上げられた世界、とでもいうべきでしょう。言うべきでかぶりましたね、あまり良い文とは言えません。
 って、そんなことどうでもいいでしょうよ、今は!


「此処は、何処…? 私は、誰…?」


 夢の世界にでも迷い込んだのでしょうか?
 俺は思わずこういう場面にあった人が口にしてしまう魔法の言葉を発しました。
 いえ、私が誰かくらいは分かります。
 名前は湯垣ゆがき。いや、これ苗字ですな。


「では、まずは自己紹介を。私、名前を湯垣ゆがき暮直くれただと申します。顔に関しての無礼はご容赦いただきたく。いえ、クラスメイトからは仮面ジイダー、または妖怪二十面相とも呼ばれていますな。名前よりも、面をかぶった頭のネジの飛んだ人といった認識のもとによるあだ名で呼んでいただいた方が、自分としましてもありがたい事です。初めまして紳士淑女の皆様方。以後、お見知り置きを」


 誰に聞こえるわけでもないのに、何か言わなければわけのわからない現状を押しつぶされそうだったので、とりあえず白い空間で自己紹介をしてみた。


「…分かってはいましたが、何もないですね」


 自分でわけのわからない行動をして、それを客観的な視点から見つめ直してみるのは、こういった不測の事態に陥り混乱してしまう思考を冷静にするのに手っ取り早い手段の一つとして自分は利用しています。
 時折悲しくなったり、虚しくなったりもしますが。ヨホホホホ。
 頭痛もだいぶ治まりました。何だったのかよくわかりませんが、そんなことよりもここがどこであるかという方が優先すべき問題でしょう。
 確かに、本日の日程が終わりをつげて教師が解散を言い渡した。自分、ここまでは覚えています。日常の変哲のない一コマというやつですな。
 ただ、そのあとが曖昧なのですよ。
 突然床が光り出して、意識が遠のいて…明確に覚えていませんが、ここで倒れたと思うのですが。
 はて、何があったのか…。
 顎に手を当て、髭をいじりながら考えてみる。
 いや、この能面被ってだと結構馬鹿みたいな絵面になりますけど。
 まあ、そういうことは置いておきまして。
 まず、これが現実か夢か。そこから追求しなければなりますまい。
 被っている面は今日に同じ。これは確実です。
 一面真っ白な空間。これが存在するのか。この辺りを追求してみるのが、夢か現実かの区分けとなるでしょうな。
 夢であれば万事解決なのですが、こんな夢を見ていては疲れがたまっていると体が訴えているのかもしれません。全く、わがままな肉体です。役に立たないくせに文句だけは一丁前なんだからな、この無能–––––おっと失礼。また口が汚くなりましたね、はしたない。
 気をつけなければこの罵倒が時折己の喉から出てきてしまうこともあります。恥ずべき事でしょう。面が汚れてしまいますので。主に唾で。
 ヨホホホホ。精神的な汚れなど、面には通用しませんよ。物ですから。
 360度、周囲を見渡せど誰もいません。
 夢か、幻か…。夢ならば誰かが叩いてくれることを祈るばかりですが、現実となると不明な点が多数存在することになるでしょう。
 自分一人ならばともかくとして、クラスメイトたちもまたこのような事態に直面しているとなれば、見捨てられませんね。脱出するにしても、せっかく味方がいるならば手を取り合って、そして騙しあって、出し抜きあって行くのが効率的なのですよ。
 全面真っ白という空間が、幽閉されているという幻想を催すので、自然と脱出しなければという選択肢が浮かびました。
 いけません。先入観で物事を決めつけては、必ず落とし穴にはまります。
 ここでは物理的な落とし穴にはまってもおかしくありませんけどね。イヒヒヒヒ。


「イヒヒヒヒ…ヨホホホホ…ヒョッホッホッホ…」


 おっと、笑い声が漏れてしまいました。
 聞かれていたら確実に変態扱いされますね。もしくは、化け物扱いでしょうか。
 この容姿ではどちらでも違和感ないですし、他人の評価において変えられない外見を気にしても仕方ないときもあるでしょう。
 面は顔です。外せません。髪は整えますし、香りにも気を使いますが、面だけは外せません。これを取るのは顔の皮を剥がされるのも同じです。
 いや、流石に条件さえ整えば外しますよ。体質的にそういうのになりにくいとはいえ、面の中は蒸れてきますから。
 皮膚呼吸しませんので? ドジョウですか?


「何でしょうか…?」


 いけません。思考がおかしな方向に動いています。
 ここが何処か、ここが現実なのか、他のみんなはどうなったのか。
 そういうことを考えていたはずなのに、どこから来たのでしょうかドジョウ? 
 神出鬼没というやつですか? ドジョウさん。いえ、ドジョウ先生。ここは敬意を込めて先生と呼ばせて頂きましょう。


「…またドジョウ先生に思考が逸れましたね」


 ヒゲをいじる手を腰に当てて、首を振って変なこと考える自分を元の議題に引き戻す。
 現状を把握しなければ。


「まず、ここは何処でしょうか?」


 そして、クラスメイトは何処に?
 主となる議題はこの2つでしょう。
 ヒントも何もない中で振るわぬ頭を回してみます。
 答えは当然出てきません。手がかりが少なすぎます。
 こういう時、自分が時折テスト前に勉強を教えているケイさんというクラスメイトのことを思い出します。あの人、すごく頭の回転が速いので、こういう場面ではむしろ答えをすぐに導きそうな気がします。
 勉強苦手とか言ってますけど、自分みたいな変態妖怪なんぞよりもはるかに頭がいい人ですよ。不良ですけど。
 いえいえ、心根は優しい方です。ケイさん。実際の名前は『あきら』さんです。
 足場が見えないので、一歩も動けません。落とし穴とかあったらと考えると、動けません。自分、臆病なので。


「ヨホホホホ…ホホッ!?」


 その時、突然背後に異質な気配を感じ取り、そのために素っ頓狂な声をあげてしまいました。
 即座に振り返ります。


「ひっ!?」


 そこには、先ほど見渡した時には影も形もなかったはずなのに、いつの間にか一人の女性が立っていました。
 年齢…フードかぶって顔が見えません。お前が言うなって返されますな。
 えーと、法衣? ですかね。僧侶か神官みたいな格好をしています。
 そして、俺を見るなりなかなか失礼な声を上げてくれました。
 何ですか? 翁の面が気に食わないと?


