僕の前世が魔物でしかも不死鳥だった件

低系

不死鳥の叫び


 ―――こんな日々が、ずっと続けば良いのにね……。

 優希姫が言ったあの言葉に、嘘はなかった。
 それは、僕も同じだ。
 こんな日々がずっと続けば良いと、そうなれば良いと、どれだけ強く願っただろう。どれだけ強く求めただろう。
 それがこんなにもアッサリと、こんなにも呆気なく壊れてしまうなんて誰が予想出来た。

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして!!

 どうしてこうなった!!

 何でもない平日に、何でもない時間に、何の問題もなく過ごしていただけのあの瞬間に、僕はいったい何を間違った。何を誤った。何を失敗した。
 分からない。分からないが、現実はただそこにあるがまま、不死鳥と言われ恐れられたはずの僕をまるで路傍の石ころのように見下していた。

「もう一度言うよ」

 優希姫は銀の弓に、同じ銀色の矢を据えながら、

「どいて、夕月。私は、あなただけは何があっても傷付けたくないの」

 僕の背後の姫刹を睨めつけている。
 今の優希姫は僕を見ていない。いや、厳密に言えば僕を傷付けまいという意識はあるが、その瞳に写るのは姫刹に対する殺意で埋め尽くされている。
 前世の世界で嫌というほど見てきた、獲物を狩る獣の眼だ。

 優希姫は自分のことを天使だと言った。

 天使。

 その存在は、かつての僕がいた世界でも、魔物たちの間では有名だった。
 神の使い。神に選ばれた魔物を狩る者。
 神―――それは、この世で魔物が唯一の天敵とした存在だ。
 それが例え、不死鳥だったとしても。

 ああ、そうか。そうだったんだ。

 今、ようやく思い出した。

 何故、不死身であるはずのこの不死鳥ぼくが、転生してこの世界に生まれ変わったのか。
 何故、不死身であるはずのこの不死鳥ぼくが、死んだのか。
 目の前にいるその存在こそが、答えだ。

「優希姫………」

 僕が溢した呟きは、もう彼女には届いていない。
 ギリギリとしなる音と共に、優希姫が弦を引いた。

「下がっていてください、羽川先輩……」

 いつの間に立ち上がったのか、姫刹が僕の背後から出てきた。

「赤城先輩が天使だったなんて、流石に驚きました。こんなに身近に、我ら魔物の敵がいるとは………」

 その声は先程の彼女とは違う。
 敵を見定めた冷徹な魔物。冷たい殺気を放つ伝説の吸血鬼のものに変わっていた。

「それはこっちの台詞だよ、星河さん。まさかこんなところに、こんな危険な怪物が潜んでいるとはね。私の見落としだよ、狩るべき敵を放置していたなんて、平和ボケしすぎたかな………」

 優希姫も、姫刹も、すでにお互いを完全に敵と見なし、明らかに牙を向けている。
 僕の大切な日常を共に過ごす、二人が。

 はは、ははは、はははは、何だよ。何だよそれ、何なんだよこれは! この状況は!!

 今にも叫び出しそうな僕の心を置き去りに、土埃を上げて二人の姿が消える。
 始まってしまったのが、僕には分かった。
 始まってしまったんだ。

 二人の戦いが。

 僕の大切な日常の、殺し合いが。



 僕は視力を不死鳥モードに切り替え、二人の姿を探す。
 二人は僕のいる場所から離れ、グラウンドから校舎の方へと動いている。どうやら僕を巻き込まないようにすることは、二人の共通の意思らしい。
 だがそれ以上に、二人の殺気は高まり弾けている。
 夜の闇の中に、一筋の銀の閃光が輝いた。
 優希姫の矢だ。
 その銀色は真っ直ぐに、狙った先である姫刹の元へ向かっていく。生身の人間ならとても避けられるスピードではない。
 しかし先の不意を突かれた一撃とは違う。あの程度、吸血鬼から見ればどうというスピードでもないはずだ。
 僕の予想通り、姫刹は銀の矢をヒラリと避け、御返しというように大きく腕を振りあげた。
 僕の記憶が正しければ、吸血鬼の得意とするのは変化の他に、嵐や雷を操る力。
 ……………ってことは、まさか。

 バチバチ、と電気が弾ける音と共に蒼白い光が見えた。
 夜の暗闇に染まったグラウンドに、今度は蒼白い稲妻が走った。
 激しい雷撃が優希姫を襲う。
 いくら天使でも、雷より速く動ける訳はない。
 優希姫はなす統べなく、その雷の直撃を受けてしまった。
 爆音。そして土埃で彼女の姿が消えた。

「優希姫!!」

 僕は思わず叫んだ。
 だが僕の心配など必要ないとばかりに、銀色の輝きを放つ美しい翼が土埃を掻き消した。
 あれは正しく、天使の翼だ。
 優希姫の髪と瞳は、翼と同じ銀色に変わっている。その頭上に浮かぶのは黄金の輪。
 ああ、あれだ。あの姿だ。
 僕の記憶の奥底にいた。僕を殺した天使の姿。

「クソッ!」

 何故だ。僕は優希姫には何の恨みもない。なのに何故、僕の心はどす黒い怒りが溢れてくる!?
 過去に殺された憎しみが、恨みが、優希姫を見ていると僕の心を激しく支配する。
 やめろ! やめろ!!
 優希姫は僕の親友だ。僕にとって一番大切な存在なんだ。
 過去の僕にどうあって死んだのかなんて知らないが、今この瞬間の僕に、優希姫に対する憎しみや恨みなんて植え付けるんじゃねぇよ!!

