幾星霜の伝承者《サクセサー》

白神 柾

朝です。嫌な空気です。

 –––レイル。大丈夫…–––


 待って!行かないで!あなたは誰なの?


 遠ざかる影に僕は必死に声をかける。心なしか懐かしさを感じつつ、影が遠ざかっていくことを悲しく思ってしまう。


 –––貴方の心を信じなさい……––


 エコーが響き渡る。声がだんだんと小さくなる。僕は声をかける。


 行かないで……一人にしないで……








「–––。–––!––ル!」


 ーなんだ、うるさいな。
 少年は声から逃げるように布団を頭から被る。束の間の幸福に身を委ねていると、何者かに容赦なく布団を剥がされた。


「レイル!いい加減起きなさい!」
「うわっ!?」


 レイルと呼ばれた少年はその声に飛び起きた。その様子をその声の主である少女は溜息を吐きながら見つめた。


「なっなんだ…ジェリーか…もうちょっと優しく起こしてよ…」
「起きないレイルが悪いんでしょ。…ってないてんの!?」
「え?…あれ?ほんとだ」
「情けないわね。悪い夢でも見たの?」


 レイルは泣いていたことを指摘され目頭を抑えた。ジェリーと呼ばれた少女はさらに溜息をついたあと、心配そうな顔でレイルに顔を覗き込んだ。


「んー…よく覚えてないけど、違うと思う」
「えー情緒不安定なの?」
「ちっ違うよ!そんなんじゃ無いからそんな顔で見ないで!」


 なんだか可愛そうなものを見るようなジェリーの視線にレイルは悲鳴を上げた。
 するとすぐにジェリーは笑い始めて「冗談よ。あははは」と言った。そんなジェリーにレイルは少し悔しそうな顔をした。


「むぅ。からかわないでよ。ひどいじゃないか…」
「うひひひっ。ごめんごめん。そんなに怒らないでよ」
「怒ってない!それに絶対謝る気ないだろ!」


 なお笑い続けるジェリーは「あるある」と全くない様子で言った。レイルは「もういいや」と諦めた様子で立ち上がった。そして、おもむろにクローゼットに近づくと扉をあけて服を取り出した。


「ジェリー。着替えるから出て行ってよ。それといつまで笑ってんの」
「うひひひひっ。はいはい。ご飯できてるから下に来いって」
「んー。わかったー」


 レイルは未だくすくすと笑いながら部屋を出ていくジェリーを見て、ため息を吐きながら返事をした。


(付き合いの長さ故にか…普段はあんな娘じゃないんだけどな…)


 ジェリーはレイルにとっては面倒見はいいが自分をからかってくる幼馴染だ。毎朝こういう風に朝が弱いレイルを起こしにくる。そして何かしら言ってからかってくる。
 レイルはそんなことを考えつつ、クローゼットから取り出した服に着替えた。


(それさえなかったら素直に感謝できるのにな…)


 着替え終わったレイルはクローゼットの横にある鏡の前に立った。そこには黒髪、碧眼に中性的な顔をした少年が立っていた。レイルは鏡を見ながら身だしなみを整えると


「よしっ」


 と言い、ドアをあけ、自分の部屋を出た。












 階段を下りて右に進むといい匂いがしてきた。そして目の前のドアを開けると、一人の中年だがそこそこ鍛えてそうな男と先程散々レイルをからかったジェリーが机についてパンをかじっていた。


「おはよう、父さん」
「お、ようやく起きたか。おはよう、レイル」


 レイルが男に挨拶をすると、男はレイルに振り向き、やけに人懐っこい顔で笑った。
 彼はレイルの父パーシー・グリムウェル。鍛え上げられた体に反して笑った顔は子供みたいである。


「あんまりジェリーちゃんを困らせちゃダメだぞ」
「うっ…わかってはいるんだけどね…ちょっとね」
「ごめんな、毎朝。こいつ俺たちじゃ起きないから」
「いいのよ、おじさん。好きでやってることだから」


 パーシーの言葉にきまり悪そうなレイルを尻目にパーシーはジェリーに謝った。そんなパーシーにジェリーは笑いながら手を振った。
 レイルは「好きで毎朝あんなことされても迷惑だよ…」とブツブツ言いつつ、ジェリーの横に座った。


「っていうかなんでうちで食べてるんだよ。隣なんだから戻って食べれば良いでしょ」
「おじさんに誘われたの。たまにはってね。何?迷惑?」
「いや、そんなことはないけど」
「けど何よ」
「けどないです!」


 そんなことを話していると先程までキッチンにいた30代と思われる女性がレイルの料理を持ってきた。


「はいはい。二人とも今日から大人なんだから、そんなに喧嘩しないの」
「「別に喧嘩じゃない!」」
「あら、本当ね。仲良いわね〜」
「「仲良くない!」」


 その女性−レイルの母ナンシー・グリムウェル。おっとりとしていてパーシーと同い年だというのによっぽど若々しい−にレイルとジェリーは手を机について同時に反応した。その光景を微笑ましそうにグリムウェル夫妻は見ている。
 そんな中、気を取り戻したジェリーは拳を作って


「そうよね!今年から私たちの「魂球」が変わるんだもの!頑張らなくちゃ!」
「ジェっジェリーちゃん!」
「…あっ……」


 ジェリーの言葉にナンシーが悲鳴をあげて、パーシーが「あちゃ〜」と手を額に置いた。ジェリーは二人の態度で何かに気づいて、そろりそろりと隣を見た。そこには
 下を向いてどこか悲しそうに口を噤んでいるレイルの姿が。