「イシシシシ…翁の面はお気に召しませんでしたか?」


 とりあえず、敵意がなかったのでいつも通りの調子に戻って声をかけてみた。
 得体の知れない匂いがしますが、下手に敵意を見せたくありません。得体の知れないのが逆に恐ろしいので。
 しかし、まいりました。この感覚を味わうということは、ここは現実ということになります。夢でこんなヘマしませんから、自分。
 別に、ふざけての言葉ではないです。こんな顔というか、面で隠しているので、友好的な意思ありですよというサインみたいなものです。たまに、お前の笑いが怖い!とか言われますけど。
 女性は口元しか見えてないですが、俺と見た目は大して身長差がありません。
 えーと…女性というのは、胸と法衣越しで見た体格とヒゲのない顎と、あと声。この4点で判断しました。…ヨホホ、大っきいですな〜。法衣越しでも分かるくらいの大きいのを持ち合わせていますな〜。眼福ですな〜。ヨホホホホ。
 自然と前のめりの姿勢に、そして顎髭に手が伸びます。
 すると、驚いていたらしいその女性の雰囲気が落ち着きました。


「…仮面をかぶっていてもその視線はさすがにわかりますよ」


「おお、失礼いたしました」


 顎に伸びていた手を後頭部に回して、ペコペコと頭を下げます。
 まあ、言って仕舞えばこれも相手の緊張をほぐすためですな。自分、これでも下心と目的遂行を同時にこなせる変態仮面ですから。
 ぶっちゃけ、早くこの只者とは思えない女性に話を聞きたかったのです。こっちがふざけてしまえば、しらけた相手は真面目な方向に動きますから。


「…それはどうも。ですが、不愉快なことには変わりありませんよ、女性としては。その心遣いに感謝し、本題に入りたいのですが」


「申し訳ありません。では…ん? 今、自分声に出していましたか?」


 まるでこちらの意図を汲み取ったかのように、ため息まじりに女性が言った一言。
 それを開きいた自分はふと、真意まで口にしていたのかと疑問を抱きました。
 あれれ? こちらの魂胆を理解したような返答をされましたが…はて? 自分はまだ先の卑しい変態じじいの醸し出す視線の意図を言った覚えはないのですが…。声に出ていたのでしょうか?


「いえ、今のは私があなたの思考を読んだからですよ」


 すると、返答として目の前の女性がさらりと驚愕の言葉を口にした。
 え、ええ!? エスパーという奴でござるか!?
 只者ではないと思いましたが、まさかの超能力者!? いや、人の仕草から思考を読み取るメンタリストという職ならば…。


「あ、あの…期待を裏切るようで申し訳ないのですが、私はメンタリストではありません。あなた方の尺度で言うならば、女神か天使といった表現が当てはまるでしょう」


 また読まれました。
 ムムム…今までは面を被ってきたので、思考を読まれることが少なかったのですが。ここまでたやすく読まれたのは久しぶりですな。
 …ちょっと待ってク〜ダサ〜イ。今、聞き慣れない単語が…。


「女神ですか!?」


「ヒイッ!?」


 自分の驚愕の声により、逆にびびらせてしまいました。
 あらら、このくらいでは驚かないと思ったのですが…。


「失礼しました。平に、平にご容赦くださいまし! おお、女神さま!」


 あれ?『ああ女神様!』だったか?
 まあ、どうでもいいか。
 こんな超常的な存在、怒らせるわけにはいかない。首が軽く飛んでしまいます。
 てか、すでに胸ガン見してたし、殺されても文句言えません。
 まずい事態です。土下座で切り抜けます。


「ど、どうかお許しを! 平に、平に!」


「貴方の方が落ち着いてください! 取って食べたりしませんから!」


「ほ、ほほ、ほんの出来心だったのです! お、男のサガと申しますか、女性の胸に目が行くのは…じゃねえよ! なに口走っとるかね!? も、申し訳ありません! 殺されても文句は言えません! ですが、どうかご慈悲を!」


「殺しませんから! あなたの意図もわかっていますから!」


「せ、せめて人生の終焉に際し身につける面に取り替える時間だけでも!」


 とにかく謝る。土下座しまくる。
 女神の言葉は全く入ってきません。絶賛大パニック中です。


「そんなにお面が大事なんですか!?」


「お許しを! お許しをー!」


「落ち着きなさい!」


 凛とした、女神様の透き通る声が、一瞬にして自分の混乱する思考を凍結させるように、無理やり落ち着かせた。


「………?」


 只々、呆然とする。
 何が、あったのでしょうか…?


「落ち着きましたか?」


「…ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 頭の中が空にさせられたような感覚で、言葉を失い土下座の体勢のまま女神さまを見上げていたところに聞こえた、女神様の声で何をされたのかをあらかた察した。
 混乱する自分を沈静化してくださったのだろう。先と逆転したということです。
 今度は謝罪と感謝を込めて、女神様に頭を下げた。
 土下座です。日本人の、特に野郎の必須スキルですね。職場でも家庭でも、ね。
 ともかく、女神様はご慈悲をくださったということでしょう。証拠に、自分の首と胴は繋がっています。


「物騒な…。いえ、落ち着いたのなら何よりです」


 溜息をつきつつ、女神様は微笑みをたたえて、フードを自らとった。


「では、説明をさせて頂きます」


「宜しくお願いします」


 何のことか、なんて野暮なことは聞きません。
 この現状に関する説明で相場は決定。


 女神様の顔は、それはそれはお美しかったです。
 透き通る色白の肌。肩に揃えられている金髪。そして薄紫色、さながら例えるならばアメジストのような輝く瞳。柔和な笑みを浮かべる形の整った唇。神々しさを纏った雰囲気。目尻は下がり気味で顎は短いので童顔に近い顔立ちだが、可愛らしさと気品ある美しさを兼ね備えている。佇まいも綺麗です。
 御美しい…。
 語呂の乏しい自分が出せる賛美は、それしかないです。
 そんな安っぽい言葉で片付けられるほどのものじゃないですけどね。ヒヒヒヒヒ。
 おっと、思わず頰が緩みました。失敬失敬。


「嬉しい評価ですね」


 女神様は、柔和な笑みを浮かべて、上品に口元を片手で隠しつつ、自分の情けない乏しい頃をひねり出した賛美を受け取ってくださいました。
 声に出さずとも伝わるのは、すごいことです。感服いたしました。
 さすが女神様ですね。


 現在、自分と女神様はいつの間にかこの空間にあった二つの椅子に腰を下ろして、対面しています。
 椅子は女神様が用意しました。
 女神さま万能ですね。しかもお美しい。
 自分はモブです。目立つのは、面のせいのみでしょう。
 そういえば、まことのモブキャラというのは地味ではなく誰かの背中を支えてくれる親友である、とか何とか。確かに地味だったり、根暗だったり、不良だったり、果ては引きこもりまで、それらは一つの個性と言えるものです。目立ちます。


「私見ですが、あなたほど外見の目立つ方もいませんよ」


「やや、これはしたり。天に向けた唾は己に返ってくるものですな。神様ならばなおのことでしょうか」


「面白い方ですね」


 例えるならば、聖母の微笑みでしょう。
 慈しみと、豊かな精神に由来する慈愛の笑み。
 女神様の微笑みはまさにそんな感じです。
 しかし、顔を隠し能面を被るという一点だけで、自分の外見の個性はとても強いものとなりつつあるのは事実です。
 女神様の指摘はごもっともというものでした。


 自分はヒゲをいじりながら、女神様に問いを発した。
 まずは現状把握である。ここが現実であることは既に承知の上の事柄となってしまっていますので。


「不躾ながら、お尋ねしたい事が」


「ええ。何があったのか、ということですね」


「流石でございます。自分、一介の無知な人間風情に過ぎませんので」


「そう自身を卑下なさらないでください。己を信じない者は、他者を信じる心を失いますよ」


「女神さまのご意見、御尤もでしょう。自論においては、生ある者は生きるために本能を備えております。理を尊び、調和を成すは知的生命体に与えられた特権と考えますれば、我を律し己が欲に猜疑を向けることにより他者を信ずること叶うと自分は考えるタチでして」