『本当にそうかな……』

 …………誰だ。
 頭の中に響くこの声。
 聞きなれた。しかし僅かな違和感を持つこの声は。
 まさか、僕なのか?

『そう、私は過去の君だよ……』

『あの世界に生きていた不死鳥だ』

 何で今、お前が出てくるだ。今のお前は、この世界の僕に関係ないだろ!!

『それは違うな。私は君だ。他の誰でもない君自身だよ』

 だとしても、何で今さらお前が。

『随分と苦悩してるようだから、笑いに来てやったんだ』

 何だと!?

『言っておくが、君の心の奥底に溢れる殺意は私のせいではないよ。他ならぬ君自身が発する心の闇だ。君の中にある本心なんだよ』

 黙れ!

『君は以前、心の中でこう言っていたね。今の自分を昔の自分が見たらどう思うだろう、っと』

 黙れ!

『その答えを今、教えてあげるよ……』

 黙れ! 黙れ!

『ハッキリ言って滑稽だな……』

 黙れ! 黙れ! 黙れ!

『哀れとも言うか。今のこの状況を目の前に、君はあのときと同じようなことを言えるかい?』

 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!

『私に向かって、この今を羨ましいだろう、と』

「黙れ!!」

 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!
 分かってるよ! 分かってるんだよ!!
 このどうにもならない状況に情けないくらい自分が打ちのめされてることは!!
 少しでも、過去の自分の方がまだマシだったかもしれないなんて思ってしまったことは!!
 この世界に転生しなければ、こんな思いをせずに済んだなんて考えてしまったことは!!
 全部、自分がよく分かってるんだよ!!
 大切な日常、大切な世界。
 そう思ったことに嘘はない。
 けど、今この状況で、僕はどうすれば良いんだ。

 爆音、閃光、砂塵。

 繰り返し巻き起こる衝撃波が、今なお戦い続ける二人を顕にしている。
 僕はただ、立っているだけ。
 目の前のこの状況に絶望し、立ち尽くしているだけ。

『―――滑稽だな……』

 それは、僕自身から出た言葉だった。

『このままここに突っ立っているだけで本当に良いのか?』

 目の前に広がるこの絶望に、何もせずにいて良いのか?

 大切な人たちが失われるのを、そのままにしていて良いのか?

「『良いわけないだろ!!』」

 二つの心の声が重なった瞬間に、僕は走り出していた。
 どうにもならない。けど何もしない訳にはいかない。何かせずにはいられない。
 僕の大事な世界。僕の大事な日常。僕の大事な人たち。
 それが崩れていくのを、黙って見ていられる訳がない。
 どうなるかなんて知らない。
 どうにもならないかもしれない。
 けど、それでも、

 動け!

 動いてしまえ!!

 銀の閃光と蒼白い雷がぶつかる直前に、僕は飛び出す。
 二つの途方もない力は僕を巻き込んで、激しい爆発で地を揺らした。



 僕が二つの力の前に飛び出したとき、同時に二つの悲痛な声がグラウンドに響いた。

「夕月!!」

「先輩!!」

 二人は僕が飛び出してくるなんて思ってもみなかっただろうな。
 僕を巻き込んで激しい爆発を起こした後、あれだけ強烈に放たれていた二人の殺気が消え失せた。
 二人がどんな顔をしているのか、流石にそれを気にする余裕は僕にはなかった。
 魔物の天敵である天使と、最強と言われた伝説の魔物である吸血鬼。この二人の力をまともにくらったんだ。

 いくら僕でも…………、

「少しは効いたな………」

 ぼそり、と二人に聞こえない呟きながら、僕は黄金の炎によって再生していく身体を起こした。

「ゆう、づき?」

 そんな僕の姿を視認した優希姫が、愕然とした表情で僕の名を読んだ。
 覚悟は出来ていた。
 そのつもりで飛び込んだんだ。
 彼女に、僕のこの姿を見せるつもりで。
 反対側にいる羽川もまた、呆然とした顔で僕を見ている。
 もう、誤魔化しはきかない。

「すまない………黙っていたのは僕も同じだ…………」

 僕は敢えて優希姫の方に身体を向けて言い放つ。

「僕も魔物―――不死鳥なんだよ」

 崩れてしまったこの日常を手放すかのように。

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