「あ…ごめん…無神経に」
「…いいよ。僕は気にしてないし慣れてるから」


 レイルは心底申し訳なさそうにしているジェリーに「気にしないで」と悲しそうに微笑んだ。そんなレイルをパーシーとナンシーは痛ましげに見た。


















 レイルの顔が優れないのにはもちろん訳がある。




「魂球」–––この世界の人と分類される生物は生まれてくるときに必ず大なり小なり、色は違えど一つの球を持って生まれてくる。大きさはその子の強さを表し、色は心の形を表す。魂球はその子の可能性である。それはとてつもない力を秘めており、赤子の体では耐えられない。故にそれは魂球として具現化して、体が出来上がるまで待つ。それまでに人は自らの体を鍛え、成長させる。そして15歳になる年、魂球はその心に反応してその子に最も適した可能性を与える。与えられる可能性は元々の「魂球」の大きさに比例して大きくなる。しかし、「魂球」は心でもあるのだ。その心に適した可能性を伸ばすだけでなく、この心の強さ、思いの強さでその可能性は増える。その足がかりとして、体力や腕力、脚力が増えるもの、魔力が増えるもの、魔力適性が増えるものもいる。それはそれまでのその子の力を圧倒的に上回る。そして、さらに人は伸ばされた可能性の限界を目指して、成長する。




「魂球」が与えるのは元々持っていた赤子には大きすぎる力なので、修行して得ることができる技術などは向上しない。










 レイルは生まれてくるとき誰もが持っている「魂球」を持っていないのだ。それが表すのはレイルが持っているのは赤子の体で耐えられる程度の力…ということである。
 故にレイルは昔からバカにされ、いじめられ、その度にジェリーに守られてきたのだ。レイルは情けないと思いつつ、自分には何もできないことがわかっているので、「慣れて」しまうほど長い間、それを受け入れてきたのだ。もちろん何もしてこなかったわけではない。剣を習い、技術を磨いてきた。技術だけなら村でもかなり上位にいる。故に同い年でレイルに勝てるものはほとんどいないのだが、それももう終わりである。レイルはすでに「魂球」に力を与えられている者に手も足も出ないのだ。どんな大きさの「魂球」を持っていた人でも底上げされたスピードと腕力はそれまでのものとは段違いで、その体力もレイルのそれよりもはるかに多い。そのことがをわかっているからかレイルは諦めていて、周りの子供たちは余裕ある態度でレイルを見下す。


 パーシーとナンシーはできることは何でもしようとしていたが他ならぬレイルがそれを拒んだ。
「剣を習わせてもらっているだけで充分だから。これ以上迷惑かけられない」といつも自嘲気味に笑うのだ。その度に二人は胸が締め付けられる感じがする。あの笑顔の裏には本当は悔しさや悲しさ、情けなさがあるのを知っているから。いつも一人泣いているのを知っているから。だからこそいつも笑顔でいようとしている。
 それなのにこんなことになりかねない発言をしてしまったことをナンシーは悔いた。レイルのこんな顔見たくないのに…と。
















「そんな顔しないでよ、みんな」
「でも…」
「いいんだよ…もうとっくの昔に受け入れたことだから…」


 ジェリーはそう言われつつ、それが嘘だとわかっていた。なぜなら、剣術を習う時間が終わった後も必死に剣を振るうレイルの姿を見てきたから。諦めきれない、そんな気持ちが伝わってくるようだった。だからこそ本当に申し訳なかったのだ。


「母さんも。ご飯冷めちゃうよ」


 レイルはそういうと何事もなかったかのように食事をとり始めた。ジェリーもそれを見てもそもそとパンをかじり始めた。チラチラレイルの様子を見ながらではあるが。そんな中ナンシーとパーシーは食事に手をつけられないでいた。何か言いたげな、しかし言えないでいると言った感じの。
 今までもこういう雰囲気になったとき似たような状態になった。レイルはいつも気づいていながら知らないふりをした。理由は本人も分からなかった。とはいえこんな感じになるのはかなり少なかった。ナンシーとパーシーが意図的にそうしていたのだ。レイルもそれがわかっていたのでかなりありがたく思っていた。口では大丈夫と言いつつも本当は全く大丈夫ではないからだ。


 レイルはそんなことを考えつつ、今回も知らないふりをして食事に没頭した。そんなレイルをジェリーが心配そうな目で見ていた。こちらも毎度のことで、しかしレイルは気づいていない。
 そしてようやく動き出したナンシーとパーシーとチラチラとレイルを見ているジェリーと静かに朝ごはんを食べるのだった。
 レイルはその雰囲気についつい「はぁ」と嘆息しつつ、僕のせいだけどね、とバレないように苦笑いした。










 そして、いつになく静かな食事を終えるとレイルはおもむろに立ち上がった。


「ご馳走さま。じゃ行ってくるよ」
「ああ…いってらっしゃい」
「気をつけてね」


 先ほどのことがあったからか気まずげにいうパーシーとナンシーにレイルは苦笑しつつジェリーに向き直った。


「じゃー僕は行くけどジェリーは一旦家に帰る?」
「いえ…一緒に行くわ…」
「じゃ行こう」


 こちらも気まづげな態度のジェリー。レイルはまたもため息をつくと玄関に歩き出した。その後ろをついて行くジェリーにナンシーが「レイルをお願いね」とこっそりと伝え、それにジェリーがうなづいた。


「「じゃ行ってきまーす」」
「「いってらっしゃい」」


 レイルとジェリーが声を揃えていうとパーシーとナンシーは笑顔で送り出した。

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