「それもまた、理を尊ぶ貴方の良点。賛同しかねますが、異を唱えるつもりはありません」


 女神様はとても寛容な方でいらっしゃる。本当にお優しいお方ですね。
 おお、有り難や。
 小難しいことを言っていますが、要するに女神様の論は自分を信じることで他者を信じることができるということ。それが心に豊かさをもたらすと言いたいのでしょう。
 で、自分の持論は性悪説に基づくものです。人含め生物は理性を持たず、生きるための欲のままとって生まれるのだから、本能という名の欲望に飲まれないように自分に対しては常に疑う心を持つことで、誰かを信じる理性を持つことができる。そうかんがえているのです。
 考え方は正反対ですが、そういう歯車の方が噛み合うこともあるように、自分と女神様の考え方の相違はお互いに否定したくなるような程でもなく、なかなかに心地よいものなのです。
 それも女神様の寛容さ故ですが。
 雑談で話の道筋がそれるが、不愉快なものではありません。


「現状を知りたいというのもまた、保身からくる欲の一つ。命を尊ぶものならば選んで当然なれど、時には醜き姿を写すこととなりましょう」


「命あるものが命を重んじるのは罪などではありません。同時に、不安を持つもまた、命を尊ぶ美しき心の表れでもあります。臆病は恥ずべきことではありませんよ」


「女神様の見識はマリアナ海溝よりも深いですな」


「…その例えは、ちょっと無いのでは?」


「申し訳ありません。自分でもそう思いました」


 恥かいてしまいました。
 まあ、女神様の笑みが耐えなければそれでいいです。癒されますからね、あの美しくも優しき微笑みは。こう、見ているだけで。


「は、恥ずかしい事を…」


 女神様が照れました。
 からかうのは好きでは無いので、これ以上は進みません。
 …か、可愛い。見とれてしまいそうですね。
 抱きついていいですか?


「いいわけありません」


 よし。女神様の雰囲気が凛々しいものに戻りました。
 やはり真面目な話は、真面目なものとして行う方が緊迫感があり良いことですから。


「して、ここは何処になりますか?」


「二つの世界の狭間です」


 率直に尋ねた自分に対して、女神さまも率直に答えた。
 …うん。さっぱりわからん。
 もう少し詳しく知りたいと願おうとしたところ、思考を読める女神様が先に答えてくれました。


「あなた方の尺度でいうと『異世界転移』でしょうか。貴方を含めた36人のそちらの世界の方々を、こちらの世界の都合により勇者として召喚させていただいたのです」


「36人…Cクラスだけですか」


 気を失う前に見たかすかな記憶において、自分が巻き込まれた元凶と思われる謎の光が浮かんだとき、クラスのみんなもまた騒いでいた。あの時は欠席2人、保健室1人、光る前に教師手伝いで教室から出て行った1人で、以上の4人を抜かせば40人クラスだから36人となる。自分の所属する2年Cクラスが異世界転移したらしい。
 異世界転移のワードから、状況に想定がついた。
 勇者召喚。異世界に召喚されて、魔王を倒してくれと王様とかに言われるパターンですか。
 空想の産物と思っていた話ですが、実際になってしまった身の上としては認めるしかありません。そう思えば、この真偽不確かな出来事を物語として立ち上げ、成立させていく人間の想像力の方が驚きです。
 他のクラスメイトも召喚されたと女神様は仰っておりますが、その他のクラスメイトの所在が心配です。いえ、所在というか安否がです。ここで別世界に行ったり、どこか異次元の間に取り残されるようなことがあれば、大変なので。


「いえ、その辺りはご心配なく。召喚と帰還に関しては、不測の事態が起きないように私が責任を持って送り届けることになっていますから」


「先読みですか。いえ、それなら安心しました。ヒョッヒョッヒョ…」


 ひとまず、何で召喚されたのかということ含めて問題山積みではあるものの、移動に際して体が別世界に行ったりみたいな展開や脱落者多数といった事態に陥らなかったことに安堵します。
 安堵したからか、笑いがこぼれました。


「…コホン」


 女神様にせきばらいされた。
 ドン引きを止めてくださるだけ、ありがたい事です。さすがは女神様。


「自分の今後よりも、仲間の安否を先に知りたがるとは…。顔を見れないのは残念ですが、あなたの心根は明るいものですね」


「道化の身の上ですから。それに、『安全第一』は大切なことです。目的云々以前に、安否は大切なことです。大切な人たちですからね。『大切』かぶり続きですな」


「好きな人でもいるのですか?」


「女神さまも恋愛話には盛り上がりますか?」


「私も心は乙女のつもりですから」


「女神様ほどともなれば引き手数多–––––いえ、恋話もいいですがその話題をするにこの面はいささか風情を欠きます。というか、ぶち壊します」


「あら、残念です」


 微笑みをたたえながら、女神様は次の機会にするとのことでありました。
 でも実際、女神様の容姿は引き手あまたと言ってもいいと思います。
 人間風情が思い上がるな!とか言われそうですけどね。
 女神様ではなく、女神様のお目付役とかお付きの人とかがいた場合には、ですが。
 因みに、自分みたいな者には縁遠いお話です。フォッフォッフォッ。


「女神様。クラスメイトの安否と送還、帰還に責任を持ってくださるならば願ったり叶ったりですが、自分たちの飛ばされる異世界に関する情報を得られないでしょうか?」


「その質問、待ちわびていました。少し長くなりますよ」


「お構いなく。女神様直々の説明、聞ける機会は二度もないでしょうから」


 女神様は、その世界に関する事柄の説明に入りました。


「まず、これからあなた方が飛ばされる先は、魔法が存在します。技術の発達度なども大きく劣っていますし、異世界の都合で異なる世界に飛ばされることとなるあなた達には過酷な環境です。本来は人間に魔法が扱える世界ではないのですが、一人でも多く生き残っていただくために私の方から全員に魔法を扱う術を授けます。目が覚めた時、自然と使い方を習得しているはずです」


「魔法…魔法ですか。一つ、お尋ねしても?」


 魔法というものが存在する世界であれば、いろいろと疑問に思うことがある。
 文明水準に、魔法は大きく関係しているだろう。
 どこぞの超能力者が日本の首都を舞台に大量発生した漫画じゃあるまいし、その異世界において魔法の文明は密接な関係があると思われるわけでありますが。
 しかし、そうなると科学技術による発展を遂げてきた自分たちの元の世界と異なり、魔法でこなせることは魔法でこなすという思考が根付いている世界が想定される。
 文明は発展してこそその神髄を発揮するのに対して、魔法はおそらくそうはいかないでしょう。
 スタート地点が違えば、カメとウサギです。はるか後方に相手を置き去りにするバカは、ゴールもしていないそばからその地位にあぐらをかきたがり、発展を停滞させます。
 発展しなければ存続も危うい側に比べ、なんたる怠惰というべきか。
 要するに、魔法でできることは魔法でして、発展の立ち止まる世界が形成されているということが想定できます。
 例として一つ。火を見つけた時、その利便性に魅入られた我々は、その火を利用するためにどうすれば起こせるのか考えます。
 ここで魔法を使えるのは、魔法で起こせばいいと考えます。
 対して、自分たちの歴史では火を起こすために必要な行程を考えます。
 火花、つまり火種が必要。燃料、つまり木材が必要。
 火がつきました。維持するには? 調整するには? 燃料は他に何が使えるの?
 魔法で起こせばいいで止まる側に対して、魔法を持たない側は発展をします。
 結果、火を維持するには燃料と空気が必要であり、燃料には油や火薬も使えるし、そこから木だけでなく鉄も加工できるようになり、より良い釜などを作れるようになり…どんどん進化していきます。
 文明の発展の原動力。それは利便性にあると、自分は考えています。
 最初にできないことに挑む。できるようにする。中途半端にできるものには進化をする意図がないということもある。
 魔法という存在は便利であるからこそ、文明の発展を大いに遅らせた歴史を紡いでいるという可能性もあると思うのです。下手したら水道もろくに普及していない世界という可能性もあるので。


「…文明水準、ですか」


 質問を口にする前に、女神様は思考を読み取られました。
 流石でいらっしゃる。


「分かりますか?」


「少し待ってくださいね」


 女神様が何かを念じ始めたので、大人しく待つことにします。
 検索中、というやつでしょうか。いや、どちらかというと下界の様子を見ているようにも見えますね。


「魔族は…封建制、いえ絶対君主制もあるし…宗教勢力の影響…帝国はこうで…中世くらい、いえ国によって進展が違う…火器は…これだとこうで…医療の進展は…王国だと貴族制で…産業は工業分野の発展が著しい…共和国だと…」


 色々とつぶやいておられる女神様。
 拾えた単語には、聞きなれないものから自分も知っているものまで、いろいろと並んでいく。
 政治体制は、封建制、貴族社会、絶対君主制などをつぶやいていました。他には宗教勢力の影響具合等。
 また、国家の体制を表す表現でも、自分の知るのと同じのがいくつか。帝国、王国、共和国など。工業が発展してきているとも言っているし、火器という単語も聞こえた。火器の概念があり発展している、そしてそれが工業分野の大きな鍵を担っているということは、金属加工技術が発展しつつあるみたいな感じであってますかね?
 銃器の有無はその世界の文明水準に大きく影響していることでしょう。それに、農業よりも工業分野の進歩が著しい時代では、それが政治体制にも影響を及ぼすこともあります。
 簡単に言ってしまえば、工業による興業を支えるのは労働者という階層になります。初期の労働者と雇主が成り立つ世界といえば、赤旗が流行りますな。革命です。『帝国主義をぶっ倒せ!社会主義万歳!』が広まりますね。
 宗教革命でも何でもいいですけど、革命が流行る世界というのは自分の知っている世界史においては非常に治安が悪化しおかしな行事が流行る世界になりがちです。
 共和国というからには民主主義を掲げる国家が成立しているということでしょう。魔法による階級制度が設けられる貴族社会は自分の知る世界の歴史よりその転換が起こる可能性が低い。それでも成立しているということは、魔法を技術力で上回りつつある世界と見ていいでしょう。
 以上のことから、一つの推測にあたります。
 つまり、魔法を使える者と使えない者がいる。そして、文明の利器に対して魔法という存在が置いておかれつつある世界。


「…私の心を読み当てたような速さで答えを出しましたね」


 女神様の表情が、若干曇りました。
 ご機嫌を損ねてしまったのかもしれません。呟きを拾いめちゃくちゃな推理で論を組み立てた自分よりも、直接心読める女神様の方がすごいと思います。
 だからそんなこと言わないで下さいまし。なんか、自分が女神様に嫌がらせしてるみたいではありませんか。
 声に出さずとも伝わるので、考えを読み取ってもらいます。


「いえ、私は心を読み取れる術を持たないのに易々と回答にたどり着いた貴方の推理の正確さを評価つもりなのですが…土下座はしなくていいですから!」


 平伏いたしまする。
 相手が女神様なので、自分が悪くなくともとにかく土下座して謝るというのにさしたる抵抗も抱かずに済んでいます。


「止めてください! 顔をあげて下さい。私、そこまで高尚な存在ではありませんから」


 女神様は土下座をされるのがあまり好ましくないようなので、起きます。


 落ち着きまして、女神様の方から説明の再開をされます。
 異世界の大まかな概要から言いますと、大陸が7つほどある世界だと。
 ただし、異世界の方は自分の知る世界とは多いに違い、水平線というものが存在しない平坦な世界だと言います。


「?? つまり、あれですか? 真っ平らな世界の上に広がると?」


「想像し難いかもしれませんが。こちらの世界の守り神である『クロノス』様というウミガメの神様の背中の上に広がる世界なので、正確には真っ平らというわけではないのですが。あなた方の送られる異世界は、その上にいる『4柱』というクロノス様の眷属の象が支える上に広がっている世界です。面積はおよそ5億㎢ですが、クロノス様はその3倍の広さの甲羅をお持ちです」


「…さながら、日曜洋画劇場ですね」


 5億㎢といえば、地球の表面積に近い広さであります。少なくとも日本国土とは比べるもないような広さと言えるでしょう。
 クロノスといえば巨神をイメージするが、まさかのウミガメとは。
 まあ、神様というのですから形状が似ているまったく別ものでしょう。文字通りの巨大ウミガメだったら、それこそ日曜洋画劇場ですよ。ちゃっかり象までいるし。どこのインド神話ですか!?


 不思議なのは、平面な世界といういつかの人類の迷信が現実になっていることですな。
 女神様によれば海も陸もあるといいます。


「海の水は、世界の淵から落ちますけど、4柱が常にそれを補給していますから。彼らはいわゆる神獣ですので。あなた方には、少し理解し難いかもしれませんが…」


「科学文明で育ってきましたからね。郷に入れば郷にしたがえとはいますので、何とかなるとは思いますが…」


 魔法のある世界です。こちらのあれこれの科学法則を押し付けたところで、その世界の概要を知ることには繋がらないでしょうね。
 下手したら、宇宙も存在しないのではないだろうか?
 理解できないことをあれこれ悩んでも、ここで結論なんて出ませんね。世界の概要を知らずとも、そこに立って歩くことはできるのです。足元の構造を把握しなければ不安になるかもしれませんが、とらわれずに歩いてみるのもまた成長というものでしょう。


 次に、異世界に召喚されることになった概要に関する事柄。そしてなぜ自分たちを召喚することになったのかについてのことを女神さまに聞いてみました。声に出す前に聞き取られましたけど。
 召喚の理由がどうあれ、そちらの異世界が異世界人を召喚するとして、自分たちが何故選ばなたのかということですね。魔法を概念としてはともかく存在など知らない上に平和大国日本の子供。自分たちは所詮字面にすればそうなるものです。
 人権云々はこちらの人間が勝手に定めたものであり、異世界には適用しない。それはわかりますが、役に立たないものを召喚しても無意味だと思うのですが。


「…それに関しては、世界の種族の成り立ちから説明させてもらいます」


 女神様の表情が曇りました。
 どうやら、女神さまにとってもあまり快くない理由があるようです。


 女神様の説明によると、異世界の方は多種多様な種族が混じっているといいます。


「向こうの世界には遺伝子学に関してもかなり大きな違いがありますので。全く異なるように見える種族でも、交配ができます」


 交配とは…女神様、乙女ならばロマンチックな表現を使いますよ。交尾・交配よりも、こう『子作り』とか、『レ○プ』とか。


「卑猥な表現はやめてください。あと、1番最後は犯罪ですよ!?」


「ヨホホホホ」


「笑えません」


「申し訳ありません」


 女神様が怒りそうでしたので、ふざけるのは止めます。
 話を戻しましょう。


 異世界には主に文明を築き知性を有する種族が3つ存在すると言います。


『人族』。主に我々ホモサピエンスに極めて近く殆ど違いのないという『人間』や、魔法を扱える長命なる森の種族である『エルフ』、外見に獣を混ぜ合わせたようないわゆるモフ耳の種族『ビースト』など。


『魔族』。外見が個体ごとに大きく異なるのが特徴であり、人型もいればドラゴン型もいるし、イカに鯨にライオンにミノタウロスと、どうしてこれで一括りにできるのかと言いたくなるほど多様な外見や構造を持つ種族。謎が多く、女神様に聞きたかったのですが、科学文明に凝った思考では理解ができないと一蹴されました。いえいえ、女神様はもっとオブラートに包んで伝えましたから。これは自分が女神様から返ってきた答えを噛み砕いて絞り出した意味ですので。魔族も交配による繁殖で基本は増えるそうなのですが、一部は全くの別口で生まれるそうなのです。レイスとか、ゴーストとか。なるほど、幽霊は科学法則をぶち込んでもクルクルパーになりますし、そんなものが実際にありふれている世界ならば科学は絶対出ないようですな。


『天族』。いわゆる天使のような存在とのことです。外見は主に背中に翼が生えているとか、頭に輪が乗っているなど、自分たちの知る天使と大差ないとのことです。ああ、キューピットではなく、ちゃんと大人ですよ。辿れば神様の眷族らしく、神獣である象、『4柱』と同じような存在だとの事で、繁殖というよりも発生といった感じに生まれるらしいのです。ダメですね〜、化学世界で生きる者の頭には理解が及びません。情けない限りですな。魔法と対局の存在である『聖術』というものを扱うことに長けているらしいとのこと。ただ、○ッチ…いえ、ここは理的な表現を用いましょう。性行為を行うための器官は備わっているらしいのです。魔族と違って繁殖はしないのに何ででしょー?


 生物学の分類上は非常に近しいとされる人間と猿でも交配できないというのに、その異世界では何と『人族』『魔族』『天族』という異なる種族が子を作ることが可能とのことです。
 事例は少ないですが、ハーフの種族も存在するらしいとのこと。外国人とのハーフ見たく簡単に言いますけど、そんな単純なことじゃないでしょ!?


「種族のあらましに関しては分かりました。わからない部分が多いですが、それに関しては異世界の方で自分なりに調べるのも一興ですので。知識欲が疼きますね〜。ヨホホホホ」


「貴方がそういう視点で関心を抱いていないことは読み取れますけど、端から見たら仮面を被った変態に見えてしまいますよ。誤解を招くと思います」


「生きるために欲望にまみれた本能を刻まれている人間の心なんて、女神様にしてみれば大抵醜いと思いますが…」


「いえ、与えられた生を精一杯生き抜く姿はとても美しいと思います」


「……………ヨホホホホ」


 女神様なりの主観もありますし、自分に反論する資格などありませんね。
 確かに、生きることに精一杯でありながらもそれを必死に謳歌する姿は、美しさもあるでしょう。
 自分はこんな面で素顔を隠していますけど。別に誤解を受けるのは仕方ないことです。顔隠しているので、第一印象で既に自分は転げてますから。


 種族のあらましに関しては一応理解できましたので、女神様が次の段階に話を進めます。
 各種族は、それぞれの世界において繁栄し、文明を築き上げたとのこと。
 魔族は大陸2つを征する巨大統一国家として。
 天族は雲の上にクロノスを奉る神国(日本じゃないよ)を作り、天界として魔族の皇国と争いの歴史を繰り返すようになりました。
 そして、5つの大陸に多くの国家を築き上げた人族は、基本的には人族内の国家同士で争いつつも、時に天族に、時に魔族に喧嘩を売っては逆に叩き潰されて、攻め込まれてから団結して滅亡寸前になりながらも何とか立て直すということを何回も繰り返しているそうです。
 ただ、その状況に変化が訪れたのが、150年前とのことです。
 魔族に才覚ある偉大な皇主が生まれ、強大な軍事力を用いることにより、魔族の皇国が人族側の国家の大半を滅ぼしてしまいました。
 見過ごせなかった天族は、敵対しかしてこなかった人族と同盟を結び、魔族に対して反撃に出たとのことです。
 帝教枢軸連合軍と称されたこの連合軍と、魔族の皇国の戦争は150年続くこととなり、戦火は七つの大陸全てに広がったとのことです。
 しかし、それもようやく連合軍の勝利が近づいてきた頃に、さらなる波乱が起きたとのことでした。


「ですが、皇主も倒されたことにより連合軍の勝利が目前に迫った頃に、魔族側が最後の抵抗を行い、それが連合軍に大きな打撃を与えたのです」


 女神様の説明によると、皇主を失った皇国側は逃げ延びた皇太子の元で再度戦力を集めなおして、魔族側の大陸まで進出していた連合軍の本隊に最後の総攻撃を仕掛けたとのこと。
 結果、攻撃に参加した魔族は玉砕。皇太子は戦死。同日には連合軍の進軍を長く止め続けた要塞においても守備軍が玉砕するということがあり、皇国はほぼ滅亡状態に追い込まれたとのことでしたが…ここにきて、最後の皇太子が仕掛けた攻撃によって連合軍も天界軍元帥を筆頭とする主戦力と連合側の国家元首並びに閣僚の多くが戦死してしまい、皇国への侵攻を断念せざるおえない状況に追い込まれたとの事です。
 何で政治屋が前線にいるんだよ! と突っ込みたくなりましたけど。まあ、他人のやることにいちいち口出していても仕方がないでしょう。
 そして、魔族側は皇族で唯一生き残っていた皇女を新たに皇主として迎え国の再建を進めたのに対して、人族側は残った国で内戦を始めて戦国時代に突入したとのことです。天界は元帥を失ったことで、これ以上は人族に肩入れしたくないとさっさと雲の上に逃げたと言います。
 結果、異世界において150年続いた戦争は勝者も敗者もなく休戦状態に陥りました。


「大まかな流れとしては、これがかの世界における歴史、あなた方を召喚することになった経緯に関係するです」


「…何というか、すごい歴史ですね」


 だらだら150年も大国同士で戦争しているとか、しかもその休戦に至る経緯とか、かじるほどしか聞いていないですが喜劇に見える代物でした。
 魔族が退いた、に関して言うならば一応人族側の優勢となっているようですね。
 どうも、この状況を見る限り、どちらも干上がっているという印象があります。国家の話、ですが。
 戦国時代に介入しろとか、そんな理由で呼ばれていたらどうしましょうか。


 そんな事を思ったら、女神様の表情が曇りました。
 その反応で、自分は察しがつきます。


「…はい。あなた方異世界人を召喚したのは、人族側の国家です。5つの大陸を中心とした人族の世界には、現在16の国家が存在します」


 女神様が指をさすと、広げられている世界地図の人族側の大陸とそれに連なる島国などに国家の境界線が引かれました。
 女神様がその地図の上に旗を並べつつ、名前を並べていきます。


「ヨブトリカ王国、サブール王朝、アンカブリナ王国、ディアント公国、アウシュビッツ群島列国、テンシルバニア王国、ファグラニカ帝国、神聖ヒアント帝国、ガーヴァナ教王国、マナリカ共和国、ホラントス帝国、ジカートリヒッツ社会主義共和国連邦、エマンティア大公国、ネスティアント帝国、ソラメク王国、オラキス公国。これが現在存在する人族側の国家で、このうちの幾つかの国があなたがたを召喚しました」


「なるほど〜」


 地図に分かれた国々を見てみる。
 一つ、赤旗思いっきり掲げている国が見えますけど。封建制根強く残っているように見える国々が並ぶ中では、かなり進歩している国家いうことなのでしょうか。
 …自分の知る歴史においてはかの米国と軍事力において肩を並べたソ連でさえ社会主義政権は倒れてしまったので、ある意味赤旗掲げているのは進展の方向間違っているとも言えると思うのですが。
 まあ、ソ連ではないにせよ社会主義政権で成功した国もあることにはあるのですから、見識の相違ということにしておきましょう。政治に正解なんてない、その時々に最善を尽くすのが政治家の役目と言いますし。理想の体制とは、固定観念ではなく時代が決めるとも言いますしね。


「面白い見識をしていますね。時代が決める、ですか」


「私見ですが。自分が自慢できることではありませんが、何しろ自分の知る人類の文明の歴史は4000年に登ります。有能なる独裁者が腐敗した共和制に勝る事例もあれば、高い理想を掲げる宗教が国家を傾かせ結果的に教祖の権威をそぎ落としてしまったという事例もあります。結局人の国を作るのもまた人であり、人というのは失敗を犯すものですから。あと欲深いですね」


 女神さまのお言葉に、自分もまた持論を口にする。
 歴史を学べば、いろいろなものが見えてきますしね。
 因みに、挙げた例は前者が『ナポレオン・ボナパルト』、後者は『十字軍』を示しているつもりです。
 当時の欧州において世界一進んだ共和制を歌ったフランス革命の終わりを告げながらも、その良所を帝政でありながら見事に引き継ぎ完成させた皇帝。
 確かに、フランス国民の支持を考えればかの皇帝がいかに優れた人物であるかというのはわかります。
 欧州に大規模な戦乱を巻き起こしたとはいえ、彼はまぎれもない英雄ですから。
 ヨホホホホ。女神さまのような全知全能たる方には、やはり人の営みは薄汚いものに映るのでしょうか。


「そんな事はありません。私は試行錯誤を繰り返し、より高い理想へ進み続ける人の営みが、とても眩しく思えますから」


 女神様の微笑みを見るだけで、心が洗われるようです。
 ああ、御美しい…。


 さて、話を戻して異世界人を召喚した経緯と、召喚した国家に関する話に移りました。
 先に女神様が挙げられた16の人族側の国家。我々Cクラスは、どうやら6×2人ごとに分別され、召喚を行った3つの国に向かう事となるとのことです。
 要するに、一つの国につき12名ということですね。
 異世界人を召喚したもの好きな国は、サブール王朝・ジカートリヒッツ社会主義共和国連邦・ネスティアント帝国の3つとの事です。
 このうち、ネスティアント帝国と赤旗国家(ソビエト社会主義共和国連邦並みにめんどくさくて長い国名ですね)は魔族の大陸に近い海が国境と接しています。団結が崩れた今、魔族の脅威に一番近いと言える国家なので、そうした行いは何となく察しがつきます。戦力が大いに越したことないという事なのでしょう、かの二つの国は。
 対して、サブール王朝は真逆も真逆。魔族大陸から遠い地に国土を持っています。それもかなりの大きさで。戦国時代にせよ、この国家に異世界人を召喚する理由がわからないのですが。この世界は球体でない、それこそ海が途中で途切れている真っ平らな世界なので世界一周できない以上、物理的に魔族と一番遠い国のはずですが。
 その疑問を口にする前に、自分の心を読み取った女神様が答えてくださいました。


「サブール王朝は、逆に天界と通じる大陸において最大勢力を誇る国です。つまり、天族と戦争になった際に一番最初に狙われる国ということでしょう。おそらく、それが異世界人であるあなたがたにすがった理由だと思うのですが」


「なるほど〜」


 そういえば、異世界の人族は天界とも一触即発なのでしたね。
 天界にとってみれば、最初の大陸で一番の大国です。真っ先に潰しておくべき対象として映るのでしょう。
 つまりこちらは天使の方々との来る戦争のために呼ぶということなのでしょうか。
 女神様はあくまでクロノス神様の領域であるかの世界には干渉しないことにしているとのことでして、細かい人族の国の思惑などに関してはわからないとのことでした。
 しかし、十分その仮説で証明できると思いますけどね。まあ、思惑などが絡むようならば、その時はその時で対応するしかないでしょうな。ヨホホホホ。


「能天気、というわけではないですね。あなたなりに色々と考えていることがわかります。本当にクラスの方々が大切なのですね」


「ヨホホホホ。お褒めに与り恐悦至極、なのですが…大変申し訳なくさしだせるものが命くらいしかありません。女神さまのお気が済むならば、どうぞ」


「しませんって! 土下座はいいですから!」


 そんな会話も交えつつ、次の疑問へ。
 自分としては、なぜこのクラスが選ばれたのかということにあります。
 先に述べた通り、自分たちは所詮平和大国の高校生に過ぎません。全力として召喚されたのでしょうが、無力な高校生に何ができると?


「それは、世界の『格』というものが関係しています」


「格、ですか…」


 これはまた、聞きなれない壮大なお言葉が出てきました。
 世界に格付けがあるとは、驚きです。
 世界の格は様々な要因で決まるといいますが、少なくともかの世界と自分たちの世界とではかなりの格差があるとのことです。
 まず、宇宙が存在するかしないかという時点で、片や地球の表面積しかない世界では圧倒的に自分の住んでいた世界に格として劣っているとのことです。
 そして、高位の世界の者というのは、高ければ高いほどにその世界ではより強い存在になれるとのことです。


「いわゆる、『勇者補正』ですね」


「ゲームのような単語が出てきましたね」


 そういう世界だというのは分かっていましたが。
 世界としての格が多いに優れている我々は、かの世界からしてみれば化け物のような強さを発揮するとのことです。


「それこそ専門である軍人の方などでは、世界に亀裂が入りかねないほどです。それ以前に、召喚する側がとにかく高位の世界からという曖昧な指定で召喚を行使したので、偶然あなた方が指定されてしまったというのが一番の要因ですね」


「なるほど、偶然の産物ですか」


 奇跡なんて言い換えればそれにつきますし、納得しました。
 女神様からはあっさりしていると言われましたが、まあ、性分ですから。デリケートだったら、こんな面を被って生きていくなんて恥ずかしくてできないではありませんか。ヨホホホホ。


「召喚の目的は『魔族または天族との戦争に対抗する切り札として召喚した勇者』という認識でだいたいあっていますかね?」


「おそらくは。申し訳ありません。本当はもう少し詳しく教えるべきですし」


「女神様にも都合というものがあるのでしょう。他のメンツは文句を垂れるかもしれませんが、自分は気にしていませんから」


「お優しいのですね」


 女神様が微笑まれた。
 まずいです。とんでもない破壊力です。
 心臓停止するかと思いましたよ。神秘とはまさにあのことを指しますね。
 拝みましょう。あの微笑みに拝みましょう。女神様にしか再現できない慈愛に満ちたあのお美しい表情に、平伏しましょう。
 偶然で片付けられるものではありませんね、女神様の微笑みは。
 ボキャブラリーに乏しく表現できない自分に腹が立ちます。
 すると自分の思考を読み取った女神様がまたも顔を赤くしました。


「あ、貴方という人は…は、恥ずかしいですから…」


「(バキューン!)」


 …心臓を、撃ち抜かれました。
 物理的にではなく精神的にですが。
 な、何という…。何という…。何という!
 女神様が照れて恥じらうお姿、このまま異世界ではなく冥界に旅立ちそうなほどの、先の微笑みに負けず劣らずのとんでもない光景でした。
 心臓、止まるかもしれません。物理的に。


「や、やめて下さい! だいたい、あなたが恥ずかしいことを思うからでは、な、ないですか! わ、私が…美しいなど…」


「め、女神様…これ以上は…本当に冥界に旅立ちそうです…。ああ、我が人生に一片の悔いなし…」


「勝手に未練を捨てないで下さい! あなたの大切にしているクラスメイトを置いて一人で旅立つなど許しませんから!」


「おお!」


 女神さまのお言葉で引き戻されました。
 しかし、今のは危なかったですね。本当に未練がなくなりそうでした。


「お手数をおかけします。斯くなる上は–––––」


「土下座はやめて下さい! あと、戻ってくるなり死ぬこともやめてください!」


「は、はい…」


 思考を読み取られたことにより、自分は頷くしかありませんでした。


 さて、召喚に際する背景と、なぜ自分たちのような変哲のない(?)高校生が選ばれたのかについての理由に関しては大方理解ができました。不明瞭な点もありますが、国家の思惑に関しては向こうで調べる必要がありますし、女神様の管理する世界というわけでもないので現地の最新の情勢はやはり己の足で探る必要もあります。
 異世界人である自分たちを召喚したのは、人族の3つの国家。召喚が意図的なものである以上、それに関する事柄は現地の方に尋ねる方が早いですね。
 ただし、女神様はクロノス神の管轄するかの世界には深く関わるわけにもいかないとのことなのですが、それはそれ。女神様自身は世界の狭間でこうして異世界召喚されたりする人に説明をすることが仕事であり、そのため誰がどこの国に行くのかについてはあらかじめ知っているとのことです。なお、選択することはできないとのことですが。
 自分にしてみればそれでも十分です。おお、ありがたや。


「湯垣さん。貴方の行き先は『ネスティアント帝国』です」


 自分を召喚したのは、どうやら魔族皇国との最前線の国の一つのようです。
 いつ来るかわからないという天界との最前線よりは、まだ国家の再興が整っていない魔族大陸との最前線の方がまだ戦争の木は薄いように感じますね。
 ただ、女神様によるとこのネスティアント帝国は真面目で義心の強い国民性と海上交易による富などにより自国を賄える事から、対外的野心が薄いと言います。軍事力も強大ですが、周辺諸国を力による併合を果たしてきた周辺国との仲が険悪で、かなり厳しい立場にある国だとか。
 それならそれで構いませんが。話を聞く限り、立憲君主制国家と言いますし、腐敗にも国民気質から縁遠いかなり理想的な国家と言えますし。
 むしろ、贅沢申せません。大歓迎です。
 ヨホホホホ。吉ですな。吉兆ですな。


「…あらかた、聞きたいことは聞き終わりました。丁寧な説明、本当にありがとうございます」


 深く、女神様に対して頭を下げます。
 謝罪の土下座ではなく、それは感謝の土下座です。背筋を伸ばし、正座の姿勢を崩さず、少ない所作で平伏する。
 平伏している割に、かっこよく見える不思議な土下座です。
 女神様の方も、微笑みつつ受けてくださいました。


「こちらこそ。あなたと巡り会えたこと、とても幸福な機会だったでしょう」


「ヨホホホホ。自分にとっては、女神様の微笑みを拝することが叶っただけで幸福です」


「ふふ。あなたも相変わらずですね」


 いつもの口調に戻った自分に、女神様は口に手を当てて微笑まれました。
 何度見ても本当に御美しい。神々しく、慈愛に満ち、可愛さも僅かに垣間見え、それはそれは自分の乏しい語彙では表現するのも恐れ多い微笑みです。
 もはや、自分は女神様の虜となりました。いえ、それさえも恐れ多いです。
 ははー。


「いちいち土下座するのは止めましょう?」


 女神様は顔も、姿も、声も、何もかもが神々しいです。
 いえ、女神様だから当然ですか。ヨホホホホ。


「も、もう…本当に…貴方という人は…。でも、そう思えて頂けるだけでも、私は嬉しく思います」


 照れから頬を赤らめつつの、笑顔。
 …笑顔ですか!?


「ヒョッ!?」


 と、とどめを食らいました…。
 ほ、本当に、精神が冥界に旅立つことに未練を感じなくなってしまいそうです。
 不謹慎かつ、無礼を承知の上で言わせていただきます。


「女神様に悩殺されました!」


 面は白式尉につき色白ですが、自分の頭は沸騰しそうです。


「ど、どうして…こんな…」


 女神様は、フードをかぶってしまいました。
 不機嫌になったように見えましたが、照れているようです。顔は真っ赤です。白いのでめちゃくちゃ目立ちます。
 …クラスの皆様、先に冥土へ旅立たせていただきます。


「や、やめて下さい!」


「ヨホホ!?」


 女神様の言葉で、何とか引き戻していただきました。
 あ、危ない…。
 自分、女神様に対する耐性皆無であります。ヨホホホホ。




 なんだかんだありましたが、自分の方は女神様に尋ねることはあらかた片付きました。
 それでは…いざ異世界へ!
 となると思いましたが、その前に女神様の方から頂けるものがあるといいます。


「あなた方は確かに、向こうの世界にとってはとても強い存在となります。しかし、戦いの術も知らないのであればそれは大きな枷となるでしょう」


「そうですね〜。自分たちは所詮高校生。命のやり取りとは無縁でしたから」


 戦場でも敵に殺されるより敵を殺すことを躊躇する兵が半数はいると言われていますし。ましてや精神的に未熟な、未成年です。慣れろと言われて慣れるものではないでしょう。
 そのことを危惧した女神様は、異世界人にとある特典を授けてくださるといいます。


「そのものの潜在能力にあった『職種』の機能を与えます。人それぞれで発現が違いますのでランダムということになりますが、それでも一瞬にして戦いの術を体に刷り込むことができます。精神の方が慣れるまでは数日使い続ける必要がありますけど」


「なるほど、職業ですな」


 ゲームっぽいけど、女神様は我々に一人でも多く生き延びて欲しいからという願いを込めてこれを授けてくれるのです。無碍にはできません。


「それで、自分は何でしょうか?」


 若干ワクワクしながら尋ねると、女神様は結果に満足そうな笑みを浮かべました。


「湯垣暮直さん。あなたの職種は『治癒師』です。心優しいあなたによく似合う職種ですね」


「回復役、ですか。かなりの当たりクジですな」


 自分の職種は、『治癒師』との事だった。
 回復役は、結構需要高いだろう。非戦闘時も役立つ職種。
 うむ。当たりくじですな。ヨホホホホ。


「主に回復魔法、治癒魔法、支援魔法、応急手当、蘇生魔法、転生魔法、防護魔法、浄化魔法などが扱えます」


「…チート」


 チートじゃないですか。
 待って。蘇生魔法は分かりますよ。
 けど、ね? 転生魔法って…。
 命弄ぶ禁忌の魔法じゃないですか!?
 スゲーラッキー♪じゃないでしょう!
 さ、流石にこれは手にあまるといいますか…。


「大事に扱って下さい」


「畏まりました!」


 女神様の授けてくださった職種です。
 使わなければそれこそ失礼というものでしょう。
 それに、やはり自分には回復役が似合うと思います。ヨホホホホ。
 …盛大な手のひら返し? 褒め言葉ですな、ヨホホホホ。


 こうして女神様に職種『治癒師』も頂いた自分は、いよいよ異世界に旅立つこととなりました。心が躍ります。
 不思議なことに、魔法なんて知らないはずの自分でも職種を授かった直後にはまるで呼吸のやり方を知っていたみたいな感じで、誰に教わることもなく勝手にできるようになっていました。しかも、失敗する想定が全く浮かびません。信頼というより当然といった感覚です。
 しかも自分、視界に怪我や病気の患部を透視することができる『透視の千里眼・医務』(勝手に名付けさせていただきました)も付いてきました。付録みたいに。
 帰りに関しても、世界の狭間までくれば女神様が責任を持って元の世界に返してくださるとのことなので、自分は帰路の保障付きで行くことができそうです。
 女神様には感謝してもしきれません。


「こちらの都合に巻き込んでしまい、申し訳ありません」


「女神様が謝る必要はありませんよ。またお会いしましょう。自分、仲間は可能な限り生還させて元の世界に帰りたいですから」


「可能な限り、ですか?」


 女神様が首を傾げたが、それもすぐに終わる。
 自分の記憶を読んだ様子です。Cクラスに存在する、光と闇の存在を。
 これを知れば、最悪の可能性というものも出てくるでしょう。


「人は、後悔する生き物です。試行錯誤という行為には意味がある。自分は性悪説を支持する側ですが、悪があってこそ、闇を抱えてこそ、それは人の営みとして成立するものです。冷酷と思うかもしれませんが、自分は本人が決めた道が曲がっていても歪んでいても、求められなければ手を差し出すつもりはありません。自分の手は、そこまで多くを救えませんから」


「で、ですが…」


 女神様が何かを言おうとしましたが、自分の面の奥に覗く瞳を見て口をつぐみました。
 ですが、それも瞬く間に霧散します。


「ヨホホホホ。シリアスな空気になりましたね〜。女神様、そろそろお願いしてもよろしいでしょうか?」


「え…」


 女神様は一瞬、困惑した様子ですが、すぐに気を取り直しました。
 やはり、送り出される際の別れはお互い笑顔が一番でしょう。
 自分は面が笑っているので終始笑顔ですがね〜。ヨホホホホ。


「…お願いします。生きて、帰って来てくださいね」


「ヨホホホホ。雪風に乗ったつもりでお待ち下さい。かの幸運艦に匹敵する成果を成し遂げて、欠かすことなくここまで来ることをお約束致します。守れるかは運次第ですが。ヨホホホホ」


 こうして、自分は異世界へと旅立って行きました。






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 仮面で顔を隠した青年を無事送還した私は、先ほどのことを思い返していました。
 仮面は不気味なものでしたが、彼の心はその口調と裏腹に気遣いと親切に溢れた清いものでした。
 あれほど心が温かい人は、珍しいです。
 ですが、同時に彼は仮面の下に何かを隠しています。
 それが何かはわかりません。
 ただ、女神である私にさえ読み取らせない、温かい心の奥の奥の奥底に、影が見えました。
 些細でありながら、非常に目立つ異質な影。
 それに、彼の記憶には自分の面の下にある素顔を映したものがないのです。
 それは自身の顔を忘れているのか、もしくは何らかの理由があってその心の奥底に沈めているのか、二つの可能性があります。
 ただ、どちらにしろあの暖かい青年の心は、とても異質に思えました。


「彼は、一体…」


 女神としてこの仕事を始めて長い時が流れましたが、理不尽な召喚を受けながらあのような態度で臨んだ人は他にいません。
 彼は人を恨むという感情が抜けているようにも思えてしまいます。
 彼が、クラスの闇の部分、過激ないじめがあるという事実を見せつけるように掘り起こすことがなければ、私は彼の心の奥にある異質な影に気がつきませんでした。
 あれほど暖かい心の持ち主が、理由もなくあのような歪な心をしているとは思えないのです。
 それは、さながら顔と同じように仮面を被って覆い隠しているようにも感じます。
 しかし、彼の心の色は本当に暖かいものです。道徳心に重きをおく人でなければ、『治癒師』が職種になることはありません。
 私は見たことのない彼の在り方に、知りたいという欲求にかられました。
 神でも欲はあります。かの世界の管理者にして守護神たるクロノス神様も、背中の上の子供たちが紡ぐ物語を読んで、悲しみにくれたり喜びに打ち震えたりします。それだけかの巨神は子供達と背中に広がる世界を愛しているのです。
 彼という存在を知りたい。彼の心のあり方を知りたい。
 そして、彼が異質な影を背負っている訳を知りたい。
 知って、慰めたいなんて半端な感情を抱くことはありません。
 それが彼の心を蝕んでいるならば、私はそれを取り除きたかったのでしょう。できなくても、支えてあげたいとさえ思います。
 何でしょうか?
 私は、人という種族の営みを微笑ましく思います。
 それでも、一個人にここまで肩入れするのは自分でも不思議に思いました。
 単純な好奇心、だけではないようです。


「……………」


 次に会うときまでに、私のこの感情の正体を突き止めましょう。
 私は、いずれ来る彼との再会を夢想しつつ、まずは目先の異世界召喚を受けた方々との邂逅に臨むことにしました。

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